まったく、あの人は気まぐれで移り気で、何を考えているのか本当に分からない。
 僕はベンチに座って、屋内プールで行われている水泳の授業を見学していた。こないだは「運動会頑張ってね」だとか言ってたくせに、最近じゃ「水泳はダメだ。ショートパンツも禁止。必ずジャージ着用のこと! 敵は思ったよりも多勢だったよ」と言う。
 まったくばらばらだ。『優勝おめでとー』と付箋が貼られた黄昏の羽根をくるくる指で回しながら、僕は溜息を吐いた。
 授業が終わると、順平たちがやってきた。暑い日にクールダウンできて、彼らはすごく気持ちが良さそうだった。ちくしょう、うらやましくなんかない。
「よう、見学ご苦労さん。お前、どうしたの? なんだ、生理か?」
「生理ってなんだ?」
「……い、いや、うん。まさかな。ホントに知らねーとか、ありえないよな。風邪でも引いたんか? 最近体育出てねーし」
「ああ……塩素アレルギーなんだって」
「ふうん。良くわかんねぇけど大変そうね」
 順平がどうでも良さそうに頷く。僕らは連れ立って廊下を歩いていく。
「なぁ、さっきの話ってマジ? 宮本」
「ああ。確かに水泳部で海パンだったんだってよ。でも運動会の日にブルマ。きっと兄妹なんだよ」
「もしかしたら、女装が趣味なのかもよ?」
「……それはそれで、アリかもしれない」
「アリなの? オレっち的にはナシの方向で行きたいんだけど」
 男女別の授業で、男子が着替えを済ませて教室に戻ってくる頃には、もう既に女子が次の授業の準備をしているところだった。入れ替わりで、二年の三クラス合同で、彼女たちはこれから水泳だ。岳羽と山岸がビニール・バッグを抱えて出て行くところだった。
「いよう、お二人さんお先! いやー、君タチの水着姿が見れなくて心底残念デスよ。生徒会に嘆願書でも出そうかねー」
「死ね順平」
「あのね、生徒会のひとが呼んでたよ。お知らせ、あるって」
「ああ、わかった」
「えっと……今日お昼ご飯、用意してる?」
「……してない」
「良かったら、どうかなって……お弁当をね、作ってきて」
「ちょっと風花! 何言ってんの、こいつだけは止めといたほうがいいよ。見た目からしてキてるじゃない」
「いや、キてるとまで言わなくたって良いんじゃねぇかな、ゆかりッチ……中身は、結構マトモですよ? たまに可哀想で涙出るけど。しかし、いやー良かったなお前! 風花みてーなカワイー子が、弁当……あの、元気、出せな」
「…………」
 山岸は真っ赤になって、「そういうんじゃなくって、ただじっけ……練習で」と言っている。お前今実験って言おうとしたな。僕はモルモットか。ハツカネズミなのか。聞いてしまった二人、順平と、僕を疎んじている岳羽までが、憐れむような視線を僕にくれた。
 なんでか最近、週に何度か、山岸は僕に弁当を作ってきてくれる。それって言うのも、先日の家庭科の合同調理実習で、誰も食おうとしなかった彼女が作ったメニューを、僕がたいらげてからだ。
 確かに輪ゴムやボンドって言う、ちょっとありえない食材が入ってはいたけど、食えないものじゃあなかった。
 餓死寸前のかすれた世界を見たことがある者は、結構好き嫌いを言わずに飯を食うようになる。みんなも一度やってみたらいいと思う。そしたら残飯なんて言葉がこの世から消えてなくなるだろう。
「どうも……生徒会、行ってくる」
 僕はこれでも一応生徒会役員なのだ。役員と言っても、雑用に駆り出されていると言ったほうが正しいが。
「ああ、お前またこき使われて……嫌なことは嫌だって言うんだぜ?」
「別に……慣れてるから」
 僕は頷き、教室を出て行く。背中のほうから、「オレより恵まれない人間っているんだなあ」とか、「あいつのために募金したら結構集まる気がする」だとか言う声が聞こえてくる。なんなんだ。
 生徒会室に入って、「すみません、遅くなりました」と頭を下げる。ミーティングはもう終わっていたようだ。僕と入れ違いに、ぞろぞろ役員が出て行く。
 僕を見付けて、小田桐が話し掛けてきた。
「やあ、移動教室だったのか」
「ああ。何か特別なことでも?」
「特別というか、気を付けろということだな。最近、この付近に不審者が多数出没するそうなんだ。たとえば、おかしな格好をした四人組。半裸だったり、頭に刃物が刺さっていたり、卑猥な格好をしていたり、宇宙人みたいな扮装をしていたり、ともかく奇妙な仮装行列だそうだ」
「そりゃ怖いな。おかしい奴は何を考えているのか本当に分からないな」
「まったくだ。それから、主にゲームセンターに現れるそうなんだが、若い男が月光館学園の生徒のみを狙って対戦をし掛けてくるらしい。それだけなら特におかしなところはないんだが、身体から半透明の奇妙な化け物を出し入れしていただの……まったく馬鹿馬鹿しい。生徒会が、怪談騒ぎに真面目に首を突っ込むこともないだろう」
「だが噂と言うが、少々気になるな。化け物云々は置いておいても、実際に妙な男を見たという生徒は多いそうじゃあないか」
「ああ、会長」
 生徒会長が、話に入ってきた。桐条グループの次期総帥と目される女生徒だ。名前は桐条美鶴。よく知っている。
 僕はなるだけ顔を見せないように俯き、黙っていた。彼女は苦手だ。小田桐が話を続けてくれるから、不自然だとは思われずに済みそうだった。
「確か、奇妙な問い掛けをされるそうですね。「同じ学校の生徒の中で、お前が知っている一番妖怪っぽい奴の名前を挙げろ」と」
「ええ……」
「そうです……」
 なんでか、残っていた生徒会役員のメンバーが、そっと僕を見た。
 小田桐が咳払いして、「君、その、気を付けた方がいい」と言った。
「不審者に狙われている可能性がある」
「…………」
 理不尽だ。





「やあこんにちは。お元気そうで何よりです」
 彼の周りには、相変わらず人がいなかった。僕に絡んできた人間たちも、僕の目当てが彼だと知ると、面倒なことはごめんだと考えたのか、さあっと散っていく。
 彼は顔を上げ、意外そうに僕を見た。苛つき以外の感情をその人の顔に見たのは初めてだった。こりゃ珍しい。
「お前、そんなカッコしてると大分感じ違うな。いつものキてる方が万倍マシだぞ」
「そうですか。結構気に入ってるんですけど。職務質問されませんし」
「……他の三人は、今日は一緒じゃねえのか」
「ええ、色々ありまして」
 僕は脇に抱えた学生鞄の中から、銀色の包みを取り出して、彼に手渡した。未開封の抑制剤だ。
 彼もペルソナ使いだ。名前は荒垣なんとか、確かそんな感じだった。他の人間が呼んでいたのを聞いただけだから、聞き違いがあるかもしれないけど、そんな感じ。
 自然覚醒者だが、かなり不安定だ。だからペルソナを抑え付けるために抑制剤を飲んでいる。抑制剤を飲んでいるから、僕らと同じく先はあまり長くない。
 もうかなり暑くなっているのに、Pコートなんか着込んでいる。見た目かなり暑苦しい。
 外気温に鈍感になってしまうのは、薬の副作用のひとつだ。そのせいで、服用者は真夏にコートで過ごしたり、真冬に半裸で過ごしたりする。
「あちぃな。アイスでも食うか」
 気温に鈍感なくせに、彼は僕をちらっと見て言う。ああ来たぞ、と僕は期待する。たかってOKのサインだ、多分。
「ご一緒しても」
「勝手にしろ」
「奢りですか?」
「歳下から金取るほど落ちぶれちゃいねぇよ」
「わあ、ありがとう。僕あなたのことが好きになりそうです」
「お前ら兄弟揃って、毎回全員おんなじ反応しやがるな」
 ニットキャップ越しにがりがり頭を掻いて、荒垣さんは億劫そうに立ち上がり、「どうするか」と言った。
「良く分かんねぇな……お前は、どんなのが好みだ」
「ラムレーズンが……いや、チョコレートミントも捨てがたいけど、いやしかしクッキーアンドクリームとか、それともストロベリー……」
「言っとくが、一個だけだからな」
「二個にまかりませんか」
「お前、また妙な言葉を覚えやがったな。まからん」
 溜まり場を出て、初夏のポートアイランド駅前を歩く。人は決して多くは無かったが、少なくもない。
 すれ違う人間が、僕らを奇妙な目で見て通り過ぎていく。おそらくどこからどう見ても不良の荒垣さんと、品行方正の優等生然とした僕の組み合わせが珍しいんだろう。僕もおかしいだろうなとは思う。
「そういや、ちっと前に妙な男に会ったぜ。妖怪を探してるとかで、溜まり場に来てよ。馬鹿にして笑った奴ら全員ぶちのめして、「俺に似てると思うんだけど、ほんと知らない?」とか言いやがんだ。ちびっとお前に似てたな」
「今日の昼間もそういう話されましたけど。何ですか妖怪って」
「テメーみてーな奴のことじゃねぇのか。そういや、お前の本名って何だ? そいつ、名指しで探してたんだ。確か、ト……なんとか。お前のことじゃねぇのか」
「僕はカオナシと言います。まったく身に覚えがないんですけど」
「そりゃあだ名だろうが。親御さんだって、生まれたばっかのお前は可愛かったろうに、そんな不憫な名前は付けねぇよ」
「親ねえ……」
 アイスクリームショップで、ラムレーズンとオレンジシャーベットのダブルを買ってもらった。やっぱり荒垣さんっていい人だ。とんがっているけど。
 店を出たところで後ろから、「おい、何をしている!」と声を掛けられた。
「シンジ、お前、こいつはどうしたんだ? まさかカツアゲとかしてたんじゃあないだろうな」
 ひょろっとした、背の高い男子だった。赤いベストを着ている。
 確か、ボクシング部の主将だ。月光館学園の有名人リストの十位以内に入っているだろう。
 名前は覚えていないが、彼も巌戸台分寮の寮生だった。まだ寮には戻っていないんだろう、制服姿だ。
 どうやら荒垣さんと知り合いらしい。
「アキか」
 荒垣さんは、まずいなって顔をしている。まあ復讐代行人にアイスを奢っていたところを見られたんじゃあしょうがない。
 幸いにも、僕は制服姿だった。「誤解です」と助け舟を出してやる。アイスの恩は海よりも深いのだ。
「先輩、カツアゲなんてそんな。この人、不良に襲われてた俺を助けてくれたんです。その上アイスまで食べさせていただいてしまって。ほんとにお世話になりました。何とお礼を言って良いか。ありがとうございます」
「い、いや……」
 荒垣さんは、すごくやりにくそうに顔を顰めている。『アキ』とやらは、「そうだったのか! すまん、やはりさすがシンジだ!」とぱあっと顔を輝かせ、花を飛ばしている。ものすごく嬉しそうだ。こいつテンションうざいな。
「俺は幼馴染としてお前を誇りに思うぞ。この話を早速黒沢さんと美鶴にも聞かせてやろう。お前はこれから、その罪のない一般生徒を家まで送って行ってやるのか?」
「い、いや、アキ」
「まったく、照れることはないんだ。お前はいつもそうだ。今お前がやってるのは、すごく立派なことだよ。じゃあな、また顔を見に来るぞ!」
 そして余程うずうずしているのか、すごいスピードで走って行ってしまう。僕はその背中を見送った後、「友達ですか?」と荒垣さんに聞いた。
「素晴らしくうざいですね」
「いや……悪い」
 荒垣さんも、彼を自分の恥部かなにかだと思っているのか、ちょっと赤くなって「忘れてくれ」と言った。
「それにしても、お前はほんとに食えねえ奴だな。タヌキが」
「誉め言葉として受け取っておきます」
 僕は肩を竦めて、また歩き出す。
 そして背後で、靴が地面を擦る音を聞く。
 僕のものにとても良く似た、気だるげな声を聞く。





「見ぃつけた」





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管理人:ゆりんこ 2007年04月29日〜