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目を覚ますと、綾時が僕の手を握って、じっと僕を見つめていた。綾時の手は温かくて、すごく心地良い眠りだったのはそのせいだと思う。きっとずっと手を繋いでいてくれたのだ。 僕がいるのはそっけない病室の中だった。見覚えがある。前にも世話になった桐条グループ系列の病院だ。部屋には僕と綾時の二人きりがいるだけだった。 綾時は僕が起きたと知ると、ひどくほっとした顔になって、半分泣きながら身を乗り出して、僕の頬に触った。 「めっ、目が覚めたんだね。良かった、このまま起きなかったらどうしようって僕、もう、心配で心配でっ、し、死んじゃうかと思ったんだよ?! ……デ、デスは死なないけど、でもほんとに! なんであんなことしたの!!」 「……綾時、怒ってる」 「そりゃ怒るに決まってるでしょ?! わかんないのっ!」 声はすごく怒っているのに、綾時の顔は迷子がはぐれた親を見付けたみたいな、ぐちゃぐちゃの泣き顔だ。僕は「うん」と頷き、「ごめん」と謝った。 「……みんなは?」 「寮に戻ってる。もう時間が時間だからね。ゆかりさんと風花さんが、ついさっきまでここにいたんだ。君の傷を癒してくれてた。あとでふたりにちゃんとお礼言うんだよ」 「……きず?」 「……覚えてないとか言わないよね。全身大火傷で、半分炭みたいになってたのを、彼女たちがペルソナ能力で必死に治してくれてたんだ。――僕は、生命を救うことはできない存在だから、ただ見てるだけしかできなかったけど」 綾時は辛そうな顔をしている。彼は彼の性質というものが、すごく歯痒いんだろう。僕は綾時が大怪我をしている時に、誰かを傷付けるペルソナしか宿していない自分を想像してみた。きっとすごく無力に感じるんだと思う。綾時の場合は、それよりもずっと立場が重かった。 「……ごめん」 「ごめん、じゃないよ。なんであんなことしたかって聞いてるの。言っとくけど、僕すごく怒ってるんだからね。ちゃんと話を聞かせてくれないと許さないんだから」 綾時の声は強張っている。ぴりぴりしている。こういう時だけ、綾時はすごく父親らしくなる。ああ、怒られてるなと僕は感じる。なんだか、僕はそれがひどく嬉しいと思う。怒られてるのに嬉しいって変だ。やっぱり僕はきっとどこかおかしいんだと思う。 「わ、笑うんじゃありません! 僕、真面目に怒ってるんだからね!」 「……うん。綾時、怒ってる」 「当たり前です! だ、だからなにがおかしいのってば!」 「……うん。なんか、怒られるの、すごいひさしぶり。……綾時が、いるんだって思ったら、なんかすごく、うれし……」 僕は鼻をすすって手の甲で目を擦った。 「うれしくて、」 ちょっと泣けてきた。身体を動かすと、全身あちこちの皮膚が突っ張った感じがする。これが火傷が塞がった痕だろうか。だとすると、余程ひどいことになっていたんだろう。 綾時は心底困った顔をして、結局溜息を吐いて僕を抱き締め、背中を撫でてくれた。いつも思うことだが、綾時は結局僕に甘いのだ。もっとちゃんと怒れば良いのに。甘やかすから僕みたいな奴が育つのだ。 「……はいはい、もう泣かないで。もう、だめだなあほんとに……僕なんでこんなに君のこと甘やかしちゃうのかな……」 「僕をまた、置いてったんじゃ、なかったんだ」 「うう……あのね、それはね、もう、仕方ないでしょ」 「……『お仕事なんだから』?」 「ううう」 僕は子供の頃に良く言われたことを、綾時の真似をして言ってみた。綾時はとても弱りきった顔をしている。僕はそれがおかしくて、ちょっと笑った。 「……君を見てると、ほんとに僕は僕の役割を忘れそうになるよ。昔みたいにどこまでもどこまでも君を連れて逃げたくなる。終わりがどれだけ絶対的なものかって言うのは、僕がこの星で一番良く知っているのにね」 「終わりも滅びも、怖くはないよ。僕は綾時がいなきゃ、死んでるのと同じだ。十年間、なんだかずうっと僕はぼんやりしてたんだと思う。大好きな人がいなくなって、そのことも思い出せなくなって、そんなふうになるなら僕はあの時綾時と一緒に、」 叩かれた。 「……痛いんだけど」 「そんなこと、そんな、言うんじゃありません! 死んでたら良かったなんて、僕は君にだけはそんなふうに言って欲しくない」 「うん」 僕は頷いて、肩を落とした。 「……こんなものの考え方しかできない奴になっちゃってごめん。僕はたぶん、綾時の分まで幸せにならなきゃいけなかったんだと思う。でも上手く『楽しい』とか、『面白い』とか、『生きてる』とかいう実感が沸かなかったんだ。どうしても駄目なんだ。僕に、綾時に好きになってもらう資格はないのかもしれない。僕には、あなたの子供の資格は」 また叩かれた。 綾時はかなり怒っているみたいだった。いや、怒っているというよりも、悔しいって顔つきだ。さっきから泣いている。僕は彼を泣かせる子供にだけはなりたくなかったのに、本当にだめだ。何もかもが上手くいかない。 「……ほんとにごめん、綾時。でも今は、もう一度綾時に会えた。僕にはもう心はないけど、綾時と話してると昔みたいにすごく嬉しくなる。多分「幸せ」ってこういうことを言うんだと思う。僕は今こうやってあなたといられるだけで、もうこの先なんにもいらないくらい幸せなんだ」 「――心が、無いなんて、言わないでよ。僕、知ってるよ。君がどれだけ優しいか、格好良くて可愛くて、すごく綺麗な心を持ってるかっての。僕が月光館に転校してきた時も、君はなんにもわからないでいる僕にすごく親切にしてくれた。優しくしてくれて、楽しそうに笑って、悔しそうに泣いて、僕に怒って、たまに照れちゃう時もあって、それはまぎれもない君自身の心の動きじゃないのかい? 僕、僕はね、君の心が好きになったんだ。もちろん君は全部が綺麗だけど」 「綾時」 僕は困ってしまって、綾時の頭を撫でて「泣かないで」と言った。 「……綺麗なのは綾時だよ。僕は綾時が言ってくれるみたいに綺麗なんかじゃない。綾時が綺麗だから、きっと綾時の見ている世界はみんな、すごく綺麗なものでできてるんだ。……だから、綾時の世界の僕は、きっと綺麗でいられるんだ。僕はそのことがすごく嬉しいと思う。ほんとだよ」 「……僕は、ほんとにダメな奴なんだよ。一番大好きな人ひとり守れない」 「綾時、」 「滅びを呼ぶことしかできない。全部奪ってくことしか。産まれなきゃ良かったのは、僕のほうだ。ずうっと、君のなかにいたかった。二人で、誰にも怖いことされずに、役目なんか知らずにいられれば良かったんだ」 「……うん」 僕は頷く。僕の身体は包帯だらけで、かなり動くのが億劫だったけど、綾時を抱き返す。それからふと思い立って、綾時の肩を叩く。 「綾時、ちょっとごめん」 「……うん?」 僕は起き上がろうとして、身体中にひどい痛みを感じた。そしてまた綾時に叩かれた。「寝てなさい」と怒られた。 「何かして欲しいことがあったら、僕がするから。何でもするよ。言って」 「うん……電気、消して」 「……?」 僕はちょっと赤くなって、綾時にお願いした。綾時はぽかんとした顔になって、それから急に顔を赤らめて、慌てた様子で頭を振った。 「え、え? いや、あの、き、気持ちはすごく嬉しいよ? でも君、今身体中火傷だらけで、きっと痛いし、あんまり動くのは良くないんじゃないかなと思ったり、思わなかったり、そのっ」 「駄目かな……この辺あんまり灯りがないから、星が見れるかなって思ったんだけど」 「……へ?」 「昔、良くプラネタリウム行ったなって。こないだも、行ったし。いつか二人で、今度は本物見たいなって言ってたから。……ちょっと子供っぽくて恥ずかしかったかな」 「あ……ああ! うん! とっても良いと思うよ! け、消そうか、電気」 綾時が勢い良く頷いて、その割にしょんぼりした様子で部屋の明かりを落としてくれた。――僕は何か悪いことを言っただろうか。 病室の蛍光灯が消えると、表の白々した月明かりが、さっと病室に射し込んできた。でも空が狭くて、あまり良く見えない。 「やっぱり高いところじゃないと駄目かな……屋上とかならもっと良く見えたかも」 僕は微笑んで、「残念だったな」と綾時に言った。 「……ざっ」 「ん?」 「残念じゃないよ! ちゃんと見せてあげるから!」 「え」 綾時が必死になっている。僕は、困惑しているうちに軽々と抱き上げられてしまった。 「ちょっ……どこ行くんだよ、綾時。屋上?」 「もっといいとこ!」 言いながら綾時が病室の窓枠に足を掛ける。僕はぎょっとして、「何する気なんだよ」と慌てて言った。 綾時の足が軽く窓枠を蹴る。僕はちょっと身体を強張らせる。落下の予感に身構える。 でも僕たちはふわっと緩やかに滞空する。僕を抱く綾時の手が、いつのまにか変わっている。大きくて硬くて冷たい手だ。 「……綾時?」 『……ほんとは、君には見せたくなかったんだ。君のなかの僕のイメージは、人のかたちのままであって欲しかった。……ごめんね、気持ち悪いでしょ』 綾時の声は、がらんどうの空間の中で幾重にも響いているようにたわんでいた。でもその声は、ちゃんと綾時のものなのだった。しょげて落ち込んでいる時のものだ。僕はちょっと笑って首を振る。「そんなことはない」と言う。 「かっこいい」 『え?』 「……変身ヒーローだ、綾時」 『あ、うん。……ヒーロー、いいのかなあ……宣告者ってなんか悪役っぽいけど……』 「フェザーマンより綾時が格好良いよ」 『わ』 「……あれ。綾時?」 『う、うれしい……幸せだ、すごく、嬉しくて泣きそうだよ……!』 「りょ……わ、」 ぐん、と強く身体を引っ張り上げられる感触があった。僕らは大気の中を駆け上がっていく。僕は相変わらず綾時に大事そうに抱かれている。あんなに『ちょっと勘弁』と嫌がっていたお姫様抱っこみたいな抱き方も、不思議と今は気にならない。 綾時の手はいつか触ったみたいに、細くて白くて、僕と同年代の少年らしく骨ばっていて、でも僕と違って何かを傷付けたり壊したりするためのものじゃない優しい手ではもうなかった。人間のものじゃない。生物のものですらない。こんなに近くにいるのに、心臓の音が聞こえない。でもそれはまぎれもなく綾時の手だ。綾時だ。僕が大好きなその人なのだ。 気が付くと、僕らの身体は星の海の中にいた。空の星と、それから遥か遠くの僕らの街の明かりに包まれている。 「なんか上にも下にも空があるみたいだ」 『そうだねえ』 「人間て、空の星を見て綺麗だって言うけど、みんなの街も空の星みたいなんだって、どのくらいの人が知ってるのかな」 『そうだね。空の星からしたら、死の星の群れよりも、この生命が燃える光のほうが、随分と綺麗に見えるのかもしれないね』 「どの辺からなら見えるかな」 『うん。月、とか』 「月?」 『うん。滅びをもたらす星だよ』 綾時の声は悲しそうだ。僕は彼の仮面に頬を摺り寄せて、「綾時のせいじゃない」と言った。 「……ごめん。僕のせいで、こんな辛い思いをすることになったんだ。恨んでくれていい」 『君のせいじゃない。間違ってもそんなことはないよ。僕は君に出会えて心を得ることができて、すごく嬉しく思うんだ。『怖い』、『悔しい』、『逃げ出したい』、『消えてしまいたい』なんかよりも、ずうっと強い『君が好きだ』という感情が、僕を幸せにしてくれる。僕が全部悪いのに、なんだかすごくいい気持ちなんだ。みんなはきっと僕を怒るだろうね。でも、君を好きでいるってだけで、世界中の全部が綺麗なものばかりに見える』 「……みんなが滅びたあと、綾時はどうなる?」 『さあね。滅びてからじゃなきゃ分からない。僕はニュクスと同化する。僕の自我は、影に融ける。でも、融けたあとに余った僕の心ってものがどうなるのかは、僕には全然見当がつかないんだ』 「……また、いつか会えたらいいな」 『――うん。そうだね』 綾時はちょっと迷ってから、でも穏やかに頷いてくれた。僕は綾時の腕をぎゅっと強く抱く。彼が滅びた後の世界にひとりぼっちで残されてしまわないことを祈る。僕は神様なんか信じていないから、何になのかは分からない。空から降りてくるニュクスになのかもしれない。『もうこの人だけは勘弁してやって下さい。いい加減にしないと怒るぞ』と、祈りだか脅迫だか分からないことを、僕は考える。 『震えてるね』 「うん」 『……怖いかい』 「うん。綾時がこれ以上辛い目に遭うのが、僕はすごく怖い」 『あのね、自分の心配をしなさいってば。いつもいつもいつも、君は誰かの心配ばかりで、もう子供の頃からそうだったね。綾時は僕がいなきゃって、まあこれは情けない僕が悪いんだけど、今までもそうだったろう。みんな怪我してないかな、疲れてないかなって。自分の身体の怪我と疲れにまず目を向けなさい。僕は今どこも痛くないか、苦しくないか、辛くないかってことにね。あ、これほんと唯一君の欠点だよ。ダメなとこだね』 「うん……ごめん」 『……手紙でも、そうだった。まったく、君はどれだけ心配性なのかな。僕は自分が情けない。あの頃の君みたいに小さな子供が、遺書みたいなことを書くんじゃありません。普通はもっと希望のある内容をね、書くべきだ。夢いっぱいに、大きくなったら何になりたいとか。読んでたらあんまり僕が無力だってことを感じて、思わず号泣しちゃったじゃないか。君のせいなんだから』 「……あ、手紙読んだんだ」 『宛先が僕の名前になってたからね』 「そっか。届いて良かった」 僕は笑った。綾時は微妙な感じでいる。 『まったくもう君は……もう、どうしようもない。僕は君がほんとに、どうしようもないくらいいとおしすぎる。ほんとに、君の望みは何だって叶えてあげたい。今の僕には、君に死に場所を与えることしかできないのがすごく歯痒いけど。ほんとはずうっと君の隣にいたい。でも僕はじきに影に融ける。――そこへは、どうあったって君を連れてはいけないんだ。だから、その前に僕は、君が大好きなひとたちのところへ君を連れて行こうと思う』 「綾時は過保護だよ」 僕がにやっとして言うと、綾時は弱りきった声で、『しょうがないでしょ好きなんだから』と言った。 『――これは、みんなのための選択じゃない。君のためだけの選択だ。僕が君の父親として、大事な友人として、君の子供として、してあげられる精一杯のことだ。君はどう生きたい? 君の心が望むままに選ぶんだ』 僕は綾時の表情のない貌を見上げた。 僕は、 <選択肢> >『S.E.E.S』として生きる
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