初めてひとを好きになってしまいました、と僕は書く。
 確かにこの世界には目移りしちゃうくらい綺麗な女の子がたくさんいます。でも僕がやっと見付けた愛しい人こそが君なんですと。
 僕はまだ上手くこの国の言葉を理解していないから、文字を書くとなると苦労する。日常話をしている分には完璧だ。そう思う。書くのも簡単な単語なら分かるし、漢字も使うことができる。
 でも人の心を打つ手紙を書くとなると、ちょっと大変だ。僕がどれだけあの人のことを好きになってしまったのかってことを知ってもらいたいのに、こんなじゃだめだ、全然伝わらない。僕は諦めてペンを投げ出し、そのまま勉強机の上に突っ伏した。
 そして大きな溜息を吐いた。階下でコロマルが吼えている。女の子たちの笑い声も聞こえる。隣の部屋からはゲームの撃墜音と、「チクショー!」という罵声、それから向かいの部屋からは「おのれ黒いの、今度こそ負けん!」と熱い叫び声が聞こえてくる。僕の寮はとても賑やかだ。
 賑やかだけど、でもひとつ足りない。この寮は規則に厳しくて、外部の生徒は門限厳守だ。寮生も同じ。そして僕が好きな人は、規則を破ったりそういうことをしちゃいけない人なのだ。頭が良くて(なにせ学年トップだ。信じられない)、真面目。生徒会にも出入りしている。つまり僕は当分一人の夜を過ごさなければならないってこと。
 いっそのことあの人がペルソナ使いだったら、僕らは何の障害もなく一緒に夜を過ごせたのに、上手くいかないものだ。そう考えてから、僕はああダメだと思い直す。あんなにおとなしくて優しい子が恐ろしい怪物(らしい。良く分からないけど)と戦うなんて、そんなのは絶対にダメだ。
 いやでも、もしもあの子が風花さんみたいな索敵タイプだったとする。悪い奴らと戦う僕を、あの子がサポートしてくれるのだ。「望月、頑張れよ」なんて言ってくれちゃったりして。
 僕が格好良いところを見せちゃったりする。するとあの子は、「すごいな望月、惚れ直した」と言う。あの綺麗な顔を赤く染めちゃったりして、はにかんで。
 想像してしまったらあんまり可愛過ぎて、僕は机に突っ伏したまま「わああ」とうめいた。
 僕はまだ特別課外活動部見習いでペルソナも出せやしない上に、まだ一度もタルタロスって建物に入ったことがないんだけど、空想するくらいは怒られないよね。
 ほんとにほんとに、僕はあの子のことが好き過ぎる。みんなはどうしてあの子のことを妖怪だなんて言うのかなと訝しく思う。彼の素顔はとても美しいのに。仮にそれがあの長い前髪で隠れてしまっていたって、とても美しい心を持っているのに。
 僕はあの人を愛してる。彼も僕のことが、僕が彼を想うくらい好きになってくれたらいいなと考える。
 残念ながら修学旅行では思ったよりも一緒にはいられなかったけど、明日もあの子に会えるって考えるだけで、すごく元気が沸いてくる。学校って、素敵だ。







 翌朝登校すると、いつもは僕よりも早くに来ていて、席に着き、ミュージックプレイヤーで音楽を聴いている彼の姿が無かった。「具合悪いのかな?」と心配していると、「登校拒否じゃねえの……」と順平君が不憫そうな顔で言った。
「あいつまた修学旅行で、いつもの倍すごい目に遭わされちゃったみてーだしよ。今日放課後家寄ってやっかな」
「ぼ、僕も行くよ、うん。心配だ。大丈夫かな」
「お前はやめといてやった方が……いや、お前しか知らねぇのか、あいつん家。あいつどこ住んでんの?」
「え? 知らない。順平君知ってるんじゃないの、すごく仲良しなんでしょ」
「いや、あいつ恥ずかしがって家教えてくんねーんだよ」
 クラスメイトの誰に訊いても、あの子の住所を知っている人がいない。鳥海先生に訊いてみても、「そういうのはダメ」と言う。
 心配になって携帯に連絡してみても出てくれない。どうしたんだろう。





 それにしても今日はなんだか変な日だった。女の子たちはよそよそしいし、男子生徒は奇妙な目つきで、クラスの中でひとつっきり空いている席を見つめている。彼らの目はまるで、すごく恐ろしい幽霊や、それこそ妖怪なんかを見ているようだった。こんなものほんとにいるわけないのに、ってふうに。
 僕がその噂を耳に入れたのは、授業が終わり、放課後になってからのことだった。いつものようにとりとめのないことを喋り合いながら時間を潰している男子生徒が、ちょうどそばにあった、今日は不在だった生徒の席をちらっと見て、「おい、知ってるか」と、話し相手のふとっちょの男子に、まるで自白をする犯人みたいにいかめしい顔つきで言ったのだ。
「A組の女子がさ、黒田の名前、復讐代行サイトに書き込みしたらしいぜ」
 僕には何のことだか分からなかった。でも、僕と立ち話をしていた順平くんは、目を丸く見開き、ほんとにお化けでも見たような顔つきになった。今日ちょっとおかしかったみんなとおんなじような感じ。「ちょ……! それ、マジ?」と泡を食っている。
「なんだい? その復讐……なんとかって」
 素直に疑問を口に出すと、いきなり大声を上げた順平くんにびっくりしていた男子生徒たちが、「お前、復讐代行人知らねえの?」と意外そうな顔をした。どうやら有名な話らしい。
「うん、知らないや。なにそれ」
「お前、こっち来たばっかりだもんな。噂だよ。ほら、怪談とか都市伝説みたいなあんな感じ。WEBサイトに殺したい奴の名前を書き込んだら、実際に相手を殺してくれる必殺仕置き人みたいなもんなんだよ。誰かに恨みを買ってる人間しか殺さないんだって」
「なんでもちょっと見ないくらいすげえキレーなオネーサンらしいぜ。いいなあ、俺美人になら殺されてもいい」
「あれ、俺女子が絶対美少年だってキャーキャー言ってるの聞いた」
 僕は「ふうん」と頷く。「でも怪談なんでしょ?」と言う。男子二人は顔を見合わせて、「そうでもないらしい」と言う。
「四月に、どこだかの寮生が、ほんとに復讐代行人に殺されたらしいぜ。変死だって」
「ほんとにいるんだって。実際サイトもあるらしいぜ。ただ、アドレスコロコロ変わるから、なかなか繋がらないんだって。黒田って女子に嫌われてたじゃん。いや、なんかもう嫌いっていうか、憎まれてたっていうか。かなりお前のせいなんだけどな、望月」
「それであの話だろ。今日あいつ休んだじゃん。だから黒田は復讐代行人に殺されたんだって噂になってる」
 僕は「まったく悪趣味だね」と呆れてしまった。今日のみんなのよそよそしさはこれだったんだと思い当たる。怪談って言ったって、お化けなんていないんだから、ただの実体のない噂だろうと僕は思ったのだ。
 でも意外なことに、順平君はそうは思わなかったらしい。話を聞かせてくれた男子二人をつかまえて、「なあ、黒田って寮生じゃんよ。誰かあいつと同じ寮に住んでるって奴知らねえ?」と、結構必死な顔で訊いている。「順平君?」と僕が呼び掛けても聞いちゃいない。
「黒田ねえ……なんか、巌戸台のどっかの寮に住んでるって奴が、一緒の寮で見たって言ってたけど」
「だからそれ誰だって!」
「知らないって。黒田のやつあんまり人付き合いとかそういうのしないらしいし。なに本気になってんだよ順平。ただの怪談だって、怪談」
 順平君は「わり、帰るわ」と言って、僕のマフラーを引っ張り、早足で歩き始めた。「ちょっと苦しいんだけど」と訴えてみたけど、「うるせぇ」ととり付くしまもない。
「どうしたんだい、順平君。さっきからなんかおかしいよ?」
「ゆかりッチはドコ行っちゃったんだ。ゆかりッチも、お前も、同罪だからな。黒田の奴になんかあったら、お前らのせいだから」
「え? 何を言っているんだい?」
「だから、お前らがあいつにちょっかい掛けてたせいで、あいつ恨み買って、殺されたかもしれないんだって」
「は?」
 僕は訳がわからず、ただ息が詰まって、何も言えなくなった。玄関の靴箱が見えてきた辺りで、「でも噂話でしょ?」と言う。僕の声は震えていた。
 なのに順平君は、はっきりと確信を持った声で、「あいつらは本当にいるんだよ」と言った。
「お前まだ新入りだから知らねーだろうけど、復讐代行人ってのは、うちの特課部のライバルチームみてーなもんなんだ。影時間に人殺したり物盗んだり、とにかく悪いことにばっかペルソナ使う奴らなんだ。ストレガって名前なら、お前も聞いたことあんだろ」
「うん、まあ、たまに先輩がたの話題に出るから」
 順平君はかなり苛々しているみたいだった。戸惑いながら僕は頷く。
「チドリっているじゃん。オレが好きな子」
「うん……」
 急に何でそんな話をするんだろうって訝しく思っていたら、「あの子がストレガ」って言う。僕はあんまり頭の回転が早い方じゃない。頭のいいあの子とは違うのだ。
 ようよう飲み込めたところで、ざあっと血の気が引いていった。順平君が、いつもは絶対に見せない真面目で厳しくて怖い顔で、「こんなんダメだ」と言う。
「なあ、好きな子がさ、オレのダチを殺すなんかダメなんだ。あの子はもう人殺しなんかしちゃダメなんだ」







 彼の住所を知らされたのは、美鶴先輩に事情を話した後、「お前たちは寮で待機していろ」と指示を下されてから数時間経った頃のことだった。正直なところ、僕は生きた心地がしなかった。
 あんまり不条理なことが起きると、これはもしかすると悪い夢でも見ているんじゃあないかと疑りたくなってしまう。今の僕はちょうどそんな感じだった。ラウンジのカウンターの横にぼうっと突っ立って美鶴さんからの連絡を待っている間、上手く自分の身体というものがあるんだと認識できなかった。僕がここにいない感じっていうのか、なんだかわからないけどそんな感じ。
 寮の電話のベルが鳴る。僕は大慌てで受話器を上げる。「はい、もしもし、美鶴さん?」と言う。僕の声はすごく上擦っていた。
『黒田の寮が判明した。巌戸台寮一号館の二階だ』
「巌戸台寮一号館、わかりました。君たち、誰か知ってるかい?」
 建物の名前は今僕が住んでいる寮とすごく似ていたけど、詳しい場所は分からない。誰か知りやしないかと仲間の顔を見ると、みんなびっくりしたような顔でいる。
「ちょ……それって」
「え、どこだい?」
「バッカ、この寮の裏にあんだろ! なんで今まで気付かなかったんだ、あいつお隣さんだったんじゃん」
 順平君が玄関を飛び出していく。慌てて僕も続く。
 彼が言った通り、巌戸台寮一号館ってのは、巌戸台分寮の真裏にあった。こんなにそばだったのだ。
 もしかすると、日々賑やかな巌戸台分寮から聞こえてくる僕たちの声を、彼は聞いていたのかもしれない。そのくらい近かった。お隣さんだったのだ。あの子は何も言ってくれなかったから、僕は何も知らなかった。





 「門限」とその男の人は言う。夜遅くに訪ねて来られたのが気に食わないらしく、何度も欠伸を噛殺して、不機嫌そうな顔をしている。
 以前にも一度僕は彼に会ったことがある。確か僕と黒田くんと順平くんと三人で、修学旅行準備の買い出しに出掛けた時のことだ。ほんの数日前のことで、しかも僕と黒田くんが似ているって素敵なことを言ってくれた人だったから、良く覚えている。黒田くんが、この人が寮の管理人さんだと言っていたのも覚えている。
「門限は夜十時。今何時だと思ってる? しかもこんな大人数で、今からパーティーでもやるつもりかな。お兄さん騒がしいのはあんまり好きじゃないんだ。子供は夜は早く寝て過ごすべきだ。俺も高校生の頃は寝てばかりいたよ。だからこんな立派な大人になってるわけ」
 ぶつぶつ文句を言いながらも、来客名簿を取り出してきて、気だるそうな顔をしながら何か書き込んでいる。「さっさと行けば」と言う。僕らがどれだけ大慌てでいるのかを、ちゃんと悟ってくれたらしいのだ。まあ、順平くんなんかは真っ青になっているし、ゆかりさんもすごく居心地が悪そうな顔をしている。先輩たちも厳しい顔だ。そして何より、僕自身が一番ひどい顔をしているって自信があった。何の自慢にもなりやしないけど。とにかくすごく分かりやすい。
 管理人さんは、口ではそっけないことを言いながら、実は親切な人らしい。そういうところや全体的な雰囲気なんかが、黒田くんに少し似ている。「優しいんですね」と言うと、「ゾッとした」と返された。
 ゆかりさんが彼に、「あの、弟さんとかいます?」と聞いている。彼は「いないけど」と答える。ゆかりさんは自分でも変なことを聞いたものだと思ったらしく、「ごめんなさい」と詫びた。
「そう、そんな場合じゃなかったんだった。あの、この寮に妖怪……じゃなかった、二年の黒田くんって男子生徒がいると思うんですけど、どの部屋に住んでるか分かりませんか。私達彼の……ええと……クラスメイトなんです。ちょっと急用があって、でも部屋までは知らないんです」
 「教えていただけませんか」とゆかりさんが言う。管理人さんはすごく意外そうな顔つきになって、「あいつこんなに友達いたの?」と言う。ゆかりさんは「ちょっとそういうのは違うんですけど」と答えたが、順平くんと僕は勢い良く「そうです!」と頷いた。黒田くんは大事な友達だ。僕にとってはそれだけじゃあないけど。
 管理人さんは「ふうん」と頷き、階段を指差して、「二階、一番奥」と言う。はからずも僕とおんなじ部屋割だ。この寮は構造がすごく巌戸台分寮に似ていたから、不思議な気持ちになった。
 階段を上がって右、廊下を突き当たって、一番奥の部屋。辿り付いてから気がついたんだけど、鍵が掛かっている。そりゃそうだ。
 ノックして「黒田くん?」と呼んでも返事はなし。どうしようと思っていたら、アイギスさんが「非常事態です。下がってください」と言い置いて、鍵穴に細いドリルを突き刺した。こういうのを『ピッキング』と言うらしい。
「黒田さん!」
 アイギスさんはほんとに黒田くんのことが好きだ。ペルソナ使いじゃない彼を、アイギスさんがどうしてそこまで大事に思うのかは誰も知らない。彼女は勢い良く扉を開けて、それから面食らったように動きを止めた。部屋の中には誰もおらず、何も無かった。
 僕もちょっとびっくりした。空き家なのかな、と思った。元はそれなりに綺麗な部屋だったんだろうけど、壁がごっそり崩れている。穴の上には青いビニールシートが張られていた。
 床には雨漏りの跡が染みになっていた。いろんな箇所がところどころ焼け焦げていた。まるで火事の後みたいに。
「なに、この部屋。ここだって、ほんとなの?」
 「これ、人が住める部屋じゃないでしょ」とゆかりさんが言う。僕もそう思う。まるでガス爆発が起こったみたいな部屋だ。本棚なんか炭になっている。
「そう言えば昨日か一昨日、近所でガス爆発があったってみんな騒いでましたよね。黒田くんの部屋だったんだ……」
「まさかストレガの仕業か?」
「騒ぎになってたのは、昼間でしたよ。彼らの仕業じゃないとは言いきれませんけど」
 いびつな形に変形した机の上に、綺麗なノートが教科書と並べて、開かれて置かれていた。
「あれ、これ、昨日出た数学の宿題じゃない?」
 見ると本当に、来週提出の宿題だ。完璧に済ませてある。順平くんと僕は、そんな場合じゃないのに、何となく食い入るようにノートに見入ってしまった。
「ということは、黒田くん……昨日の夜、この宿題、この部屋でやってたんだね。焼けてるとか、壊れてるとか、そういうのは気にしなかったのかな……」
「あいつって、たまにどうでも良いところで漢だよな。動じねーっつーか」
 順平君が溜息を吐いて頭を掻いている。彼は勉強机の上に置いてある小瓶を摘んで軽く振り、「これ、オレがやった奴だわ」と言った。
「屋久島の砂。あいつ、こんなつまんねーもん、ちゃんと大事にしてくれてたんだな」
「部屋にいないってなると、まさかもう……」
「バカ、縁起でもねーこと言うなって。……ちょっと買い物に出てるだけかもしんねーだろ」
「そうだな。まだ黒田が復讐代行サイトに本当に名前の書き込みを行われたのかは分からん。ただの噂だ。だが可能性は充分にある」
 真田先輩が頷く。僕らは何か彼の行方について手掛かりはないものかと、部屋の中を家捜しする。と言っても、本当になにもない。あらかた焼けていたし、机の引出しは溶けてくっついてしまっていて開かない。
「こんな部屋で普通に生活してんだね、あいつ。なんか可哀相になってきた。色々、なんか悪いことしちゃったかな……あ、これ、メモみたいだけど」
 ゆかりさんが、ノートの下に貼りつけられていた付箋を剥がして読み上げる。
「ええと、『ミックスレイド覚書き。コンプリート完了。未回収カード有』……ゲームのメモ? あ、それともう一枚下に」
 一枚繰って、読み上げる。
「今日の日付ね。『午前八時、登校前に天文台前で待ち合せ。理事長先生。用件不明、今後の学生生活について?』――
「ちょ……やばいじゃん。理事長と待ち合わせって、本格的にやばいじゃん」
 何がやばいのか分からない。「なにが?」と聞くと、順平君は「やばいっつったらやばいんだよ」と、まるで答えになってない答えを返してくれた。
「とりあえず天文台だ。今は何時だ?」
「十一時半です!」
「くそ、もうすぐ影時間に突入するな……急げ、今日の朝まで無事だったのなら、まだ生きているはずだ。おそらく奴らが人殺しを行うのは、他の記録にすり変わる影時間の間だけだ。手遅れになる前に黒田を見付けろ!」
 真田先輩が叫ぶ。手遅れ、と僕は考える。手遅れって、どういうこと?
「おい何やってんだリョージ! さっさと来いって!」
「わ、わかってる!」
 僕は頷く。そしてなんにも考えられないまま、みんなにくっついて駆け出す。





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管理人:ゆりんこ 2007年04月29日〜