「大事な話があるんだ」と幾月さんに呼び出された。
 最新式の装備一式を手渡され、「早速任務に当たってもらいたい」と命令された。
「僕が君に求めることはただひとつだけだ。勝者であれ。君なら簡単なことだろう? 報酬は、相応のものを用意しているよ」
「了解しました」
 僕はさっと敬礼して、「では出撃します」と言った。







 空砲が鳴る。天気は良かった。初夏の日差しはきつく、じりじりとグラウンドの土と、僕らの身体を焼く。
 正直なところ、夜型でインドア派の僕には結構きついものがあったが、弱音を吐くのは負けることの次に嫌いなので、僕は黙って口の端を引き締め、立っていた。





「おい、あの子……」
「ああ、あの子だよな……確かに。こないだ、陸・海・空を制した最強の、月光館の天使ちゃん……!」
「空? 剣じゃなかったか?」
「いやしかし――あの子が女の子だったとは! どうりで野郎どもの中をいくら探しても見つからないはずだ!」
「お前は馬鹿か? 彼女のどこをどう見たら男に見えるってんだよ。眼科行ってこい。ああー、それにしても綺麗だあ」
「うん、可愛いな……何が可愛いってお前、あれだよな……」
「ブルマ! ブルマ万歳! ブルマに栄光あれ! ジャージなんか滅びろ!」
「いや、ジャージ姿もそれはそれでモエー」
「ああ、あの娘ほんとに胸ぺったんこだな……貧乳モエー」





 みんなソワソワしているみたいだ。無理もない。
 『運動会』とは、個人が限界を超えて鍛え上げた肉体をぶつけ合う、過酷で過激で、そして物悲しい戦争物語なのだ。あとに残るものは何もないにも関わらず、戦士達は闘争行為を止めない。止められないのだ。と幾月さんが言っていた。
 僕的にはそんな激しい情熱だか攻撃衝動だとかはどうでも良いが、やるからには一番を取らなきゃならない。ああこれは幾月さんの教育方針だった。僕はまた、知らない間に彼の思想に染まっている。いやになる。
 僕は今日のために、あの人から特殊装備を預かった。白いソックスに、白い体操服。胸のゼッケンには丁寧な字で、『いくつき』と書かれている。
 彼が送り込んだ刺客だか戦士だかの証なんだろう。その名を背負って戦うからには、無様な負けは許されないよ、という彼なりのメッセージが込められているのだろう。正直重苦しい。逃げたい。漢字で書けよ。
 そして、『ぶるま』とか言う、紺色の分厚いパンツ。「最強装備だ」と幾月さんは言っていたが、この薄っぺらい布きれのどこが最強なのか、僕には解らない。中に護符でも縫い込まれているのだろうか。
 「邪魔だろうから」とヘアピンで前髪を留められている。赤いはちまきまで頭に巻かれて、半分強制的に気合いを注入された感だが、やるからには僕は負けはしない。
「暑い。家に帰りたい」
 僕の隣で、僕と同じ格好をさせられているチドリが、心底げんなりした顔つきでぼやいている。僕も頷く。僕が彼女と同意見だなんて、すごく珍しいことなのだ。
 彼女の胸のワッペンには、『吉野』と書かれていた。僕だけ『いくつき』だ。最悪だ。恥ずかしい。これじゃまるで僕の名前が『いくつき』みたいじゃあないか。冗談じゃない。
「い、い、いくつきさんっ」
 早速間違えられた。
 どこかで見た顔の男子生徒が、「お久しぶりです!」と息を荒げて僕の手を握る。名前は覚えていないが、確か剣道部の部員だったと思う。
「あの、ブルマ姿すげえ神々しいです! きっ、騎馬戦で、どうか僕の上に乗って下さい!」
「バカッ、目先の欲望に負けるな! 剣道部だ! 剣道部に入って下さいって言うんだ!」
「そ、そうだった! あの、是非剣道部に――
「でも空きはないって」
「貴女のためなら、空き枠なんていくらでも作りますっ!」
「でも俺もう文化部に」
「ど、どこッスか! どこ入ったんスか! 僕も入ります! 剣道部なんか辞めます!」
「……はあ」
 はあとしか言えない。
 良く分からないことをまくしたてられていると、「そこ、私語は控えてね」とスピーカー越しに怒られた。幾月さんだ。あの人は、学校行事なんかどうでも良いのかと思えば、結構真面目に仕事をしているらしい。
 と思っていたら、鳥海先生がクラス名簿を団扇がわりにパタパタさせながら、レアシャドウでも見たみたいな顔つきになっている。
「最近、理事長良く出てくるよねー。去年まで年一回見たら良い方だったのに」
「…………」
 あんまり真面目でもないらしい。





「あ……傷薬切れてる。保健室に行って貰ってきますね」
「ああ、お願い。でも重いよ。一人で大丈夫?」
「あ……はい」
 気が弱そうな女の子だ。気後れしたふうににこっと微笑み、頭を下げて、「行ってきます」と言った。
 小さいし、華奢だったから、荷物持ちなんかが向いている人間には見えなかった。
 「手伝うよ」と僕は言う。僕はフェミニストなのだ。たとえとても不遇な扱いを受けようが。
「鳥海先生、同行許可を」
「え。いいけど、サボらないでよ」
 僕は頷き、敬礼した。
 小柄な女子は、「ありがとう」と困ったふうに言った。あまり嬉しそうじゃなかったから、もしかしてありがた迷惑だったろうかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。グラウンドを離れ、しんとした校舎の中を歩きながら、「ごめんね」と言った。
「何故謝る?」
「私、みんなに『怨霊』だとか噂されてるの。あなたも、だからほんとはいやだったんじゃないかなって」
「なんだ、そんなことか。俺もだ。あまりみんなに好かれてないらしいし、毎日妖怪とか呼ばれている」
「よ、妖怪?」
「墓場にいそう、とか」
 彼女は笑って、「気を遣ってくれてありがとう。でも、『俺』って男の子みたいだね」と言った。僕は首を傾げる。
「俺は男だが」
「あはは、また」
 笑い飛ばされてしまった。
 保険医が駆り出されているものだから、保健室は空っぽだった。僕らは薬品棚から消毒薬やガーゼや包帯なんかを引っ張り出して、段ボール箱に詰め込んだ。かさばるが、軽いものばかりなので、そう重量は無かった。
「行けるか」
「うん、大丈夫」
 彼女が頷く。戻ろうとしたところで、保健室の扉が開いた。
 保険教諭が戻ってきたのかと思ったが、現れたのはジャージ姿の生徒だった。男子だ。四人いる。
 見たところ誰も怪我をしているふうには見えなかったので、サボリだろう。昼寝でもしに来たのかもしれない。
「あの……何か? 先生なら、今はグラウンドの方に……」
 おとなしそうな女子が声を掛けると、男子連中は面白がるように顔を歪めて、「うわっ」と言った。
「怨霊だよ。今度は保健室に出やがったよ」
 そして笑う。女子は恥ずかしそうに顔を赤くして俯く。それを見て、また男子が笑う。あまり良い対応じゃあない。
「君、こいつらと仲が悪いのか?」
「え……あの」
 彼女は言葉に詰まってしまっている。僕は首を傾げる。
「嫌いなんだろう?」
「あの、」
「怨霊俺らのこと嫌いなんだってよ。祟られるかもしれねーぞ」
「うわー、怖いなあ」
「アンタもさぁ、そんなのと一緒にいることないって。オレらとどっか楽しいとこでも遊びに行かない? 白河通りとかさ」
 そこでまた笑う。今のはどこに笑い所があったのか、良く分からなかった。幾月さんの駄洒落みたいなものなんだろうか。
「でも良く見てみると、怨霊結構可愛い顔してね?」
「うん、結構イケてる。なあ、お前も来る? ホテル。そしたらもうちょっと仲良くなれるかもよ?」
「あ、あの……困ります」
「困るんだって。カワイーなあ」
 女子は、言うとおりすごく困っているようだった。僕は彼女の肩を叩き、「君苛められてるんだよな、これ」と訊いてやった。
「不愉快なんだろう。代わりに仕返ししてやってもいいけど」
「え? えっと」
「依頼するならそのまま黙っていろ。いらないならそう言え」
「なに? 何の話? オレらも混ぜてよ、君の声もっと聴きたいな――
 すうっと伸びてきた男子生徒の腕を取って、手首をぎゅっと握ってやった。
 角砂糖を砕くように、簡単に骨が割れる。
「え?」
 呆けたような声が聞こえるけど、誰のものだったかは知らない。
 僕は身体を捻る。そのまま脚を伸ばし、ぼおっと突っ立っている男子の顔面に膝を叩き込む。
 軽い破裂音が聞こえた。鼻が砕けたか、歯が砕けたかしたんだろう。
 床に着いた足を軸にして、もう片方の足を繰り出す。三人目の男の耳の付け根に、靴の踵を叩き付ける。倒れる。あと一人。
 手近なデスクに置いてあったハサミを掴んで、最後の一人の肩に深く突き刺してやった。そいつは蹲る。終わりだ。
 床でのたうち回っている男子の足を踏み付けて、砕いてやると、また一際大きな悲鳴が上がった。でもまだ全員生かしている。
 僕は振り返り、女子に訊いてやった。
「さて、このまま殺すか、最高の苦痛を与えてからか。それとも君が自分でやるか。好きなものを選んでいい」
「や、やめて」
「は?」
 僕は首を傾げる。なんだかすごく意外な言葉を聞いた気がする。
「や、やめて下さい」
「何故? 君、今誰かこいつらをやっつけてくれないかなって考えただろう。人の輪の中では、みんなこんなこと思っちゃいけないとか言うだろうけど、ほんとは心の中で悪意を抱いてる。今更隠すことはない。すごく当たり前のことだ」
 でも彼女は首を振る。僕は溜息を吐き、肩を竦める。
「じゃあしょうがない」
「もう少し早くあなたに会えてたら、きっと言ってること、すごく納得しちゃったと思うんです。でも、ごめんなさい」
「そう」
 僕は頷く。
 そして段ボール箱を抱えて、「荷物運んでおくから」と言い置いて、保健室を出て行く。出しなに、床に転がっている男子に、忘れずに釘を刺しておく。
「事故だよな」
 しんとなる。彼らは痛みも忘れたみたいな顔つきで、僕を見上げていた。頷く。泣いている。
――チクったら、今度は殺す。必ず殺す」
 扉を閉めて、僕は溜息を吐く。気分はあまり良くない。
 なんでわかんないんだろう、と僕は考える。僕は変なことなんて言っちゃいなかったはずだ。すごく当たり前のことを言っただけだ。
 なんで『やめてください』になるのか、分からない。ほんとに分からない。







 彼女の名前は山岸風花と言うらしい。一時期見なかったが、最近また登校してくるようになった。
 E組だが、F組の岳羽や順平ととても仲が良いようだ。生徒会長の桐条『先輩』や、ボクシング部の主将なんかとも、普通に話している。
 みんなはおかしな組み合わせだなあと首を傾げている。彼らは巌戸台分寮に住んでいる。同じ寮生だ。奇妙な親密さはそこから来るんだろう。
 「で、どうだい?」と幾月さんが僕に訊く。僕は頭を振る。
「どうも生理的に受け付けません。彼らとは考えが合わない」
「うん、そりゃ良かった。君らに和気藹々とやられたらどうしようかと、ちょっと心配しちゃったよ」
 この分だと、彼らはきっといいように騙されているんだろうなと、僕は悟る。
 彼らは無条件に幾月さんを信用しているようだった。まあ駄洒落に関する突っ込みは、僕らよりも随分ひどいみたいだったが。
 でも僕らも、彼らを笑ってはいられない。僕らだって騙されているのだ、きっと。あの人のほんとの目的は、今も何も分からない。知らない。
 彼らよりもましな点と言えば、僕らは僕らが利用されているのを知っているってことだろう。自覚があるかないか、その程度だ。
 でもそれは大きな違いだ。僕らは僕らのために行動する。このままでは済まさないぞと考えている。
 一月に一度、どうやら満月の夜に現れるシャドウに関しては、僕らの目的は共通している。奴らを殺す。
 自然覚醒のペルソナ使いには、力の効率的な使いかたに関する知識や実戦経験、覚悟と言ったものが決定的に欠けているように見えたが、まあ数だけは揃っているのだ。なんとかやってくれるだろう。
 僕らは彼らが討ち漏らした場合に動く。それだけだ。
 全ての大型シャドウを討伐したら、すごく素敵なことが起こると幾月さんは言っていた。大いなることが起きると。
 まあ好きにやるといいさと僕は考える。
 S.E.E.Sも幾月さんも桐条グループも、あの忌々しいエルゴ研も、今に見ているがいい。彼らが切望するものを、最後に僕らが手に入れてやる。
 それが僕らなりの、この世界への復讐なのだ。





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管理人:ゆりんこ 2007年04月29日〜