「影に飼われる(上)」

(クィーンエリザベスとシャドウ×主)




――いや、ちょっと待って」
 僕の声は震えていた。情けない話だが、さっきからカチカチと歯の根が鳴る。今しがたぶっ飛ばされたせいでひどく痛む身体を捩って、僕は逃げようとした。でも背中に尖った感触が突き刺さる。僕を床に縫い付ける。ブーツのヒールが、僕をすごく無慈悲に踏み付けている。
 惨劇のはじまりは、今日の夕刻過ぎのことだ。僕がベルベットルームの扉を「頼もう!」と蹴り開けて、エリザベス(最強兼エレベーターガール・年齢不祥)に果たし合いを申し込んだあたりから、きっと何かがおかしくなっていたのだと思う。





 僕はまあそれなりに、自分の能力というものを信じている。今年四月にS.E.E.S入りし、リーダーを任せられた。僕には他の誰とも違う力があった。ペルソナを複数宿し、好きに着け替えられるという便利な能力だ。
 奢るつもりはないが、僕はシャドウだろうがペルソナ使いだろうが、そう簡単に闘って誰かに負けやしないぞという自尊心があった。
 そんな折り、僕の能力を面白がったらしいエリザベスの依頼を受けて勝負をした。
 僕は今心底後悔している。あんな依頼受けなきゃ良かった。
 はじめは、「無闇に女性に手を上げるなんて、そんなことはできない」と思っていたのだが、いざ勝負してみると、エリザベスは僕と同じように無数のペルソナの着け替えができるという特殊能力を有している。そこで僕は危機感を感じたのだ。『コイツ俺とキャラカブってる!』と。
 とりあえず戦うと決めたからには、相手が男だろうと女だろうと容赦するつもりは無かった。敵には一切の情けは不用だって、昔誰か偉い人が言っていた気がする。
 僕は召喚器を頭に押し当て引鉄を引いた。当時僕が宿していたなかで最強だったスルトを喚んだ。マハラギダインが得意な優秀なペルソナだった。
 でも僕が攻撃行動を行ったその次の瞬間から、ぷつっと記憶が途切れている。気が付いた時には、何故か床に、踏みつけにされた蛙みたいな格好で潰れていた。
 「あれ?」と僕は考えた。何かおかしいぞと。なんで僕は寝てるんだと。
 僕はS.E.E.S最強の男で(だって周りには小学生やタルンダばっかり唱えているアホな先輩、戦力外の順平くらいしかいない)、自他共に認めるデキる男で、今までどんな状況でも負けたことがなくて、なのに何故僕は、自分が何をされたのかも分からないままいきなり床にへばって死に掛けているんだと、その時は本当に何がなんだかわからなかったのだ。
 僕は初めて負けた。
 それから、僕はちょっと変わった。「どうでもいい」のスタンスはとりあえずどこかへ押しやっておいて、まずやられたらやり返さなければ気が済まない性質だったから(僕の辞書に恩赦という言葉はないのだ)、なんとかエリザベスから一本取ろうと血が滲むような特訓を重ねたのだ。
 それはもうみんながヒくくらい過酷な訓練だってやった。鉄パイプを振り回して、影時間中ひとりでシャドウを追っ掛け回してやった。
 おかげで僕は強くなった。色々飛び抜けた。タルンダしか唱えないアホな先輩(たるんでるのは多分あの男のおつむだ)やS.E.E.S最弱の男順平なんかは小指で捻れるくらい強くなった。
 でもまだ一度も勝ち星がない。なんでだ。心底理解出来ない。
 なんで僕はこんなに頑張っているのに(子供の頃、「君は頑張ったらできる子だからね」ってお父さんに言われたこともあるこの僕が!)、未だに一度も、勝つどころか指一本あの魔王に触れることすらできないんだ。
 僕はここ最近、最強だと自負するペルソナができる度にエリザベスの元に足げく通って、ボコボコにのされ、命からがら寮に戻り、泣きながら不貞寝するという悪循環に陥っている。もうシーツの端っこを噛むのはこりごりなのに。
 そして一番悪いのが、エリザベスは敗者をまるでゴミ屑かなにかみたいに扱うサディストだったってことだ。
 「敗者には相応の辱めを」が信条らしい。最悪だ。
 そのせいで僕は今まで何度も泣かされている。本当に、僕の理解や、予想の遥かに上を行く仕打ちを受けるのだ。僕は弱者なので、ただ憎しみを募らせながら、成す術なく甘んじることしかできない。
 この女いつか絶対仕返ししてやる。





「あの、ほんと勘弁して下さい。うち門限あるんで、そろそろ帰らないとまずいんです。あの、遅くなったら先輩に怒られてしまうんです」
 今日も負けてしまって、僕は縄で腕を後ろ手に縛られて、薄暗い回廊に転がされていた。何がどうなったのか分からないが、影時間にしか現れないシャドウが普通にその辺をウロウロしている。
 奴らもエリザベスが怖いのか、彼女の姿を認めると、そそくさと逃げ出している。
 彼らは本能的に、逆らってはいけない存在というものを認識しているのだ。じゃあ懲りもせずエリザベスに突っ掛かっていく僕の判断能力は、シャドウ以下ってことになるんだろうか。うんざりだ。
「明日も学校あるんです。一時間目から体育で、その、痣とか見られたら苛めに遭ってるんじゃって問題になるだろうし、あっ俺日直で、多分俺がいないとみんな困るし、その、黒板消したりゴミ棄てたり」
 エリザベスはにこやかに僕を見下ろしている。無言だ。彼女は何も言ってくれない。それが僕の恐怖を増幅する。僕の声はいつのまにか涙声になっている。
「だからあの、もう許して下さい。身のほど知らずですみません。でもあの、今回こそはイケるかもって思ったんです。うちのマサカドがまさかムドしかできないとは思わなくて、エリザベスみたいにメギドラオン撃てると思ってたのに、あとネビロスとかクー・フーリンとかひととおり一緒の揃えてみたんですけど、なんかいまいち弱くて、」
「黒田様は漢と呼ばれていらっしゃるご様子。相応の散り方をなされませ」
「ぐ……」
 散り方とか言われてしまった。もう駄目だ。僕はここで死ぬんだ。
「せ、せめて綺麗に死なせてください……」
 僕は懇願した。情けない死に方だけは御免だ。
 エリザベスは僕の気持ちを知ってか知らずか、へたりこんでいる僕の両膝の裏に、なんでかデッキブラシを引っ張り出してきて柄を通し、ロープでグルグルに巻き付けた。
「え、」
 足を閉じれない。一体この女は何がしたいんだと訝っていると、彼女は平然と抑揚のない声で言い放った。
「M字開脚でございます」
「ちょ、待、な、なにやって……!」
 僕は泡を食って止めようとした。でも頭を上げた途端にバランスを崩して、床に転がってしまう。
 エリザベスは寝転がっている僕の首にプラカードを掛けて、黒のマジックで何やら文字を書いていく。綺麗な字だ。日本語だった。こうある。
「……こ、『公衆便所』……?」
 僕の顔は、多分ものすごく引き攣っていたと思う。何だこれは。やめてくれ。そして写メるな。
「ちょ、あの、」
「私本日は少々忙しい身でございまして、タイムアップでございます。黒田様のお願いの通り、無体はできません」
「あの、それは嬉しいんですけど、これなに」
「どうぞごゆるりと。では、失礼いたします。ごきげんよう」
「あの、これ、」
 エリザベスは優雅に会釈して、さっさと僕に背中を向けて、去って行ってしまった。彼女も社会人だから、学生の相手なんてしている暇はないってことなのだろうか。それは悪いことをした。
 ――ではなくて。
「あ、え、ちょ、え、エリザベス……」
 エリザベスがいなくなった途端、シャドウたちが「何だこれ」「なんだ?」とでも言うみたいに、興味津々の顔で僕のほうへ寄ってくる。うん、僕はお前たちにとっては何の面白みもない、空気のような存在だよ。だからこっちへ来るな。
「え、え、エリザベスー! 縄外せ縄っ! ほんと勘弁して下さい!! ちょ、女王様あああ! 食われるっ、たすけてえええ!!!!」
 僕は、声が裏返るくらい大きな悲鳴を上げた。多分誰も、僕のこんなに大きな声を聞いたことはないだろう。





<<  >>