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ちょっとだけずれた日々(1) 十二月七日月曜日、朝、いつもと同じように登校すると、枯れた並木道の先に見慣れた姿を見つけた。猫背気味で、鞄を脇に抱え、ポケットに手を入れて歩いている。 僕は手を上げて「おおーい!」と彼を呼んだ。あの子は『あ』って顔をして振り返り、小さく一度頷いた。 「おはよう」 駆け足で彼の隣に並んで、「おはよう、栄ちゃん!」と笑って挨拶をした。 栄時はちょっと顔を顰めて、「栄ちゃんはないだろ……」って呆れたようだった。でも怒りはしなかったから、僕も訂正はしなかったし、なにしろ朝一番から彼に会えて、僕はとってもご機嫌だったのだ。今日はきっといい日に違いない。 良い天気だし、今日も月光館学園高等部はかわいい女の子がいっぱいだし、ちょっと寒いのくらいこの際目を瞑っちゃう。 「リョージくん、君の心のお友達順平くんにはご挨拶はないのかい……?」 栄時の隣にいた順平くんに、僕はその時やっと気付いた。この二人が一緒に登校してるなんて珍しいなと思いながら、「あ、いたの順平くん。おはよう。今日も良い天気だね」と、順平くんにもおはようを言う。 なんでか順平くんはすごく気に入らないみたいで、大げさに頭を抱えて嘆いた。 「この待遇! オレっちはエージについてくるオマケかっての!」 「俺のオマケなら、多分もっと良いのがついてくると思う。お前なんて俺の消費税以下の存在だ」 「うん、違いないよね」 「リョ―ジ! オレは悲しいぞ! オマエはいつからこのアルダナ魔王様を全肯定するイエスマンになっちゃったの!」 「俺を肯定するというよりも、多分お前に突っ込むべきところが多過ぎるんだと思うな」 僕と、栄時と、順平くんで、三人並んで校門をくぐっていく。 「そう言えば、もうすぐ試験だな。お前はここ来て初めてなんだよな、試験」 「うん。試験かぁ、なんか緊張しちゃうなあ」 「なぁエージ、おせーて、テスト出そうなとこ」 「お前、試験前になるとすごく下手に出るとこうざいぞ順平。いつものことだけど」 「あ、僕も教えて欲しいなぁ〜。頭の良い栄時に勉強教えてもらっちゃったら、きっとすごくいい線を狙えると思うんだけどなあ」 「……まあいいけど、なんか奢れよ。たこやきとか」 「たこやき! オレっちん時はわかつと小豆洗いのデザートセットだったくせに、お前は絶対リョージにだけ甘い!」 「綾時はな……何と言うか、お前と違って邪険にできないんだよな。そういうキャラなんだ。お前はダメだ」 「あ、ひっで!」 順平くんは大げさに栄時に食い付いた後、「そう言えばさ」と、ふと不思議そうな顔になった。 「お前ら、いつから下の名前で呼び合うくらい親密になっちゃったの? つい最近までお行儀良い呼び方だったじゃんよ。……むっ、これはなんか進展ありましたか? リョージ君?」 「あはは、何のこと?」 僕は笑いながら順平くんのお腹を軽く小突いた。彼は「ぐえっ」と潰れたカエルみたいなうめき声を上げて、「すみません、もう言いません」と神妙な面持ちになって、ぼそぼそ言った。 「別に、普通だろ。栄ちゃんは止めろって感じだけど」 「いいじゃない、可愛くて。栄ちゃん、うん、似合ってると思うけど」 「僕にあだ名なんか……」 「はぁ〜? ボクゥ〜?」 「……俺にあだ名なんか付けるの、お前と順平くらいのもんだよ。まあこいつみたいに『暗黒ヘッドホン』とか『妖怪軍曹』とか、悪意に満ちた名付け方されるよりは随分ましだけど」 「……順平くん、君そんなひどいことしてたの? 僕の栄時に? 後で体育館裏にご招待だね、これは」 「僕の!? 今僕のって言いましたかリョージくん!?」 「いいな、それ。俺も混ぜろ綾時」 「お前もリョージの問題発言にツッコミナシ!?」 玄関で上履きに履き替えて、購買部でいちご牛乳を買う。 これ、僕の朝の日課なのだ。甘くて美味しいから、僕はいちご牛乳が大好き。 栄時と順平くんが「お前は本当にそれ好きだな」って笑うから、ここへ来るまでこんな美味しいもの飲んだことがないよって言うと、二人は「大げさだな、お前はいつもそうだな」って笑った。 「オレっちオレンジジュース!」 「俺コーヒー牛乳。……あ、いや」 栄時が口篭もって、「やっぱり俺もいちご牛乳」と言い直した。 「あ、僕とおそろい?」 「うん。そこまで美味そうに飲まれると、俺も飲みたくなってきた。あと順平をハミにしてやりたい」 「あ、ひっで! オレっちもやっぱいちご牛乳で!」 結局、三人でいちご牛乳。ストローをパックに挿して、ちょっと行儀が悪いけど口に咥えて、ゆっくり階段を上り、お馴染み二年F組の教室へ、辿り付く。 僕ももうここへ来てそろそろ一月になる。『もう』な気もするし、『まだ』な気もする。でも、僕は随分とこの新しい学校に馴染んでいた。毎日楽しい。クラスメイトが大好きだし、女の子たちもみんな好き。トモダチがたくさんできた。 そして、内緒だけど、大事なひとも。 僕は栄時をちらっと見て、それから「あっ」と思った。あんまり露骨にあの子を見つめていると、またいつもみたいにダメ出しされちゃう。 ――と思ってたら、いつもはすごく早く学校に来ているアイギスさんの姿が見えない。 「……あれ?」 今日はお休みかな、風邪かな、寒いし、って考えてたら、栄時が僕の顔を見て悟ったんだろう、「アイギス、事故った。しばらく入院中」と教えてくれた。 僕はびっくりして、「えっ!?」と訊き返した。 「だ、大丈夫なの!?」 「いや、大丈夫じゃないから入院中。ちょっとひどいことになってたけど、命に別状は……多分、ないって」 「た、大変だ……傷なんて残ったら大変だね、女の子なのに。代われるものなら僕が代わってあげたいよ……」 「それ、彼女が戻ってきたら言っとくよ。ちょっとは好感度上がるかも」 栄時が苦笑して、「二人早く仲良くなれたらいいな」と言った。僕も「うん」と頷いた。 転校生同士、三人で仲良くなれたら、ほんとに素敵なことだと思う。 アイギスさんがいないから、僕はとりあえず、栄時と一緒にいられるみたい。 でも僕をダメだって言う彼女には、抜駆けしているみたいでとても申し訳ないと思う。 順平くんには「リョージくん、鬼のいぬ間に……ええっと……なんだっけ、うん、アレだね」と言われた。確かにアレなんだけど(僕も上手く思い出せなかった。でも確か、ソレは日本に来る前に、本で読んだことがあるのだ。鬼のいない間になんとか)、ちょっと居心地が悪い。 栄時は僕の考えていることをすぐに読んでしまったようだった。「気にするなよ、お前のせいじゃないんだから」って言ってくれた。やっぱり彼にはかなわない。 「うん、じゃあ、そば寄ってもいいかな……?」 恐る恐る聞くと、栄時はすぐに頷いてくれたから、僕はお言葉に甘えて、遠慮なく栄時の肩に腕を回して、肩を組んだ。こうやって学校の中で彼にちゃんと触るのって、もしかするとすごく珍しいことかもしれない。教室の中でなんて、初めてかも。 「ちょっ……何やってんの、そこ……」 「あ、ゆかりさん。今日は一段と可愛いね。君はとってもピンクが似合うね。素敵だよ」 「いや、なんていうかそこ、ちょっと空気あやしいんだけど……キミも嫌ならそう言いなよ、どうでもいいとかじゃなくってさ」 「何が」 「だから、肩組んだり」 「いつも順平もこのくらいくっついてる」 「うん、そうなんだけど。なんかキミと綾時くんがやってると、空気が薔薇薔薇してて、変にきらめいてて気持ち悪いよ」 「そ、そんなことないと思うけど……仲良いの、すごくいいことだと思うな……」 鈴の音色みたいな、可憐な声が聞こえたと思ったら、隣のクラスの風花さんだ。現国の教科書を胸に抱いている。 「順平くん、はい。今日E組の現国は五時間目だから、お昼休みで大丈夫だよ」 「サンキュー風花! いやぁー、持つべきものは隣のクラスの女神ッスね!」 どうやら現国の教科書を忘れた順平くんのために、うちのクラスまで来てくれてるみたいだ。教科書を貸してもらう側にも関わらず、相手に教室まで持ってこさせる順平くんの神経は信じられないけど(しかも女性に!)、ともかく僕は彼女の優しさにすごく感心してしまった。 「君はとても優しい女性なんだね。感激するよ」 「えっあ、ううん、そんなこと……」 「綾時、山岸にそういうのは止めろ。彼女はそういうのたぶん苦手」 「うん? それにしても君うらやましいよ! こんなに優しくて可愛い風花さんに、美人のゆかりさんに、あのアイギスさん、しかも生徒会長の美鶴さんまで! ああ、僕毎晩君の部屋に招待してもらっちゃおうかなぁ。上の階に綺麗な女性がたくさんいるって考えただけで幸せ」 「別に来るのは良いけど、門限守れよ」 「えー、お泊りしたい」 「うちの寮、寮則厳しいからダメだ。それじゃなくても、お前は絶対ろくでもないことをやらかすに決まってる。女子の部屋に忍び込む気だろ。読めてる」 「あのー、リョージくん、オレっちも巌戸台分寮生なんですけど? なんでオレのことは羨ましいって言わないの」 「順平くんはね、『もしかして』って期待とかがないんだよね。『ドッキリ』もなさそう」 「ひでえ! ちょっと自分がもてるからってひでえ!」 「あ、ねえねえ、君ら結構長い間あの寮で過ごしてるんでしょ? 定番の『お風呂でドッキリ』とかは、」 「ないから。あ、いや、先輩がこないだやらかしてたか」 「え! ほんとに!? さすがだね、真田先輩――」 「いや、桐条先輩が。なあ、俺ら入ってる時にいきなり入ってきて。順平が悪のりしてキャーキャー言うから、あの人大分凹んで、その日部屋引き篭もって出てこなかった」 「それは……ご愁傷様?」 「たぶん」 栄時が頷く。僕はあの美人の美鶴さんが部屋に引き篭もっちゃうところが想像できなくて、でもおかしくて、笑ってしまった。美鶴さんには申し訳ない話だけど。 「ちょ……先輩そんなことあったの? 可哀想に、あの人あんまり汚いものを見慣れてないんだから、そーいうトコロで悪のりすんのやめなさいよ順平」 「汚いもの!? 男の身体って汚いもの!? ひっで! 男女差別だ!」 「うん、確かに美しいものではないよね」 「お前、何気に失礼だな、綾時」 「あ、君の身体は汚くないから、栄時。綺麗」 僕が慌てて「きれいだよ」と言い直した途端、どうしてか、空気が変な固まりかたをした。ゆかりさんは口の端を曲げて、僕を奇妙な生き物を見るみたいな目で見ている。どうしたのかな。 風花さんは愛想笑いみたいな変な笑い方をしている。順平くんは「しいらない」って目を逸らしている。 栄時は、もうしょうがないなって顔つきで、「いや、そういうフォローが欲しかったんじゃないんだけど」と言った。 「うん? どうしたんだい、みんな」 「あんたちょ……彼狙いとか、やめてよ? ただでさえ女子に手が早いとかすごい噂になってるのに、男にまで触手を広げたら、なんかもう救いようないから」 「触手?」 「綾時、いい。あまり深く考えるな。岳羽、変な冗談はやめてやれ」 「いやあんた、冗談じゃなかったらどうすんのよ。て、風花もなに笑ってんのよ。今の会話のドコに笑えるポイントが?」 「あ、え、う、ううん。ちょっとね、なんでもないの、うん。仲良い友達がいるのって良いなって思って」 「ふうん……」 ゆかりさんが「そんなもんかな」と首を傾げる。そして栄時に「気をつけなよ」と忠告して、席に戻っていく。風花さんもE組へ戻っていく。もうすぐチャイムが鳴る。 「次現国なんだっけ」 僕が栄時の首に腕を回して聞くと、「こころ、夏目漱石」と返ってきた。僕は頷き、名残惜しいけど「じゃあね」と栄時を離れて、自分の席へ戻った。 「今まさに望月×黒田ルート進行中だよね」 「今日は朝からすごいもの見れちゃったね。美形ふたりの絡みっていいわー。目が潤う」 「ね、あの二人ってどこまで行ってると思う? 私的には……」 「えーっ、私カリスマのお相手は真田先輩派なんだけどぉー」 「カリスマ受って新しいジャンルじゃない? いいよね」 鳥海先生が気だるそうに教室に入ってきて、「はいもう静かにしてよ」とざわざわ雑談している生徒を叱責し、「なんか面白そうな話聞こえたから、あとで先生にも教えてよね」と言い置いて、教科書を捲り、授業を始める。 今日もいつもどおりだ。いい天気、楽しい学校、大好きな友達。 ただ、ここ何日かの間ずっと、何か忘れているんじゃなかったかなって気分が続いている。 でも特に思い出さなくても困ってるって訳じゃないから、別に良いのかなと思い直して、僕は授業に耳を傾けた。 栄時は早速机に伏せって爆睡してるけど、僕はあの子みたいな天才じゃないから、きちんと授業は聞いてなきゃなんないのだ。 |