揺さ振っても起きない。ぐっすり眠ってる。
 僕は仰向けに寝ている彼の上に乗り、「起きようよ」と言う。でも、その子が目を開いてくれる気配はなかった。「うー」って唸って、こんこんと眠り続けている。
「かーっちゃん。あーそーぼ。ね、カッちゃん。カオナシってば」
「うー」
 ダメだ、これは。
 最近色々慣れないことをしているみたいで、すごく疲れているみたい。例えば学校に行ったり、兄弟以外の人間とお話したり、いろいろ。
 いつも部屋の中で寒い寒いって言いながらうずくまっていたカオナシは、ここのところ元気だ。すごく元気だ。
 まず太陽の光を浴びても「暗いところに帰りたい」って言わないし、急に塞ぎ込んで頭を抱えて「怖いよ」も言わない。
 前みたいにめそめそしながら、「ひもじいよ」も言わない。それが良かったのかなって、僕は考えてみた。今僕の目の前で寝てるカオナシはすごく静かだった。お腹がグーグー鳴るとかもないし、寝言で「おなかへった」もない。
 それはすごく良いことだと思う。だってこの子が可哀想なのはいやだもの。
 でもそれとこれとは別物だ。カオナシが二十五も持っているものを、僕はひとつきりしか持ってない。二十五ひく一は、二十四。つまりカオナシは僕よりも、二十四も多く「時間」を持っているってわけ。
 彼はいっぱい持っているんだから、そのうちのひとつくらい僕と一緒に使ってくれたって良いんじゃあないかなってことだ。だって僕らはおんなじものなんだから。
 彼の肩を引っ張ったところで、腕が伸びてきて、僕をベッドに引き込んだ。「わ」と僕は悲鳴を上げる。カオナシったら、相変わらず僕をフロストくん人形か何かだと思ってるんじゃないだろうか。
 でもまあ、彼にぎゅうっと抱き締められるってのはいやじゃない。あったかくて気持ちいいと思う。
 フロストくん人形はいいなあって、僕はちょっとやっかんだ。毎日こうやってカオナシに抱き締めてもらえるなんて、すごくうらやましい。たまに蹴られるのは可哀想だけど。
「それにしても、君はほんとにひとりだけすごく大きくなってくね。ずるいや」
 僕は口を尖らせる。でもカオナシが聞いている気配はなかった。もうぜんぜん。







 僕らが生まれた頃は、僕らの周りには沢山の家族がいたものだった。『お父さん』に『おかあさん』が、『トモダチ』が、『家族』が、そりゃもう両手の指じゃ数え切れないくらいに、いっぱい。
 僕とカオナシは、一緒に生まれた。初めは僕も『ファルロス』なんて名前は覚えてなかったし、カオナシも『カオナシ』なんて名前じゃなかった。僕らには名前も記憶もなくて、まっさらだった。
 僕らふたりは、みんなの中ではちょっと変わっていた。色も黒くなかったし、喋り方もざあざあ言うのとはちょっと違う。
 でもそのことで僕らを咎めるものは、誰もいなかった。みんな僕らにとても良くしてくれた。親切だった。
 カオナシと僕は、目を開けるのも一緒だった。僕らはいつも同じだった。鏡みたいに。ううん、鏡だとあべこべになっちゃうから、鏡よりもずうっとおんなじ。
 




『ねえあそぼ。起きて』
『うん。今日はなにする?』
『今日はなにをしよう?』
『昨日はかくれんぼをしたね』
『じゃあ今日はかけっこをしよう』





 僕らの家はとっても広かった。たくさんの家族が入っていても満員にはならなかったし、どんなに駆けまわっても飽きることは無かった。
 入り組んでいて迷路みたいだったけど、助けを呼べばすぐに家族が僕らを一番大きい『お父さん』と『お母さん』のところまで連れ戻してくれた。
 たぶん、幸せだったんだろう。





 ある日、見たことがない変なものが、僕んちに入ってきた。
 見た目は、どっちかと言うとみんなよりも僕らに似ていた。でも変な格好だった。
 みんながぴりぴりざわざわし始めたから、僕は不安になってカオナシにくっついていた。カオナシはその頃から、僕よりちょっとしっかりしていた。
 僕を抱いて、『怖くないよ。みんなが追い出してくれる。お父さんとお母さんもいるもん』と言ってくれた。背中を撫でてくれた。僕は、それですごくほっとした。





「お父様! お父様は私が……!」





 そこで何が起こったのか、僕は正直なところ知らない。カオナシが両手のひらで僕の目を覆っていたからだ。真っ暗で、なにも見えなかった。
 ただ耳の近くで、あの子の声が聞こえていた。『おとうさん』、『おかあさん!』、『見ちゃダメ』って。
 ようやっとカオナシの手が離れて、僕が見たものは、その変なやつらに捕まってじたばたもがいてるあの子の姿だった。
 あの子は一生懸命そいつらの手に噛みついて逃げようとしてたけど、ぜんぜんダメだった。そいつらはびくともしない。
 僕は慌ててあの子を助けようとした。さわらないでって、僕もあの子の真似をして噛み付こうとした。
 でもできなかった。僕はただ、そいつらの身体をすうっと通り抜けてしまうだけだ。触れない。
 カオナシには触れるのに、僕には触れない。
 僕らは、その時初めて違うものになった。





「こいつ、暴れるな! おとなしくしろ!」





 ひとりが苛々した声で叫んで、長い棒みたいなものでカオナシの頭を思いっきり叩いた。
 僕は、「やめて!」って叫んだ。でも、僕はそれを止めることもできない。かわりに殴られることもできない。
 あの子の首が折れて、ぐるんと曲る。でもすぐに元通り。それを見て、そいつらはわっと驚いた。





「なっ……なんだ、この異様な再生能力は?」





 そんなの、僕にはどうだって良かった。何を言ってるのかなとか、そんなのは全然どうでもいいことだった。





『おとうさん、おかあさん』





 あの子の目から、ぽろぽろ水が零れる。赤い水だ。
 僕は、あの子を抱き締めた。『ごめんね』って謝った。僕らはおんなじものなのに、君ばっかりごめんねって。





『痛いよう』





 『痛い』ってなんなのかなってことは、僕には分からなかった。
 でもその子が『痛い』って言うのは、すごくいやだった。
 その子が『痛い』って言わずに済むなら、僕は何だってするだろうって思った。





『たすけて』





 あの子は泣いてた。
 でも怖い人に捕まって、そして家から連れてかれた。
 僕にはどうすることもできなかった。だって、触れない。だからあの子の手を握って、どこまでもついてくくらいしかできなかった。
 他の家族はみんな怒って追い掛けてきてくれたけど、とうとう僕らが懐かしいあの家に帰れることは、もう無かった。







 あの頃はちゃんと僕は彼で、彼は僕で、僕らは一緒だった。ほんとにおんなじもの。
 でもどんどん変わっていく。あの日から変化が止まらない。
 人に連れてかれて、言葉を教えられて、力の使い方を教えられて、あの子は『カオナシ』って名前のひとりの人間の子供になってしまった。
 人になってからのあの子はどんどん僕と違っていく。背が伸びて、目がぎらぎらしはじめた。何だろう、そこには僕と正反対の性質が、何かがある。
 僕らの周りで変わらないものなんかない。みんな移り変わっていく。もしかすると、この世界ではあの子以外触れるものがないこの僕さえ。
 でも僕が彼を好きだっていうのは、変わらない事実だ。そこには永遠があるだろう。いつまでも一緒。これも永遠。
 もしも、もしかして、いつかこのままあの子が変化を続けて、僕も変化を続けて、僕らが違うものになってしまう日が来たとする。僕らがひとりからふたりへ変わってしまったとする。
 それでも僕はあの子が世界で一番大好きだ。あの子もきっと、僕を一番好きだよって言ってくれる。いつもみたいに。
 僕は大好きな彼を守り、寂しい時はそばにいる。それでいい。
 それ以上のものが欲しい訳じゃない。それ以上に欲しいものなんかない。
 ただ、もっともっと彼が僕のことを好きになってくれたらなって望みに関しては、際限がない。彼もそうだと良いんだけど。
 じいっと寝顔を見つめていると、彼が「ファルロス」って僕を呼ぶ。起きたのかなって思ったら、どうやら寝言みたい。
「すごくでっかいプリン……見付けたんだ。みんなには……内緒……半分こ……」
「楽しい夢を見てるんだね。ほんと君ってば、食べることばっかり」
 僕はつい、ちょっと笑ってしまった。




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管理人:ゆりんこ 2007年04月29日〜