55:「イン・ザ・ダーク」 |
『アクマ出現! ホール区画封鎖! ホール区画近辺の団員は退避せよ! 繰り返す――』 『どっから入ってきたのかさっぱり分からん! 引き続き監視映像のチェックをお願いします!』 スピーカーからがなり声が途切れることなく垂れ流されている。例のホール区画のモニターには大柄なアクマの姿が映し出されていた。 「団員に紛れられちゃかなわないね。今の内に片付けないと。他にはいないのかい?」 「現在調査中……あ、修練場に二体。一階部分と二階部分に一体ずつです。東の廊下にも一体。地下部分にも一体。ホールの奴と合わせて計五体です。ホールには神田とラビが向かっています。東棟には――」 言い掛けて、リーバーはぽろっと通信機を取り落とした。東棟の廊下を歩いている人影が見えた。そいつは小柄な体格をしていて、真っ黒のコートを着込んでいた。頭は真っ白だった。拘束していたはずのノアだ。 「ノ、ノア発見! なにやってんだこいつ?!」 「リーバー班長、モニターお願い! アレンくんのところへ行くわ!」 「リナリー! 女の子相手でも油断しちゃだめだよ! 具体的には貞操とかのアレに関して!」 リナリーはゴーレムを引っ掴んで胸元に突っ込み、駆け出した。ノアのアレンはふと立ち止まり、モニターの方をじっと見ていたが、やがてふいっと目を逸らして歩き出した。 「……なんだこれ?」 「どうした」 「いや、なんか変わった子だなぁって。こんな小さい子、教団にいたっけ。しかも私服なんだ」 誰かが別のモニターを見ながら怪訝そうな声を上げた。食堂付近の通路を少女が軽い足取りで歩いていく。 彼女はふと気付いたふうに顔を上げ、すっと手を伸ばした。モニター一杯に少女の手が広がった。飛びまわっているカメラ内蔵の無線ゴーレムを掴んだのだろう。 でも彼女の手はそのまま、大分離れた執務室のモニターを通って抜け出てきた。 線の細い子供の手だ。 一斉に悲鳴が上がった。 「うわああああ!! 電源落とせ電源! モニター切れ! 出てくるぞ!!」 映像装置の電源が落ちると、腕はすうっと消えていった。 ◆◇◆◇◆ 廊下を駆け回っていたアクマを蹴り倒して、アレンは襲われていた団員に声を掛けた。 「大丈夫ですか、貴方がた。少しお聞きしたいのですが、この辺りにすごく可愛い女の子が来ませんでした?」 でも人間はアレンの姿を見ると、悲鳴を上げて床にへたり込んでしまった。すごく心外だ。 『テメ、いきなりヒトのこと蹴っといて無視とは良い度胸じゃねェか!』 アクマが起き上がって凄んだ。カボチャ型のチープなかたちをしている。自我はあるようだったが、材質の進化が中途半端だったから、レベル二だろう。 『なんとか言えよ! 黒い奴! お前エクソシストなんだろ?!』 「はぁ?」 アレンは顔を顰めてアクマを睨み付けた。 「無礼者。僕がエクソシスト? お前頭にダークマタ―が回ってないんじゃないですか?」 『なっ、テメ……ってあれ、お前どっかて見たような、どこだっけ、ええと……――あ』 アクマはぽんと手を打ち、急にがくがく震え始めた。そして完全に腰が引けた様子で悲鳴を上げた。 『ひ、姫様あああ?!』 「――姫と呼ぶなと言っているはずです」 アレンはアクマの脳天に靴の底を打ち付けてやった。アクマは盛大に顔面を床にめり込ませて動かなくなった。 「まったく……。さて、そこのサポーターの方々、どうやら何も知らないようですし、もう行った方がいいんじゃないですか」 手で追い払う仕草をしてやると、彼らは悲鳴を上げてさっさと逃げて行ってしまった。まったく嫌われたものだ。 アクマの残骸を避けて歩き出し掛けたところで、天井を割って黒っぽいものが落っこちてきた。それはすごい勢いで床に大穴を開けた後、アレンのもとへ飛んできた。 「アレンくん!」 「リ、リナリー?」 アレンはさすがに驚いて、壊れた天井とリナリーを見比べた。彼女は建物の破壊に関して、そう気にしていないようだった。ぎゅっとアレンの手を握り、どうしてここにいるの、と言った。 「今教団内にアクマが入り込んでいるの。アレンくん、何か知ってるの?」 「あ、ええ。僕の妹がここへ来ているんです。さっき会いました。どうやらアクマを連れてきているようなんです。家族がご迷惑を掛けて申し訳ない」 アレンはリナリーを安心させようと微笑んだ。 「すぐに捕まえますから。大丈夫、あの子は甘えん坊なので、少ししたら寂しくなって出てきますよ」 「アレンくんの妹って、この間の女の子よね? ここへは何を……」 「はい。僕を殺しに来たみたいですね」 アレンはちょっと困ったふうに笑って言った。 「家族で殺し合いをすることが全然哀しくないんです。僕もやはり人間ではないんでしょうね」 ◆◇◆◇◆ あてもなく歩きまわっているといきなり殴り倒された。例によって殺気だった人間の群れだ。白服のサポーターたちだ。彼らは明確な殺意を持って、アレンを取り囲んだ。 「やめなさい!」 リナリーが叫んでいる。でも半分暴徒と化した人間たちには、制止なんて効きもしなかった。 「お前さえいなきゃあんなに死ななかったんだ!」 「教団内部にアクマを放したのもお前の仕業だろう、ええ?!」 「ぶっ殺してミンチにしてやる!」 口々に罵声を上げている。アレンは殴られた頬を押さえて起き上がり、彼らをじっと見上げた。すごく純粋な怒りがそこにあった。混じりけのないものだ。とても真に迫っていた。 「あまり良い趣味じゃないですね」 アレンは微笑み、リナリーに声を掛けた。 「リナリー、この方々みんな壊しちゃって大丈夫ですよ」 リナリーの反応は早かった。アレンが言い終らないうちに、彼女の黒い靴が団員たちの頭を粉々に吹き飛ばした。その血液が零れた床に、急速に星型の痕が生まれる。それは浸蝕し、広がっていく。アクマのウィルスだ。 アレンは溜息を吐いて、立ち上がり、コートに付いた埃を叩き落とした。それから天井を見上げ、「ちょっと意地が悪いですよ」と言った。 「そこにいるんでしょうロード? 僕こういうのあんまり好きじゃないな」 「だって僕今日はアレン苛めに来たんだもん」 天井からぶら下がっているシャンデリアのへりに腰掛けて、ロードが興味深そうにアレンとリナリーを眺めていた。彼女は微笑んで、すごく良いことを思い付いたようにぽんと手を打った。 「黒と白ぉ! お前ら並べて飾ったら、きっとすごく綺麗だろーなぁ!」 「駄目ですよ、ロード。リナリーに迷惑掛けちゃ」 「じゃ、アレンはいいのぉ?」 「僕も駄目。まだやることが残ってるんです」 アレンは穏やかな顔でロードに言い聞かせた。 「だからきみとももう遊べない」 ロードの機嫌はすうっと下降していった。彼女は実に分かり易かった。構っているうちはすごくご機嫌だ。でも疲れてしまって「もうお終いにしようよ」なんて言い出したらすごく機嫌を損ねてしまう。ほんとに子供の頃のままだ。 「僕の言うこと聞かない気ぃ? 弱々アレンがぁ?」 「ええ、そうです。ロード、愛する貴方と喧嘩はしたくないんですけれど――」 「――生意気ぃ。お前は僕の言うこと聞いてればいいの。ずーっと僕がいなきゃなんにもできない駄目駄目ノアだったのに、どうしちゃったのぉ? せっかくキレイなままお人形にしてやろうと思ったのによぉ」 すうっとロードの姿が薄くなっていく。同時にアレンの背後から華奢な二本の腕がぬっと伸びてきた。 ロードの尖った爪が、アレンの頬と首筋を引っ掻いた。温かい血が零れた。 「……でもねぇ、ホントは一回やってみたかったんだよねぇ、姉妹喧嘩ぁ」 ロードはくすくす笑いながらアレンの前に回り、上目遣いでおねだりでもするみたいに見上げた。 彼女はすごく可愛かった。ノア特有の灰褐色の肌、額の十字架、それに何よりすごく『ノア一族らしい』性質。可愛いぬいぐるみ、上手く家族に甘える方法。彼女はアレンが欲しいものを全部持っていた。そして、彼女自身それを良く理解していた。ロードはすごく軽蔑するような目でアレンを見た。 「お前なんか大ッ嫌い。弱っちいくせに、僕とおんなじノアっての許せない。みんな言ってるよぉ、アレン困った子だって、白いノアなんかノアじゃないってぇ。なんにもできないくせに、千年公の言い付けまで破っちゃったんだってぇ? もうどーしようもないねぇお前ぇ〜」 神経質なくすくす笑いはまだ続いていた。ロードはすごく冷たい声で言い放った。彼女の声は自信に満ちていた。 そう、それはとても正しいことだったからだ。 「ノアもアクマも人間もお前なんかいらないってぇ」 「ええ――知っています。僕に価値がないことは、僕が一番――でも、」 アレンは目を伏せて、苦笑した。全部本当のことなのに、こうやって初めて面と向かって言われると大分堪えた。『その時』が来ることを――千年公のシナリオからアレンが脱落し、家族に棄てられてしまうことを知っていたはずなのに、やはり悲しかった。 そしてそれがアレンが棄てられた理由のひとつだった。「悲しい」、それは人間の感情だ。 アレンは無理に微笑んだ。 家族が好きだった。ちゃんと愛してるし、今でもそれは変わらない。みんなマナとおんなじくらい大好きだ。 でももう覚悟は済んでしまっていた。 「うちに帰りたい」と泣くことはできなかった。 アレンはもう彼らの家族じゃなかった。聖域に居場所はなかった。 ただ人間たちの住処のすごく狭い特別な場所にだけ、身体を縮めて座り込んでいることにしたのだった。 アレンは言った。 「すごく久し振りに大好きなものができたんです。だからとてもやってみたくなったことがあって……誰かのために命を掛けるということを」 「じゃ、お前もう死ねよ」 ロードはすごく怖い顔をしてアレンを睨んでいた。やっぱり怒らせてしまったようだった。 今までアレンが彼女の思い通りにいかなかったことは無いのだ。 アレンは左腕を『発動』させた。ぽうっと淡く輝いて、手の甲にうっすらと十字のような痣が浮き出てきた。 主に「アクマの経験値を吸い取り、強制退化させる」のが能力だ。右腕よりも破壊力が大分上がる。 他の家族達とは大分能力の差があった。アレンの特別はこの左腕しかない。他はただ死なないだけだ。戦うこともイノセンスを壊すこともこの左腕に依存している。 でもすごく不安定だ。頻繁に千年公のメンテナンスを受けなければ、暴走の危険性があると指摘された。厄介な代物なのだ。 ロードの手がアレンの首に掛かった。 アレンは彼女を抱き締め、背中から左腕を突き刺した。背骨を砕き、心臓を抉った。 アレンは静かに囁いた。 「――ごめんなさいロード、大好きです、ほんとですよ……ごめんね」 ロードは顔色も変えずにアレンをじっと見上げていた。 彼女は表情というものをこそげ落とした顔つきでいた。 でも急にその顔がぐしゃっと歪んだ。 アレンは良く知っていた。 家族のことだからだ。 彼女は機嫌を損ねると、わざとひどいことばかり言う。でもちゃんと愛されていることは知っている。 ひどい言葉を吐いて傷付くのはアレンじゃない。 「駄目な姉さんでごめんね、ロード」 「……この、バカバカ、ばかぁ……バカアレン……やだよぉ……」 ロードはアレンにぎゅうっと爪を立てて抱き付いてきた。彼女は大嫌いな人間を殺しに来た訳じゃない。 ただ大嫌いな人間から家族を取り戻しにきただけだ。 きっと彼女は信じられなかったのだ、アレンが「大嫌いな」はずの人間に情を掛けるなんて事態がありえることを。 家族よりも見ず知らずの敵を愛することを。 きっと何かの誤解が重なったものだと考えたろう。 帰ってこいよと彼女は言った。 「僕のおやつあげるから」 本当に子供みたいだった。 アレンはちょっと笑って、「聞き分けて下さい」と言おうとした。 だが、 「――はい、そこまで。流血沙汰は止めなさい。一応片方勘当中とは言え家族なんだから」 その声を聞いた途端、心臓が縮み上がるような感覚があった。 アレンはぱっとロードから離れて注意深く辺りを見回した。誰の姿も見えない。あるのはアレンとロードとアクマの残骸と、 リナリー、 彼女の背後にぼうっと現れた白い手袋。 「――!! リナリー!!」 アレンは叫んで駆け出した。すごく嫌なことを思い出していた。 以前にも同じようなことがあったのだ。アレンが必死にお願いをして、やっとティキは許してくれた。 彼は言った。 『今回だけだよ。次は殺すから』 どんなに泣いて懇願しても次はもうない。 リナリーを突き飛ばしたところで、アレンは視界がぐるっと回ったように感じた。それは激しい眩暈だった。 次に視界が戻った時には、兄の腕に抱きすくめられていた。 「やぁアレン」 すごく気軽くティキが言った。彼はこの間地下牢で遭った時のように、いつもと全然変わらなかった。 ゆっくりアレンの髪を指で梳いている。優しい触り方だ。 彼に頭を撫でてもらうことがアレンは好きだった。すごく安心する。 でも、今はすごく怖い。 これから何が起こるのかは漠然と想像がついていた。それが余計に恐ろしさを増幅させた。 「……愛してるよ兄弟。どんなになってもお前はオレの可愛い妹だ」 ティキが言った。彼は真面目な顔をしている。でも笑っている。 アレンのことが好きだという。 ティキは人間のことが好きだという。でもすごく楽しそうに人間を殺す。 「……いや、」 アレンは震えながら懇願した。それはティキに対する命乞いめいたものだったのか、もしくは誰かに救いを求めたのか、そのどちらなのかは結局分からなかった。 どっちにしてもそんなものはない。 でもアレンは震えながら助けを求めた。 「いやだ、やだやだ、カンダっ……たすけ……」 ティキが優しく髪を梳いている。頭を撫でる。 その優しい手はアレンの頭骨を擦り抜けて脳を掴む。柔らかい肉の中にずぶずぶと沈んでいく。 助けは結局来なかった。 いつものことだが、誰もアレンを助けになんて来なかった。 意識が混濁する一瞬前に、ティキの穏やかな声が聞こえた。 「もうおやすみアレン。疲れたろう。ゆっくり眠りなさい。良い夢を」 |