今日は朝から屋敷が騒がしい。
朝食を食べようと廊下に出たついでに、近くにいたメイドのおばさんを掴まえて訊くと、どうやら昼からお葬式があるんだっていう。
父さんの友達が死んだそうだ。
「だからねエリュオンぼっちゃま、あなた様もいつまでもそんな格好でいちゃあいけませんよ。なんです、まだ寝巻きじゃあありませんか。そんな格好で朝食なんてだめです、いけません。着替えてらっしゃいな」
「へいきだよ」
「いけません」
格好なんか大した問題じゃないよといくら言っても聞いてもらえないので、僕は諦めて、部屋に戻って着替えることにした。
おばさんは、聞き分けがいいですね、と僕の頭を撫でた。
「髪もとかしてらっしゃいませ。櫛を入れるんです、わかりましたね? ぼっちゃまはたいそうお綺麗な顔をしていらっしゃるんですから、そんなだらしのない格好をしていちゃあいけません」
「僕は綺麗なんかじゃないよ」
僕は顔について何か言われることが苦手だったので、顔を顰めて言った。そんなこと言わないで。
おばさんははいはいと肩を竦めて、あたしゃもう仕事に戻りますけどね、と言った。
「いいですか、ちゃんと綺麗にしておくんですよ。それに、万一にもベッドに潜ったりなんかしちゃあ駄目です。今日は大事な日なんですからね」
「はあい」
僕は頷いた。
髪を櫛でとかして、着替えて、めんどくさいけど、僕はおばさんのことが嫌いじゃなかったので、おとなしく言うことを聞くことにした。
いろいろがみがみ言われるけど、おばさんのアグロッサの詰め物焼きは絶品なのだ。
部屋に戻ろうとして、僕は廊下の角っこにちょっと覗いている金色の髪の毛を見た。
それは、メイドのおばさんがいなくなったのを見ると、ぴょこっと頭を出した。メベトだ。
メベトは僕とおなじでまだ寝巻きだった。スリッパを履いてるだけ裸足の僕よりましだったけど、どっちだって大して変わりやしない。
どうやら、おばさんに見つかってがみがみやられるのが嫌だったんだろう。
僕だって嫌だ。好きこのんで怒られる人なんて、あんまりいないと思う。たぶん。
「ミイナさん、行ったな」
「行ったよ。メベトはずるい。ぼくだけ怒られたじゃないか」
ふてくされていると、メベトはにやっとして、まあそう腐るな兄弟、と言った。
「そんなことよりさ、エリュオン、今日朝飯が済んだら上層のモールに行かないか? マニーロ屋に新しい的当てゲームが出るんだよ。店主の結婚祝いだってさ。自分で祝ってちゃ世話ないけどさ」
「でも今日は忙しいんだろう? 父さんについてかなきゃならないよ」
「オマエはほんとバカだなあ」
メベトはハンと鼻を鳴らして、ちょっと斜めに構えた、人を馬鹿にしきった顔で僕の頭を小突いた。
「オマエ、葬式って知らないの?」
僕は知らなかったので、正直に首を振った。
僕はここへきてまだ一年足らずだ。礼儀作法なんてのを教えられたりはするけど、上層区やその上の階層の行事なんかのことはまったくわからなかった。
そういうことに限っては、メベトが兄さんだと言ってやっても良かった。僕より確実に物事を知っていたし、そういう時は妙に機嫌よさそうにいろんなことを教えてくれるからだ。
メベトは、僕に質問されることが好きなようだった。
いや、僕が当たり前のことを訊いたりした時に、ほんとオマエはバカだって言うのが好きなのかもしれない。
なんにしろここ最近の付合い――――
一年足らずなんて言っても、毎日顔を合わせているし、彼は僕の家族なのだ――――で、僕とメベトはかなり親密に仲が良かった。本当の兄弟と言っても良いかもしれない。
良く喧嘩することはあったけど――――
そのどれもがほぼ、何が気に入らないのかもわからない僕に対して、メベトが一方的に怒っているものだった――――まあうまくやっている。そう思っているのは僕だけかもしれないが、僕らは仲が良かった。たぶん。
だからメベトの考えてることは大体わかる。
彼は僕の質問に答えて、メベトすごいなって言われることが好きなのだ。
「メベトは物知りだ。ね、葬式ってなんなの?」
メベトはぱんぱん僕の頭を叩いて、ああ軽い音がすると言った。
僕には何のことだかさっぱりわからなかった。別段何のかわりもない、頭骨を叩く音だ。
「内容データが軽いと脳味噌も軽いんだな。葬式って言うのは、死んだ人間を悼む儀式だ。まあ、盛大なお別れ会みたいなもんだな。もう二度と会えないんだ」
メベトは父さんの受け売りだろうことを言った。自慢そうにしてるけど、口調が父さんそのままなので、僕にはわかった。でも何も言わないでおいた。
メベトはいばりんぼのしったかぶりなので、余計なことを言わずに黙っておいたほうが、僕が後で痛い目に合わなくて済む。
「ふうん。なんだか楽しそうだね。僕、紙輪っかの花束を作ろうかな……いろんな色のを束ねて、そしたら綺麗だ」
「ハア? オマエ、何を言ってんの? 死体を棺に入れて、それでしまいだよ。輪っかのスペースなんかない」
「死体なんかどこにしまうの? それじゃあなんにもわからないんじゃあないかな。死体は、死んでるんだし……」
「埋めるんだよ。石の下にさ」
僕は素直に、変わった儀式だね、と言った。
死体を弄くるなんて、あんまり気持ちの良いものじゃない。早く捨てなきゃ腐ってしまう。
僕がそう言うと、メベトは変な顔をした。
「防腐加工くらいされてるよ、そりゃ。父さんの知り合いなんだぜ。すごいハイディだよ」
「どうして? 死体は腐るものだよ。弄ったって、いつかはそうなるんだ。
僕が昔住んでた街では、人が死んだら街の果てにある深い空洞に投げ込んだんだ。
空洞の下には大きな水溜りがあってね、死んだ人はゆっくり時間を掛けて水に溶けてって、岩の隙間に染み込んで、どんどん広がってって……世界のひとつになるんだ。僕らは街の天井の空の絵の一部になって、まだ生きてる人たちをずーっと見守り続けるんだよ」
「……ふうん、ヘンなの」
メベトは、今までそんなの全然見たことも聞いたこともない、と言った。
「それじゃすごい臭うじゃないか。焼かずにそのまま、水の中へドボンだろ? 水の中で腐って、そりゃあひどい臭いがして……しかも地下水なんてみんなどっかで繋がってるんだから、その街のやつらはみんなその死体水を飲んでるんだぜ? げろげろ、気持ち悪くなってきた」
「気持ち悪いかな」
「気持ち悪いだろ」
メベトはすごく当たり前のことみたいに言って、うさんくさそうな目で僕を見た。
「オマエだって、死んで水の中に放り込まれるなんて嫌だろう」
「でも、死んでるから、息も苦しくないし……」
僕は、そんなに嫌でもないかな、と言った。
それはとても深淵なことのように思えるのだ。
僕は死んで水に溶けて、湖の水そのものになり、地下に染みて、あらゆるものに広がっていく。世界は僕になり、僕は世界になる。
それはすごいことのように思えたので、僕はメべトにお願いした。
「ね、僕はやっぱり、あの穴から湖へ投げて欲しいな。そりゃ臭いもすごかったけど、僕は世界の一部になるんだ。それって素敵なことだよ」
「全然素敵じゃねえし、オマエがそうしたくってもそりゃあ無理だよ」
メベトは、オマエは悲観主義者のロマンチストだな、と言った。
「なあクォーター? オマエは臭い穴に放り込まれたがったって、そうは行かないんだ。でかい豪華な墓碑が建てられて、そこにはこう書かれるんだ。選ばれし血に連なるものたち、ここに眠る――――ベイト、メルリープ、メベト、エリュオン」
「父さんと母さんとメベトと僕? それってどういうこと?」
「オマエ、家族ってもんがまるでわかっちゃいない」
メベトはぶすっとした顔で、ぼくの頭をきつく叩いた。
どうやら、何故か知らないけれど、怒らせてしまったみたいだ。
「メベト? どうして怒ってるの?」
「どうしてもくそもあるか。あああ、やっぱ葬式なんてやってられない。陰気臭い、辛気臭い。まるでオマエみたいだ。俺はイチ抜ける、オマエは好きにすればいいよ。父さんの顔を立てて式にくっついてくでも、俺にくっついてマニ―ロ屋に行くでも……ダーツのゼニーはオマエ持ちだけどな」
僕は実の所、上層特区で行われるらしいお葬式っていうものがどういうものなのか知りたかったけど、メベトを怒らせたまま一日を過ごすのはたまらなくつまらないだろうと思ったので、僕もメベトと行くよ、と言った。
ダーツのゼニーは痛いけど(僕は欲しいルアーがあって、それで大分貯金をしていたのだ)どうやら知らないうちにまたひどいことを言ってしまったのかもしれない。
往々にして、そういうことがあるのだ。
僕は気が回らない、気がきかないたちの人間であるようで、知らないうちに人を怒らせてしまうことがよくあった。
何が悪いのかは僕にはわからない。考えてみたけど駄目だった。
だからそういう時は、とりあえず謝ることにしている。
僕には悪気はなかったので、ただ謝ることしかできない。喧嘩なんてもってのほかだ。
「……僕、またなにか、悪いことを言ったかな」
「別に、なんにも」
メベトはすごく怒った顔で、なんでもないよ、と言った。
どうやら僕はまたやっちゃったようだ。
「……あの、メベト。僕は何を……」
何がメベトを怒らせたのと聞こうと僕が口を開けたところで、ふわっと足が宙に浮いた。
僕は飛べるわけではない。
背中から誰かが、僕の寝巻きのシャツをひょいっと摘んで持ち上げたのだ。
見るとメベトもそうだった。僕と同じで、宙吊りにされている。
「おはよう、朝から仲良しだな、かわいい子ナゲットたち。密談かい、パパも混ぜておくれよ」
「げ、父さん……」
「父さん、僕はパパナゲットがいい」
僕らのうしろには父さんがいた。
父さんは力持ちなので、僕らを持ち上げても全然へいきな顔で、にこにこしていた。
そして軽い僕を肩に乗っけて肩車して、メベトを片腕でだっこした。
父さんはすぐにわざとだとわかる怖い顔を作って、こら、と怒った。
「逃げようったってそうはいかない。メベト、おじさんには随分良くしてもらったろう? ちゃんとお別れを言わなきゃ」
「……俺あのおじさんあんまり好きじゃあなかったもん。怖い顔してさ、うちに来ると俺のこと睨むし」
「睨んだんじゃない、見てただけだ。あの人にはおまえたちとおんなじ年頃の子がいてね、パパの自慢の息子が可愛かったんだろう」
僕には何のことだかさっぱりわからなかった。メベトが言う怖いおじさんを見たことがなかった。
父さんはいつもどおりに見えたけど、目の中に深い悲しみがちらちらと見えた。
メベトも居心地が悪そうにしていた。
僕だけ記憶を共有できないでいた。
僕はおじさんを知らないのだ。
思い出に浸り、もう会えないんだと悲しんだりすることもできない。
「エリュオン、おまえも来なさい」
父さんは僕に言った。
「おまえはおじさんを知らないだろうが、お葬式っていうものがどういうものかを見ておくべきだ。人間が死んだら、誰がどうしてくれるかっていうことを、おまえは学ぶべきだ。少しわかっていないみたいだから」
「うん、わからない」
僕は頷いた。
メベトは父さんが捕まえてしまったので、もう逃げられないだろう。
マニーロ屋はまた今度だ。
ダーツのゼニーも助かった。
メベトはすごく大きな溜息をついた。どうやら諦めたみたいだ。
父さんは、ショップには取り置きの電話を入れておきなさい、と言った。
きっと全部聞いていたんだ。メベトは膨れて、そういうのずるいよ、と言った。
「父さん、立ち聞きは良くないぜ」
「ちょうど聞こえたんだよ。それより二人共、ママにおはようのキスをして、朝食にしよう。お腹が減って死にそうだ」
父さんはおどけて、目をぎょろぎょろさせて、立ったまま死んだふりをした。例のゾンビの真似っこだ。
メベトはくすくす笑いながら頷いて、ああそうだ、と言った。
「父さん、そのおじさんの子供さ、どんなやつ? 俺見たことない。父さんが死んでひとりぼっちになっちゃったんだろ。うち、来る?」
「さあ、どうだろうな」
父さんはちょっと笑って、そうしたいならね、と言った。
「家族が増えるのはいいことだがね」
「おじさんの子供だろ? きっとすごい気難しやで、頭のかたいやつだよ」
メベトはわざと顔を顰めて、俺行きたくないなあ、と言った。
その様子は、ちょっといつもの元気なメベトには似つかわしくないものだった。
メベトも口では好き勝手言ってるけど、ほんとはおじさんが死んじゃって悲しいんだと思う。
もしかしたらお葬式で「さよなら」をする時に泣いてしまうかもしれない。メベトはそれが嫌なのかもしれない。
「オイエリュオン、忘れるなよ、ダーツは……一番大きくて、赤と白で、ぴかぴかの新品のやつだ」
「なんで僕に言うの……」
そういうことなんだろう。
僕は、ごはんのあとでね、と言った。マニーロのショップに、僕がかわりに電話しろってことなんだろう。
そして結局僕らは寝巻きのままで食卓につくことになって、母さんにこっぴどく怒られてしまった。
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