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バニラの甘い匂いがする。スポンジの上にたっぷり生クリームが乗っかっていて、粉砂糖がまぶされた苺が五つ乗っている。プラスティックのツリーと、砂糖でできているサンタクロースとトナカイ、そしてチョコレートの丸太にはきらきら光る金箔が掛かっていて、そこにはこう書かれている。 「『メリー・クリスマス』……」 「何です、これ。新手の対シャドウ兵器か何かですか」 「ちょ……まっ、なんややらかしたんか、誰か? 全員纏めて毒殺処分か?」 「冥土の土産ってやつじゃないの……」 僕らは困惑して、ざわめいた。デコレーションケーキなんかすごく久し振りに見た。たぶん最後に見たのは、僕が事故に遭って両親を亡くす前だったと思う。ぼんやりした思い出だ。 「な、なんか危なない? 離れたほうがエエんやない?」 「爆発するんじゃないですか?」 「え……爆発するの?」 同室の仲間たちは腰が引けている。僕だってちょっと信じられない。シックスが胡散臭そうな目で僕を見て、「どうしたんそれ」と言った。 「カオナシ、どっから持ってきてんそれ。わしにはなんかそのー、なんや甘いもんに見えるんやけど」 「お菓子に見える……」 「ケーキに見えますね」 「うん、僕にも見える。なんかさっき、ドクターに呼ばれて、チームのみんなで食べなさいってもらった」 「……何かやりましたっけ」 「こないだのチーム戦、ここが一番点数良かったんだって。ご褒美だって言ってたぞ」 「ほぉー……」 みんなまだ半信半疑って顔つきだ。僕もそうだったが、とりあえずベルトからソニックナイフを抜いて、ケーキを切り分けることにした。 「三、四……あれ、エイトはどうした」 「何を言っているの。あいつなら昨日死んだじゃない」 「ああ、そうだっけ。じゃ、四人か」 十字に切り込みを入れて、ケーキを四つに分ける。でも苺がひとつ余る。僕らは顔を見合わせて、黙り込む。みんな揃って緊張した顔つきだ。 「――誰が逝きます?」 「わしイヤやで。なんや毒殺てめっちゃしんどそう」 「私もイヤだよ」 「僕もイヤだ」 「こういう時は、リーダーが先陣を切って逝くんとちゃうかな」 「期待していますよ、カオナシ」 「カオナシ……死ね」 「お前後で憶えてろフォース。絶対泣かせてやるからな」 結局、最初に運んできたのは僕なのだ。覚悟を決めて、苺を口の中に入れる。緊張で味なんか分からない。 「う……」 「ど、どや?」 「死にそうですか?」 「むしろ死ね」 「いや……生きてる、けど、」 「けど?」 みんなが僕をじいっと観察している。僕は感じたままを正直に口にする。 「なにこれ。すげえ美味い」 みんなは一瞬呆ける。それから顔を見合わせ、素早く腕を伸ばしてくる。 「くそっ、お前らっ! 人に毒見役押し付けといて都合の良い奴らだな! この一番大きい右下は僕のものだ!」 「お前はシャドウでも食ってろ」 「フォースッ! もうお前ほんとに憶えてろ! 寝てる間に背中にマーヤ入れてやるからな!」 「まあまあ。喧嘩しないで平和的に分けましょう。これ以上数が減っては、探索にも支障をきたしますし」 「言いながらなに一番美味しいとこ取っとるのん?!」 ボコスカ殴り合いをしているところに、僕らの様子を見にやってきたドクターに見つかって怒られた。幸いにも、取り上げられる前にケーキは僕らの胃の中だ。 僕らは正座させられ、説教を受ける羽目になった。こんな時ばっかりリーダーだからって、僕は一番前に座らされて責められる。なんだかすごく理不尽だけど、もう慣れてしまった。しょうがない。 「まったく、君たちは飢えた野生動物かなにかかい? 一番始めに手を出したのは誰だい」 僕は澱みなく答える。 「フォースです。ですがチーム・メンバーの責任は全てリーダーの僕にあります。ドクター、申し訳ありませんでした」 「カオナシッ……後でぶっ殺してやる……」 ドクターに隠れて、僕はフォースをちらっと見遣って、にやっと笑う。ざまあみろだ。リーダーに逆らうとどうなるのか教えてやる。 「……寝ている間にパンツの中に情欲の蛇を入れてやる……」 なんだかあんまり聞きたくないことが聞こえた気がしたが、僕はとりあえず知らないふりをしておく。でもちょっと怖くなってきた。僕は心のなかで「すみませんでした」と謝る。女の子って怒ると怖い。 ◇◆◇◆◇ 十二月二十四日、今日はクリスマス・イヴだ。僕らのいる区画はほとんど外が見えないので、今頃きっと飾り付けられている街や、ツリーのかたちをしたイルミネーションや、エンドレスで流れるジングル・ベルなんかも関係ない。 「……クリスマス、なんだって」 「うん」 「……サンタさんって、なに?」 「はあ?」 壁に切った指の血で図形らしいものを描いていたフォースが、心底不思議そうに言った。僕は呆れてしまった。彼女はそんなことも知らないのだろうか? 「サンタさんってのは、あれだよ。なんか赤くて、えーと……」 「……赤くて、なに」 「ええと……あれ、だめだ、出てこない……記憶喪失だから」 「それすごく都合の良い記憶喪失。……どうせ、カオナシも知らないんでしょ。バカだから」 「心外だな。僕は頭が良いのが取り柄だ。ただちょっと忘れてるだけだ」 「なんやお前ら、サンタさん知らんのかいな。アッホやなぁ。サンタさん言うのはなあ、赤くて……赤くて、赤いんや。ほんますごいねんで」 「シックス、お前も知らないんだろ」 「んなっ、アホ言いなや! そんなんジョーシキや! なっ、タカヤ?」 「ええ、そうですよ。サンタさんというのは、真っ赤なコートを着ていて――実はそのコートは人間の血で赤く染められているのです」 「え」 僕はびっくりした。初耳だ。サードはこのラボに集められた孤児たちのなかでもかなりの能力を持っていて、頭も良いから、彼の話には大分信憑性ってものがある。 「サンタさんというのは、クリスマスの影時間にやってきて、良い子にはプレゼントを、悪い子には死を与える存在なのです。どんなに厳重に鍵を掛けても、どんなに警備を置こうとも、彼は必ずやってくる。そして自分の任務を確実に遂行するのです」 「ちょ、待ってや。わし今まで遭ったことないんやけど」 「良かったですね、ジン。遭遇していたら今あなたはこの場にいません」 「ふん、下らない。返り討ちにしてやるさ」 僕は強がって言った。サンタクロースなんて言ったって、所詮は人間だ。ペルソナが使える僕らにかなう訳がない。 でもサードは肩を竦め、「無理ですよ」と言った。 「カオナシ、あなたは確かに強いですが、自分の力を過信しすぎるきらいがある。サンタさんというのは、人間ではないのです」 「じゃあなんだ。ペルソナ使いか」 「いえ、実はサンタさんというのは、旧い時代から存在する強大なシャドウなのです。本来はタルタロスの奥に封じられているのですが、十二月二十四日の夜だけ封印が解かれる。彼はほんの一時間の間に、彼のことを知る子供のもとを回り、善悪を判断する。その驚くべきスピードを考えてみてください。肉眼ではとても見えない」 「ちょ、ちょい待ちや。サンタさんのことを知る子供ってのは――」 「ええ、その通りですよ、ジン。あなたも今年からはサンタさんの恐怖に毎年晒されることになる」 「ちょっと、何てことしてくれたのタカヤ……!」 フォースが怒っている。僕も同意見だ。 サードは僕を見て、残念そうな顔をした。 「ちなみにカオナシ、今あなたが『返り討ち』と言ったのも、サンタさんはきっとタルタロスの奥深くで聞いておられます。残念ですが」 「ざ、残念ですがってなんだよ! 何が残念?! 僕の命か?!」 「サンタさんは自分の悪口を特に聞き逃しません。残念です、カオナシ。あなたは良いリーダーだった」 「過去形で僕を語るのは止めろよ!」 僕はかなり焦燥して、「どうしよう」とサードに相談した。 「今から謝ったら聞かなかったことにしてくれるかな」 「さあ……良い子でいたら、救いの道はあるんじゃあないでしょうか」 「そ、そうか。……フォース、その、さっきは喧嘩、君のせいにしてごめん。僕が悪かった」 「……私も、パンツの中に蛇を入れるとか、嘘にする。ごめん」 僕は素直にフォースに謝って仲直りした。 シックスが恐る恐ると言った調子で、サードにサンタさんのことを訊いている。 「で、そのサンタさんは、血染めのコート以外はどんな見た目なん?」 「ええ、まずは二十四の瞳を持っていて、全方位索敵可能なのです。まるで死神タイプのように」 「サンタさんこえー……」 僕らはサードが語るサンタさんのビジュアルを想像して、慄いた。 サンタさん怖すぎる。 ◇◆◇◆◇ 「あの日やな……」 「……今年も、例によって、約束された日がやってくる」 「用心はし過ぎて越したことはない。油断をするなよ……」 アパートの一室で、僕らは顔を突き合わせて作戦を練る。例外なく三人が三人とも暗い表情だ。 僕らはあらかじめ取り決めていた役割を果たす。準備をはじめる。ツリーを飾り、戸口に靴下を吊り、ぼろの部屋を飾り付ける。 「馬鹿! ジン! 輪飾りが少し歪んでいるぞ! そんなことではサンタさんのお怒りを買ってしまう!」 「うあっ、ホンマ堪忍や! 赦したってや……!」 「まったく、ジンには困ったものだ」 僕らがひどく戦慄しながらクリスマスの準備を進めていると、表からどんどんとドアが叩かれる。怒鳴り声が聞こえる。 「おい、隣の早瀬だけど! ちょっと静かにしてくれよ! 狭いアパートで騒ぐんじゃねぇよ! 壁薄いから筒抜けなんだよ!」 「うっさいわ! お前にサンタさんの怖さが分かるか!」 「そうだそうだ」 「ジン、もっと言ってやりなさい。まったく、我々ストレガの仕事を邪魔するとは」 このアパートは家主といい住人といい、なんでこうも口煩いんだろう。僕らは口を尖らせながら、作業を進める。 二〇〇九年の、人類最後のクリスマス・イヴは、こうして緩やかに過ぎていく。 |