お父さんと僕と愉快な誘拐犯[1]
「あれっ」
僕のちょうど横をしばらく蛇行して、歩道に乗り付けるようにして停まった車の中に、あんまり意外な顔を見つけてしまって、正直驚いた。助手席の窓が開く。腕を乗り出して顔を見せたのは、荒垣先輩だった。
「よぉ、黒田じゃねーか。今帰りか」
「ええ、そうです。残念でしたね。今日はみんなばらばらで俺ひとりなんで」
「数が多いのも、たかられて面倒なだけだ」
「それもそうですね」
荒垣先輩は『乗れ』ってふうに手で示した。僕は軽く頷き、お言葉に甘える。ちょうど腹が減っていたのだ。何か食べさせてもらえたらいいなと期待してしまう。年上にはたかるべき、ってこないだ順平が言ってた。
僕は後部座席のドアを開け、乗り込み、まずシートベルトを締める。はたして隣にちょこんと座っていた天田が、「律儀ですね」と感心しているのか馬鹿にしているのかわからない、いつもの調子で言う。僕は頷く。
「十一年前に事故ったことがある。あの時ほんとにシートベルトの重要さを痛感した。お前もちゃんと締めとけよ」
「もう締めてます。全開で」
「ん?」
なんだか妙な物言いだなと思って見ると、変に天田の顔に生気がない。いつもの小生意気な、子どもらしい高慢がない。顔が青い。風邪でも引いているのだろうか。
「……あなたも乗っちゃったんですからね。一蓮托生ですからね。可哀想に」
「は?」
僕は首を傾げて、でもすぐにその意味を知る。
「――乗ったか。では、行くぞ!」
真田先輩の声を合図に、がくん、と車内が揺れた。僕は勢い余って、思いっきり座席に頭をぶつけた。締めたばかりのシートベルトが腹に食い込む。
「な、何事ですか?!」
「……アキが、免許を取った」
前の助手席から聞こえる荒垣先輩の声は、どこか達観していた。燃え尽きた後の灰が喋ったらこんなふうなんだろうな、って感じだ。再生の時に僕の気合いが足りなかったのだろうか。だとしたら申し訳ないことをした。
「――俺はっ、風!」
久し振りに聞く真田先輩の熱い雄叫びが聞こえる。僕はなんだか逃げ出したい心地で、「はあ」と頷いた。この人のノリは、たまにリズムが激し過ぎてついていけない時がある。
「……真田さん、車に人乗せるの大好きなんですよね。でもスピード狂。なんかすぐに峠とか走りたがるんです」
「残念だったな黒田。お前も生贄だ。俺らと一緒に死んでくれや」
「はあ?! ちょっ、俺帰ります! 降ろしてください! お父さんとお母さんに変な人についてっちゃダメって言われてるんで!」
「つれないこと言わないで下さい。あなたユニバースでしょう? こんな衝突とかあんな人身とかがあった時には、ぜひあなたの摩訶不思議パワーでなんとかしていただきたいんです。僕も道路に花を添えられて道往く人に手を合わされたり、保護者が引き逃げ犯とか勘弁していただきたいので」
「こんな時ばっかり都合良くユニバースの力に頼るなよ」
「おい黒田、テメェの力は評価してやってんだ。グダグダ言わずにバリア張れバリア」
「荒垣先輩は俺を宇宙戦艦とか機動戦士とかと勘違いしてませんか?」
僕は冷汗を流しながら、どんどん速度を上げていく車に、胃が痛くなってきた。高速でもないのにメーターが振り切れそうって何なんだ。黒沢さんに通報したい。
「真田先輩、安全運転でお願いします。スピードはローでお願いします。後ろに妊婦さん乗ってます妊婦さんが。俺です」
「――安心しろ、黒田。俺はドジは踏まんさ。マハガルーラ真田と呼べ」
「いや先輩前見てください前。あなた疾風属性スキル使えないでしょう。あんたはもう永遠にタルンダでも唱えてろ」
「なあ黒田……」
真田先輩がぐるっと僕のほうを向いて、すっげー話知ってんだけどさぁ〜これ内緒だぜーとはしゃいでいる順平みたいな顔で、きらめいた目で、でも真顔で言った。
「車は時速140キロ出すとタイムスリップできるそうだ。昔映画でやってた。すごいな」
「いやあぁあー! りょおじいぃい! 助けてー!!」
[綾時、通学路]
校門から出てすぐ、僕は大分前を歩く栄時の姿を見付けた。今日はそのまま帰るんだ。言ってくれれば良いのに、栄時は僕が女の子と一緒にいると、気を遣ってさっさと帰ってしまう。
僕は栄時といる時が何より幸せなんだから、もうちょっと一人占めしてくれたっていいのに。綾時は俺のなんだからな、とか言ってくれちゃったりなんかして。僕は栄時のことを空想すると、あんまり幸せでいつもニヤニヤ口元が緩んでしまう。
だってあんなに可愛い子なのだ。僕だって栄時を一人占めしたい。あの子が誰かと話していると、いつも横から攫ってしまいたくなる。
僕はちょっと猫背気味の栄時の背中に、大きく手を振って、彼に呼び掛けた。
「――おーい! ちびく……」
ん、と言い掛けたまま、僕の口は固まった。栄時のすぐ真横に停まった車の窓から、ものすごく凶悪そうな男がぬっと顔を出したのだ。そして『乗れ』ってふうに手で示した。栄時も、知らない人には気を付けなさいって、僕とアイギスがいつも口を酸っぱくして言っているのに、こくんと頷いて何の躊躇いもなく車に乗り込む。
「え……ちょ、待って待って待って、え、えいじっ?」
僕は慌てて駆け出した。あんな人相の悪い男とどこへ行くんだ。
僕は最近ニュースで話題になっている誘拐事件のことを思い出していた。確か手口はこうだ、君んとこの家族が大変だ、事故にあった。すぐ病院に連れてってあげるから、車に乗んなさい。
栄時は親想いの優しいいい子だから、僕かアイギスになにかあったって聞いたら、きっと何の疑いもなく車に乗り込むだろう。たとえ相手が知らない人で、どんなに人相が悪くたってだ。
嫌な新聞の見出しがさっと脳裏をよぎって、目の前が真っ暗になった。港区で女子高生誘拐事件。被害者は望月栄時さん(18)。
栄時は確かに攫いたくなっちゃうくらい可愛いし、頭は良いけど純粋だから、悪い人にコロッと騙されちゃって、連れてかれて監禁されて、縛られて、手錠なんか付けられて、首輪でベッドに繋がれて、栄時は怖くて泣いちゃって、僕の名前を呼んで震えて、でもひどい悪者たちはあの細くて小さなからだにあんなこんな悪戯を――
「だっ、だめーっ! えーじ! えーじっ!!」
僕は半べそで栄時を追う。でも車はすごい勢いで発車してしまって、土埃を上げながら、すぐに見えなくなってしまった。
それでも僕は追い掛ける。追い掛ける、けど、
「え、えーじぃぃっ……」
もうどこにも車の影が見えない。僕はよろめいて、歩道にへなへなへたり込んだ。
栄時が誘拐された。
[栄時、駐車場]
ようやく車内から解放された頃には、僕らは運転手の真田先輩を除いて、皆げっそりしていた。荒垣先輩なんて目がどこかとても遠い、僕らには見えない世界を見つめていて、頬がちょっとこけている気がする。この人も面倒見が良いから、いろいろ大変なんだろう。もし僕がこの人の立場だったとしたら、間違いなく、真田先輩のアバラを何本かポキポキ折ってやっている。
「……天田、無事か」
「あなたが僕のお嫁さんになってくれたら無事です」
「駄目そうだな。……そういう冗談言って許されるのは十歳までだから。って岳羽が言ってた」
「じゃ、あなたはギリギリですね」
「俺十八だから」
運転席から降りて車のキーをロックしながら、真田先輩が僕らを見て、荒垣先輩に「微笑ましい奴らだな」と言っている。
「子どもの愛情表現は邪気がなくて良いな」
「子ども扱いしないでくださいってば! あの人はともかく、僕はもういい大人なんですから」
「先輩、天田はともかく俺あと二年で成人ですよ。ちゃんと邪気のある愛情表現もできますよ」
「あれ。じゃあやってみせてくださいよ。邪気ある愛情表現」
「え。えっと……好きです。死んでくれる? ……とか」
「頭空っぽのあなたにはちょっと高度過ぎましたね。もういいです。まったくあなたは何をやってもダメダメですね」
「何を言う。俺は頭が良いのが取り柄だぞ。それに頼れるお兄さんキャラを自負している」
「それ真田さんも言ってました」
「…………」
僕は静かにショックを受けながら(そして荒垣先輩に慰めるように頭をぽんと撫でられ)、とりあえず覚えのない場所で降ろされたので、「ここどこですか」と真田先輩に聞いた。
「ドライブスルーじゃなさそうですけど」
「お前、やはりたかるつもりだったか。安心しろ。ワックよりも、後でシンジが手料理を食わせてくれる」
「え、ほんとですか。荒垣先輩の料理は大好物です」
「お前ら、なにを好き勝手言ってるんだ……」
荒垣先輩はかなりくたびれているみたいだ。真田先輩と天田みたいな、手の掛かる子どもみたいな人間の面倒を二人分見ているんだから、無理もない。僕は彼に同情した。
真田先輩がいつものように上着を担いで歩いてきて、僕の頭にぽんと手を乗せた。
「今日は美鶴の見舞いだ。途中でお前を拾えて良かった。お前の顔を見られれば、あいつも喜ぶ」
「え。美鶴先輩、今海外にいるんじゃなかったんですか。どこか悪く?」
「今は仕事で帰ってきてる。またじきに飛び回らなきゃならんようだが、どうも忙し過ぎて最近ろくに眠っていなかったらしい。倒れたそうだ。過労だな」
「それならそうと言ってくださいよ。俺手ぶらで来ちゃったじゃないですか。そんななら、漫画とかCDとか、ドッキリフェザーマンチョコとか、元気が出るように面白い顔した土偶とか、暇つぶしの知恵の輪とか、いっぱい買ってきたのに」
「お前は入院した仲良しの友達の見舞いに張り切る子供か。なんだその小学生チョイスは」
「……アキ」
「あ……すまん。お前、天田より年下だったか」
「だから十八ですってば」
僕は子供扱いする真田先輩に食い下がる。なんだかいつもこうやって、怒られたあとに「あっ」て顔をされてぬるい目で見つめられるのが、呆れられてるみたいで僕はあんまり好きじゃないのだ。
[綾時、巌戸台分寮]
「エージが誘拐いぃ?!」
ラウンジに順平のびっくりした声が響いた。僕は泣きながら頷く。
「くっ、黒い車。なんかっ、何人も殺してそうなものすごく人相の悪い男に、僕のちびくんがっ! うぅ、僕は父親失格だ。僕がついていながら、目の前で――!!」
「いや、ないだろ。あいつなら誘拐された時点で相手のアバラをポキポキって逝くだろ」
「いや、あのカオナシがアバラなんちゅー可愛いもんで済ますはずあらへんで。
こう、『俺のターン! ペルソナカード、ドローデッキ、オープン。ルシファー、サタンを召喚!』ゴゴゴォ〜」
「んで『ミックスレイド、『ハルマゲドン』を発動! 食らえっ!』て消し炭だろ? 宇宙の力でお仕置きだぜ! カッケー! シビれるー!」
「せや、ほんで百年先まで草木一本生えんようんなった不毛の大地で、焦げ焦げにされた可哀想な誘拐犯から、『シャッフルタイム!』とか鬼のようなことを言いながら、なけなしの身包み剥がすんや。おぉ怖っ、魔王カオナシ様っ、エロイムエッサイムエロイムエッサイム」
「エコエコアザラクエコエコアザラク。あっどうしよ、オレらの可愛いえーちゃんにまた前科が増えちゃうぞ。どうしよう」
「今更あいつに前科がイッコ増えたくらいでケタも変わらんし、えーんちゃう? べつに」
僕は悪のりしてギャーギャー騒いでいる順平とジンの腹に一発ずつ膝蹴りを入れて、「冗談言ってる場合じゃないでしょ……?」と静かに言った。まったくなんて奴らだ。僕のかわいい、細くて小さくて柔らかい、優しい栄時が心配じゃないのか。
「僕の……僕の可愛い栄時になにかあったらどうするんだい……栄時はね、女の子なんだよ。きっとすごく怖い思いをしてるよ。裸にされて後ろ手に手錠掛けられたり、縄で亀甲縛りにされたり、首輪で繋がれたり、玩具みたいに弄ばれて、僕も見たことないような顔で怖がって泣いちゃって、綾時綾時って僕を呼んで震えているかもしれないんだよ……?! あぁああ、ダメっ、そんなのはダメっ、可愛い栄時の身体は全部全部僕のものなんだからっ! そーいうことは僕だけに許して欲しいのっ!」
「えっ、すんませ……なんやろこれ、この人めっちゃ怖い」
「エージ、こんなののそばにいて貞操は無事なんかな……あいつマジで可哀想な星の下に生まれてきた奴だよな……うちの親父がこんなんじゃなくてホントに良かった」
「わしも親がおらんで良かった。滅びめっちゃ怖い」
「おやジン、何を言っているのです。あなたらしくもない」
タカヤが降りてきて、ごそごそ冷蔵庫を漁っている。彼は遠慮なく順平の名前が書いてあるプリンを取り出して、「何の騒ぎですか」とどうでも良さそうに訊いてきた。
「あっ、それオレっちのプリン……」
「あっタカヤ、カオナシがな、誘拐されてんて」
「寝言は寝てから言ってくださいジン。あの人は我々のなかで最強の戦闘能力を誇るのですよ。この間も滅びの塔の上で頑張って立ち塞がった私達をそれぞれ一撃で沈めた上に、ニュクス様をぐったりするまでひっぱたいて、最後には星までペロッとたいらげてしまったじゃありませんか。破壊神ですよ。我々があの人の心配をするなんてお門違いです」
それを言われてしまうと、僕も「うぐっ」と詰まってしまうしかない。
「あの、オレっちのプリン……」
「ニュクス様、ご心配でしたらご子息の携帯に連絡を入れてみるというのは?」
「あ、ああ、うん」
僕は頷いて、携帯を開き、栄時の携帯番号を呼び出す。何度かコール音を聞きながら、もどかしいなと思っていると、回線が通じる気配があった。僕は慌ててあの子の名前を呼んだ。
「も、もしもし、ちびくんっ?」
『アイギスです。お掛けになった電話は、現在栄時さんには繋がっておりません』
「……は?」
僕は目を点にした。なんでアイギスが出ちゃうんだろう。栄時、もしかして留守電の設定をアイギスの音声にしてたりするんだろうか。それにしては声が生っぽいけど。
『綾時さんですね? どうかしたんですか?』
「あ、うん。あの、君いまどこ? ちびくんのそばにいるの?」
『いえ、分寮の二階です。栄時さんのお部屋の掃除をしていました。あの人、今日はどうやら携帯電話を忘れて行ってしまったようですね』
「え、本人がいない部屋の掃除って、家捜しって言うんじゃないの……確か去年それで怒られちゃったことがあったような気がするんだけど」
『私はお母さんですから、子供の部屋の掃除をするのは当たり前のことですよ』
「あ、うん。あの、……えっちな本とか、あった?」
『そんなもの、あの人はまだ子供なんですよ。ただ、ものすごく恥ずかしそうに、ベッドの下に隠されていた――』
「え、なにそれっ?」
『――ドッキリフェザーマンシールのアルバムはありましたが。好きだけど集めているって知られるのは恥ずかしい、という複雑な子供心のようです。もちろん知らないふりをしておきました。親心です』
「……ごめんなさい。自分で自分が恥ずかしいです。じゃなくって、そう、大変なんだよっ! 栄時がねっ、あのね、誘拐されちゃったんだ。怖い人に連れてかれちゃって」
『――!? そういうことは一番はじめに言ってください! このすべてダメ男!』
「すべてダメ男?! 僕という存在を全否定!? なんかダメ出しが日に日にひどくなってってるっ!!」
『今はあなたはどこに? ラウンジですか? すぐに風花さんとチドリさんをお呼びします。いいですね、動かないで下さい』
「は、はいっ」
僕は頷く。アイギスに怒られると、僕はつい反射的に縮こまって「すみませんでした」と謝ってしまう。まるでお母さんに怒られたみたいな気分になる。僕を産んでくれた栄時は僕をすごくすごく甘やかして何でも言うことを聞いてくれるので、なんだかふたりで飴担当と鞭担当のお母さんたち、って気がする。僕がお父さんの威厳とかを、手に入れることができる日は来るんだろうか。
電話が切れたところで、また着信音が鳴った。アイギス、なんか言い忘れたことがあったのかなと思いながら通話ボタンを押して、「はいはい、なんだい?」と出ると、聞き慣れない声が聞こえてきた。男のものだ。低くて、ドスがきいている。
『……ガキは預かってる。心配すんな、無事だ』
「え。だ、誰ですかあなたはっ!」
僕は顔を青くして、通話口に向かってまくしたてた。この声、もしかしてさっき栄時を連れ去った、すごく人相の悪い男のものじゃあないだろうか?
「ちびくんはっ、栄時はそこにいるんですか! あなたは誰ですか?!」
『あ? 俺は、』
『うわああっ!』
繋がった先、遠くのほうで、栄時の悲鳴が聞こえた。僕があの子の声を間違える訳がない。
『――! チッ、厄介なことに……また連絡する』
「待っ……ちびくん! 栄時、えーじっ!」
僕は叫ぶ。でもすぐに回線が途切れる。電話が切れる。
戻る - 目次 - 次へ
|