いきなり撃たれた。発砲音がして、放たれた弾丸が正確に僕を狙う。身体を捻る。軽い音を立てて、アイスクリームコーンを貫通する。
 僕はそれを絶望しながら見ていた。まだちょっと舌を付けただけだったアイスクリームが、ダブルが、ラムレーズンとオレンジシャーベットが、べちゃっと無慈悲な音を立てて地面に落っこちた。
 僕は顔を歪めた。叫ぶ。
「ああ! 俺のアイス!」
 僕は、そいつを睨んだ。僕のアイスを台無しにしてくれた犯人を。
 いきなり撃たれたものだから、僕だけ良い目を見ている事をやっかんだ兄弟の仕業かと思ったが、相手は知らない顔だった。
 歳は分からないが、若い男だった。気だるげに片手をポケットに突っ込み、もう片方の手でハンドガンを構えている。銃口はぴったり僕に向いている。正確にだ。
 彼は肩を竦めて、ほっとしたように言った。
「やあ、こんにちは。随分探した。久し振り、俺のこと覚えてる?」
 知るわきゃない。犯人の顔は、僕の記憶のどこにも引っ掛からなかった。多分誰かと人違いをしているんだろう。
 そんなでアイスを台無しにされた僕の虚脱感は、どうすればいいんだ。この怒りは人一人殺したくらいじゃ収まりきらない。
「ちょ、どうしてくれるんだよ! こんな、こんななっちゃったら三秒ルールどころじゃないじゃん! ……荒垣さん、どう思います? ここは勇気を見せるべきですか?」
「這いつくばって落ちたアイスを舐めようとするのは止せ。いくらストレガでも、人間として譲れない一線は大事にしろ」
 あんまり悔しくて、泣きそうになってきた。僕にはこの世で特に嫌いなものが三つある。
 偽善者。それからカマキリ。最後に食べ物を粗末にする奴だ。
 そいつは僕に恨みを込めて睨まれても平然とした顔で、意味がわからないことを喋り続けている。憎いったらない。泣かせたい。復讐したい。
「最後に見た時は、まだまだすげえちっこかったよな。もう大分なるもんな、そんなでかくなっちゃって。俺とても感慨深い」
「おい、誰だか知らないけど弁償しろよ! 俺が今落っことした分と、俺が感じたストレス分だ。キングサイズコーンのダブルで!」
「無茶言うな。大人を見たらたかろうとするな」
「うん、良かった。その人の話全然聞かないところ、昔から全然変わってない」
 その男は相変わらず表情の乏しい顔で頷き、ハンドガンをジャケットのポケットに突っ込んで、肩に担いでいたジェラルミン・ケースから、とても無造作にマシンガンを取り出した。銃刀法って何だ。
「そんななので、お兄さんの言うこと正座で聞いていただけるように、ちょっと痛い目見てもらおうと思います」
「は?」
 僕は荒垣さんと一緒になって、ぽかんとした。モデルガンだろ、と考える。いくらなんでもそりゃない。この国は、見た目普通のサラリーマンみたいに見える人間が、いきなり乱射事件を起こすようなところではなかったはずだ。昼間のうちは。
 と思っていたら、ほんとに撃たれた。実弾だ。無数の小石をトタン板に思いきり投げ付けたような、耳が痛くなるくらい大きな音がする。
「ちょ……何すんだよ、オッサン!」
「オッサ……ヴィシュヌ!」
 口答えしたら、有無を言わさずぶっ飛ばされた。
 ふいをつかれたとは言え、この僕が抵抗もできずに弾かれたのだ。信じがたい。爆風に振り回されて宙を舞った後、頭から地面に叩き付けられた。
 僕はさっき学校で、生徒会室で聞いた話を思い出していた。若い男が、半透明の化け物を身体から出し入れしていたとか、なんとか。
 最近なんだかおかしいこと続きだ。なんでこんなに当たり前みたいな顔をして、ペルソナ使いが街中にぽっと出てくるんだろう。この数年ほど、生き残った僕ら四人しかいなかったってのに。
 潰された格好から素早く起き上がり、僕は制服の上着の内ポケットから召喚器を取り出し、頭に押し付けた。
 相手は一人だが、召喚器なしで僕よりも遥かに高位のペルソナを呼び出してくる。僕が最強なのにと、少々やっかみめいた気持ちになる。ずるい。
「来い、カマクラゴンゴロウ。高天烈風弾発動」
「オープン、オーディン、ヴァルキリー! ミックスレイド発動!」
 ちょっとリスクが大きいが、全ての攻撃を無効化するヴァルホルを発動する。そしてすぐにポケットからチューインソウルを引っ張り出して、口の中に放り込む。次の行動に移る。
「オープン、タケミナカタ、トールを召喚。雷演舞、発動」
「おいっ……何をやってる! 昼間に往来でペルソナ出すんじゃねぇ!」
 荒垣さんに怒られたが、僕は悪くない。正当防衛だ。先に仕掛けてきたのはあっちだ。
 僕の自慢の雷演舞が片手で消し飛ばされたのがちょっとショックだったが、頭の切り替えは得意なのだ。相手が異常に強いのだ。僕が弱い訳じゃない。違うとも。
「おじさん、ちょう強いですね」
「年期入ってるからね」
「勝てる気がしません」
「負ける気がないからね」
 僕は溜息を吐き、肩を竦め、「でも俺は負けない」と言う。かなり疲れてきたが、なんとかもう一度召喚器のトリガーを引く。
「オープン、ガルーダにグルル」
 羽根の生えた二体のペルソナが顕在化する。レベルはそう高くない。その男も一目でそれを悟ったようで、そろそろお終いかなって顔つきになる。でも甘い。
「ラクタパクシャ発動。あのオッサン転ばせろ」
 僕の意図したとおりに、ミックスレイドがそいつをすっ転ばせる。元より、まともに攻撃するつもりなんて無かったのだ。
 僕はスキル発動と同時に、そいつに背中を向け、全力で駆け出した。一体何年逃亡生活を送ってると思ってる。僕は最強だが、戦うことの三倍くらい、逃げたり隠れたりすることが得意なのだ。
「な、ちょ、おい! この悪ガキ! 待て!」
 背後から、初めて焦ったみたいな、苛ついたみたいな声が聞こえてくる。それで、ちょっとしてやったりって気分になる。ざまあみろだ。
 アイスの恨みは忘れないが、僕自身が痛い思いをするよりは随分ましだ。せめて後で藁人形に釘でも刺しておいてやろう。
 僕は唾を吐いて、最後に捨て台詞を吐いてやった。
「ふん、俺が自分より強い相手とまともに戦うと思ったか? ふはは、バーカ! 覚えてろ! お前の一族犬神家!」
「待て」
 そこにすごい衝撃が来た。後ろ頭に、気絶しそうなくらい重たいやつだ。
 僕はどうすることもできずにぱたっと倒れて、しばらく痛みに悶えた後、ちょっと信じられないような気持ちで、彼に文句を言ってやった。
「……荒垣さん、バス停投げるのは反則だと思います」
「反則とか文句を付けられる身分だと思ってんのか」
 僕は何も悪くないのですごく理不尽だと思ったが、怖い顔の人間に更に怖い顔をして「そこになおれ」と言われちゃ、「はい」と従うしかない。





「ごめんなさい。昼間から恥ずかしげもなくペルソナ召喚してすみません。公共物を壊してすみません。もうしません」
「ほんとすみませんでした。いい大人なのに恥ずかしいねって良く言われます。以後気を付けます。もうしません」
「何なんだお前らのその異様なまでのシンクロ率……」
 いっぱい怒られた。
 人気のない路地裏に連れ込まれ、さっきの知らない顔の男と並べられ、正座させられて、荒垣さんに説教をされたのだ。
 なんでか荒垣さんは、不良っぽくて怖い顔をしているくせに、説教をし慣れているみたいだった。叱り方も随分と様になっていて、まるでお母さんに叱られる子供みたいな気分になる。僕はお母さんなんて知らないけど。
 不思議と、街中でマシンガンを乱射したり、ペルソナバトルが勃発したって言うのに、あんまり騒ぎにはなっていない。
 一般人てのは普通、ペルソナを見たら腰を抜かしてぎゃあ化け物だって叫ぶもんなのに。影時間に引き込んで、復讐代行を果たしてやった何人もの人間たちみたいに。
 僕はちらっと隣の男を見遣る。こいつがなんかやってたのかなと考える。妙に得体が知れない。
「大体オメェは何なんだ。妖怪野郎の肩を持つつもりもねェが、いきなり攻撃するたぁ穏やかじゃねぇな」
「そうだそうだ」
 僕は荒垣さんの言葉に頷く。そうだ、もっと言ってやってくれ。
 でも理不尽なことに、荒垣さんに頭を拳骨で殴られて、「お前全然反省してねェだろ」とまた怒られた。何だって言うんだ、くそ。僕は何も悪くないってのに。
「しょうがなかったんです。この小生意気なチビが、おとなしく話を聞くような人間じゃないって知ってるから」
「そうでもねェだろ。そいつはアイスでも奢ってやりゃ、一日中でも真剣に人の話を聞くことができる奴だ」
「そうだ。俺はできる子だから」
「だからもう黙ってろお前。話をこれ以上ややこしくするな」
「だって、タダで話を聞かせようとか、おとなしく言うこと聞かせるために暴力に訴えるなんていうその考え方がまず気に食わないんです」
「お前がまともなことを言うな。犯罪者のくせに」
「妖怪の上に犯罪者なのかお前。救いようがないな」
 僕はふいっと顔を背けて、「大人は嫌いだ」と言ってやった。勝手だし、理不尽だし、凶悪だ。あんなものにならずに済むんだから、僕は僕の身体に感謝する。
「ちょっと上向け」
「え」
「顔を見せろ」
 僕がこれでもかって拒絶オーラを放ってやっているのに、その男ときたら気にも留めずに僕の頭を掴んで、前髪を引っ張った。油断した。痛い。涙出る。
「なにすんだよ!」
 僕は叫んで、そいつの腕に思いきり噛みついてやった。「ぎゃあ」と悲鳴が上がる。
 そして、ぱこん、とすごくいい音が響く。そいつが僕の額を叩きやがったのだ。叩いた上で胸倉を掴まれた。暴力には断固として反対する。
「お前な、いい加減にしろよ――黒田栄時!」
 僕はちょっと意外で、目をぱちぱちさせながら、そいつの顔を見上げた。なんで会った事もない男が、僕の偽名を知っているんだ。
 それは、僕が月光館学園の生徒として過ごす際の仮初の名前だった。名簿上のものだ。
 まあ、カオナシってのもあだ名だ。僕には名前がない。
 個人を表すものは、なにもないのだ。本当の名前は僕も知らない。
「いいかいトキ君」
「……トキ君? なにそれ」
「お前の名前だって。俺はな、お前を迎えに来たの。保護しにきたの。事故に巻き込まれて、得体が知れない悪の組織に拉致られたお前を助けに来たわけ。親戚な? お前の両親は事故で死んじゃったらしいから、もう家族。法的な手続きも心配ない。あとはお前連れて帰るだけ」
 僕はまた目をぱちぱちする。良く分からない。首を傾げて「はぁ?」と言うと、また額を叩かれた。
「お前、本気で俺のこと覚えてないの? ハチお兄さんだよ。黒田栄人だ。ちっさい頃良く遊んでやったんだけど。お年玉もやったんだけど。マジで覚えてないの。むかつく」
「むかつくとか、なんだそれ。はぁ? お前こそいい加減なこと言うなよ」
 あんまり身に覚えのないことを言われるものだから、ちょっと腹が立ってきた。僕に分かる言葉で話して欲しい。
 僕に家族とか親戚なんてものが存在する訳はないし、万が一存在したとして、今更ぽっと出て来る訳がない。加えて、いきなり銃撃したりペルソナ攻撃でぶっ飛ばしてくれたりも、するわけがない。
「そんな訳のわからないこと並べたって、騙されやしない。俺の両親殺したのはお前らペルソナ使いだ。信じるもんか」
 今度は目の前の男――黒田栄人だか、ハチお兄さんだかが、きょとんとする。僕はちょっとイラッとして、言ってやった。
「父さんも母さんも、全身氷に貫かれて苦しんで死んでいったんだ。俺はそれを目の前で見てたんだ。俺と同じくらいの歳の女子がいきなり俺んちにやってきて、王冠被って両手に剣を持ったペルソナ呼んで――父さんと母さんは俺を守ってあの氷使いに殺されたんだよ。事故なんかじゃない。俺に親類なんかいるわけない。万一いたとしても、絶対ペルソナ使いなんかじゃない」
 それを聞いた途端、荒垣さんが慄いたようにざっと後退った。
 見ると顔が青い。
「荒垣さん?」
 どうしたんだろう。彼が特に反応する理由はないはずだ。僕の家庭事情なんて、彼には全然関係ないことなんだから。
 それとも、彼はこれで結構面倒見の良いところがあったから、僕に同情でもしてくれたんだろうか。別にどうでもいいけど。
 そこまで考えて、ちょっと頭が冷えた。急に恥ずかしくなってきた。
 僕は何を熱くなってるんだ。昔のことなんてどうだって良いはずだ。変えられないし、現在に干渉して何か悪さをするわけでもない。僕は今を楽しむのに精一杯なのだ。過去なんて知らない。
「……ああ、すみません。ちょっと熱くなっちゃいました。もう昔のことなんだから、今更愚痴ってもしょうがない。あいつらに笑われる。忘れて下さい。――ともかく、そんななので俺の血縁者とかありえないんですけど。帰れ寝癖頭」
「頭のことでお前が俺に何か言えると思ってんのか、この妖怪が。お前半径五キロにわたって妖気放ってるぞ」
 それから五分ばかり不毛な罵り合いを続けた後、先に折れたのはそいつの方だった。溜息を吐き、肩を竦めて、「仕方ない」と言ったのだ。諦めたようだ。僕が勝った。
「腹も減ったし、もう帰るわ。なんかこのまま連れて帰ってもお前うるさそうだし、しばらく様子見でもする」
「そうだ帰れ。もう二度と来るな。――痛い!」
 そいつは最後に「黙れ」と僕の前髪を引っ張って、「じゃあな甥っ子」と言い残し、さっさと去って行った。色々引っ掻き回された挙句、やられっぱなしだった僕としてはすごく面白くない。
「馬鹿じゃないのか。甥っ子とか、なんだそれ。まったく、僕あんな奴に全然似てませんよね、荒垣さん」
「いや……なんかでかいお前と小さいお前がキーキー言ってるって感じがしたが」
 まったく、冗談じゃあない。腹が立つ。







 翌朝ラウンジで、どこかで見た顔が、僕の様子を見に来たらしい幾月さんと立ち話をしていた。
「おはようございます、理事長先生。夜逃げした前管理人に代わって、今日からこの寮の新しい管理人を任されました。上杉秀彦って言います」
「いやー、上杉秀彦! 僕あのタレント大好きなんだよねー! でひゃひゃひゃー!ってさ。持ちネタが最高だよね。も、豆腐のやつとか大好き。同姓同名か、とっても素敵だね。君とは仲良くなれそうな気がするなぁ」
「はぁ、どうも。俺あのタレント嫌いなんですけどね。そう言えば今朝新聞見ました? ポートアイランド駅のそばでガス爆発って。この辺結構不穏ですね。越してきたばっかなので不安です」
 相変わらず表情に乏しい。にこりともしない。愛想笑いもない。ちょっと僕とキャラかぶってないか、こいつ。むかつく。
 幾月さんは階段から降りてきた僕を見付けると、「やあおはよう」と微笑み、「新しい管理人の上杉さんだよ。ご挨拶しなさい」と言った。お父さんぶるのは止めていただきたい。
「……おはようございます」
「やあ、おはよう」
「じゃ、学校でね。しっかり朝ご飯食べてくるんだよ。うん、今日の君もとてもチャーミングだよカオたんハァハァ」
「……はぁ」
 はぁとしか言えない。
 すごく居心地悪かったが、とりあえず幾月さんの背中を見送り、テーブルにつくと、そいつは「やあトキ君、朝飯何食いたい?」と訊いてきた。
「焼肉」
「コーンフレークか。お前甘いもん好きだな」
「……あんた何なんですか?」
「だから、管理人さん」
 そいつは食えない顔で、「よろしくね」と言った。
 あいかわらずにこりともせずに。なんだこいつ。




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管理人:ゆりんこ 2007年04月29日〜