とあの子と二度目の冬[2]



 放課後の追試が終わる。やっとだ。僕は書き終えた問題用紙を先生に押し付けて、教室から飛び出した。
 午後からちらちら雪が降り始めて、ホームルームが終わる頃にはすごく吹雪いていた。例年にない寒波、らしい。教室の薄いガラス窓越しに、外の世界の凍り付くような寒さが伝わってくる。
 僕が玄関から出た時には、もうひどい風は止んで、緩やかに白い雪が落ちてきていた。「わあ、綺麗だね」や「すっげー、こんなの何年ぶり?」という歓声が聞こえてくる。雪が積もっていた。僕は大分出遅れてしまったので、玄関前の路の雪はくちゃくちゃに踏み荒らされていたけど、もし一番乗りに家に帰ることができていたら、さぞ美しく白く染まった世界を見ることができただろう。
 いつもなら僕は大分はしゃいでいたはずだ。でも今は、どうしてもそんな気分になれない。だって僕が喜んでいる横で、『もう、子供じゃないんだから』と呆れた顔で、でもすごく久し振りに見る雪にうずうずしているあの子がいない。
 雪を蹴って走り出したところで、後ろから悲鳴が聞こえてきた。
「きゃあっ、望月くん危ない! 滑るよ?!」
 へいきだよと返そうとしたところで、僕は注意されたとおりに足を滑らせて、顔からべちゃっと地面に叩き付けられた。冷たいし、痛いし、踏み荒らされて泥で汚れた雪がべったりくっついてくるし、僕は泣きそうになったが、ようよう立ちあがって笑って後ろに手を振った。
「ありがとう、ごめん!」
「だ、大丈夫?! どろどろだよ、服着替えて帰ったほうがいいよ」
「大丈夫だよ」
 僕はそう言い置いて、また駆け出す。校門を出たあたりでまた転ぶ。でも悠長に歩いている暇はないのだ。栄時はどんなに心細い思いをしているだろう。それに比べたら、僕が何度も転ぶことなんて、取るに足らないものなのだ。
 ポートアイランド駅からモノレールに乗って、駅員さんや乗客に『あーあ』って顔をされながら巌戸台駅で降り、また走り、転び、僕はようやく見えてきた分寮にほっと息をついた。
 いつものように人気が少なく、雪はすごく綺麗に残っていた。こんなに綺麗なんだから、栄時に見せてあげられないのはもったいない。あとで雪うさぎと雪だるまを作って部屋に持ってってあげようかなと僕は考えて、苦笑する。昔なら「僕も外で遊ぶ」と言い出して、「熱出してるんだからだめだよ、おとなしくしてなさい」と僕が叱らなきゃならないところだろう。でもあの子はもう子供扱いすると怒る年齢だった。雪だるまとか子供っぽいと言われるかもしれない。
「……あ」
 でも僕は、分寮の前までやってきて、それが間違いだったことを知った。
 玄関の横に、小さな雪だるまが佇んでいる。小さいくせにボタンの目、枯れ枝の手、黄色いハンカチのマフラー付きの本格的なやつだ。
「…………」
 寮の前の歩道には、いくつか足跡が残っていた。どこかから来てどこへ行くでもない、ぐるっと円を描いている。それが二人分だった。あきらかに人間の、それも素足で柔らかく踏み締められたものがひとつ、もうひとつは犬の肉球の跡らしいものだ。一人と一匹分だ。僕は無言で寮の扉を開ける。
 ラウンジのソファの横でコロマルが寝入っている。その寝顔は満足げだ。もし相手が人間だったら僕はすごく文句を言っていたろう。でもコロマルは犬だった。
 僕は犬がすごく苦手なのだ。コロマルは男らしく一本気でいいやつだって、頭では分かっているのだ。でも駄目だ。まるで僕が月光館にやってきたばかりのころに、僕に駄目出しをしたアイギスみたいな、なにがなんだかわかんないけどとにかく駄目、という気分だった。
 なんでかなと僕は考えてみて、そしてすぐに思い当たった。前にすごく唸られて、吼えられて、尻尾に噛みつかれたことがある。ケルベロスに燃やされたこともある。こないだも寮へやってきた初日から、お尻に噛みつかれた。あのせいだろう。
 『もう悪いことしません』と謝ったんだけど、どうやらそういう問題でもなくて、剛毅のコロマルは僕の意気地のなさが気に食わないらしい。犬なのに体育会系なのだ。確かに僕は情けない奴だけど、何も噛まなくたっていいじゃないか。栄時にはすごく尻尾を振るくせに。
 とりあえずまた吼え付かれないうちに、僕は階段を上がって、廊下の突き当たりの部屋をノックする。中から栄時の返事が聞こえて、僕は扉を開ける。
「……おかえり、りょーじ」
 ベッドの中で頭から布団を被っている栄時の声は、いつも通りだ。でも僕には、ほんのちょっとの違いも分かってしまうのだ。栄時はごまかしたり嘘を言ったりする時、できるだけ感情を殺して、なんでもないふうに振舞う機械みたいな声になる。柔らかさが欠けてしまうのだ。僕は後ろ手にドアを閉めて、棒読みで言う。
――すごい、雪降ってきたぞコロマル。すごい、積もってる。すごく冷たい、すごいすごい、」
「そ、そんなに何回もすごいって言ってない!」
 栄時が勢い良く身体を起こして反論してきた。そして彼は『しまった』という顔になる。
「……あ。な、なんでバレたんだ? み、見てたのか? ……て、綾時、ちょっそれすごい格好……」
「寮の前の歩道にあきらかに君とコロマル君のものと見られる足跡がありました。玄関の横に雪だるまがありました。もう、病人がなにやってんの! 裸足であんな冷たい雪の上を歩くなんて、見せてっ、凍傷なんかになったらどうするの?!」
「いや、綾時、俺のことより早く着替えたほうが」
「つべこべ言わない! ああ、もう足赤くなってる。こんなに冷たい。しかも裾濡れちゃってるじゃない……着替えなきゃ、ほら脱いでっ」
「わ、わかったから綾時も脱げよ。ひどいぞそれ。すぐタオル出すから、」
「病人は寝てなさいってば!」
「だ、大丈夫だから、もう熱下がったし、ほら」
 栄時は怒っている僕のマフラーをぎゅっと引っ張って、額を合わせて、「ほら下がっただろ」とか言っている。彼にその気はないのは僕は良く理解しているけど、急にこういうことをされる僕の身にもなっていただきたい。僕は真っ赤になって、「うん」と頷く。僕は怒ってたのだ。でも栄時にそうやって触られると、ドキドキしてしまって、それどころじゃない。
「……もう、君はずるい。僕は怒ってるのに、ほんとに心配してたのに」
「……だって、雪なんてすごく久し振りに見たんだ。この辺で積もるなんて、小さいころに一度あったっきりだし」
「だって、じゃありません。まったくもう、君は小さい子供かい? ……小さい、子供だったね。ごめん……ついててあげなくて」
 僕は落ち込む。そして後悔する。いくら「俺もう十八だ。子供じゃない」なんて言われたって、彼が見た目どおりの完璧超人だと思っていちゃ駄目なのだ。この子はまだまだ子供で、僕がそばにいてやらなきゃならない。
「綾時、パジャマでいい?」
「あ、うん……」
 僕は頷く。頷いて、栄時に「もーしょうがないな」と言われて(それを言いたいのは僕のほうなんだけど)、タオルで顔を拭われる。
「服とマフラー、後で洗濯しとくから。替えある?」
「あるけど、ふつーの制服しかない……洗濯は大丈夫だよ。僕がなんとか」
「普通の制服着ろよ。家事は俺の仕事なんだからいい。もう元気だし、綾時が洗うとなんでか知らないけどすごく縮むんだから。どうやってんだあれ」
 栄時が甲斐甲斐しく僕の世話を焼いてくれる。また僕はちょっと情けなくなる。僕は栄時が心配で心配で、ちゃんと看病してあげなきゃと思っていたのに、僕のほうが世話を掛けてどうするんだか。
「ほら、服脱げよ。パジャマどっちがいい?」
「ん……縞々」
 僕は手を伸ばして、栄時にぎゅっと抱き付く。柔らかいいい匂いがする。「甘えるのは着替えてからにしろー」と怒られるけど、僕は「うん」と返事をしながら、栄時の肩に額を押し当てる。
 柔らかい、胸に触る。栄時の胸やお腹にくっついていると、僕はすごく安心する。心臓が一生懸命脈打っている音が聞こえる。温かくて、触れているだけで泣きそうになってくる。
「……追試は?」
「がんばった」
 栄時は「頑張っただけじゃな……」とぼやきながら、僕の背中をとんとんと叩いて、撫でてくれた。「手のひら、柔らかいな」と僕は考える。「すごくあったかいな」と僕は考える。
「栄時」
「ん?」
「すき」
「うん」
「ほんとにほんとに、無茶しないで。君が隣にいてくれるだけで、僕はほんとに、もうなんにもいらないんだ」
「その言葉はそのまま返す。無茶してんのは綾時のほう」
「……口答えするのはこの口ですか」
 僕は顔を上げて、栄時とキスする。栄時はいきなりでびっくりしたようで、一瞬びくっと彼の身体が震えた。でも、嫌がりはしない。ただ真っ赤になって、照れてしまう。その顔がすごく可愛くて、僕は好きだった。
「かわいいね」
「……可愛くない」
「恥ずかしくないよ」
「恥ずかしい」
 ゆっくり胸を揉むと、栄時が小さくうめいて、震える。柔らかい女の子の身体だ。栄時の身体ならなんだって綺麗だと思うけど、緩やかな腰のカーブだとか、マシュマロみたいな胸だとかは、やっぱりすごく可愛いと思う。
 乳房にできる限り優しく噛みついて、腰を撫でると、頭を抱きしめられた。相変わらずすごく温かい身体は、こうやって近くでくっついていると、ほどけて融けてしまいそうになる。僕らの体温はおんなじだ。でもそれでも、僕には栄時の身体はすごく温かいものに思えるのだ。
 お腹にキスすると、栄時は「わ」と小さな悲鳴を上げる。触るたびにこうやって可愛い反応を返されると、やっぱり嬉しい。
 僕はそうして、栄時のお腹に耳を当てたまま、彼の脚を触る。膝を、太腿を撫でる。そのまま脚の付け根にまで指を持っていくと、栄時は息を詰めてぎゅっと目を閉じた。ほんとに可愛いなあと僕は思う。
「声、出しても大丈夫。まだ誰も帰ってきてないから」
「帰ってくるかも、しんないだろっ……一回、出しちゃったら、我慢できなくなるから」
 こんな時でも栄時はちょっと意地っぱりだ。すごく恥ずかしがり屋だ。もうちょっと素直になってくれてもいいのになと僕は思うが、これがどうやら彼の精一杯のところらしいのだ。
「……あ、あ」
 割れ目に沿って、何度か指でなぞると、栄時のからだはじわっと潤みはじめる。指が濡れて湿った音が零れ出す頃になると、僕はドキドキしてたまらなくなってくる。脚を広げさせて、指と舌を使って、頑張って気持ち良くしてあげる。
「あ、ばか、綾時、舐めるの、やだって……」
 栄時は男の子でも女の子でも、性器を舐められて、口で犯されることに馴染まないらしい。でも気持ち良いとは感じてくれているみたいで、泣きそうな真っ赤な顔でやだやだって言いながらも、すごく顔も声も艶っぽくなってくる。こういう時、なんだか苛めてるみたいで気が引けるけど、背中がぞくぞくしてしまう。
 僕はサディストじゃないし、栄時のことは泣かせたくない。すごく優しくしてあげたいけど、そんなふうにえっちな顔をされて、震えながら「やだ」って言われると、ほんとにたまらなくなる。申し訳ないことだけど。
「えーじ、きれい」
 僕はのろのろ身体を起こして、栄時ににっこり笑い掛けた。栄時はすごく困った顔になって俯く。かわいいかわいいな、とずっと僕は考えている。あんまりにいとおしくて、胸がぎゅうぎゅう締め付けられている感じ。
「おいで」
 僕が呼ぶと、栄時はまるで本当に小さい子供みたいに腕を伸ばして、僕に抱き付いてきた。片方の手で背中を撫でてあやしながら、もう片方の手で彼の胎内を拡げながら、僕は「もうだいじょうぶ?」と訊く。栄時が頷く。そして僕は栄時の女の子のからだに、性器を埋める。僕らが交わる時、産道へ還るような心地良さがある。僕は、僕のお母さんでもある栄時を犯しているのだ。
――大丈夫、痛くない、痛くない……」
「んっ……うっ、あぁあ……」
 何度まぐわったって、栄時ははじめはいつも痛がってしまう。僕は彼の背中を撫でながら、注射を我慢する子供をあやすように、何度も何度も大丈夫だよと言う。
 少し馴染んできたところで、まだ動かないまま、栄時のお尻に指を挿れてあげると、彼は仔猫みたいに鳴いて「もうやだ」と言う。なかが一瞬きゅうっと締まる。
「りょうじっ……あ、あ、だめ、もう無理……」
「うん?」
「だめっ、ガマン、できないからっ……」
「うん。声、聞かせてよ。僕、君のえっちな声、すごく好きだな」
「も……ばかぁっ……あ、あっ」
 栄時は「エロ親父っ」とか「キチク」とか「ご主人様ぁ」とか僕をなじる。なんだか本来の意味にそぐわない単語も聞こえたけど、この子のいかがわしい語彙ってものは、大方順平に妙なことを吹き込まれて増えていくのだ。使いどころを大分間違っているものが多い。それはそれで可愛いけど。
「えーじ、動ける?」
 お尻の中を弄ってあげながら言うと、栄時は大分迷って、小さく頷いてくれた。僕の肩に手を掛けて、すごく色っぽい顔を見せてくれる。そして喘ぎながら腰を動かしてくれる。彼は僕の我侭を、いつもなんだかんだ言いながら叶えてくれる。僕はほんとに駄目なお父さんだ。栄時の願いを叶えなきゃいけないのは僕なのに。
――えーじっ、ごめんね、すき」
 栄時はふるふる首を振る。謝らなくていい、と彼は言っているのだ。
「りょー、じっ、うぅ、すき……あいして、るっ」
 僕は胸をぎゅうっと締め付けられるような気分になる。あんまりにも嬉し過ぎるせいだ。僕は衝動的に栄時の腰に抱き付いて、そのままの勢いで押し倒してしまった。
「うぁっ、りょーじっ……?!」
 びっくりしている栄時の腰を抱いて、胸を触りながら、後ろから何度も何度も突き上げる。ほとんど悲鳴みたいな栄時の嬌声が聞こえる。僕はまた、ああ駄目だと考える。ちゃんと優しくしなきゃならない。僕の大好きな可愛い栄時を、大事に扱わなきゃいけない。でもどうしても我慢ができない。僕はいつもいつも最中に理性を飛ばしてしまって、栄時にひどい無理をさせてしまう。後で謝るとか、そんなのはもう駄目だ。優しく、優しくしないと、
――っ! あぁああ、りょおじっ、すき、だいすき……」
 でも栄時のすごくえっちで色っぽい声と、とても嬉しくて、嬉し過ぎる言葉が、僕から理性を奪っていく。
 僕は何度も何度も栄時の子宮の中に子供を吐き出す。どこにも届くことのない子供たちを。栄時の身体は女の子そのものだけど、生理はない。
 彼はあの日、終わりを迎えるはずだった一月三一日から、またずうっと妊婦さんなのだ。とても大きなものを、星そのものを胎内に宿している。妊娠しているから生理は来ない。いっぱいに詰まっている子宮は、新しい生命を孕むことはできないのだ。
 『でも奇跡は起こるよ』と栄時は言う。『ユニバースに不可能はない』と微笑む。僕は、もう充分どころか過ぎたくらいにいろんなものをもらっているのに、栄時に赦されてどんどん我侭になっていく。もっともっと欲しいものが出てくる。僕は栄時のそばにいられるだけで泣きたいくらいに嬉しいのに、栄時はいつもびっくりするくらいに沢山沢山、僕に与えてくれる。僕が望むすべてを。そのきれいな身体さえも。僕のいとおしい、何よりも大切なひとは。






「……すみませんでした」
 湯船に口元まで浸かって、僕は心底申し訳なくて、謝った。隣でおんなじふうな状態でいる栄時は、僕と湯船のなかで手を繋いだまま、ふるふる首を振る。どってことない、と言っているのだろう。でも身体は僕が付けた痕だらけだし、ひどく消耗している。病明けの子供に一体僕はなんてことしているんだろう。
「ほんとに、無理させてごめん。ひどくしてごめんなさい。途中からキレちゃってまた、その、あんまり君がかわいいからっ」
「……いいよ、りょうじ。俺、お前にならべつに、なんか痛くても……その、わりときもちいい」
「え」
 僕は驚いて、大分狼狽しながら栄時の顔を見た。彼は『どうしたの』という顔をしているが、僕にしてみれば『どうしたの』どころじゃない。すごくまずいことを聞いてしまったような気がする。
「え、ちょっ、あの……それ駄目でしょ、痛いのが気持ち良いとかね、僕は君をマゾに目覚めさせたいわけじゃないんだ。ハジけちゃだめだ」
「なっ、何言ってんだ。そんな訳ないだろ」
 栄時が慌てて「違うから」と僕を睨んだ。ちょっとほっとした。僕はただでさえ教育上最悪な父親なのに、純粋な彼をマニアックな性癖に目覚めさせたなんて、ちょっとあんまりにも目に余ってしまうだろう。
「ただ他のやつはヤだけど、綾時になら痛くされても怒らないってだけ。……その、ちょっと、ひどくされるとドキドキするけど、上、乗られるとざわざわするし、し、縛られたりとかはヤだけど、いや……だけど、」
 栄時の声が尻窄みに小さくなっていく。彼はものすごく途方に暮れた顔で、僕に助けを求めるように、ぽそぽそ言った。
「あれ……俺、マゾ……?」
「…………」
 ――僕のなかで、何かがハジけた。ハジけてしまった。もうあんまりにも栄時が可愛くて、たまらなくて、思わず勢い良く抱き付いて、何度も何度もキスをする。
「わ、ちょっ……ん、りょ、だめ……んんんっ」
 胸に触ると栄時が「駄目だ駄目だ」と喚く。
「ちょ、だめだって、また俺変な気分になってくるだろ……!」
「奇遇だね、僕もだよ」
「いや『僕もだよ』じゃなくて……も、綾時のばか、発情期、ねこみみっ……」
 またちょっと使いどころを間違ってる単語を聞いたけど、まあ可愛いからこのままでいいかな、と僕は思う。
「若いって罪だよね」
「……そうかも」
 栄時が真っ赤な顔で、浴槽のタイルに手をついて、恥ずかしそうに頷いた。





◆◇◆◇◆





「じゃーん。エージ、これなんだ〜?」
 順平が帰ってくるなり、綺麗な紙箱を見せ付けるように突き出した。プリントされている店名は、確か駅前に新しくできたケーキショップのものだ。すごく美味しいって女の子たちの間で評判の、おしゃれな店だった。
「あ、もしかして……」
「そう、ながーい行列に並ばなきゃ手に入らねえ、幻の超高級プリンです。オラオラ、欲しけりゃ「お恵みください順平さま」と言えー」
「お恵みください順平さま、大好きです!」
「あっはっはっは、えーちゃんは可愛い子だなー、ははは……あっ調子乗ってすんませんリョージさん。もうしません。あの、ちゃんと君の分もありますから」
「ん、よろしい」
 僕は栄時を抱き寄せて保護したまま、順平に頷いた。ぞくぞく人が帰ってくる。ゆかりさんが買い物袋を重そうに下げて帰ってきた。
「あー、重たい……栄くん、今日卵雑炊でいい? 食事当番、私やるから」
「うん。楽しみ」
「うおっ、ゆかりッチ! オレらの分はなんですか!」
「楽しみだなあ、ゆかりさんの手料理はほんと美味しくて、」
「……あ、ラーメン。はがくれのカップ麺。食べる時は自分でお湯入れてね」
「なにそのあからさまなひいき?!」
「わあ、ゆかりさんが買ってきてくれたカップ麺かぁ。嬉しいなあ」
「お前も幸せの臨界ライン低過ぎ!」
――あれっ? みんな、ごはんの準備は……そっか、今日は私が頑張ろうって思ったんだけど……」
「い、いや風花ちゃん? ゆかりッチがね、用意してくれてね。悪いねー……」
 順平が猫なで声で風花さんをあやしている。僕は栄時を見た。本当に、みんなに大事にしてもらっている。そのことがすごく嬉しい。
 そして僕は、風邪引きさんの栄時に、ひとりだけなんにもお見舞いのお土産を買って帰ってこなかったことに思い当たって、ちょっと具合が悪くなる。
「……ごめんね、僕なんにも買ってきてあげらんなくて。だめなお父さんだね」
「何言ってんだ綾時」
 栄時は微笑んで言う。
「綾時が早く帰ってきてくれて、一緒にいられて、俺すごく嬉しいんだ」
「うん……」
「うぉっ、愛されてんねお父さん! 大事にしろよ!」
「もー、いいなあ……」
 僕は真っ赤になってしまう。栄時はたまにこうやって、僕をすごく喜ばせてくれる。不意打ちの殺し文句だ。僕は栄時の頭を撫でて、「また明日からいっぱいいろんなところに行こうね」と言った。
「いっぱい遊ぼうね。一緒にいようね。ほんとずっとずっと、一緒だからね」
「そうだぜえーちゃん、お前いないとこいつもうほんとダメダメのグダグダでさぁ」
「え……追試、大丈夫なのか?」
「まぁなるようになるっての! なっ!」
「なるようにしかならないとも言うわね」





 僕が栄時から産まれ落ちてニ度目の冬は、こうして眩しく、穏やかに、幸せに過ぎていく。






[僕とあの子と二度目の冬:終]





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