「僕のセーブデータ」と泣かれてしまった。そりゃ僕も悪かったと思ってるけど、おんなじところまで進めてやったのだ。データに特に違いがあるわけじゃなし、何がそんなに気に入らないのか解らない。まだ拗ねて、「僕がクリアしたかった」とぶつぶつ言っている。
しょうがないので、「分かったって、後でゲーセン連れてってやる」と譲歩案を出した。かなり譲ってやったってのに、まだ気に食わないらしい。ブンブン頭を振って、「ハッちゃんとゲーセン行くと、ボットーしちゃってバルザックだもん」と言う。誰か変なこと教えやがったなと僕は考えた。
大学二年の夏休みのことだったと思う。僕には甥っ子がいた。子供の頃の僕にとても良く似ているらしい。まあちょっと身内の贔屓目ってものも入ってるかもしれないけど、素直で何でも信じるいい子だった。僕はもうちょっとひねくれてたような気がするんだけど、そんなに昔のことは良く覚えていない。
まあ普通の子だった。すごく普通。多少甘ったれですぐ泣くが、喋り方とか話す内容なんかは子供だと侮れない。小学校に上がったばかりだって言うけど、僕がイメージする小学一年生よりは随分しっかりしていた。
この間僕の家に寄った上杉が、「隠し子?」と驚いていた。まったくそんな訳がない。僕の年齢を考えてもらいたい。
まあそいつと次に会う時には、今日のことなんかけろっと忘れてしまっているだろうと考えていたのだ。結構気楽に。
それから数年後のことだ。2000年問題や新作ゲーム機の発売なんかで世間が慌しかったのをぼんやりと覚えている。ニュースは連日間近に迫ったシドニーオリンピックのこと、それから数日前にどこだかの山が噴火して、住民が避難したらしいってことを流していた。
僕は大学三年生になっていて、そろそろ将来のことを真面目に考え始めた頃だったと思う。大学院へ進むか就職するか。
多分あの頃の僕なりに、将来に対する漠然とした不安めいたものも感じていたんだろう。目に付いた資格を片っ端から取るのが趣味みたいになっていた頃でもあった。医療従事者資格から、フラワーコーディネーター、ケンカ十段、格闘ゲームの名人号なんか。
たまに会うこともある甥っ子のことを、日常において特に思い浮かべたりすることはなかった。まあみんなそんなもんだと思う。電話で声を聞いたり、ふとした拍子で話題にでも出なきゃ、親族の顔なんて思い浮かべないだろう。加えて僕は一人暮しにようやく馴染んできたところだったのだ。毎日明日の課題や学食のメニューのことばかり考えて生きていたのだ。
そこへいきなり電話が掛かってきた。朝がたのことだったと思う。家族からだった。テレビをつけてみろと言うのだ。昨夜港区で大規模な爆発事故があって、現場の近くに住んでいた僕の姉夫婦に連絡がつかないという。
ニュースでも後々まで結構長い間大騒ぎされていた事件だ。死者や行方不明者の名前がテレビのブラウン管に映し出されていた。事故の翌日の夜に、不明・死傷者の名前リストに、僕は良く知った彼らの名前を見付けた。そしてそれがリストから削除されることは、残念ながら最後まで無かった。
僕はその時、あまりにも現実味がないものだから、しばらくぼけっとして、チャンネルをクルクル変えてみたのだ。そしたらモデルの桐島や司会者をやってる上杉が映って、なんとなくぐったりした気分になって、テレビの電源を切ったのだ。
あいつもみんなみたいにもっと良いふうにテレビに出られれば良かったのになとその時僕は考えたんだったと思う。初めての晴れ舞台が、凄惨な事故の犠牲者名簿だなんて、やりきれないだろう。たぶん。
それからまた十年ほど経つ。彼のことは、ああ昔死んだ親族がいたなあというくらいの思い出になっている。そこに高校時代の同級生から連絡が入ってくる。「すぐに来い」と。
彼は昔からそう言うところがある。用があるなら自分から来れば良いのに、わざわざ人を呼び付けるのだ。何様だ、と言ってやりたいが、彼はそれなりに『様』付けがさまになる男なので、大体の場合は諦めて「ハイハイ」ということになる。
何せ大企業の社長さんなのだ。グループの総帥ってのが具体的にはどんなものなのか僕は知らないが、まあそういうものなのだろう。社長さんだ。とても偉いらしい。
南条と言う。名前を呼ぶとなんでか知らないが怒るから、あまり呼んだことはない。
電話では声が硬かったから、結構な大事があったんだろうなと思って、家を訪ねて「倒産でもした?」と訊いてやると、「馬鹿なことを言わずにそこへ座れ」と怒られた。
彼はいつも不遜過ぎるのだ。そのせいで、話しているといつも怒られているような気分になる。
「最近どうしている。お前の近況は激しく不透明だからな」と訊かれる。彼が人のことを詮索するなんて珍しいことだ。例えば、僕は南条が上杉や稲葉なんかに「最近どうしている」と訊いているところを見たことがない。
僕は「うん、特に問題ない」と答える。
「ジャアクフロスト族と和解したんだ。こっちとしては武力行使も辞さない考えだったんだけど、ヒーホー君たちのためとは言え、あいつら可愛いから殴らなくて済んで本当に良かった」
だがそう言った途端、ちゃぶ台返しだ。「お前はこの歳になって仕事もせずにオンライン・ゲームにうつつを抜かしているだと! お前のような奴をニートと言うんだ。あの上杉や稲葉ですら立派になっていると言うのに!」とすごく怒られてしまった。
「心外だ」と言うと、「黙れ」と瞬殺された。まったく南条は昔から横暴過ぎる。僕が彼に何をしたと言うんだ。迷惑は掛けていなかったはずだ。
「お前の腑抜けた根性を叩き直してやる。明日から我が南条グループが平社員として雇ってやろう。我が社の教育は徹底している。お前はやれば出来る奴なのだ。お前程の統率者としての才能がある男を、眠らせておくのは勿体無い」
「ええ……俺、忙しいから無理。子分に餌やらないと」
「だからゲームをやめろと言うのだ」
また怒られた。釈然としない。
「結局何の用なんだよ。俺怒るために呼んだのかよ」と文句を言ってやると、「そうではない」と溜息を吐かれた。まったく、溜息を吐きたいのは僕の方だ。
彼はファイルから紙の束を抜き出してきて、「見ろ、近年我が社の社員が変死するという事件が相次いでいる」と言う。
僕はテーブルを起こして、椅子に座って頬杖をつき、「ふうん」と頷く。書類を覗き込むと、スーツ姿の人間の顔写真、名前、役職、死因なんか、色々と難しいことが書かれている。
「死亡時間は全て同じだ。日付変更線を跨いでの突然死ということになっている。調査を進めた結果、この現象は我が社の社員だけに起こっていることではなかった。全国的に発生しているのだ。その中で、ほとんどの事例が発生しているのがここだ。港区。お前は桐条グループを知っているか」
「なんかどっかで聞いたことはある」
「我がグループと古くから浅からぬ関係にある。お前もさすがに、新聞やニュースで十年前の爆発事故についてくらいは知っているだろう」
「ああ、うん、良く知ってる」
僕は頷く。南条も「うむ」と頷く。僕がまともに話を聞いているかどうかの確認って感じだった。
「港区は桐条グループ出資の月光館学園、ポロニアンモール等の多数の施設があり、居住者もグループの関係者が占める割合が非常に大きい。先の突然死事件が、この近郊で、半年間だけで六人。日付変更線付近の事故死ということになると、数は約三倍になる」
港区近辺の地図に、いくつも赤い点が打たれている。『事故発生現場』と書かれている。
「死因は様々だ。銃痕が見られる、裂傷による出血多量、頭を割られているもの」
「治安悪そう」
「港区には『復讐代行人』という都市伝説が流れているようだ。復讐代行サイトに憎い人間の名前の書き込みを行うと、必ず相手を殺してくれるという。噂自体が流れ始めたのはつい最近のことだ。確かに死者はここ数年間で特に増加しているが、原因不明の死傷者というものは十年弱前から存在した。気になるのが、突然死した人間の死体の状態だ。古いケースのものは、首をはねられていたり、上半身が欠損し、非常に大きな動物の牙で食い千切られた跡が残っている。あきらかに異常な状態だ。書類を見ろ、下のものだ」
「うん」
「だが最近はこうだ。銃で撃ち抜かれている、ナイフで心臓を一突き。鈍器で頭を殴られている。例えば何か人を殺す存在がいたとして、長い年月を掛けて、ただ殺すのではなく、『事故に見せ掛ける』ということを覚えたようなふうに見える。私的な感想だが」
「うん」
「お前も気付いたとは思うが、古いケースの死因、これは明らかにペルソナ能力によるものだろう。人体発火炎上、火炎系だな。全身に裂傷、出血多量、疾風系だ。感電、胸に巨大な氷柱が刺さっていた。人体に全く欠損がないにも関わらず、奇妙な経文が皮膚に浮かび上がり、苦悶の表情で事切れている。言う間でもないな。ペルソナ能力を悪用している存在がいると見て良いだろう」
「うん。なに、俺は悪の人殺しペルソナ使いを倒す正義のヒーローみたいなことをやればいいのか。フェザーマンみたいなピチピチの全身タイツ着て? ちょっとそういうのはもう勘弁して欲しい歳になっちゃってるんだけど、まあやれって言うならやる」
「人の話は最後まで聞け馬鹿者。部下に数年掛かりで調査をさせた結果、犯人像が浮かび上がった。現場で殺人者の顔を見た者がいたらしいのだ。警察は全く相手にしなかったらしいが、目撃者は通報した次の夜に失踪している。現在も行方不明中だ」
「じゃあ結局誰だか分からないんじゃん」
「話は聞けと言っただろう。目撃者は警察署内で殺人者の顔を描いて、「こいつが人を殺した」と訴えていたらしい。それが、これだ」
南条がファイルを繰り、白い薄手の紙を摘み出した。そこには男だか女だか分からない、中性的な顔立ちの人間がいた。猫みたいな吊り目で、綺麗な顔立ちをしている。
「目撃者って絵が上手かったんだな」と言うと、南条が「もっと他の感想はないのか?」と、僕をじとっと見て言った。
「仕事もせずにゲームばかりしてふらふらしているかと思っていたら、まさか人殺しに手を染めていたとはな。まったく貴様には失望した」
「え」
「貴様が警察の手に負えるとは思えん。特別に我がグループが用意した監獄がある。快適とは言えんが、文句は言わせんぞ」
「え、ちょっと待って」
僕は身の危険を感じ、「何のこと」と言う。南条が「言い訳でもする気か。見苦しいぞ」と言う。彼はいつでも僕の話を聞かなさすぎる。
「え、俺か? 俺がやったって? 俺なんもやってないけど、ほんとに。最近やった悪いなってことと言えば、庭のアサガオに水やり忘れて枯らしちゃったことくらいで」
冤罪だ。僕は「ほんとにやってない」と結構必死に弁解した。南条は慌てふためく僕をしばらく観察したあとで、「冗談だ、馬鹿者」と言った。
「何年友人をやっていると思っている。仮に貴様が犯人だと部下から報告を受けたとしても、俺は信じん。お前なら、まず死体が発見されたり、誰かに現場を見られたりするようなへまはしないだろうからな」
「南条でも冗談って言うんだ。全然笑えなかったけど。いや、信じないってそこかよ。お前は人殺しなんかする奴じゃないって、嘘でもいいから言って欲しかったかもしれない」
どうやら彼は、僕がその似顔絵を見た反応が気に食わなかったらしいのだ。ちょっと苛めてやろう、とか思ったらしい。まったく性格が悪いということを言ってやると、「人が悪いとは良く言われるが、俺に性格が悪いなどと言うのはお前らだけだ」とにやっとされた。
「この犯人の男、高校時代のお前にあまりに似ているものでな。お前に弟や親戚がいないかということを聞こうと呼んだ。本人に聞くのが一番早いと思ってな」
「俺に、似てるか? いや、あまり似ていないと思う。高校時代の俺はもっと男らしかっただろう。こんな男か女か分からないようなもやしっ子じゃなかったはずだ。むしろマッチョだったはずだ」
「……まああの頃のお前がどんな白昼夢を見ていたかは知りたくもないが、見覚えはないか。ないならいいが――」
「でもこいつ、なんか見覚えあるな。俺甥っ子がいてさ、この港区に住んでたんだ。あいつがもしでかくなってたらこんなふうになってたのかもしれないな。似てるって良く言われてたんだ」
「何故それを早く言わん」
南条の顔つきが厳しいものになる。僕は「でもありえないと思う」と首を振る。
「死んだんだ。十年前に爆発事故に巻き込まれて家族と一緒に」
◆
なんでも桐条ってのは、妙な実験ばかりやらかしているってので有名な会社らしい。「まったく大企業ってのはろくなことしないな」と言ってやってから僕はふと気付いて、「あ、そう言えばお前もでかい会社の社長なんだっけ。変なことしたらダメだぞ」と南条に忠告してやった。彼は複雑な顔をして、「本人の前でそう言うことは普通言わん」とか言っている。
「前の当主が道楽家だったそうでな。あらゆる後暗い仕事に手を染めていたそうだ。現当主が後始末に追われているらしい」
子供を誘拐して人体実験に使っていただとか、奇妙な生き物を飼っていただとか、ロボットを造っていたとか言う無茶苦茶な噂まであるそうだ。
それで今はこういう感じになっている。僕は例の甥っ子と一緒に『反省中。チューインソウルを与えないで下さい』と注意書きを貼られた檻の中に入れられている。『特別に我がグループが用意した監獄』ってのは冗談じゃなかったらしい。力が抜ける。ペルソナが出て来ない。南条グループも結構得体が知れないじゃないかと、恨みがましげに僕は考えた。
南条に「勝手なことをするな」と散々怒られた。彼はどうやら僕が、大量殺人鬼の疑いが掛けられている甥っ子を、連れ帰って面倒を見てやろうとしている事が気に食わないらしい。「しばらくそこで頭を冷やしていろ」と檻に入れられた。まったく、僕は南条の部下じゃない。勝手もなにもない。僕は僕のやりたいことをやるだけだ。
原因の甥っ子はむくれた顔で、「なんだあの眼鏡」とぶつぶつ言っている。南条の悪口なら大歓迎だが、元々は彼のせいなのだ。「お前ほんとになんもやってないの」と聞いてやると、彼は僕を睨んで、「当たり前だろ」と言った。
「だから、言ってるだろ。知らないって。俺は人殺しなんかしない。普通の学生。今まで普通に十七年生きてきました。誘拐とか、悪の秘密組織とか、お前の言ってることって訳が分からない。いい歳してゲームのやり過ぎじゃないの。現実を見ろよオッサン」
「今SP残ってたら、俺お前にメギドラオン撃ってた。オッサンって呼ぶな」
「俺も絶対ハルマゲドン撃ってる。むかつく」
「むかついてんのはこっちだ。何でお前みたいな可愛げのないガキの面倒見なきゃなんないの」
「絶対俺の方がお前の倍むかついてる。セーブデータ返せ。俺のゲーム勝手にするな。部屋片付けろ」
「いや、俺の方が三倍むかついてる」
僕は疑り深い目で彼を見て、「ホントにお前じゃないの?」と念を押してやった。
「だってお前、人食ってても何の違和感もない見た目だし」
「だから、知らない。しつこい。なんで俺が他人の復讐なんかかわりにやってやんなきゃなんないんだ。俺の能力は俺の幸せを追い求めるためだけにあるんだよ」
「マジで? じゃあ夜な夜なお前どこに出掛けてんだよ」
「パトロールしてんだよ。だって俺正義の味方だから」
「うさんくさい」
「お前の方がうさんくさい。三倍」
突っ掛かってくる顔なんかを見ていると、ただの子供だ。見た目だけは。
でも彼には異常なまでに強いペルソナ能力がある。威力こそ僕よりもいくらか劣るが、二体同時顕在化なんてこの僕でも見たことがない。さっきだってちびのくせに、最強の僕のメギドラオンを、ギリギリだったけど相殺しやがったのだ。生意気過ぎる。
生まれついての能力ってのには、ちょっと無理があると思う。僕が良く知っていた頃の彼には、こんな能力を必要とする何かが無かった。今の彼にはあるのだ。理由があるはずだ。
とにかくいつまでもペットみたいに籠に入れられているわけにもいかない。僕にも色々仕事ってものがあるのだ。歩道の掃除をしたり、野良猫に餌をやったりしなきゃならない。靴の踵から針金を抜き出し、錠前を外しに掛かる。あの男と友人を何年もやっていると、こういうことが得意になるのだ。彼は僕を閉じ込めて説教したがるという変な癖がある。教育ママみたいな奴なのだ。
「まあ、信じてやってもいいよ」と僕は言う。すごく可愛げがない上に死ぬ程うさんくさかったが、彼はしばらく見ていた感じ、ただの子供だった。
彼は悪意とは程遠い生き物に見えた。単純なのだ。馬鹿とも言う。少なくとも彼個人が『復讐代行』なんて難しいことを発案するふうには見えなかった。
「偉そうに言うな。何様だ」
「王様だ。なあ甥っ子、いいのかな。嘘吐いてたらすげえ大変なことになるっぽい」
「大変なことってなに」
「もしお前が本当に人殺しで、本当に復讐代行人ってやつで、ペルソナをろくでもないことに使ってたとして、その時は親族代表として、俺がお前の暴挙を止めてやんなきゃなんない」
僕は馬鹿にも良く理解できるように、少し間を置いて、ゆっくり言ってやった。
「つまり、お前を殺すよってことだよ。わかる?」
「くどいなオッサン。俺知らない。それに俺の家族はお前じゃないし、お前なんか知らないよ。いい加減妙な言い掛かりつけんのやめてくれる」
彼は相変わらず憮然とした顔で、澱みなく答える。まったく可愛くない。そう言ってやると、「お前に可愛いなんて言われたらすごく気持ち悪い」とすごくむかつく返事があった。こんな奴と血の繋がりがあるとか、僕はすごく不幸だ。
それにしても妙なのは、彼の記憶と僕の記憶に齟齬があることだった。両親と彼自身は、十年前の爆発事故で死んだはずだった。だがそれを聞いてやっても、「はあ? なにそれ知らない」と返ってくる。「爆発なんか知らない」と。
少なくとも彼には十年以上前の記憶がない。そのくせ、両親の死についてははっきりと覚えているのだ。十年前に死んだはずの両親の死を。なら彼の言う両親とは、一体誰のことだ。
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