56:「最愛のひと」




 レベル二が爆散した。残骸には特にこれと言った特異な点は見られなかった。結界に焼かれた痕も、反結界用だと思われる特殊なコーティングのようなものも何もない。
「……コイツはどこから入り込んできたんだ?」
「こんなんにぽっと出られちゃかなわんさ。コムイらダイジョブかなぁ」
「チッ……おい、俺は上へ行く。ここは任せた」
 神田はラビに言い置いて執務室を目指した。そしてホールから東棟の廊下へ出たところで、随分先を見慣れた小柄な影がすうっと曲がり角へ消えていくのを見た。
(あれは……)
 遠目でも彼女を見間違えるはずは無かった。それに関しては自信があった。
 黒い男物のスーツだ。この教団内部において、エクソシストでもないのに真っ黒のコートなんて着込んでいる者はごく限られている。
(あの馬鹿、あんな所で何をやってる?)
 追い掛けて、彼女が消えていった通路へ入ると、また一つ先の曲がり角へちょうど彼女の姿が消えていったところだった。
 神田は違和感に気付いていた。まるでどこかに誘い込まれているみたいだ。アクマがアレンに化けているのか、それともアレン自身に何らかの意思があるのか、どのみち不自然だった。アレンはゆったり歩いているはずなのに、駆けても駆けても一向に距離が縮まらない。
 じきに最近になって馴染んだ風景が現れた。研究棟に入ったのだ。
 いつものように衛兵の姿はなく、ただ衛兵が着込んでいた服だけが、まるで行儀悪く脱ぎ散らかされたように床に散らばっていた。
 すごく嫌な予感があった。
 細い螺旋階段を抜けた先の吹き抜けになったホールに、人間が二人いた。アレンじゃあなかった。でも見知ってはいた。
 アレンと揃いの黒いコート姿で、灰褐色の死人みたいな肌と、額の十字架の痣が特徴的だった。アレンは彼らを家族と呼んでいた。兄弟と呼び、そのくせひどく畏れていた。
「オーラ。タイミング悪い」
 うちの一人は黒いワンピース姿の少女だった。アレンよりもいくらも幼く見えるくせ、彼女の双子の妹なんだっていう。顔つきは全然似ていないが、気だるげな仕草がアレンと共通していた。
 彼女は不機嫌そうな表情だった。すごく面白く無さそうな顔だ。まるで玩具を取り上げられてどこかへ隠されてしまった子供がむくれるような顔だ。
「よお少年。お前とはホント良く会うな」
 もう一人は背の高い男だ。にこやかに微笑んでいるくせ、それがすごく嘘臭かった。いつもアレンが見せる、例のろくでもない薄笑いにちょっと似ていた。彼は隣の少女の頭をぽんぽんと叩き、お前はもう帰んなさい、と言った。
「危ないから。まったく、ここへは来ちゃ駄目なんだからな。後でお仕置きですよ」
「やだねぇ。ティッキーの言うことなんて聞いてやんねぇもん。絶対後で仕返ししてやるぅ」
「……お前はほんっとやりにくいなぁ。アレン姉さんの可愛げをちょっと見習った方がいいよ?」
「いっつもアレン一人占めしてんのティッキーばっかじゃん! 絶対ずるい。もーいいよぉ、僕はお人形と遊んでるからぁ!――……次があると思うんじゃねぇぞぺド野郎」
「……ロード。お兄ちゃん泣いちゃうよ?」
 ふたりに殺気はまるで無かった。和やかですらあった。でも冷たい海の中にゆっくりと沈んでいくような、暗い悪寒が湧き起こってきた。彼らはノアなのだ。ノア一族、エクソシストの最大の敵。そして、アレンを棄てた彼女の家族。
 少女が中空に浮かんだ扉の中に消えていく。後に残った男は「やれやれ」と頭を掻いて、神田に愛想笑いのようなものを向けてきた。
「いやぁ、うちのロードが迷惑掛けたねー。あの子を迎えに来たんだ。悪気があった訳じゃない。許してくれるよな?」
「……アレンに手ェ出してねえだろうな」
 ノアの男はきょとんとして、吹き出した。彼は笑いを噛殺しながら、「まさか」と言った。
「兄弟だし? 乱暴なことはしねェよ。何せすごく愛してる。知ってた? あの子はオレが育てたようなもんなんだよ。自慢の妹だ。可愛いだろ」
 そしてニコニコしながらふっと手を挙げた。ペットでも呼び付けるような仕草だった。
「だからもしその時が来たらちゃんとけじめはつけなきゃならない。あの子がホームへ帰ってくる前からの決まりごとだったんだよ。千年公のシナリオでは、どのルートで物語を紡いだって、どうやってもあの子はイレギュラーになっちゃうんだ。そんで、その日が来た。……アレン、」
 彼が呼び掛けると、急に神田の背後の空間がぐにゃっと歪んだ。銀色の鈍い光が降り注いだ。
 神田は即座に反応した。六幻を抜き放ち、薙ぐ。乾いた音が鳴る。そこには良く見知っている姿がある。
 アレン=ウォーカー。
 左手にはいつかのように安っぽい警棒があった。彼女の目は暗く濁っていた。ガラス玉みたいだ。意志の光がなく、ただものを映し込むだけの装置に成り果てている。
――アレン!? お前、何やってる!」
 彼女が振り下ろした警棒を弾いて、神田は怒鳴った。でも返事はない。
「さ、アレン。疲れてるとこ悪ぃけど最後の仕事だ。そのエクソシストを殺せ。終わったら、帰ってアクマどもにガラスケースに入れさせよう。もちろんすごく綺麗に飾って美人にしてもらうんだぜ」
「何をした!」
「オレが嫌がるアレンちゃんを無理矢理操ってます、とか言って欲しい? んなこじゃれたことしてねぇよ。ただちょっと頭の中身をぐちゃぐちゃにぶっ壊しただけだ。千年公の命令に本能で従ってるだけだ」
 ノアの男はずうっと笑っている。楽しいことなどなんにもないくせにだ。
「その子、もう死んでるよ」
 彼は言った。






◆◇◆◇◆






 
さっきまで泣いてたのにもう静かになってしまった。アレンは薄く目を開けてぼおっとしている。
「これでお終い。できあがり」
 ティキが言った。彼はふうっと息を吐き、肩を竦め、なんか疲れた、と言った。
 アレンの身体はしばらく見ないうちにちょっと変わっていた。まず、すごく痩せた。顔色も悪くなった。
 せっかくこの前ちょっと胸が大きくなったんじゃないかってことをからかってやったのに、肉が落ちてまた貧相になってしまっていた。
 ロードはアレンの身体に、なんだか気持ちの悪い違和感を覚えた。
 首の傷。手首の捻挫したような黒い痣。ロードは一度も自分の身体にそんなものを作ったことがない。何故なら、傷を受けるうちから修復してしまうからだ。
「……なんでこいつ傷治ってねぇの」
 役立たずだけど一応家族だから、無限の再生能力があるはずだ。でもアレンの身体には傷がある。治らない。
 なんだかもやもやとした不安のようなものを感じてティキを見上げると、彼はちょっと困ったふうに微笑していた。
「そう言えば家族を亡くすのは初めてだったな」
「アレン、死んじゃったのぉ?」
「そう。人間に殺される前に、家族の手で殺せて良かったよ」
「変なの。んな訳ないじゃん、ノアが死ぬかよぉ。寝てるだけだろぉ? 大体ティッキー、こないだ家族が誰か死んだら大泣きするっつってたじゃん」
「うん、泣くと思う。後でね。そういうのは黒いオレの仕事じゃねえもん」
 ティキは笑っている。ロードはアレンを見た。彼女は相変わらずすごく綺麗だった。華奢で真っ白で、まるで天使みたいだった。








◆◇◆◇◆






「アレン! 目ェ覚ませ、このアホが! ノアのくせに何やってやがる!」
 アレンに神田の声に応える気配はまるで無かった。彼女は打ち払われるとさっさと警棒を棄てた。
 何をするつもりなのか訝ると、彼女の左腕がぽっと白い光に包まれた。
 今まで何度か見たものだ。淡いひかり。アレンの能力は「アクマの経験値を吸収し、強制退化させる」だったか。
 だが、彼女の左腕は今までに無かった変化を見せている。華奢な白い手が赤黒く変色していく。手の甲には黒い十字架のようなものが現れていた。それは痣じゃない。硬質の、結晶めいた――



「気付いた? アレンがオレら家族の中でイレギュラーなのは、何も白いからってことだけじゃないんだ」



 ノアの声が聞こえる。彼は溜息を吐き、忌々しいことだね、と言った。
「その子は生まれながらにイノセンスを所持してるんだよ。左手にね、寄生されてんの。可哀想だろ? あんまり不憫だから本人には内緒にしてあるんだ」
 彼はひどく憐れむような顔つきでアレンの頭を撫でていた。そしてちょっと屈み、アレンの額の星型の傷痕に唇を付けた。
 神田は激昂し、叫んだ。彼女に触れるのは、誰であれ赦せなかった。
――俺の女に触んじゃねぇよ!!」
「やだやだ怖い怖い。お前はやっぱりガキのうちに殺しとくべきだったな」
 ノアの男は嫌そうな顔になり、ひらひら手を振って、とんとアレンの背中を押した。
「オレロードのフォローしに行くわ。また後でアレン、お前用に特別な骨組みを用意しとくからな。少年、まあ楽しめよ。惚れた女に殺されるってのも悪くはないよ。多分な。その子はお前のものにはなんないけどね」
 ノアはそう言って、すうっと消えていった。
 アレンの腕は異常に膨れ上がっていた。金属製の鱗のようなもので覆われて、巨大な鍵爪が生えている。
――アレン、」
 神田はアレンを呼び掛けて、口篭もり、六幻を構えた。
 彼女にもう何がしかの言葉が通じる気配は無かった。








 なんだか温かくて柔らかかった。今までそんなふうに感じるものを知らなかった。
 そして、すごく小さかった。彼女は女の子で、まだ子供だった。
 神田ユウが「それ」を守るために戦っている理由そのものを具現化したような感じだった。
 割合良く泣き、すごく良く食べ、ずうっと「家族に棄てられたらどうしよう」と不安そうにしていた。
 彼女はもしかしたら「今度遭ったら名前を呼んでやる」なんて他愛のない約束を信じていたのかもしれない。
 そう言えば、例の自転車についての話の続きを聞いていなかった。







 まず口がすごく良く回る。良い意味ででは決してない。
「おはようございます馬鹿」
 彼女はにっこり笑って言う。
「ご機嫌いかがですか」
 そこに悪意はまるでない。だから余計にたちが悪い。
 彼女は神田を怒らせることが好きだった。それは徹底していて、常に地味な嫌がらせや当て付けを積み重ねていた。
 思うのだが、神田はアレンを怒鳴りながら睨み付けている時以外、まともに彼女とは目を合わせていなかった。もしかすると、それが理由のひとつだったのかもしれない。
 彼女は構って欲しかったのだ。
 子供が親に振り向いて貰いたいためにわざと悪戯を仕掛けるように。








 大分迷惑を掛けられた気がする。罵り合いなんてごくありきたりのことだった。彼女は可愛げなんてものがまるで無かったし、どこからどう見たって立派な紳士だった。男に厳しく女に甘い。
 アレン=ウォーカーという人間について思い浮かべるところがあるとすれば、まず第一にその小憎らしい性質が挙げられるべきだろう。
 そのはずなのに、まず真っ先に思い出されるところと言えば、ごく稀にしか見たことのない素直な顔つきやしょげた仕草、ちょっと照れたような顔、そんな滅多に無かった良いところばかりだった。なんだか腹が立ってくる。








 六幻に切り裂けないものはない。アレンの左腕も例外ではなく、斬りつけた甲がぱっくり割れて、金色の破片が飛び散った。
 アレンには相変わらず痛みを感じた様子は無かった。
 彼女はただ獲物を狙う野生動物のようなしなやかな動きで迫ってくる。思考はそこにはない。
 あのノアが言っていた通り、本能で動いているのだ。
 いつものアレンなら、きっとろくでもない搦め手を思い付いたろう。
 神田に対する嫌がらせに関しては、彼女は天才的と言っても良かった。
 アレンは本当にろくでもなかった。
 でも綺麗だった。顔も身体も銀色の髪も額から頬に掛けてはしる傷も、その魂も、すごく美しい生き物だった。
 終わりのない存在のくせに、今にもぱたっと倒れてくたばってしまいそうな危なっかしいところがあった。
 彼女は矛盾と共に生きていて、神田はそんな彼女が煩わしく、そしてすごく好きだった。





 アレンが好きだ。





 こんな時でさえも、ほんの僅かの手加減もできないのは、随分悲しいことなのかもしれない。神田は他人事のように考えながら六幻を振るった。そんなふうなものの考え方をしたのは初めてのことだった。
――抜け殻なんざ敵じゃねぇよ」
 なんだか現実味が無かった。
 六幻の切っ先はアレンのイノセンスを貫き、彼女の肩から腰へまっすぐな直線を描いた。
 何度か感じたアレンを殺す感触が腕に伝わってきた。
 でも今となっては随分感じ方というものが変わっていた。
 最愛の人間を斬り捨てるということは、ひどい虚しさを伴うものらしい。




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