民家の屋根を伝って跳ぶ。向かいのアパートの上にも、おんなじように気だるそうな顔つきで駆ける姿が見える。でもひとりきりだ。訝しく思って、僕は彼女に通信を入れた。
『あいつらは?』
『タカヤは魚にアタって寝込んでる。ジンはその看病』
『なにそのダメなの』
『お前と二人で仕事なんて最悪』
『それはこっちの台詞。まあいい、引き続きサーチ頼む。僕が行く』
 僕らはそこで標的を見付けて、屋根の上から飛び降りる。直立した棺桶の群れの中に佇む人間を見付け、襲い掛かっていく。そして復讐代行を無事果たす。





 「お前寄るな」とチドリが言う。もう肉声だ。彼女は、返り血を浴びた僕がすごく気に入らないらしく、「つけないでよ」と言う。
 確かに彼女の白いドレスに血なんか飛んじゃったらすごく面倒臭いことになると思うが、それで汚いものみたいに扱われるのが気に食わない。
 「うるさいな」と僕は言う。言いながら、ペルソナを呼ぶ。死体を塵になるまで焼き尽くす。
 影時間の記憶はいろんなものに置き換えられるけど、こういうのが一番便利なのだ。正体不明の発火現象が起きて、いきなり人間が燃え上がり、灰になってしまいましたとかなんとか。
 専門家は『人体のロウソク化現象』とか良く分からない理由を付けてくれるし、事件に現実味がないものだから、オカルト現象だとか都市伝説だとかでいつのまにか片付いてしまう。銃痕や裂傷が見つかって、警察官がピリピリすることもない。
 ただでさえ僕らは、『昼間は何もしてないのに』、警察官に目を付けられているのだ。顔を合わせたら職務質問間違いなし。面倒なことは少ないほうがいい。
 ふと、靴の裏が地面を擦る音がする。僕とチドリが揃って振り向くと、見た顔が佇んでいる。名前は覚えていないが、荒垣さんのトモダチで、素敵にうざったいボクシング部の主将だ、確か。
 一人だった。走り込みだか、パトロールだかをしていたところなんだろう。
 「何をしている」と抑えた声で言う。僕らが黙り込んでいると、「答えろ!」と怒鳴った。
 厄介だなと僕は思った。殺した人間を証拠隠滅のために焼いていましたとか正直に吐いたら、今にも襲い掛かってきそうだった。
 僕は彼に何度か顔を見られているし、昼間の生活に支障が出るなら今の内に焼いておいたほうがいいのかなと考えたが、彼は「お前らは何者だ。見ない顔だが、まさかあのストレガの仲間か」とか言っている。
 僕を覚えていないらしい。僕がそんなに影が薄いのか、それとも彼が忘れっぽ過ぎるのかは知らないが、なにしろ良かった。手駒をひとつ壊して、幾月さんに嫌味を言われずに済みそうだ。
「……あの『ストレガ』って言った」
「あいつらが遊んでやったんじゃないか。どうでもいい、帰るぞ。用事は終わった」
「俺の用事は済んでいないぞ!」
 また素晴らしくうざい。彼は躊躇いを見せず、ペルソナを呼んだ。珍妙な姿のペルソナが顕在化する。筋肉質のくせに頭がほとんどないっていう、滑稽なバランスだ。ここは笑うところなんだろうかと僕は訝った。
「悪いが貴様らふたりとも、女だからと容赦してやるつもりはない!」
「……は?」
 さあっと頭の中が冷えた気がした。その男に、冗談を言っている気配はなかった。チドリがすっと僕を見る。
「女、だって」
 確かに明かりのない影時間の暗がりは、目が悪い人間には辛いかもしれない。僕は精一杯の親切を見せて、そいつに教えてやった。
「……俺は男ですが」
「嘘をつくな! そんな軟弱な男がいるか! さてはオカマだな、貴様も!」
 も、って何だろう。
 チドリが吹き出す。無表情のまま、いや、僕を心底舐めきった顔で笑っている。
「オカマ」
「笑うな!」
 なんで僕がヒョロヒョロだとかオカマだとか言われなきゃならないんだ。ヒョロヒョロはそいつの方だ。もやしだ。植物だ。彼に比べたら、僕なんかすごくマッチョだ。
「行くぞ!」
 そいつが吼える。僕らに襲いかかってくる――







「っはよーッス。久し振りだなオイ」
「おはよう」
 登校中に、珍しく順平に会った。彼はいつもぎりぎりに教室に入ってくるのに。
 今日はそう言えば、ちょっと出るのが遅かった。休み明けで、時間の使い方を忘れてしまっていたのかもしれない。急いだほうが良いだろう。
 順平の隣には、包帯とガーゼと湿布だらけの男がいる。「大丈夫ッスか?」と順平に心配されている。
 昨日の男だ。昨日の今日じゃさすがに僕の顔を見て殴りかかってくるのかと思えば、無反応だ。僕をちらっと見るも、特に関わりなしと判断したようで、何も言わない。
 多分彼はニワトリ並の頭なんだろうなと思った。三歩歩くと全部忘れてしまうのだ。
「大丈夫ですか?」
 他人のことながら、ちょっとそいつのおつむが心配になって聞いてやると、「……ああ」とぶすっとした返事をくれた。どうやら自覚症状はないらしい。
「それマジなんスか? 女の子二人組に、真田さんともあろう人がボッコボコにされた挙句、油性マジックで猫髭と、額に『植物』って書かれたとか何とか」
「おい、それ以上言うな。次は必ずリベンジしてやるさ……あの、白黒コンビめ……! 特に黒い方!」
 真田さんと言うらしい。吼えている。
 昨夜、余計なことを言ったこの男を昏倒するまでボコボコにしてやっていたら、荒垣さんが出てきてドクターストップを掛けられた。僕の言い分を聞くと、「すまねぇ、今度アイスでも奢るからもう勘弁してやってくれ」と謝られた。
 あの人は本当にお母さんだ。出来の悪い息子を持ってすごく可哀想だと思う。
「ま、まあまあ、真田サン落ち付いて。そ、そうだ。そう言やさ、黒田くんよ、お前夏休みの宿題やってきた? 自由研究何したよ。ったく、何だよって感じだよなー。小学生かよってな。十七にもなって自由研究て」
「ああ。俺は牛乳パックでロボット作った。順平は?」
「うむ、オレっちはカワイイ女の子の定義ってやつを、原稿用紙二枚に熱くしたため……は?」
 順平が目を丸くして、僕をじっと見ている。僕は首を傾げた。どうしたんだろう。僕があんまり本格的に宿題をこなしたので、びびってるんだろうか。
「ロ、ロボット?」
「うん。ちゃんと手と足に割り箸も差した」
「…………」
 順平は絶句している。そんなに驚かれるなら、言わなきゃ良かったなと僕は考えた。彼はきっと、『ちくしょう、オレっちも頑張れば良かった! ロボット作れば良かった! あとのまつり!』とかすごく後悔しているんだろう。でも時は待たない。可哀想に。
「ふっ、甘いな。今年の俺のは牛乳瓶と紙粘土製だ。耐久力と攻撃力では俺の方が数段上だ。お前ももっと上を目指せ、転入生」
「自由研究ってそんなのでいいんだ!?」
 順平がすごくびっくりしている。しばらくなにかぶつぶつ言っていたが、「ま、いいか」と頷き、「まあ聞いてくれよ、オレっちにもとうとう春が来たわけー」とニコニコ話し始めた。
「今日から秋」
「例えの話だって。お前はほんと固いな。すっげー可愛い子なのね。美人なのね」
「お前はまたその話か……のろけるならどこかに穴でも掘って叫んでろ」
「いや、真田サン、そう言わないで聞いて下さいよ」
 のろけ、らしい。秋はこういう病気に掛かる人多いのかなと僕は思った。偶然にも、僕の姉がちょっと前から今の順平みたいな調子なのだ。
 そばに寄っても感染しないんだろうか。いつ治るんだろう。







「はい、静かにしてー。突然ですが、今日から転入生が来ました。今年入って二人目ねー」
 一月とちょっとぶりの、気だるげな鳥海先生の声だ。そう言えば、新戦力が来たよー、って幾月さんが言っていた。関係があるのかもしれないし、無いのかもしれない。
 僕としては、自然覚醒のペルソナ使いなんてどうだって良いのだ。関係ない。僕らは僕らで完結しているし、今更外から入ってくる人間を受け入れる気もない。部屋に内側から鍵を掛けて閉じ篭っているって感じなのだ。知ったこっちゃない。





 ――と考えていたのだが、





「アイギスです。みなさん、どうぞよろしくお願いします」





 ちょっと、可愛いじゃないか。って、思った。
 金髪の女の子だ。目の色は透き通ったブルーだ。色が白くて、人の美醜が良く分からない僕でも、綺麗だなって思った。





「うお……外人だぜ。ちょうかわいい……! 人種的なもんがやっぱ違うだけある!」
「か、カレシとかもういんのかな? あわよくば」
「ミステリアスだ……綺麗だ……」





 クラスの男子が、ちょっと無様なくらい騒いでいる。でも、こういう時一番騒ぎそうな順平は、なんだか乾いた笑いを顔に貼り付けて、「あーあ……」とか言っている。珍しい。
「えー、アイギスさんは、対シャドウ用特殊兵装戦車? じゃなくって、えー、十年ぶりに再起動? でもなくって、……なにこれ……」
「せ、先生! アイギスさんはアメリカから来たって本人に聞きました!」
 岳羽が手を上げ、慌てたふうに言う。鳥海先生はどうでも良さそうに、「あ、そう」と頷いた。
「で、席だけど……どうする? 空いてるのはねえ、黒田くんの隣だけど、あの子すこぶる女子の評判悪いから」
「そうですよ、先生。黒田の隣なんかに座らされたら、アイギスさんが可哀想です。きっと執拗に消しゴムを貸してくれって催促されて泣いちゃいますよ」
「そうですよ、挙句「隣の席だから一緒に帰ろう」って、無理矢理一緒に下校したがるに違いありません」
「お前ら、やめてやれよ! 黒田はそんな奴じゃない! そんな女子を「一緒に帰ろう」なんて誘う度胸もない、繊細なチキンハートの持ち主なんだ!」
「そうだそうだ、あいつエロ本見せてもなんも反応しないんだぜ! 「なにこれ。なんで裸なんだ? 服を着ると死ぬのか?」とか素で言っちゃう奴なんだ。きっと不能なんだ。だからそんな恵まれない可哀想な男を、性犯罪者みたいに罵るのはやめてやってくれ!」
 なんだか良く分からないけど、クラス中からひどいことを言われているってのは分かる。もうみんな殺して僕も死にたい。
「『黒田』さんとは、どなたですか」
「ああ、あそこの一角で妖気を放ってる……あの彼ね。どう? 生理的嫌悪とか感じる?」
「黒田――
 彼女、アイギスは、僕を見るなりすごく驚いたような顔つきになった。なんだ、お前も僕を罵るのか。もう好きにしてくれ。人間なんかみんな嫌いだ。
 彼女はいきなり、すごい勢いで僕の前までやってきた。前までやってきた、のに、止まらない。
 そのままの勢いで、腕を伸ばし、僕を子供でも抱くように軽々と持ち上げた。ちょっと待て、なんでか細い女の子の腕でこういうことができるんだ。女子って絶対おかしい。チドリにしたって、岳羽ゆかりにしたって。
「見付けました!」
 アイギスが叫ぶ。僕は、何もやっていない。だから、「誤解だ」と弁解してみた。彼女と会うのは初めてだ。だから、満員電車の痴漢とか、下着泥棒とか、そういうことはやっていない。
 最近僕は身に覚えのないものがいっぱい沸いてくるものだから、すごく疑り深い気分になってしまっているのだ。たとえば見知らぬ、僕の叔父さんを名乗る男とか。あいつは何なんだ。いまだに正体がわからない。
「ちょ、アイちゃん落ち付いて! そいつなんもやってない! 無実だ!」
「アイギス、許可する。やっちゃいなさい。どうせそいつ、朝電車であんたのお尻撫でたりそういうことをしたんでしょ」
 男子は僕を弁護してくれたが、女子は好きなことを言っている。お前ら、僕はフェミニストなんだぞ。本当なんだ。理不尽過ぎる。
 アイギスはじいっと僕の顔を、穴が空くくらいに見つめた後で、「照合完了、完全に一致、やはり間違いありません」と言った。
 そしていきなり、僕を胸に抱き締めた。彼女の身体は、異様なくらい硬かった。順平が、「女の子の身体はフニョフニョでポヨンポヨン」とか言ってたのは、あれは嘘だったのか。だってこれ、男の僕の方が絶対柔らかい。まるで鉄板みたいだ。女子怖い。
「ようやく会えました、私の大事な人。私の一番大切は、あなたのそばで、あなたを一生守ることであります」
 しんと静まりかえった。教室中から音が消えた。
 隣のクラスの江古田の説教臭い声と、ざわざわ生徒がざわめく声が、すごく遠いところから聞こえる。
 ひゅっ、と音がした。僕の隣の順平が、教室中のみんなが、息を吸う音だ。みんな、一様に驚愕の表情で、叫んだ。





「ええええええええええええええええええええええええええ」





 それは僕が叫びたい。何なんだ、この状況。







 「ただいま」と声を掛けて、僕は寮の扉を閉めた。今日は二学期初日だけあって、皆多忙なんだろう。『格好良い管理人さん』を見に来た女生徒の姿は見えない。
 今日もなんだかすごく疲れてしまっていた。「せっかくお前の無実を信じていたのに、裏切り者」って男子に殴りかかられ、例のアイギスがそれを「させません」と迎撃する。
 順平は「絶対お前の頭から変な電波出てるんだ」とか言うし、岳羽は「アイギス、頭修理してもらったほうがいいよ」と失礼なことを言っていた。
「やあ、おかえりトキ君。お前ほんとに真面目に学校行ってんだ。偉いね」
「……どうも」
 僕はそっけなく返事をして、さっさと自分の部屋に戻り、ベッドに倒れ込んだ。そして目を閉じた。最近おかしなことがありすぎる。




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管理人:ゆりんこ 2007年04月29日〜