ょっとだけずれた日々(2)




 カウンター横のカレンダーは、十一月で時間を止めていた。僕はそう几帳面な方ではなかったけど、みんなが集まってくるラウンジに、いつまでも『十一月』の文字が偉そうな顔をしてふんぞりかえっているのもなんだか締まらないなという感じだったから、紙面を破り捨ててゴミ箱に捨ててやった。
 今年もあと一月で終わる。みんなは「もう一年終わりか」「あっという間だったね」って言っているけど、正直なところ僕にはたくさんのことがありすぎて、まあ短いようでとても長い一年だったと思う。有意義だったかどうかは別として。
 僕ら特別課外活動部のメンバーは、例外なくだらけていた。解散するしないのどっちつかずのところにいる。
 今やってることって言えば、たまに街を巡回して、悪さをしているシャドウを見つけたらひっぱたいてやるくらい。
 誰もタルタロスに登ろうとは言い出さないし、僕も言わない。もう意味はなかった。
 行けるところまでは行ったのだ。でもなんにも無かった。ほんとに、なんにも無かったのだ。
 ただ広いフロアがあって、それだけ。巨大なシャドウが『よく来たな』ってふうにどっかり座ってることもなかったし、シャドウの生成装置があったりするわけでもなかった。
 吹き抜けで、大きな月が良く見えた。まあ月見でもするんならいい場所なんだろうけど、あいにく影時間の気持ち悪い月を眺めて喜ぶ感性ってもんが、僕には備わっていない。
 カレンダーには、十二月二日水曜日、満月の日に印が付けられている。でももう今日は七日になる。
 僕らは何事もなくあの満月をやり過ごし、今日を迎えている。大型シャドウは出てこなかった。
 先月幾月さんに散々怖がらされていた皆は、「何にも起こる訳ないって」とか言いながら、結構不安そうな顔をしていたものだ。
 でもなんにもなかった。おめでとう。僕はそのことがすごく喜ばしいと思う。平穏無事に満月の夜を過ごしたのはいつぶりだったろうか。僕は基本的にことなかれ主義なのだ。トラブルはできるだけ少ない方がいい。
 だから僕らは目的を見失ってしまった。
 さあ次の満月だ、敵が来るぞ敵が来るぞって緊張感がなくなると、寮の雰囲気は大分緩んだものになってしまった。
 真田先輩がそのことを嘆いていたけど、あの人だってちょっと緩んでるってことに、自分では気付かないんだろうか。相変わらずトレーニングはこなしているみたいだけど、最近武器の手入れをあまりしてない。
 僕らは思い思いに好きに日々を過ごしている。ここ数日は全員で顔を合わせることがない。
 影時間は、適性を持った僕らのちょっとした刺激みたいなもんに変わってしまった。
 考えてみたらテスト前に他の生徒よりも一時間多く勉強できるじゃんとか、元々ろくに勉強もしない順平が、「得した」と喚いていた。
 彼の場合は、他の人間より一時間無駄な時間が増えるだけだと思ったが、また突付かれても面倒臭いので、黙っておいた。
「アイギス、大丈夫かな」
 岳羽が、夕食用に買ってきたコンビニサラダにドレッシングを掛けて、プラスチックのフォークで混ぜながら、ぼおっと宙空を見つめて、言った。
 「大丈夫だろ」と、ソファに寝そべって漫画を読んでいた順平が適当に返して、「いい加減な気休め言わないで」と岳羽に睨まれている。
「でも、なんか変じゃない? あの子壊れちゃったのって、確か……」
「十二月二日、だったっけ」
「そう。満月。なんか、気持ち悪いと思わない?」
「なにがよ。ゆかりッチはそーやっていっつもなんでもかんでも疑って掛かる」
「黙れ順平。だって、アイギスが壊されるなんて、並のシャドウが相手じゃそんなことあるはずないじゃない。なんか、変なのよね。なんか忘れてる気がする」
「なんかってなに?」
「わかんないから『なんか』なんだって」
 僕はじゃれている仲間たちをしばらく黙って見ていたが、なんだか変な話になってきたので、「事故だよ」と教えてやった。今更変な不安みたいなものが寮に広まっても面白くない。
「お前らいなかったから知らないだろうけど、事故。シャドウとは関係ない。アイギスは無敵じゃない。彼女は確かに強いし優秀だけど、統率する人間が無能だと怪我もする」
 僕は「俺のせいだよ」と言う。僕のせいなのだ、全部。
 彼女が壊れたのは事故のせいだ。たぶん僕を守ろうとしてくれたのだろう。
 確か、僕を抱いてくれていたのだ。ムーンライトブリッジの上で、身体が動かない僕を抱き締めて、何度も「ごめんなさい」と繰り返していた。「わたしのせいで」って。
「あ……べ、別にキミにあてつけたわけじゃないよ。その、ごめんね」
 岳羽が、「キミは悪くないよ」とフォローしてくれた。
 僕はどうやら随分凹んでいたらしい。普段何を考えているか分からないとか言われる僕が、感情を悟られてしまうくらい。
 僕は良く分からないまま、「うん」と曖昧に頷いた。
 その話題はそこで途切れて、だから僕もどうしてああいう状況に陥ったのかは思い出せないんだってことを、彼らに伝えることはできなかった。まあいいけど。
「そう言や、あれいなくなったよな」
「ん?」
「影人間。ちょっと前まで、どこにでもいたじゃん。寮の裏手とか、駅前とか、いろんなトコにさ。やっぱオレらが最後のシャドウをやっつけちまったからよ、みんなもう元通りです、ってヤツなのかね」
 順平がしたり顔で言う。どうやら話題を変えてくれたらしい。
 また「お前のせいだろ!」と罵られるのを覚悟していたのだが、なんでか気を遣ってくれたみたいだ。気持ち悪いなと僕は思った。彼はこんなふうに、僕にまで親切な男だったっけ。
 ともかく具合の悪い話が途切れるのは、ちょっとありがたかった。でもなんとなく礼を言うのも変だし、負けた気もするしで、結局ありがとうは言わないまま、黙って頷く。
 そう言えば『また「お前のせいだろ!」って』って、『また』ってなんだっけ。
 僕はいつでも、役割を完璧にこなしてきたはずだ。何かへまをやらかしたことがあったろうか。屋久島や修学旅行の露天風呂のことがふっと思い浮かんだが、あれは僕のせいじゃなかったろうと思い直し、考えないことにした。嫌なことを思い出してしまった。
「あ、携帯鳴ってるよ、キミ」
「うん」
 順平に「相変わらずお前の着メロは悪趣味ね……時価ネットがそんな好きか」と呆れられながら(うるさいのだ)、尻のポケットに突っ込んでいた携帯を取り出し、開くと、相手は綾時だった。





「なに」
『やあ、ごはん食べた?』
「まだ」
『準備は?』
「まだ全然」
『よかった。ねえ、一緒に食べない?』
「うん」
『近くまで来てる。これから迎えに行くよ』
「うん、待ってる」





 僕は頷く。そしてボタンを押して通話を終了させ(僕が切らないと、あいつからは絶対に切らないのだ)、携帯をたたみ、またポケットに突っ込む。
 綾時は、僕に用事がある時は、いつも直接電話を掛けてくる。あんまりメールはしない。女子とは沢山遣り取りをしているらしいけど。
「誰から?」
「綾時。一緒にメシ食おうって」
「おおっ、もしかしてリョージくんのオゴリですか?」
「だといいな」
「何食うって?」
「知らない」
「ちょっと……まさか、夜景の綺麗な高級レストランでフレンチとかじゃないよね」
「ああ、さすがに前に勘弁してくれって言っておいた」
「誘われ済みなの!? ちょ、絶対綾時くん、キミのこと狙ってるよ。気をつけなよ、何かあってからじゃ遅いんだから」
「何かって……何が?」
「……言わせないでよ。もういいよ、ともかく気を付けて。順平、しっかりついててよ。絶対彼ら二人きりにしちゃダメだから」
「あれ、ゆかりッチは行かねぇの?」
「はぁ? ちょっと……何て言うかね、綾時くん? は、あんまり……一緒にいると疲れるって言うか」
 どうやら岳羽は、綾時のことがあまり好きではないようだ。嫌いでもないけど苦手、という感じらしい。
 なんとなく、ああなるほど、と思う。彼女と綾時のノリは、あんまり合いそうには見えなかった。
 どうやら初対面ですごく失礼なことを言われたらしいって、ちょっと聞いたことはあった。何を言われたのかは知らないけど、まあ想像はつく。岳羽は第一印象では、とっつきにくさもない、普通に可愛い女の子だったから(中身はちょっと、たまにキツめだけど)、どうせ白河通りにでも行かないかとか誘われたんだろう。
 あの男は絶対女性の敵だと思う。なんかちやほやされてるけど。
 石段を靴の底が擦る音が聞こえて、玄関の扉が開く。思ったより早いなと僕は考えた。
 多分僕を拾うことを前提で、寮に向かっている最中に連絡してきたんだろう。まあ僕が彼の誘いを断わるなんてことが、あるわけないんだけど。
「栄時!」
 綾時はまっすぐ僕のところへやってきて、「迎えにきたよ」と満面の笑顔で、僕を抱き締め、背中をぽんぽんと撫でた。
 僕は「うん」と頷く。「何食うの?」と聞く。
「ちょっ……と、何やってんの、そこ!」
「うん? あ、ゆかりさん! 私服姿もとてもかわいいよ!」
「そうじゃなくて、何いきなり抱き付いてんの? キミも普通に流さないで!」
 確か、今朝も同じような遣り取りがあったような気がするなと、僕は考えていた。
 でも何が変だって言うんだろう。僕は首を傾げた。帰国子女ってもんは、みんなこのくらいスキンシップ過剰なんだって、聞いたことがあるような気がする。多分普通。
「何で怒ってるんだ?」
「何でもいいからほら、ベタベタくっつくなとかさ、何か言ってやりなよ。視覚的にすごく気持ち悪いから」
「別に構わない。綾時なら嫌じゃないし」
 また空気が変な凍り方をした。岳羽はお化けでも見たような顔をしているし、順平はどこか遠いところを見ている。山岸はなんでか半笑いだ。僕になにかおかしいところでもあったんだろうか。
 真田先輩は気にせず牛丼を食べているし、桐条先輩は綾時に「やあ、君か」と挨拶したっきり、また読んでいた本に目線を戻してしまった。先輩たちは綾時をほとんど寮生みたいに、いて当たり前のものみたいに思っているようで、来客用のよそよそしい対応なんかは、今はもうない。
 ただ、天田が暗い目で綾時をじとっと睨んでいる。
 彼は大人びているから、ダメな大人の綾時が気に食わないのかもしれない。テレビの前で丸くなって寝ていたコロマルの頭を撫でて、綾時を指差し、「行け」と合図をした。
 コロマルがのっそりと起き上がり、牙を剥き出しにして唸り声を上げた。そして綾時に向かって、激しく吼え立てる。
 ああまたかと僕は半分呆れながら思った。綾時は、どうやら相変わらず犬に嫌われる運命にあるらしい。「ひゃあ」とか悲鳴を上げて、僕の後ろにぴゅっと隠れてしまった。
「お前、相変わらず犬と相性悪いな……前も神社で追い掛けられてたろ」
「うう、コロマルくんは、僕の何が気に入らないのかな……? ガブリと行くぞ、って顔をしているよ」
「……あん? 何だよリョージ、お前犬が苦手なの?」
「苦手っていうか、僕はできれば仲良くしたいなとは思ってるんだけど、どうあってもトモダチにはなれそうにない様子だよね……前だって栄時が助けてくれなきゃ、お尻に歯型付けられるとこだったんだよ。ひどいよ」
 綾時はそろそろ泣きが入ってきている。これはダメだと僕は思った。震えている。
「天田、変な命令してやるな。コロマルも伏せ、待機。すぐに連れてくから、そう怒るな」
 僕は頭を振り、「ダメだ」とコロマルを叱り付けてやった。くぅん、と情けない声を上げて、コロマルが『だってそいつはダメなんです』って顔で僕を見上げてくる。しょうがない。
 僕は綾時の手を取って、「はいはい、泣くな。大丈夫だから」と慰めてやった。
 みんなは変な顔をしていたけど、「すぐに帰ります」と言い置いて、綾時の腕を引いて寮を出た。
 なんだか子供ができたみたいな気分だった。綾時はまったく手の掛かる男なのだ。僕がいなきゃ、きっと彼はどうにもならないんじゃないかなって気がする。たぶん。





――ん」
 綾時の手が、ゆるやかに僕の脇腹を撫でる。もう片方は、僕の背中に。
 どうしてか、僕は綾時に背中を撫でられていると、とても安心する。いや、背中を撫でるっていうよりも、抱き締められてると、だろうか。ほっとして、身体中の力が抜けてしまうのだ。
 近所のファミリー・レストランで食事を済ませたあと、僕はすごく自然に綾時の家に寄ってくことになった。そもそも友人の家に遊びに来るのなんて彼ん家が初めてだったので、二度目とは言え変に緊張する……のが普通なんだろうけど、僕はなんでかまるで自分の家に帰ってきたような安心感を覚えていた。
「お前んち、なんか好き」
「そりゃ良かったよ。僕も君の部屋が好きだよ。実を言うとね、僕あんまり自分の家が好きじゃなかったんだ。何かすごく大事なものが欠けてる気がして、ほら、あるはずのものが足りない、でも何が足りないんだっけ、わかんないなあって考えてる時って、すごく気持ち悪いじゃない。あんな感じ。でも君がいてくれるとそんなことない。今はすごく満たされているよ」
 僕は首を傾げて、少しそのことについて考えてみた。綺麗な部屋だった。でも僕の部屋と違うところは、修学旅行で撮った写真がフレームに入れられて大事そうに飾られていたり、まだ手垢もついていない新品のアルバムが、テーブルの上にそっと大事そうに置かれていたり、その隣に多分今日の昼間に女子からもらったんだろう、手編みの手袋とセーターが、ラッピングと一緒に丁寧に畳まれていたりした。
 綾時の部屋には、この月光館学園に転入してきてから約一月の間にできた思い出ってものが、とても大事そうに仕舞い込まれていた。
 このまま月日が過ぎていったら、きっとじきにこの部屋は子供の玩具箱みたいになってしまうだろう。僕は、そういうのがちょっと憧れだったのだ。羨ましいと思う。大事なものがごちゃごちゃに詰められた部屋ってものが。
 でもそうやって沢山の物に囲まれていても、綾時は足りないと感じているらしい。
 僕は、ああそうかと思った。いくら思い出に囲まれていたって、そいつらは話し掛けてもなんにも返してくれやしないのだ。「ただいま」に「おかえり」さえ返してくれない。
「お前、きっと寂しかったんだよ」
「……うん」
「これまでずうっと家族と一緒にいたんだろう。一人暮しって、はじめのうちはすごく大変なものだと思うし。お前、なんていうか、ほっとくと一人で生きていけなさそうに見える」
「そんな頼りないかな? うーん、そうだね。ちょっとでも君と一緒にいられるにはどうすればいいのかなって、僕そればっかり考えてるんだ最近」
「うん」
「でも君は寮の門限までには戻らなきゃいけない。困ったなあ。僕ら、いっそのこと家族なら良かったのに。そしたら一緒にいられるのにな」
「家族はこんなことしない」
「ううん、僕君ならそんなの気にしないよ」
 綾時がにっこり笑う。僕は、溜息を吐く。
 『こんなこと』ってのは、なんというか、ベッドの上で裸で身体に触ったり、キスしたり、セックスしたりするってことだ。僕も綾時も男だけど、なんでか妙に馴染んでいる。
 ほんとになんでかわからないけど、すごく気持ち良くなってしまった。ここまで違和感や嫌悪感ってものがないと、なんで男同士で寝るのがおかしいとかこの間までの僕は思ってたんだろうって、馬鹿馬鹿しくなってくるくらいだ。なんか、普通。
 僕の初体験ってのは、全然仰々しいものじゃなかった。それなりの盛り上がりも、良いムードもなし。ただ、風邪引いて寝込んでる綾時の見舞いに来てやった時に、「帰らないで、そばにいて」と泣き付かれ、「身体に触らせて」と泣き落とされたのだ。
 『あれが欲しい!』と玩具屋の店先で駄々をこねて動かない子供に「しょうがないな」って玩具を買ってやったのと同じくらいのノリだったと思う。我ながら良く分からない。
 それでも、僕は後悔はしていない。綾時のことは好きだし、どうでもよくない。
 好きでもない女子と一緒に寝るよりは、ちょっと様々な問題はあるけど大事にしてやりたい男とベッドに入るほうが、まだ健全かもしれないって、僕は思う。思うことにした。自分を宥めているだけなのかもしれないけど、まあそんなで僕は了承しているのだ。
 でも綾時の方は、色々グダグダなまま僕を抱いたことに罪悪感を感じているらしい。
 確かに紳士だってことが誇り(本人談)らしい彼からしてみたら、泣きながら相手に抱き付いて「やらせてください」ってのは、いささか面白くないことだろう。スマートじゃない、とか考えているかもしれない。
 格好つけたい綾時の気持ちは分かるんだけど、どのみち僕が知ってる彼は結構いつもグダグダのダメな奴なんだから、どっちにしたってもうどうでもいいことだと思うのだ。
 でもそう言ったらすごく凹まれた。
「……僕ね、いつかきっと君に「綾時は格好良いね、僕のヒーローだ」って言ってもらえるように頑張るよ……」
「でも格好良いお前ってのが想像つかないんだよな。今のままでいいと思うけど」
「良くないよ。大事な人には、ちゃんと男らしいとか、すごいなとか、頼りがいがあるとか……あ、君だこれ……すごくて頼りがいがある漢……」
 綾時があんまり本気で凹んでいるものだから、僕は笑ってしまった。何も無理しなくたっていいのに。僕は彼のことがちゃんと好きだと思っているし、まあ九割ダメだけど、彼にも格好良いところってのはあるのだ、多分。
 初対面ではみんながびくついてしまって、一声掛けるのも躊躇ってしまうような桐条先輩を、会っていきなり食事に誘うところなんかは、男としてすごいなと思う。真似できない。したくはないけど。
 「笑わないでよ」と綾時が子供みたいに頬を膨らませて怒っている。まるで昔××で見た、実験用のハ××ネズミみたいだ。
 あそこには綾時みたいに良く笑う子供なんていなくて、みんなずうっとピリピリしていた。ひどいストレスを抱えていた。僕もだ。僕はずうっと笑えなかったのに、なんで今、僕は、急に今になってこんなに普通に、
「あっ、またひどいこと考えてるでしょ、今……」
 綾時が僕の胸をするっと撫でた。そのせいで、「ひゃ」と変な悲鳴を上げてしまった。
 口を押さえて「考えてないって」と弁解しても、綾時は信じてくれないようだった。「君はひどい、いじめっ子だ」とか言って、ひとりでふてくされている。
 本当に小さい子供みたいで、僕はまたおかしくなってしまって、綾時の頭を抱いて、「拗ねるな」と宥めてやった。
 僕が胸に抱いてやると、綾時はすごく安心するようだった。硬い胸板で申し訳ないけど、まあ気持ち良さそうにしてくれているので、良かった。
「ああ、きもちい……僕、生まれ変わったら君の子供になりたいなあ。ずーっとこうしてるんだ。そんで君のことお母さんって呼ぶ」
「お母さんなのかよ」
「君のね、お腹の中でひとつになるんだ。きっと、すごくすごくきもちいんだろなあ……」
 綾時があんまりしみじみ言うものだから、僕は「うん」と頷いてしまった。でも考えてみると、まあ悪くないかなという気がしてきた。
 それは、すごく簡単にイメージすることができた。僕のなかに綾時がいる。いつもいっしょ。離れ離れになんかならない。おんなじ心臓の音を聞き、おんなじ血と肉を共有している。
「ねえ、僕ほんとにほんとに君のこと好きなんだよ」
「うん」
「こんなことしかできないけど、僕今君に触ってて、ほんとに幸せなんだよ」
「うん」
「明日も学校に行ったら会える。来年も同じクラスになれなきゃいやだ。卒業したら、僕らふたりで一緒に住んで、ずーっと一緒にいられるんだって考えたら、泣けてきちゃうんだ、嬉しくって」
「うん。お前は大げさ過ぎる」
「……ねえ、こんな、君の重荷ではないかな?」
「馬鹿。嫌ならこんなことさせるかよ。男に身体触られるなんか、普通はぞっとするもんだったんだ。でもなんか、お前は嫌じゃないから」
「うん」
「なんでかわかんないけど、安心するのかな。お前のことは、その、どうでもよくないと思う。多分、学校でいじめられたりしたら、ちゃんと守ってやるし。好きな子取られた男子とか、思い余った女子とかが包丁持って追っ掛けてきた時とか、ちゃんと助けてやる」
「うん……なんかそれ怖い……」
「自業自得だと思え。僕はお前とは、みんなみたいに離れ離れになりたくないと思う。こういうの、好きって言うのかな。良くわからないけど、多分そう」
 綾時の頭を撫でていると、僕はすごく不思議な気分になってくる。『なんか変なの』という気分だ。何が変なのかは分からないけど、なんかズレてるな、という気分になる。
 でもダメ綾時が僕の頭をこうやって「いい子だね」ってふうに撫でることなんてまずないんだから、こんなもんなんだろう。
 ベッドの上で服脱いで、だらだら触り合ってたら、僕の鞄の中の携帯が震え出した。
 下には降りないまま、身体を乗り出して、鞄の中から携帯を引っ張り出すと、相手はどうやら順平のようだった。液晶パネルに『馬鹿一位』と、登録した名前が表示されている。
「……なに。今忙しいんだけど」
『オメーオレからの電話だと毎回そのご挨拶だなこの野郎。今どこだ?』
「学校の近く」
『メシ食ったらさっさと帰って来いよオイ。ゆかりッチなんかピリピリしちゃっててさー、あ、すんません余計なこと言いませんボディブローは勘弁して下さい』
 どうやら隣に岳羽がいるらしい。
『オマエ今何時だと思ってんの? もうじきアレだろ、早く――あああ、』
 焦ったみたいな順平の声が聞こえる。もうそんな時間だっけ?
 目を上げる、時計を見る。時刻は八時ちょうどを示している。でもさっき見た時も八時ジャストだった。あの時計は止まっているのか。
 携帯を見ると、パネルには『11:59』と表示されていた。僕は舌打ちして、まずいなと考えた。もうすぐ影時間に入る。
 ただでさえ前の満月の日に、僕を除く部員全員が寮で待機していたっていうのに、僕はと言えば綾時とベッドの中にいて、多分前後不覚で意識を飛ばしていたか眠っていたかしていたんだろう、影時間の記憶がない。
 一人だけエロいことしてサボっていたせいで、すごく居心地が悪いのだ。とりあえず先輩がたにまで突付かれる前に早く戻ったほうが良いんだろうなとげんなり考えたところで、日付が変わった。
 そしてそのまま何事もなく過ぎていく。一分、二分――時が進んでいく。
「……は?」
 僕はぽかんとした。影時間を過ごさないうちに、今日が――いやもう昨日だ――終わってしまった。
「……ない?」
「なにがないの?」
 綾時が首を傾げて、不思議そうに僕を見つめている。僕も不思議で、首を捻ってしまった。
 影時間がなくなった、みたい、なんだけど。





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