指で弄っていると、ふとした拍子に輪ゴムが飛んで行った。その男の頭に当たるかと思って冷や冷やしていたら(そいつはただでさえ幸薄そうな顔をしているのだ。ちょっとしたことが原因で首でも吊りそうなイメージがある)、危なげなくひょいっとキャッチ。結構反射神経は良いのかもしれない。
「おっ、ワリ」
 「うん」と頷く。相変わらずボソボソした、炒め過ぎたソボロみたいな、覇気のない返事だった。
 伊織順平は十七になる。高校生だ。昼間は学生、夜は世界を守るために戦っている。
 テレビやマンガみたいな現実味のない話だが、本当のことだ。毎晩人を餌にするシャドウという化け物を、『ペルソナ』という超能力でぶちのめす。ヒーローなのだ。
 でも、昼間はただの学生だ。それも少々不出来な。勉強って一面に関しては、この目の前にいる、毎日が葬式みたいな雰囲気のクラスメイトにはとても敵わない。
 名前は黒田栄時という。一学期のはじめに、この二年F組に転入してきた新入りだ。
 前髪が鬱陶しく、まるで顔が見えない。彼の素顔は、もしかしたら親でも見たことがないんじゃあないだろうか。
 猫背で、背が低く、体格もヒョロヒョロだ。聞くところによると、彼なりにこれじゃダメだと考えたのか、運動部の体験入部に行った際、「お前みたいなもやしは必要なし」とすげなく断わられたらしい。不憫だ。それもいくつか部を回ってのことだと言うから、余計に哀れになってくる。
 妖怪じみた見た目に加えて、転入初日にクラスの人気者の岳羽ゆかりに対して、「貧乳(笑)」と口を滑らせたため(もっとも、大分誇張が入っているが)、女子に目の敵にされている。多分卒業までのあと二年弱、この少年が彼女ってものを作れることはないだろうな、と順平は考えた。
 友人もあまりいないらしい。まったく、順平が構ってやらなければ、いつもひとりきりで席にぽつんと座っているのだ。イヤフィットヘッドホンを耳に掛け、音楽を聞いている。プレイヤーだけが友人という状況だ。不憫だ。
「ななっ、試験結果見たぜ。お前また学年トップだと? すっげーな」
「別に……一番じゃないと、……焼かれる」
「や、焼かれる?」
「痛いのも、怖いのもいやだし……満点取ったら、ちゃんとごはん……食べさせてもらえる」
「…………」
 順平は、不覚にもまた泣きそうになってしまった。自身も恵まれた環境にいるとは言い難かったが、この男よりは随分ましだ。というか、そういうのは黒沢さんに相談した方が良いんだろうか。
 「強く生きろよ」とフォローをしてやると、「うん」と答えが返ってきた。
「そ、そうだよ。オレさ、連休中によ、寮のメンバーで屋久島行ってきたんだよ。土産あんだ」
 『土産』と聞いて、クラスメイトが何人か寄ってきた。お零れに預かろうという魂胆らしい。だが、順平が鞄から「じゃーん」と取り出したものを見ると、すごすごとそれぞれの席に戻って行った。
「瓶に詰めてきました、屋久島ビーチの海の砂ー! サラサラで触り心地良し、みんなのアイドル岳羽ゆかりや生徒会長桐条美鶴先輩、萌えっ子山岸風花の素肌がもしかすっと触れたかもしれないっていうすごい熱血アイテムだ!」
「な、なにー!」
「ただの砂かと思ったら……おい順平、それオレに寄越せ! くれ! 黒田にはもったいない!」
「そうだ、そいつ絶対家に帰って舐めるぞ。そういう顔をしてる。オレも舐めるけど」
 また無茶苦茶言われてんなあ、と黒田を見ると、彼は良くわからなさそうに、「ふうん」とか言っている。感動が薄い。
「ンだよ、燃えねーんかよ」
「ヤクシマの海は、砂で出来ているのか? 月光湾の海とは違うのか」
「おま……全然、違います。海なんか水平線の向こうまで真っ青でよ、この辺の汚い海とは全然違うんだって。砂浜にはヤシの木と綺麗なお姉さん、桟橋には外国人の美少女……ともかく、スンバラシーとこなのだ。テレビとかで見たことね?」
「テレビ……うち貧乏で、テレビ無かった」
「……なんですと?」
「ここに来て寮に入って、一人一台あるじゃん。結構びっくりした。毎週フェザーマン見れる。嬉しい」
「…………」
 微妙に、反応に困ってしまった。クラスの男子たちも一緒だ。捨て猫を見付けたような顔をしている。
「あの……次さ、どっか行く時は、お前も来るか?」
「いや……いいよ。俺はどうやらお前のところの寮生とはあんまり馴染まないみたいだし」
 どうやら自分のことを良く分かっているらしい。まったく謙虚なやつだなと順平は考えた。もう少しこの男は自分のために何か我侭を言った方がいい。
「あのよー、ただの砂で悪いけど、これ、やるわ。今度どっか行こうな」
 黒田は「良いのか?」と首を傾げている。瓶詰めの砂を物珍しそうに見つめている。どうやら嬉しいらしい。あんな安っぽい土産でここまで喜んでもらえると、なんだか申し訳なくなってくる。
「ありがとう。兄弟と、トモダチにも見せてやる。ヤクシマの海は砂だって教えてやる」
「い、いやいや、砂じゃねー。ちゃんと水よ水。ん? お前、トモダチいんの? オレっち以外に?」
「ああ……これくらいの」
 黒田は、自分の胸の辺りをすうっと手で示し、「子供」と言った。
「俺に、「僕らトモダチだよ」って言ってくれる男の子。でもなんか、俺にしか見えないってみんな言う」
「……そ、そうですか……くっ、涙が。きっと、寂しい思いし過ぎたんだな……。あのさ、今度、旅行会社のパンフ貰ってきてやっから。あれ、見るだけならタダだし、結構キレーだしよ」
「パンフ?」
「パンフレット。この……音楽の教科書くらいの大きさでよ、キレーな写真いっぱい載ってんだよ」
「そうなのか。楽しみにしている」
「お、おお」
 黒田が頷く。横でそれを見ていた他の男子が、「あれ?」と怪訝そうな声を上げて、ごしごし目を擦り始めた。
「じゃあ、そろそろ行くから」
「おお、管弦楽部だっけ? 頑張れよ」
「うん」
 黒田が行ってしまってからも、さっきの男子生徒は「あれ? 黒田、え、あれ?」とか変な声を上げている。「どした?」と聞いたら、妙な返事が返ってきた。
「いや、今なんか……黒田のやつが、一瞬ふっと、すげえかわいこちゃんに見えて。俺疲れてんのかな。あいつあんなに妖怪なのに」
「いや、まあ、中身は確かに、エンジェルなのかも……と思った……。あいつ、もしかしたら見た目さえマトモなら、彼女の一人くらいできてたかもなぁ」
「なぁ、可哀想だよな」
 ひどい言われようだが、あの男はこれで結構男子連中の同情票を集めているのだ。







「それですごいらしいぞ。海水とか真っ青で、黄色い魚とか青い魚とかいるんだって」
「それ多分、そいつが変なクスリやってラリっとったんやて。そんなもんおるわけないやろ。おったかて気色悪うて食われへん」
「お前らうるさい。静かにしてよ」
「なあタカヤ、旅行行こうぜ旅行。だってあいつらが行ってんのに僕らが行かないとかすごい不公平じゃん。なあ、行こうぜヤクシマ。ヤクシマに行きたいー」
「それは良いのですがカオナシ、貴方ヤクシマとやらがどこにあるのか知っているのですか?」
「いや、知らないけど、これから調べるから」
「あかんあかん。旅費なんかありまへん。修学旅行の積み立てで精一杯なんや。我侭言わんといて」
「なあ、いいじゃんたまには。僕頑張って復讐代行するから」
「あきまへん言うてるやろ。そんなに海行きたいんやったら、すぐそこにエエとこがあるやないか。気ィ済むまで月光湾で泳いでき」
「僕はヤクシマに行きたいんだよ!」
「いい加減にしろカオナシ。今日お前特にうざい」




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管理人:ゆりんこ 2007年04月29日〜