――どうする? あいつ生きとるんかな。命令違反で処分されとるかもしれんで」
「それはないでしょう。彼らは甘い。処分という選択肢はない」
「チドリん時に一回病院の襲撃やってもたからなぁ……どいつかが見張りやっとるやろなあ」
「心配いりませんよ。彼が私達に力を貸してくれるなら自ら戻ってくるはずです。あの人ですから、自分の面倒は自分で見れるはずだ。それにしてもこのお茶漬けは美味しいですね」
「あ、レトルトのエエのがな、特価やってん。ちょっとフンパツしてな、でも二個パックやから開けるに開けられんで――
「ああなるほど、三人では――





 僕は冷めた心地で扉を開ける。ちゃぶ台を囲んでいる二人の横をすうっと通り抜け、そのまま部屋の隅の僕の睡眠スペースに投げ出してある毛布に包まる。ぼそぼそ言う。
「……ただいま」
「…………」
「…………」
 タカヤとジンは顔を見合わせて、そしてすごい勢いでお茶漬け(『レトルトのエエの』らしい)を掻き込んで茶碗を空にしてから、イイ顔で僕に笑い掛けてきた。
「おかえりなさいカオナシ。お待ちしていました」
「なんや、すぐ迎えに行こう思うとってんで? いやー、やっぱお前がおらんと締まらんわ。なっ、タカヤ」
「ええ、そうですね。やはりリーダーがいなくては」
「リーダー! カッケー! シビれるー!」
「……いいよ。俺のことなんか気にするなよ。リーダーはタカヤじゃん。二人で美味いお茶漬け食ってろよ。……今晩ポケットマネーでわかつの黄金定食ひとりで食ってやる」
「おまっ、ずるっこや! 一人でカロリー採り過ぎや! 黄金て何やそれ。まさか金箔? 金箔入りか? キラッキラなんか?」
「まあまあジン、そう熱くならないで下さい。我々はカオナシと同じ時間帯を狙って行って、会計持たせてしまいましょう」
「タカヤ! やっぱあなたは頭エエですっ!」
「……なんか二人で大丈夫そうだな。帰って来なきゃ良かった」
 僕は心底後悔した。もう滅びの日まで、僕は一人で僕自身のために生きたほうが良かったんじゃないかと思う。一月半あれば、全国上から下までクリームソーダの食べ歩きができるのだ。そりゃ楽しそうだ。そうだ今からでも遅くない。
「……帰ってくるとこ間違えました。それじゃ」
「ああああ、ま、待ってえな! たかがお茶漬けで臍曲げなや! わしらのカオナシはそんな心狭いやつやあらへん! なっ?」
「離せー! 俺はやってやるんだ! 一月半で日本全国のクリームソーダを飲み尽くしてやるんだっ!」
「やめときいって! 冷たいモンばっか飲んどったら腹壊すさかいに!」
 僕は今までどんなものを食べても腹を壊したことがないのが誇りだった。そう言ってやろうとしたところで、ちびのジンに「行かんといて!」と腰に縋り付かれた。お前、今僕の身体がどういう状態か分かっててそれやるのか。
――――!!」
 あんまりの痛みに、僕はそこでくずおれた。さっきまで全身黒焦げで死に掛けていたんだから、自分でも無理もないと思う。
「え? あ、」
「……死ぬかと思ったんだけど」
「わ、悪い、堪忍や……つーかお前、火傷全然治ってへんやんけ! 癒してへんのか? そんなんでここまで歩いてきたんか、このアホ!」
「アホって言うな。……お父さんに、送ってもらって。俺、ここに帰りたいって言って、」
「……お父さんて、お前わしらと一緒で親おらんやろ。援助交際でもしとるのんか? さすが現役高校生、」
「お前の高校生のイメージはどうなってるんだ。そんなんじゃない、ほんとの父親。うちの父親、十年前に死んだんだけど、なんかこないだまた産まれた。……なんか、デスだって」
 ジンがタカヤと目を合わせる。二人は頷き合う。
――デス様ー!!」
「神よ!」
 二人が僕を蹴飛ばして玄関のドアを開ける。でももう綾時はどこにもいない。
 綾時は人のかたちを取ってるのだって、ほんとは辛いんだって感じだった。多分無理をして僕を助けてくれたのだ。無理をしていたから、多分もう年末まで会えないだろう。
「……もう帰った。どこ探してもいないよ」
「アホッ! なんで引き止めへんねな! 滅びにお茶くらい出させろや!」
「ジン、残念ですがもうお茶っ葉がありませんよ」
「……なんでお前らそんな貧乏なんだ? 影時間にコンビニでパクって来い。ストレガだろ」
「そうしたいのはやまやまなんですが、我々できれば大事な用事でもない限り、一歩も家から出たくはありません。そして外出時は用さえ済めばすみやかに帰宅したい」
「べっ、べつに金があらへんわけではないねんで? まあ、それもあるにはあるけど、わしらパソコンさえあればもう他には何にもいらんちゅーか」
「滅びろ、このヒキコモリども」
 やっぱりこんなところに帰って来なきゃよかった。僕は、またなにか大事な選択を間違えてしまったような気がしてならない。





◆◇◆◇◆





「ごちそうさまでした」
 僕らは手を合わせる。タカヤとジンはなんだか妙に至福の表情で「うまー」とか言っている。当然だ。僕がいる限り、食生活の乱れは赦さない。
「カオナシ様ー、ホンマおおきに、ありがとうございますっ、あなたの料理は最高ですっ」
「そうですね。心なしかジンの頭髪が……ツヤツヤしたような気が」
「そこは嘘でも増えたって言ってやれ、タカヤ」
「お前ら殺すぞ。しかし意外やの、ゴロゴロしてるだけかと思うてたお前にこんな特技があったっちゅーの」
「……まあ、ちゃんとした生活送らないと、お父さん怒るから」
 僕は言う。
「いつも僕のこと見てるってさ。だから心配させないように、ちゃんとするんだ。僕は今楽しいぞって伝わるといいなって思う」
「おや、珍しいですね。あなたが楽しいとは」
「なあ? あのカオナシが」
「うん。楽しむって、なんかやっと分かったような気がする。執着しないって、こんなに楽になれるんだな。……もう誰にも命令されないって思ったら、なんだかすごく気分がいいんだ」
「ああ、なんや懐かしいなあ、わしらも脱走直後はそんな感じやったで」
「ふーん」
 僕は頷く。
 そして食後は薬の時間だ。僕らは小さなカプセルを大事に飲む。
 僕の身体は、綾時に守ってもらえなければ、ひどく不安定なのだ。自分のペルソナの制御も上手くできない。
 S.E.E.Sの選ばれたみんなとは違う、人工覚醒タイプの僕は、いつ自分の人格に寝首をかかれたっておかしくはないのだ。





 最近、毎晩決まって夜中に目が覚める。影時間が終わって、眠って、朝が来るほんの少し前の時間にそれはやってくる。
 最初は『あっ苦しい』って感じる。それから徐々に『熱い』に変わってく。全身が焼かれる。火傷の痕が疼く。そして『痛い』がやってくる。
 僕は毛布の中で丸くなって、痛みに耐える。さっき飲んだ薬が、暴れている僕のペルソナを無理矢理抑え付けているのだ。まるで茨の棘でがんじがらめに縛るように、でも僕のペルソナは暴れると余計に痛いってことがまだ分かっていないから、僕は意識を失いそうなくらいの激痛に毎回耐えなきゃならない。
 早く気付けバカ、って僕は自分の人格に罵声を浴びせる。なんでそんなことも分かんないんだ。暴れるから痛いんだって、お前もぎゃあぎゃあ痛い痛いって喚いてるじゃないか、気付け――





――大丈夫か?」





 声を掛けられて、僕はのろのろ顔を上げる。ジンだ。僕を覗き込んできている。
 そう言えばこいつは昔から、ちびでキてる見掛け(と関西弁)によらず、割と面倒見が良いやつだった。
 僕はにやっと笑って、「ひどい」と言う。
「……すっげー痛い。……死にそう」
「慣れんうちはしゃあないて。苦しいか?」
「いや……平気。別にホントに死ぬわけじゃなし」
 ジンが僕の背中を撫でる。ああ、確かこれ、昔見たことがある。こいつが他の子の背中撫でてやってるのを。綾時がお腹の中にいた僕は、ほとんど副作用らしいものもなかったけど、みんなは結構苦しんでいたのだ。あれは、背中撫でられてたのは、誰だっけ。タカヤだっけ。チドリだっけ。
 昔のことなんてどうでもいいはずなのに、懐かしい思い出ばっかり頭に浮かぶ。全部ろくなものじゃなかったのに、ラボの消毒薬の匂いや白い壁、温かい闇、僕を縛り付けるベッド、僕にしか見えない友人、そして普通の高校生として過ごしたニセモノの数ヶ月間、振り返ると変にいとおしく思える日々だ。妙なものだ。僕は無理に笑う。
「執着……しないつってんのに、おかしいよな。僕は、一月三十一日、滅びの日まで何としても生きなきゃって、すごい執着してるんだ」
「うん、滅び、一番近くで見たいな」
「ニュクスと、……綾時と、僕のお父さんと約束したんだ。僕らは滅びの日にもう一度会えるって、」
「……そか」
――僕は、塔の上で、……たぶんその日に、お父さんに頭から食べられちゃいたいんだ。髪の毛一本残さずに、全部。だから、まだ、死ねない……」
「安心しい。お前の身体は、今くたばってもちゃーんと持ってってやるさかいに」
「は……相変わらず、調子良い奴だな。そんなこと言ってどうせ、燃やして灰に、だろ……」
 僕は咳込んだ。どろっとした血が、べったり手のひらを汚す。ああ、僕のペルソナはまだ暴れてるのか。
「悪い……あんま、役、立たなくて」
「んなこたあらへん。お前の一撃必殺は重宝しとるて。アレホンマごっついで。さすがカオナシやな」
「……そうか? そうだろ」
 僕はにやっと笑う。使い道を認められるのは、方便でも大分嬉しいものなのだ。僕が長い間道具をやっていた後遺症のようなものなのかもしれない。
――ああもう、なんか全部、おかしいな……」
 僕は笑う。ジンもニヤニヤしながら僕の背中を撫でている。僕らは何でもかんでもふざけて、笑って、楽しんでしまう。箸が転がってもおかしいお年頃ってやつだ。……ってこないだタカヤが言ってた。
 そうして僕らは、面白おかしく終わりの時を待っている。
 綾時、お父さん、僕は今すごく人生を楽しんでいます。あの時の選択はちゃんと正しかったんだって、ほんとに思ってます。
 早く、またあなたに会いたいです。







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