59:「赤毛と月夜とサーカス旅団」




 なんだか全部馬鹿げたことのように思えた。すごく未練がましくて虚しい。幽霊なんかがぽっと出て来る筈がないのだ。でも何故だかいつもふと彼女の姿を探してしまうのだった。アレンはもうこの世界にはいないことは確かなのに、なんだかまだ何かの手違いが起こって彼女が戻ってくると信じているところがあったのだ。
 でもそんなことはない。奇跡なんか生まれてから今まで一度も起こったことがなかった。





 いつもと同じ修練を済ませた頃には、いつのまにか森の中は暗くなっていた。頭の上には綺麗な丸い月が出ていた。夜空は澄みきっていて、空気は乾いていた。霧が訪れる気配はなかった。







『ほら、あったかいでしょ? ……あ、貴方も体温が低いですね。僕と良い勝負だ』
『な……』
 その時、急にアレンに手を握られて硬直していた神田は、しばらく経ってはっと我に返った。勢い良く手を振り払うと、アレンは面白くなさそうな顔をして文句を言ってきた。
『なんですか、いいじゃないですかこの位』
『なんで気持ちの悪い白髪野郎と手なんか繋がなきゃなんねーんだよ! うぜぇ!』
 アレンは暗い線路の路を歩きながら、二人っきりでデートなんてすごく素敵ですね、と嫌味ったらしく言った。彼女の提案はことあるごとに突っ撥ねてやった記憶しかなかったが、

 もしかしたら、

 今なら「悪くないんじゃないか」くらいは言ってやれたかもしれない。









『振り払わないんですね』
 アレンがちょっと苦笑して言った。彼女の四肢はベッドに縛り付けられている。
 手を繋いでやるとすごくほっとしたような顔をする。親を見付けた迷子みたいな顔だ。
 表面には余り出さないが、彼女は大分参っているようだった。ひとりで薄汚い部屋に拘束されたまま何日も何週間も何ヶ月も過ぎていくのだ。アレンは人間の体温というものが恋しいらしく、任務の合間に訪れてやると、決まって「手を触っても良いですか」と訊いてきた。
『貴方も変なのに懐かれちゃったものですね。今に後悔しますよ。僕なんかに優しくして』
『優しくなんかしてない』
『僕人間じゃないんですよ』
『知ってる』
『わかってません。……皮の中にはすごく気持ち悪い怪物が入ってるかもしれないですよ』
『皮の中なんざどいつもグロいもんだろうが。特別ぶるんじゃねぇよガキが』
『……そうですか』
 アレンはまたちょっと笑い、貴方がそーいう無頓着な人で助かります、と言った。可愛げのない口を訊こうとしていた。でも無理をしている。顔色はひどい。随分痩せてしまった。
 彼女が何をしていたのか、させられていたのか、与えられた役割は何だったのかは、アレンが死んでしまってからいくつか聞いた話によって、ようやく大体の想像をつけることができた。
 「それ」を知った時には激昂してクロス元帥に殴り掛かって返り討ちに遭い、全身の骨がひしゃげたんじゃないかと思うくらい手酷くのされてしまった。全部アレンのせいだ。彼女が馬鹿げた役割を演じたりするからだ。彼女がノアだからだ。神がアレンをノアなんて訳のわからない生物に創造したせいだ。でもそんな訳のわからない生物がすごく愛しい。……頭の病気なのかもしれない。







 忌々しく天を見上げたところで、すぐ後ろの木の影にいる奇妙なものが視界に入った。
 巨大なカボチャを頭に被った人間だ。
 身体は華奢で、そう発達していない少女のものだった。赤いリボンタイ付きの白いブラウスに、黒のミニスカート姿だった。ストライプのニーソックスを履いていた。後ろ手に柄の先にカボチャがくっついたオレンジ色の傘を持っていた。
 透けてなんていない。ちゃんと生きた人間の気配がする。
 彼女は木々の影から飛び出してきて、首を傾げて神田を見つめた後、ひょいひょいと跳ねて森の奥へ駆けて行ってしまった。
 神田は飛び起きて少女を追い掛けた。
 あの服は知っている。昔出会った幼いアレンが着ていた服だ。そのものだ。




 アレン=ウォーカーだ。




「アレン!?」
 神田は少女の背中に呼び掛けたが、彼女に応える様子はなく、軽い足取りでどんどん先へ進んでいく。
 いつのまにか月が見えなくなり、辺りには白い霧が現れはじめていた。






◆◇◆◇◆






「くっそ……」
 小さな背中はすごい速度で遠くなっていく。引き離されないようについていくだけで精一杯だ。さすが人間じゃあないだけのことはある、と神田は変なふうに感心してしまった。
 でも彼女の動作にはいちいち人間らしいところが見えた。飛びも消えもしない。
 鬼ごっこでもしているつもりなのか、純粋に駆けるということを楽しんでいるような様子があった。まるで何かの曲芸でも見ているような感じだ。
「アレン! 止まれ!」
 神田は彼女に呼び掛けたが、急に足元に曖昧な感触があって、ぐらっと目の前が揺れた。
 柔らかい木の根を踏み抜いてしまったのだ。霧の中で何も見えないまま落下の感触だけがべたべたくっついてきた。
 神田が追い掛けていた少女は首を傾げてそれを見ていた。彼女が頭に被っていたカボチャを取っ払うと、――そこに現れたのはアレンの顔じゃなかった。
 色こそ白いが黒い短髪で、神田は彼女を見知ってはいた。アレンの妹だ。いつもアレンが「僕の妹はすごく可愛いんです」と嬉しそうに話していた彼女だ。確か名前はロードとか言った。
 彼女の唇が開いた。声は聞こえなかったが、『僕らって良く似てるだろぅ?』というかたちに動いたのが見えた。






◆◇◆◇◆






 手酷く頭を打ったらしい。神田は舌打ちをして身体を起こした。相変わらず霧は辺りを覆っていたが、なんだか辺りの空気がさっきまでとは微妙に違うような気がする。
 立ちあがって泥を払い、歩き出した。またノアだ。彼らは教団を出入り自由の公共施設か何かのように思っているんじゃあないだろうか?
 少しばかり行ったところで、どうやらさっきの直感は正しかったようだと気が付いた。森が開かれて、古びた駅のようなものが建っていた。わかりきったことだが、教団近辺にこんなものはない。
 看板と柱は茶色い染みで汚れていた。屋根は穴だらけだった。小さなホームからは錆びたレールが伸びていた。一見すると廃線になって廃棄された駅舎のように見えたが、ホームには割合人の姿が見えた。
 派手な格好をした人間が多く、彼らはめいめい楽器を手にしていたり、奇妙な動物を引き連れていたりした。旅芸人の一座のようだった。





「父さぁん」
 すごく困ったような少女の声が聞こえた。ぱたぱたと走り回る足音もあった。それは霧の中で反響して何重にもなって耳に届いた。
「父さぁあん、もー、どこ行っちゃったの?」
「おかしいなあ、さっきまでその辺にいたぞ? お前が迷子になってたから探しに行ったんじゃないのか」
「せっかく全員揃って、やっと次の街に行けると思ったのに」
「ちょっと僕探しに行ってくる。もう、汽車が来ちゃうよー」
 さっきから忙しない少女はぱたぱた駆けてきて、駅の入口で立ち尽くしている神田を見付けると、にこっと笑って「こんばんは」と言った。
「すみません、旅人さん? ちょっとお尋ねしますが、この辺で僕の父さん……ええと、黒いスーツとシルクハットの男の人なんですけど、見ませんでした?」
「いや……」
 神田は頭を振って、少女を観察した。どこかで見たような娘だった。神田よりもいくつか年下に見えた。短く切られた茶色がかったくすんだ赤毛の髪、綺麗な顔、痩せ気味でチェス盤みたいな柄付きコートを着ている。健康的で明るく、利発そうだった。
「ここはどこだ?」
 神田は逆に少女に尋ねた。彼女はきょとんとして、それから「迷子なんですか」とちょっと笑った。表情がくるくる良く変わる子だった。
「汽車の駅ですよ。次の街へ行くための。旅人さん……だと思ったけどどうやら違うみたいですね。刀しか持ってないし。あ、兵隊さん?」
「いや……ああ。そうかもしれない」
 神田は少々面食らってしまっていた。男にも女にも馴れ馴れしく話し掛けられることは嫌いだったはずなのに、初めて見る少女を律儀に相手にしてやっている。嫌な気分は全然湧いてこなかった。
「お散歩ですか? それとも兵隊さんも探し物?」
「……ああ。そうかもしれない」
「「かも」?」
「……どのみち見つからない。見間違いだった」
「ふうん。大変ですねえ」
 彼女は全然大変じゃない様子で感心したように頷くと、じゃあ僕も手伝ってあげましょうか、と言った。
「困ってる人の力になりなさいって、いつもうちの父さん言ってるんです。それに兵隊さんのお手伝いしてたら父さんも見つかるかもしれないし」
 少女は笑って、「父さん迷子になっちゃってるんだと思うんです」と言った。
「僕に似て方向音痴なんですよ」
「……ああ」
 神田は上手い答えが見当たらず、頷いた。どうも彼女を突っ撥ねる気分にはなれなかった。
 少女からは淡い花のような、ちょっと懐かしい匂いがした。






◆◇◆◇◆






 探し物ってどんなのですか、と少女が訊いてきた。神田はしばらく考え込んで、「人間のかたちをしてる」と言った。
「女だが男に見える。白髪で顔に傷がある。性格が悪い。平気で嘘をつく。怪力で、目に入ったものは片っ端から食う無限の胃袋を持っている」
「……あの、し、指名手配犯とかですか、それ」
 少女はちょっとびくついた様子で、引き攣った笑いを返してくれた。神田はちょっと考えて、頭を振った。
「いや……あれで割と可愛いところがある……気がする。すぐ泣く。放っておくと何をするか解らない」
「へえ……ご家族の方ですか?」
「いや……」
「あ、わかった。兵隊さんの好きな人ですね。恋人とか。違いますか?」
「なっ」
 神田が口篭もると、少女は気持ち良さそうにくすくす笑った。彼女は陶酔するように胸の前で手を組んで、いいなあ、と言った。
「兵隊さんみたいな格好良い男の人に好きになってもらえるなんて、その人はすごく幸せ者ですね」
「……からかうな」
「からかってないです、ほんとにそう思うんです。そういうの、ほんとはずうっと憧れてて……僕にはできないことだから羨ましかったんです。だってこんな身体と傷じゃ一生――
 少女は言い掛けて、「あれ?」と首を傾げ、髪と左の頬に触って「なんだっけ」と不思議そうに言った。
「うーん、まあいいや。とにかく早くその人見つかると良いですね!」
 彼女は神田を見上げて笑った。ふと少女と目が合って、神田はぎくっとしてしまった。
 彼女はすごく透き通った綺麗な銀灰色の目をしていた。




『昔はこんな変な色じゃなかったんですよ。ラビやクロス元帥みたいな綺麗な赤色じゃないけど、ほんとはちゃんと色もあったんです』




 ある日アレンが俯きながら、自分の頭を触って、ちょっと恥ずかしそうに言っていたことを思い出していた。
 彼女は白という色が嫌いだった。
 あの時は確か、別にそんなモンどうだっていいだろ、と返したような気がする。
 でも本当は、すごく綺麗だと思うし、彼女の白い髪と肌がすごく好きだと言ってやりたかったのだ。




『傷も無かった。まったく、みんな気持ち悪いって言うのに、良く貴方はこんなの見て嫌な顔しませんね。……別にいいですよ、その、嘘なんか吐かなくていいです。今更そういうのはいいです。貴方馬鹿正直なだけが取り柄なんですから、嘘なんて言わせたくないんです』


 

傲慢で不遜でまるで世界が自分のものででもあるかのように振舞う人間だと思っていたが、あれで彼女はひどいコンプレックスをいくつも抱えていた。
 虚勢を張って生きていた。それが崩れると、彼女はすごく小さな女の子に見えた。








「兵隊さん? どうしたの? ……あ、怒りました? ごめんなさい、変なこと言ったりして」
「……あ、……いや」
 神田はじっと少女を見つめた。気だるさと彼女を覆っていた影が消え去ると、なんだか別人のように見えたが、顔つきはそのものだったし、声も同じだ。ただ絶望が消え去っただけだ。
 神田はもう確信していたが、彼女に訊いてやった。
「……お前、名前は」
 少女は屈託なく答えた。
「はい、アレン=ウォーカーです」
 思った通りの返事が返ってきた。





 神田は手を伸ばし、彼女を抱き締めた。




――アレン、探した」
「へ? え、あのっ、あのっ……」
 赤毛のアレンは顔を真っ赤にして硬直している。彼女は手をばたばたさせて、だめです、と言った。
「さ、さ、さがしびと! そうです、さがさないと!」
「もう見つけた」
 神田は静かに言った。
「お前の探し物もここにはない」
「えっ、と、父さん?」
「そうだ」
 アレンが探している「父さん」――彼女と同じ死者のマナ=ウォーカーはアレンがアクマにしてしまった。まだ機体は稼動しているはずだ。魂が拘束されたままだから、彼女は上手く見付けることができない。
「でも汽車が――置いてかれたら次いつ来るか解らないんです。せっかくまた出し物を考えて、芸をして、お客さんに喜んでもらって――みんなで一緒に、」
「行くな」
 神田はぎゅうっとアレンを抱きすくめた。
 すがりつくようにした。
「お前が好きだ。今度はちゃんと言ってやる。帰ってこい」
「えっと、」
 アレンは困惑しているようだった。彼女は神田の頬に触り、すごく困った顔で見上げてきた。
「なんで泣きそうな顔をするんです」
「戻れアレン」
 神田は懇願した。
「戻れ」







◆◇◆◇◆






 ひかりが射した。
 柔らかい霧は薄くなり、消えはじめていた。月が見えた。
 遠くで高い汽笛の音が聞こえた気がした。
 神田は森の中で座り込んで、ぼんやりと夜空を眺めていた。無数の星が掛かっていて、空気はすごく冷たく澄んでいた。
 腕の中には温かくて柔らかい感触があった。見慣れた白髪と、星型の傷と、すべらかな白い肢体。
 アレン=ウォーカーだ。
 ノア一族で、家族に棄てられ、死に憧れ、そして結局また死に損なってしまった愛しい少女だ。
 彼女の心臓はまだちゃんと動いていて、なんだか神田は今度こそ泣きたくなってきた。







 還ってきた。







◆ DGG END? ◆




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