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「失礼します」と扉を開けると、独特の薬品の匂いが鼻をついた。 室内は暗い。窓はしっかりと黒い布で覆われていた。ふっと横を見ると、『現像中、部員以外解放禁止』と書かれたプレートが掛かっている。 部屋の奥には数人の部員らしい人間が溜まって、身振り手振りを交えながら、楽しそうに喋っていた。 「いやあ、やっぱデジカメもエエんやけど、一眼レフの格好良さにはかなわへんでっしゃろ。オモロイレンズようけあるし、何より首から下げた時のあのズッシリした重たさがたまりまへんわあ。まあ、言うたかて日頃はパソコンに取り込むんに便利やさかい、デジカメに頼りっきりになってしまうんやけども」 「うん、そうだそうだ。今度の新人はすごいなあ。このアングルが何とも……白戸君、君が写真部に入ってくれたら、我が部はコンクール入賞間違いなしだよ!」 「いやあ、先輩もお上手でんなぁ。誉めたかてなんも出まへんで」 「本場だ……本場の関西弁だ! すげえよ!」 「…………」 僕は無言で扉を閉めた。教室を間違えた。見なかったことにした。 気を取り直して向かいの教室の扉を開けると、どろっとした、ノスタルジックな匂いが漂ってきた。石膏像を取り囲み、イーゼルとワンセットになって座っている部員たちがいる。 「い、いえ……とても、独特な絵画だと思いますよ? あの、でもモチーフは、普通のアグリッパなんですけど。吉野さん、これ、どこの部分がどこに対応しているんでしょう」 「タイトルは『非情! 人食いカオナシ業火に消ゆ』って言う」 「お、恐ろしい……! カオナシって何なのかわかんないけど恐ろしい……!」 「…………」 僕は、無言で扉を閉めた。教室を間違えた。見なかったことにした。でもチドリは後でシメる。 僕は今度こそ、目当ての管弦楽部の扉の前に立つ。そっと、気付かれないように中を覗く。知っている顔はない。みんな知らない顔ばかりで、気持ち良さそうに合奏の真っ最中だ。そうだ、これこそ僕が求めていたものなのだ。 早速見学をさせてもらおうとしたところで、僕はある種の嫌な予感を覚え、後ろを振り返った。別に誰もいない。ただ、高く低く、機械の音が響いてくる。それだけだ。 でも、そんなはずが無かった。例の二人がここにいるのに、あの男がのんびり家で昼寝なんてしている訳がない。 あいつはああ見えて人一倍寂しがり屋なのだ。独りぼっちが大嫌いで、構ってやらないとすぐに拗ねる。 「――失礼する!」 意を決して、僕は向かいの教室のドアを開けた。プレートには『家庭科室』と書かれている。 そして、僕の予想は的中した。 「ソレ、抉リ込ム様ニ縫ウベシ、縫ウベシ! 隆也殿ハ、何ヲ作ッテオラレルノディースカ?」 「馬鹿には見えない服です」 「日本スンバラシー!」 僕は扉に縋り付く格好で、がっくり項垂れた。奴はいた。なんか変な外人と、にこやかに、僕には理解出来ない会話を楽しんでいる。 「オオッ? マサカ入部希望者ディスカ! 拙者、べべト申ス者! 今日ハスンバラシー日ディス! フタリモ入部希望者……拙者モウ寂シクナイディス!」 「いや……俺管弦楽部に入ろうかと……」 「何をもったい付けているのですか。貴方どうせ丈夫な上に暇人なのですから、掛け持ちをすればよろしい」 「勝手に決めるなよ! おまっ、お前らなんなんだ? なんで学校来てんだよ。引き篭もってんじゃなかったのかよ」 「連日貴方が楽しそうに登校しているものですから、つい」 「ついじゃない!」 「冗談ですよ。まあその話は後にしましょう。貴方の入部届けも書かなければなりませんし」 「だから勝手に決めるなって……」 「オフタリハ知リ合イナノディスカ?」 「はい、そりゃもう。親友です。心の友と言う奴ですね」 「ちょっ、違……断じて! そんなことはない!」 「ははは、照れなくても構いませんよ」 「どうしよう、僕お前殺したい」 「貴方は何が作りたいんですか? また卑猥な服でも?」 「卑猥って何だ。あれは僕じゃなくて、ジンがかっぱらってきたんだって」 「ヒワイ? カッパラウトハ何ゾヤ?」 「地名です」 僕は「ああもう」と頭を抱えてしまった。なんでいきなりこんなことになってるんだ。 そりゃ、変だなとは思ってたのだ。最近僕の仲間達が、僕を見て何か企んでるふうにニヤニヤしてた理由が、ようやく分かった気がする。 こいつら前々からこっそり計画を練ってやがったのだ。 僕は溜息を吐き、近くの椅子を引き寄せて座って、じろっとタカヤを睨んだ。 こいつはいつも妙な格好をしているせいで、キてる代表みたいなイメージがあったが、まともに制服を着込んでいると、ほんとにそれなりって感じがする。 そのまんまカルトって感じがしない。元は格好良いのに勿体無い奴だ。 チドリは確か、三つ編みのお下げに、ブラウンのフレームの眼鏡を掛けていた。すごく地味な感じがした。いつものお姫様みたいな格好を見慣れているから、あいつじゃないみたいな感じ。 この二人は、学校にいてもあんまり違和感がない。少なくとも見た目だけは。 ジンはもうダメダメだった。瓶底眼鏡にカッチリ制服を着込んでいるものだから、変な関西弁のせいもあって、一昔前の漫才師みたいだった。 「それにしても、貴方の格好はそりゃひどいものですねえ。ストーカーや下着泥棒という単語が思い浮かびました」 「うるさいな。見た目のことでは、お前にだけは突っ込まれたくない」 僕はぶすっとして返した。 その後結局、僕は文化部を掛け持ちする羽目になったのだ。 だって、はるばる遠い異国の地に来て、あの変質者と二人っきりでミシン三昧なんて、外人可哀想過ぎる。 帰り道、僕は「良く騒がれなかったな」とタカヤに言ってやった。 「三人もいきなり転入生が入ってきたら、もっと噂になるもんだと思ってた」 「いえ、私は復学という扱いになっています。病弱で闘病生活を送っていた私。ようやく回復し、晴れて学生生活を送ることが可能になりました。そういうシナリオですね。ちなみに三年生です。先輩と呼ぶとよろしい」 「それはどうでも良いが、学年違うのか」 「ええ。チドリは貴方と同じ二年生です。ジンは最下級生。一年生ですね。二人ともそれぞれの理由で休学していましたが、この春からそれぞれの理由で復学してきました。そういうことになっています」 「分散していると、フォローが不便じゃないか?」 「いえ、誰かの正体が知れても、他の者は痛手を負わない。こちらの方が気が楽でしょう? スポンサーの意向ですよ。今までの生活は不健康だと叱られましてね」 「あ、そう。冗談だろ」 「ええ。手駒は多いほうが良いということでしょうね。もっとも、どちらが手駒なのかは分かったものではありませんが」 「そうだな」 僕はにやっとして頷く。こいつの飄々としているようで、誰の言うことも聞かないところは、僕は結構好きなのだ。流されやすい僕にしてみれば、羨ましいとさえ言える。 その代わり、こいつは僕らの話も全然聞かないんだけど。 |
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管理人:ゆりんこ 2007年04月29日~