久島2010[3]




「だっ、駄目、だ――――!!」
 僕は絶叫した。物静かでおしとやかだって言われる(でも多分日本語の使い方が間違っている。綾時だし)僕がこんな大声を上げたのって、いつぶりだろうか。最近じゃ全然覚えがないくらいだ。
 僕は屋久島の美鶴先輩の別荘に来て、今日一番のピンチを迎えていた。船酔いも大概だったけど、吐いてグダグダになったってそれは僕一人で完結することだった。外部への干渉はない。ほとんど。
 僕は石柱にしがみ付いている。辺りには屋内だって言うのに熱帯の植物が生い茂っている。手入れが行き届いているようで、葉っぱの表面がすごくつるつるしていて、とても元気だ。部屋の中だって言うのに白い彫像に囲まれた噴水付きの泉がある。僕は庶民なので、こういういかにも『お金持ちです』って景色にはあんまり馴染まない。
 僕の父親のくせに妙に金持ちの匂いを漂わせている綾時は、なんだかさっき普通に美鶴先輩と、僕には良くわからない話をしていたけど、まるで宇宙語だった。
 そう言えば綾時はいいとこのお坊ちゃまなのだ。じゃあ息子の僕も一応お坊ちゃまなのかもしれないけど、僕はどうも順平と一緒に好きなポテチの味について語り合ったりしているほうが落ち付くのだ。
 金持ちの洗練されたスタイルっていうのは多分、小さい頃からの育ちだとか教育だとかで、自然に身についてしまうものなんだろう。常に飢えていて、ひとかけのチーズを取り合って殺し合いしながら育った僕には遠い世界の話だ。
 とりあえず僕は兄弟たちのように『キてる』とか言われない人間であるように気を付けよう。それが僕の精一杯だ。
 ともかく、そんな豪邸で駄々っ子みたいに悲鳴を上げているのは、情けないことこの上ない。でも僕の気持ちも汲取って欲しい。女性陣はなんでそんなに何でもない顔をしているんだ。
「もう、我侭言わないの。キミがそんなだから、アイギスが全部用意してくれたんだよ? いい子だからちゃんと聞き分けなよ」
「なんでそんななんでもない顔をしてるんだよ岳羽、俺は男なんだぞ?! 女子と一緒に風呂なんか、そんなの駄目だ! 美鶴先輩に処刑される!」
「されないって、あんたは美鶴先輩を何だと思ってんの。ねぇ先輩? 栄くんこんなこと言っちゃってますよ」
「あ、ああ……こ、怖いのか? き、君は私が怖いのか? その、私に落ち度があるなら言ってくれ、努力しようと……」
「そ、そうじゃないです、先輩、俺男です。去年だって修学旅行でみんな処刑されてたじゃ、」
「あんたこんな可愛いおっぱいくっつけて何言ってんの? 男子と一緒にお風呂入るつもりじゃないよね? あのね、そんな無防備だから駄目なの。襲ってくれって言ってるようなもんじゃない」
「栄時さんはそうやっていつもお父さんとばかり……たまにはお母さんと一緒にお風呂に入りましょう」
「だ、だから僕は十八の男なんだ! そーいうのは駄目なんだ!」
「もー、しつこいなぁ……アイギス、栄くん連れてきて」
「了解しました」
 アイギスが喚く僕を簡単に拘束して引き摺っていく。彼女は生身になってもすごい力だ。
 なんでかみんなは相変わらず彼女のことが鋼鉄でできたロボットに見えているらしいけど、僕にはアイギスがちゃんと可愛くて柔らかい人間の女の子に見える。
 だから、余計に駄目なのだ。僕は真っ赤になって「駄目なんだー!」とまた叫んだけど、誰も聞いてくれやしない。




◆◇◆◇◆




「栄くん、おハダきれーい。つるつる、プヨプヨ、触り心地最高、ちょっと美鶴先輩、これ触ってみてください、これっ!」
「え? あ。ああ、いや、その」
「ほら遠慮せず!」
 いや遠慮してくれ。岳羽頼むから遠慮してくれ。乳揉むな。美鶴先輩も、僕は珍獣じゃないので、「噛まないか?」とか恐る恐る聞くのは止めて欲しい。
「栄くんと、一緒のお風呂……」
 山岸は真っ赤な顔をしている。ほら見ろ、一般常識を持ち合わせている彼女は男と混浴なんてすごく恥ずかしがってるぞ。やめてやってくれ。
「肩までちゃんと浸かって下さい。きちんと百数えるんですよ」
「……うん」
 僕は色々諦めて、アイギスに頭を撫でられながら、言われた通りに口元まで湯に浸かった。薄い緑色の良い匂いがする湯の表面を、色とりどりの花びらが埋め尽している。きっと僕がいつも買ってくる安っぽい入浴剤じゃないんだろうなってぼんやり考える。やっぱり金持ちはすごいなあと思う。
 この花びら、僕らが上がった後はもしかしなくてもしおしおになって捨てられちゃうんだろうな。なんかもったいないな。でもそれが金持ちってもんなんだろうな。
「もったいな……」
 チドリが僕のすぐ横で、口のすぐ下まで湯に浸かりながらぼそぼそ言っている。いつも僕らの意見はきっぱり正反対なのに、こういう時は妙に同調してしまう。やっぱり僕らは一般人なのだ。紅茶のティーパックだって何回も使い回すし、賞味期限なんてあってないようなものだ。――この前綾時に「そういうのはダメ」って怒られたので、もうしないけど。




◆◇◆◇◆




「栄くーん、背中流してあげるからおいで?」
「え、いや、いいです」
「わ、私も手伝おう」
「いいですってば」
「栄時さん、頭はわたしが洗ってあげます」
「アイギス、俺子供じゃないから」
「あ、あの、栄くん……その、身体、洗ったげよう、か……?」
「いや、山岸……」
 お前まで弾けるな。君はうちの寮の聖域であってくれ。
「カオナシ。かしずいて私の背中を流せ」
「お前はもうちょっと恥らえ」
 チドリは相変わらずだ。こいつには羞恥心ってものが欠落していて、平気で僕らの前で着替える。この間なんて順平が鼻血吹いて大変だった。でもこいつのこういう一定のノリは、今はちょっと救われる。ありがとう姉さん。僕はお前の空気詠み人知らずぶりよりは随分適応力が高いほうだ。
 僕は『見てません』とアピールするために、ぎゅーっと目を閉じている。これはきっと何かの罠に違いない。今目を開けたらきっと「見たな!」とか言われて処刑されるのだ。
「はい、偉い子ですね。ちゃんと目を閉じていて下さい。シャンプーが目に入ってしまいますからね」
 いや、違うんだアイギス。僕が目を閉じてるのはそんな理由じゃなくて、もっとこう崇高な理由からで、
――わっ……!」
 むぎゅー、と胸を掴まれた。
「ちょ、岳羽っ……」
 こういうことをするのは絶対岳羽だと思ったんだけど、「え、私じゃないよ?」って横から声がする。じゃあ誰だ。悪ふざけが過ぎる。
「……あ、ごめんなさい。ほ、ほんとに女の子だあって……」
 山岸だった。やめてくれ。君は確かにもうちょっと弾けてもいいんじゃないかなとは思っていたけど、こんなところでは勘弁してくれ。
「諦めろ黒田。裸の付き合いとはこういうものだそうだ」
 美鶴先輩がちょっと同情したみたいに言う。岳羽が「そうでーす」とか言っている。彼女はこの人の乳まで揉んだのか。お前男らし過ぎるだろ。前世はオッサンじゃないのか。
 そうやって揉みくちゃにされているうちに、背中にむにゅっと柔らかい感触が押し当てられた。僕はそこでびっくりして目を見開いて、「ひい」と悲鳴を上げてしまった。背中から、胸を押し当てられている。しかも脇から腕を差し込まれて僕の胸を揉んでいる。
「たっ、岳羽――!!」
「うわ、真っ赤。かーわいい。去年の今頃は無表情の朴念仁君だったのになー」
「ちょっ、こういうのはダメだからッ!!」
 ぎゅうぎゅう揉まれて「やっ」とか「あ」とか死ぬ程恥ずかしい声が漏れて、駄目だ僕はここで犯される。孕まされる。もう孕んでるけど受胎させられる。
「大きさは中の上、感度は一番……あの、ねえ栄くん? 綾時くんとはほんとに何でもないの? ……子供のくせになんでそんなエッチな声出んの? 実は毎晩こうやっておっぱい揉まれてるんじゃないの?」
「うわー! た、岳羽がオヤジだああっ!!」
 僕は真っ赤になって「やめてくれ」と懇願する。もう沢山だ。誰かが「ちょっとやりすぎじゃない」と止めてくれることを期待したけど、みんな揃って真剣な目でじいっと僕を見ている。なんだその目は。やめろ、助けてくれ。
「……それは……確かに、気になるな……」
「あの、栄くん……私もそれ、気になっちゃいます」
「栄時さん、白か黒かはっきりして下さい。万一あやまちがあった場合は、わたしが家族として責任を持って綾時さんを処刑します」
「お前私より先に処女喪失したら殺して埋めるからな」
「うわーん! こ、こんなのやだあああっ!!」
 僕は泣いた。こんなの、お花畑なんかじゃ全然ない。僕が女性に抱いていた最後の夢が砕けていく。こいつらみんなオッサンだ。クラスで猥談してる男子と同レベルだ。いや、スキンシップ過剰なだけなおタチが悪い。
「さっさと吐きなさいよ。指突っ込んで処女膜確認するわよ」
「やだああああっ!!」
 なんだかすごい怖いことを言われてしまった。もう駄目だ、犯される。そんなとこ綾時にしか触らせたことないのにってとこまで触られる。
「……っ、うえっ、綾時、りょうじっ、こわいよぉっ……」
 女性陣がゆらっと立ちあがって、僕ににじり寄ってくる。全員なんだかにやにやしている。山岸までなんだかイイ顔をしている。僕は今までこんなに生き生きしている彼女の顔を見たことがない。
「大丈夫だよ、栄くん。痛いのは最初だけだから」
「すまない、黒田。恨んでくれていい」
「栄くん、ごめんね?」
「栄時さん、やさしくしてあげますから」
「カオナシ――私の下でみっともなく泣き叫べばいいよ」
 犯される。というかまわされる。僕は壁の隅っこに追い詰められて、涙目で震えている。
「や……やだぁ、うわあぁぁん、りょうじ……」




「や、やめてえええええ! その子にひどいことしないでええええ!!」




 叫び声と一緒に僕らの背後のヤシの木の下の茂みが揺れて、大理石の彫像の陰から勢い良く綾時が顔を出す。何でそんな所にいるのかは――ちょっと、見当がつく。多分また覗きでもやっていたんだろう。でも今は「もう何やってんだ」って気分にはならない。ありがたい。良かった。嬉しくて泣きそうだ。
「お、おいバカ綾時! 気持ちは分かるが落ち付けって――
「だ、だめなんだもん! だめなんだも……うわああああん!!」
「馬鹿! 泣く奴があるか! 男はいついかなる時も涙を見せるな!」
「ああニュクス様、貴方に涙は似合いません。――ジン」
「わかっとる。ニュクス様、どーかこのタオルで顔をお拭き下さい」
「あーあ……こんなことになるって思ってました……」
 像の後ろには妙に大勢いるらしい。女性陣がゆっくり振り向く。「チッ……邪魔しやがって」って女子が声を揃えて言う。男性陣の顔が引き攣る。……ああなんか、去年もこんなことあった。




◆◇◆◇◆




「あの、ほんとにすみませ……あ、ああよしよし、もう泣かないで、僕が守るからね。……下心とか悪気とかはなくて、……うん、大丈夫だからね。……あの、反省してます……怖かったね。僕から離れちゃ駄目だよ」
 綾時が他の男子と一緒に、見つかったその場で正座させられて、裸のままぎゅーっと抱き付いて泣いてる僕をあやしながら謝っている。僕を助けてくれたんだから、本当は謝ることなんかない。
「綾時、りょーじっ、こわ、……こわかったよ、」
「うん、もう心配いらないから。君は僕が守るからね。だからもう泣かないでいいんだよ」
「……ここまで堂々とした覗きってのも珍しいよね……姐御、どうします?」
「あ、姐御? いや、まあ、処刑……する?」
「いやオレらに聞かれても。つーかお前らみんな悪ふざけし過ぎだって。えーちゃんめちゃめちゃ怖がって泣いてんじゃんよ。こんなちっさい子寄ってたかって泣かせて恥ずかしくねーのかよ」
「いや……その、ご、ごめんなさい」
 美鶴先輩が謝っている。この人実は押しに弱いのかもしれない。もっと言ってやってくれ順平。こいつら全員レイプ魔だ。というか覗きに怒られる女子っていうのも珍しいだろうなって思う。そんなの聞いたことない。
「い、いやっ! そーじゃなくって、なんであんた達がここにいるのよ! どうやって入り込んだの?! なに覗きなんかやってんの、性懲りもなく!」
「ぼ、僕は栄時が心配で……いやその、確かに女の子の入浴を覗きたくなかったわけではなくてむしろ見たいけどでも、」
「オレっちはチドリと混浴したくて……で、ではなくて、いや最初はエージ羨まし過ぎるぞコノヤローオレっちも混浴をとか考えてたんだけど、なんかあんまりえーちゃんが可哀想でいたたまれなく」
「誤解だ! 悪意も下心もない、俺はただ黒田の貞操が心配で……」
「実際襲われ掛けてましたしね。勘弁して下さいよ……あ、僕はみなさんに無理矢理連れて来られて仕方なく」
「私はニュクス様を影ながらお支えしたく。ああ、女性の身体には微塵も興味がありませんのでご心配なく」
「タカヤと一緒や。ちうか女子の裸なんか見慣れとるさかいに」
 綾時も順平も真田先輩も天田も真っ赤でいるけど、ストレガ二人は平然としている。まあこいつらは、家の中を平然と裸でうろつくチドリとかを見慣れているから、今更何とも思わないのだろう。
 意外だったのが、小学生の天田まで真っ赤になっていることだった。このマセガキめ。お前は多分、まだ女風呂に保護者と一緒に入っても怒られない年齢だぞ。
「……あの、リーダー」
「……ん、」
 天田が僕を見て、神妙な顔でいる。首を傾げて「どうした?」って聞いたら、「その、毛、生えてるんですね」って言われた。お前は僕をなんだと思っている。十八の男だぞ。
「お前な、えーちゃんは一応アレでもオレっちとタメなんだから、陰毛くらい生えてるって。……大分薄いけど」
「……負けたような気分で悔しいです。僕の方が年上なのに……」
 天田が心底無念そうな顔で言う。お前、だから俺は十八だ。
「えっ、オメーまだ生えてねーの?」
「そ、そ、そ、そんなわけっ、は、生えてます!」
「後で風呂ん時見てやる」
「み、見せませんよ! 僕がそういうの見せるのはリーダーだけって決めてるんです!」
「……なんで俺?」
「ちょっ、君らだめっ、この子見ないでよ! 栄時の身体全部見て良いのは僕だけなの……!」
 綾時がぎゅーっと抱き締める。真田先輩も天田も順平も、「本当に女子だ……」と僕を見て変な顔をしている。僕は漢なので同性に見られても平気だが、女子に見られるのは勘弁願いたい。しかもレイプされたりまわされたりするのはもっと嫌だ。なんで僕はこんなによってたかって苛められなきゃならないんだ。
「……女子なんか、嫌いだ」
 僕はめそめそ泣きながら呟く。女性陣が固まる。みんなが慌てて「落ち付け」「気を取り直せ」と言ってくる。でも僕はその頃には完全に臍を曲げてしまっていて、むくれながら綾時にべたっと張り付いていた。







戻る - 目次 - 次へ