月のある日




 正月んなって、ガッコもタルタルもなくゴロゴロしてたある日、新型の召喚器が支給された。
 どうやら一月末の滅びに向けて踏ん張ってるのはオレらだけじゃないらしい。桐条先輩んトコのグループの研究所(確かエルゴなんとか、エスカルゴとか、そんな感じの語感だった。良く覚えてねえ)でも、大人たちみんな揃って死に物狂いで働いてんだそうだ。
 現場のオレらにちっとでも楽をしてもらえるようにって、それだけ聞けばイイ話だが、どーにもこーにも信用できねえ。
 言っちゃ悪いが、オレは桐条先輩んちがあんまり好きじゃねえ。チドリを解剖しようとか言い出した奴は一人や二人じゃなかったって言うし、あいつらまだガキのエージをこねくり回して無茶苦茶してやがったのだ。
 エージの奴の前で研究所の話なんかしようもんなら、怖い実験の思い出なんかが蘇えってきて、また怯えて泣いちまうんじゃねえかってスゲー心配んなってたんだが、意外にもあいつは「へえすごいな」と興味深々顔だ。
 「怖くねえの?」って聞いてやったら、「別に大丈夫」って返ってきた。いつも聞いてた「べつに」のあとに、「大丈夫」がくっつくと、ちゃんと柔らかく聞こえるから不思議だ。お前はもっと早くそういう喋り方をするべきだった。
 どうやらエージの両親は、二人揃って研究員だったそうだ。オレにはあのアホのリョージがアイギスや召喚器みてーな難しい機械を造ったり修理したりしてるトコはどうにも想像できねんだが、それを口に出すと、エージにものすごいゴキゲンな顔で、「仕事してる綾時はすごい格好良かったんだぞ!」って『僕のパパ自慢』をされた。この重度のファザコン患者が。可愛いなオイ。
 桐条先輩が、ラウンジのテーブルの上で、銀色のアタッシュケースを開いた。中に入ってたのは、今使ってる召喚器よりもちっとばかし小振りな銃だ。型はおんなじだった。
「精神内部に不可視の鎖を打ち込む際の正確さと、ペルソナサルベージの速度が、現行式のものよりも大幅に改善されているそうだ」
「……つまりそれって、どういうことなんスか?」
「召喚する時に、今よりペルソナが早く出せるってことだ」
「その通りだ。君はお……いや、利口だな」
「……先輩、いま「おりこう」って言おうとしませんでした?」
 エージがまた子供扱いされて、「俺は十七です」と拗ねている。そういうトコが子供なんだって。
「実戦で使う際の安全面に関しては、まあ心配いらない。既に私と明彦が試し撃ちをしている」
「先輩がたが?」
 ゆかりッチが眉を顰めて、「なんか申し訳ないね」って言っている。
 聞いたところによると桐条先輩も、エージほどではないが(なんせお嬢なので)、ペルソナ実験に使われていたことがあったらしい。こういうのも初めてじゃねえって感じだった。
「結果は良好だ。トリガーを引いてから、ペルソナ出現、攻撃行動の終了までの速度が、数秒早くなっている。僅かなことだが、こと戦闘中においては重要なことだ。試作型だが、これをリーダーの君に使ってもらいたい」
 桐条先輩が、エージに新型の召喚器を手渡す。オレは「えー、またッスか! そいつばっかじゃないですか!」とブー垂れてやる。コイツはもうオレの癖って言っても良かった。特別扱いのエージさんをやっかんじまうのだ。
 前は本気でやってたんだが、ガキ相手に大人げねーので、これはただのポーズだ。
 エージは新しい玩具買ってもらった子供みたいな顔で「いいんですか?」と首を傾げた後で、「悪いな順平」とにっと笑った。ハイハイ良かったね。嬉しいね。お年玉、もらっちゃったね。
 エージは早速試し撃ちがしたいらしく、新型の召喚器をくるくる器用に指で回して頭に当てた。そりゃサマになっている。考えてみたら、コイツはガキんちょだが、ペルソナ使いとしてはオレらん中で一番の古株でベテランなのだ。
「オープン、りょうじ……じゃなくて、アルカナ『死神』タナトスを召喚」
「今リョージって言ったなお前」
 エージに一番馴染んでるペルソナってのが、黒い服着てかわいい仮面被ったデカイ奴なのだ。つい三日ほど前に生まれたばっかで、どうやらリョージがエージに遺してやったものらしい。
 自分の頭銃で撃って、身体のなかからオトーサンの死体を引き摺りだしてくるって、どんなホラー映画だよとオレは突っ込みたかったが、まあイイ話に水を差すこともねーので、ここは黙ってよう。エージなんか幸せそうだし。
 エージが頭を撃つ。そしていつものように、馬鹿におっかないペルソナが出てくる――ことは、残念ながら、なかった。




「あ、」




 ペルソナは、出てこなかった。




 そのかわりに、エージの顔に、手に、ガラスをぶっ叩いた時みたいな罅が現れた。



 
 オレは一瞬目が合ったエージが、『助けて』って途方に暮れたみたいな顔をしたのを見た。




 エージが、




 割れる。




――エージ!!」




 オレは、すぐに駆け寄った。とりあえずあいつの身体を支えてやろうって手を伸ばして、でも崩れた身体を受け止めることはできなかった。制服だけが、ラウンジの床にぼそっと落っこちる。
 一瞬、ラウンジはしんと静まり返った。誰もなんにも言えない。
「え、えーじ?」
 オレは、恐る恐るエージの服に手を伸ばした。あいつが消えちまった。いやそんな、そんな訳ねーだろ。まだ一月三十一日の滅びの日まで大分あるのだ。こんなトコでこいつがこんなわけわかんねー死に方なんざ、するはずがないんだ。
 指が触れるか触れないかってトコで、エージのブレザーがもこもこって動いた。びっくりして思わず固まってると、




 ――なんか良くわかんねんだけど、十にもならねーくらいのちみっこいガキが、ブレザーん中からぽこっと顔を出しやがった。




◆◇◆◇◆




「すまない……」
 桐条先輩がげっそりした顔つきで塞ぎ込んでいる。この人がこんなに落ち込んでいるのも久し振りだ。
 ラウンジのソファには、サイズがでかすぎてワンピースみたいになってるぶかぶかのシャツを羽織った、小学校低学年くれーのちみっこがいる。ゆかりッチにミルクティーいれてもらって、フーフーしながら飲んでる。
 これ、エージだ。
 なんか良くわかんねーけど、頭撃ったら変身しちまったのだ。どうなってんだこれ。
「先輩、落ち込まないで下さい。俺は大丈夫です」
 舌っ足らずな声で、エージが言う。喋り方はいつもと変わらねーので、こんなまだまだパパママ言ってそうなガキが妙にしっかりした物言いをするトコは、なんかすごい違和感だ。
「あの、僕の服……昔のあんまり残ってないんで、ちょっと大きいかもですけど」
「ああ、天田。すまない。借りる」
 真冬にいつまでもシャツ一枚でいる訳にもいかねーってんで、エージは天田に服借りて、着替えに行く。あいつがいない間に、オレらは揃って、へっこんでる桐条先輩を見た。
「どういうことだ、美鶴。俺たちが使った時はなんともなかったろう」
「ああ、今ラボに問い合わせてみた。どうやら召喚の際に、速度を重視するあまり、精神に鎖を強く打ち込み過ぎた可能性があるらしい。心が身体に強い影響を与えて、変化させてしまったのかもしれない、と――
「……それってどういうことなんスか?」
「新型召喚器が、あいつのおつむの……まあ、精神年齢を反映してしまったんじゃないか、ということだ」
「そう言えばあの人、小学生なんでしたよね」
「……頭の中身、実際はあのくらいの子なわけね。わかっちゃいるんだけど、あのいつもの天才カリスマ漢を見ているとつい……」
「……オレら、あんなちみっこをリーダーに据えて、やれ戦え指示しろだとか、武器調達しろだとか、言ってたんスね……」
「…………」
「…………」
 ラウンジに集まったメンバーがどんより暗い顔になった。そうしてるトコに、天田の服を借りたエージが戻ってきた。あのちまい天田の服すらまだダボダボで、半ズボンを初等部の制服のサスペンダーで吊っている。
 「それリョージみたいね」って言ってやると、エージは照れ臭そうに顔を赤くしてエヘへとか笑っている。このパパ大好きッ子め。可愛いぞこの野郎。




 ともかく、このまんまじゃどーしよーもない。いくらなんでもこんなチビガキ様が、三学期開始早々顔出して「黒田です」とか言っても誰も信じやしないだろう。
 タルタルにしたって、非力なガキんちょにまさか戦えとか、リーダーやれとか言えるわけ――




 ――ねえと思ってたのに、エージはなんつーか、ちっこくなっても相変わらずエージだった。





「オープン、『審判』サタン、『星』ルシファーを召喚。ミックスレイド『ハルマゲドン』を発動」
 耳がいかれちまうくらいの轟音と白い光が消え去った後には、なんにも残らなかった。オレらを追っ掛けてきていた刈り取る者も、エージを見るなりそそくさと逃げ出したシャドウも、一瞬で塵ひとつ残らずに焼け尽きた。
「討伐完了。お疲れ様」
「……お疲れ様です……」
「おつかれッス……」
 オレは天田と顔を見合わせて、「何この破壊神」とげんなりし合った。例の十二月の出戻りからこっち、エージはまたとんでもなく強くなっちまって、もうオレらが追いつくとかそういう次元ですらない、どこか遠い世界に逝っちまったみてーだった。
 あの刈り取る者を蒸発させるって何だそれ。今だって風花が勝てるわけねーから逃げてつってたじゃんよ。
 こないだエージと戦ったあの時、リョージが止めてくんなきゃ、オレらあのハルマゲとか言う最終兵器を食らってたんだと思うとぞっとしない。
 こいつを敵に回しちゃならんと思うのと同時に、人に向かってペルソナ攻撃仕掛けちゃ絶対ダメなんだぞ、死ぬから、人殺しはダメだから、ってイチからいろいろ教えてやんなきゃなあって妙に張り切ってしまう。
 こいつを叱ってくれる親御さんはちっとばかし厄介ごとに巻き込まれて遠くに行っちまってるのだ。その間はあいつの親友のオレがしっかりしつけてやらなきゃならん。というかリョ―ジは子供を甘やかし過ぎだ。ちゃんともっと怒れ。
「大体行けるところまでは行ったな。じゃあエントランスに戻ろう」
 何でもない顔でエージが言う。あのちみっこい小学生の細腕には、いつもの武器が大分重いみてーで、コロマルとお揃いのナイフを装備している――んだが、これがまた良くできたお人形が包丁持って夜中動いてるとこをつい見ちまったってイメージがあって、妙に怖え。お化け屋敷にぽっと出てきそうな感じなのだ。
「お前ナイフも使えんの?」
「うん。前は良く使ってた。子供にはサイズがちょうどいいって、幾月さんが」
「……またあのオッサンかよ。あーも、なんで一発ぶん殴れなかったかな……!」
「うん、それすごい心残りだよな。俺もずーっと言いたいことがあって、怖くて結局一度も言えなかったんだけど、」
「お? ンだよ?」
「……俺ほんとは、すごい駄洒落嫌いなんです」
「…………」
 オレはとりあえずエージの頭にぽんと手を置いて、撫でてやった。可哀想なやつだ。
 シャドウがいなくなって、ようやっと周りに気ィ張ってる必要もなくなってから、そばにいて気が付いたんだが、エージの呼吸がいつもより早い。しんどそうだ。
 「疲れたか? 具合悪いか?」って聞いてやったら、「大丈夫」って返事が返ってきた。
 相変わらずこいつはほっとくと「大丈夫」「問題なし」ばっかで無理しちまうから油断できん。
「……マジにか?」
「うん」
「上ばっかり見てたから疲れちゃったんじゃないですか?」
 天田が、下級生の面倒でも見てるみたいな感じで、エージの背中をぽんと気軽に叩いて言う。
 こいつ今この珍しい状況を思いきり楽しんでやがるな。普段なら大分背が高いエージの頭だか背中だかには、踏み台でもなきゃ届かねーもんな。
 なんにせよ、子供の目線から見た世界で起こる問題ってもんは、オレよりも小学生の天田くんのほうがベテランだ。なんたって現役のガキ様なのだ。
 「首」と天田が言う。エージは「ああ」と頷いて、「まあ」と認める。
「みんな妙にでっかいからな」
 どうやら『妙にでっかい』オレらの様子見たり指示出したりしていつものリーダー業やってたせいで、首が凝っちまったらしい。そこで『自分が小さいから』って言わずに、オレらがでかいとか言うあたり、こいつは負けず嫌いの意地っ張りだなーと思う。オレなんでこんなちみっこにムキんなって突っ掛かって行ったり当たり散らしたりしちまったんだろ。
「思うんですけど、人間ってのは見た目が大半なんだと思うんです」
 天田がやれやれって感じで言う。エージの頭をこれみよがしに撫でながら。
「背丈があるかないかってだけで、こうも扱いが変わっちゃうんですよ? 今日の順平さんはリーダーに五割増しで親切だし、逆に女性陣のいつもの熱い視線がなんだか妙に生温いし、リーダー本人もいつもと中身は全然変わらないくせに、抱き枕サイズで妙に可愛いし……」
「天田くん? で、何が言いたのかね、チミは」
「つまり、精神年齢がこの中で一番大人びている僕があの時あの召喚器で頭を撃っていたら、すごく素敵なことになってたんじゃないかなあって思うんですね」
「……そりゃ……すごい怖いことになってただろうね。魔王爆誕」
 オレはでかくなった天田を想像してみようとして、怖いのですぐに止めた。絶対このガキ、そのうちツキ高の帝王とか呼ばれるアレになる。アホ可愛いエージがカリスマなら、天田はぜってー覇王クラスにはなる。だってこいつ怖いもん。
「そうだな。天田は多分すごい格好良くて頭良くて、女の子と動物に優しい大人になるよ。きっとすごいもてそう。見たかったな」
 エージがほがらかに笑って言う……が、オレなんか涙出てきた。そんな医者に余命宣告された患者さんが、遊びにきた甥っ子見て、この子が大人になった姿を見たかったな、でもきっと無理だな、だって俺死ぬし、とか言う、みたいな――ダメだ、全然例えになってない。ダメだこれ。
 泣きそうになってるのはオレだけじゃなくて、天田もだ。目がウルウルきてる。アイギスは「涙が出る機能が欲しいです」とか言ってるし、回線の向こうで風花が鼻をすする音が聞こえる。
「み、見たかったな、じゃないですよ! 見れますよ!」
「うん、そうだな。見れたらいいな」
「当たり前です! 僕早く十八になって、あなたに指輪渡して、大事なこと言わなきゃなんないんですから」
「いやいやいや、天田くん落ち付いて。そーいうのはダメだから、手を握ってそーやって言うの止めなさい。真っ当に育ちなさい。きっとえーちゃんの保護者も君の保護者も許してくれないと思うから」
「じゃあ二人で逃げましょうリーダー。貴方もう元に戻らなくて良いと思いますよ。無くした時間を取り戻せるいいチャンスじゃないですか。これから二人で一緒に大人になりましょう。僕の好みに育てるってのも良いもんだと思いますし」
「な、なにこの小学生……あ、えーちゃんターミナル! ターミナル! 早く戻ろうぜ! 帰ってプリンだ!」
 良く分からんノリの二人(というか天田)を落ち付かせるべく、オレは頑張ってみた。効果は抜群だった。小学生ふたりは「プリン!」とぱっと顔を輝かせて、「リーダー甘いの好きですよね。おすすめってあります?」「シャガールのクリームソーダ」とかほがらかに子供らしい会話に移行した。それでこそだ。
 というかなんでオレはニュクスを倒して世界を救うために頑張ってるはずなのに、必死こいて保父さんなんかやってんだ。

 



◆◇◆◇◆





 多分昨日の晩のタルタルでのアレが悪かったんだろう。変な話題になっちまったのが。
 朝起きるとラウンジにオレらと同い年くらいの奴がいた。見慣れない顔の男だ。
 顔は見慣れねーが、カッコはなんか良く見るアレだった。グレーのジャケットにパンツにドレスシューズ、お馴染みぼくらのエージくんの地味な私服だった。確かこっち来る時に幾月に支給されたとかなんとかで、あのオッサンと色違いでお揃いっつー痛い格好だ。というか誰だお前。
「ここ、部外者立禁なんスけど……」
 オレはおずおず言う。なんとも言いにくいのは、なんか、そいつの隣に相変わらずちみっこエージが座ってて(どうやら一晩寝たりしたくらいじゃ治んなかったらしい。どうすんだこれ)、そいつと一緒に並んでココア飲んでたせいだ。「リーダーのココアは美味しいですね」とかにこやかに言っている。て、リーダーって、
「あ。おはようございます、順平さん」
 そいつがこっち向いて笑った。その顔と天パは、でかくなったくらいじゃなんにも変わらなかった。
「え、ちょ、え、えええええ……」
 天田だこいつ。





 「なんか面白そうだと思って」と天田が言う。お前面白いとかそういう理由でアレか、わけわかんねー失敗作の召喚器で頭撃つか。むしろお前こそ漢だ。
「目線が高いって、すごく素敵ですね。これいつもと逆です。つむじ見えてますよ、リーダー」
「うるさいな」
 エージがぷうっと膨れている。うん、ほんと逆だ。天田はなんつーか、美形っつーよりも可愛い系の顔立ちはそのまんまで、こいつは多分でかくなっても誰かしらに女子の格好させられて泣いてんだろうなあ、って感じだった。文化祭とかすげえ怖え。
「ほらリーダー、お膝乗せてあげます」
「……ああ、はいはい」
 エージが「しょうがないな」って顔で、天田の膝の上に乗った。はしゃぐ子供に付き合ってあげてるんですよ、って感じで、ツンと澄ました顔をしてんのがなんかおかしい。お前もガキだ。いやお前のがガキだ。
 天田はエージを膝に乗っけてご満悦だったが、じきに浮かない顔になり、溜息を吐いた。「ダメだ」とか言っている。うん、お前今すげーダメな大人になってるぞ。
「僕が大きくなるのはいいんですよ。でもリーダーが小さいのは……まあいつもの僕のもどかしさを思い知っていただくには良いんじゃないかとは思いますけど……身長その他いろいろ比べっこしましょうって口実でお風呂に連れ込んで、そりゃもう色んなところを比べたり触ったり撫で回したりして、「小さいですね」を連呼しながら、リーダーがのぼせて倒れるまで可愛がってあげようって思ってたのに、この人が子供になってたんじゃ犯罪……」
「わー! うわーっ!!」
 オレはとんでもないことをぼそぼそ呟いている天田の声が、ピュアッ子に聞こえねーように、エージの耳を両手で塞いで大声を上げた。見ててくれリョージ。お前の大事なお子さんは親友のオレっちが守ってみせるぜ。というかお前さっさと帰ってこねーとこいつうちの子にすんぞ。オレのことをパパって呼ばせて肩叩きしてもらうぞ。
「ば、バカヤロー! おま、ダメだから! この子は聖域だから!」
「子供に夢見過ぎですよ、順平さん。小学生って言ったって、陰で何してるか分かったもんじゃないですよ」
「お前が言うと妙に説得力あるな! いやいやいや、こいつはアレだから! 迷子みてーなもんだから! おとーさんが迎えにくるまでオレら大事に保護しとかなきゃなんねんだから!」
「次あの人にお会いした時には、まず子供さんを僕に下さいって言うつもりなんです」
「止めときなさいって! 宣告されるから! あいつの子供の愛し方は異常だって評判なんだから!」
「僕、時間さえ掛ければこの人のファザコン病を治す自信があります。そうですね、二年ほどいただければ、僕がいなければ生きていけない従順で敏感な肉奴隷に調教してさしあげられます」
「誰かー! こいつが小学生だなんて嘘だって言って!」
 一体どういう環境で育てば、『従順で敏感』とか『肉奴隷』とか言い出す小学生が生まれるんだ。お前の両親と荒垣さんは今頃泣いてるぞ。
 エージは耳を塞がれて仲間外れにされたことが気に食わないらしく、口を尖らせて「なんなんだよもう」とか言っている。そう、こういう純粋で純真で愛くるしいのが真の小学生ってもんだ。なんかこいつ十七でオレとタメだったような気もするが、そういうのは重要じゃない。
 エージはまだまだホントにガキんちょなのだ。高校二年のオレとタメの男になるまでの『間』ってもんがない。
 こないだ高一の頃の教科書を引っ張り出してきて見せてやったら、「さっぱりわからない……」とか途方に暮れていた。まさかと思って天田に初等部の教科書を借りてきたら、「全然ダメだ」と困り果てていた。あの天才が、小学五年生の問題を解けなかった。
 エージは色々すっ飛ばしてここまで来ちまったんだってのを、そん時オレはすげー理解しちまったのだった。
 どうやらあいつは小学二年生から飛び級で高二になっちまって、こっち来て頭に詰めた授業や教科書の中身なんてものは完璧だが、その他はてんでダメだった。極端なのだ。
 だから天田の言うことも、なんとなく『ああそれいいかも』って思えちまう。このままエージがガキんちょのままで、もう一回人生をやり直せたらどんなにいいだろう。
 辛いことも怖いこともねー、楽しくて大事にされまくる十年を過ごすのだ。
 そしたら間違ってもあんな可愛げのない、ロボットよりロボっぽいフリーダムな魔王は出来上がらねーはずだ。
「えーちゃん、もしかしたらよ、そのまんまガキんちょでいたら、その……来年元気に進級できんじゃねーの?」
 ふっと思い付いた。そうだ、十八までしか生きられねーってんなら、こうやってちまっこくなっちまってたら、少なくともあと十年は生きられるんじゃねーのか。それまでになんとか桐条先輩んちで、エージが生き延びられる方法を研究してもらえればいい。
 だけど、エージは首を振る。「たぶんダメ」という。ちっちゃいガキが素でそんなこと言うな。
「俺が今ここにいられるの、綾時のおかげなんだ。ほんとは、十歳まで生きれたらいいほうだって、幾月さんが言ってた。小さい時はいっぱい薬飲んで、手術して、そうしないと生きられなかったけど、綾時がなかに入ってきてから、俺すごく元気になったんだ。薬も飲まなくて良くなったし、どんな怪我しても一晩寝たら治ったし。去年の十一月までは、俺何されても死ななかったんだ。でも綾時、出てっちゃったから、たぶん無理。ごめん」
「お、おお……いや、悪ィ」
「ううん」
 エージがプルプル首を振る。なんか変なこと言っちまって、物凄く具合が悪くなってたトコに、天田が膝の上のエージをぎゅーっと抱きしめて、「いい匂いがします」と言った。……いやお前ソレヤベエから。
「リーダー、シャンプーって、お風呂場にあるやつ使ってますよね?」
「ああ、うん。備品のやつだろ」
「あれ、僕が選んだんですよね。真田さんの買い出しについて行ったんです。うちで昔から使ってるやつで」
「へえ」
「つまりですね、リーダー。……母さんの匂いがします」
 天田がそう言いながら、エージの髪に鼻を擦り付けて、うっとり目を閉じた。いつもならもしかしたら可愛げがあるのかもしれんが、その様子は、小学校低学年のちみっこに手を出す危ない高校生のお兄さんそのものだった。
「ちょ、やめろって! やめなさい! 天田お前ヤベェよ! すげーヤベェよ!! 犯罪者だよ!」
「止めないで下さい! なんですかっ、なんでそんなこと、絶対間違ってる! なんで僕の周りの人はいつもいつもみんな、もうたくさんですよ! 僕は母さんが遺したエプロンを着けたリーダーに毎日コーンポタージュスープを作ってもらうんです!」
「落ち付け天田! そこは普通味噌汁だ! ――じゃなくて、」
「なんだ、コーンポタージュスープ好きなのか。そのくらい作ってやるぞ」
「えーちゃんはね、いい子だからちょっと黙ってなさい」
 天田は錯乱するし、エージは天然だしで、オレはさすがにツッコミ疲れてきた。こういう時にゆかりッチがいればいいのにと思うが、出てったのかまだ起きてねえのかは知らねえが、今ラウンジにはいない。心底残念だ。




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