皇子様にお仕えしている間、僕は自分に貌がないことがそう気にならなかった。今は何の仮面を付けていたっけなと、ふと考え込むことはなかった。僕はとても満ち足りていた。
でも彼がいないと、僕は空虚だった。そこら中に転がっている影人間たちとそう変わりはなかった。僕は滅びだけを待ち望んでいた。滅びの日に僕の主に「ご苦労だったね」と言われることが、数少ない僕の楽しみだったのだ。
――考えてみれば、それが生きているってことだったのだ。僕はいつだって回り道をし過ぎる。今まで生きてきてここでようやっと気付くなんて、馬鹿な話だ。
皇子様がいなければ、僕がここにいたって何の意味もない。彼がいることが、僕が存在する証だった。
彼は絶対的な死でありながら、限りなく僕の生でもあったのだ。
◇◆◇
「嫌だ、離せって! 離せよ!」
僕はじたばたもがきながら、なんとか掴まれた腕を振り解こうと必死になった。でも相手は僕が喚こうが暴れようがびくともしない。「ハイハイ」とどうでも良さそうに頷いているが、僕の言うことをまともに聞いてくれちゃいない。
「外国とか嫌だ、だって外人ってのあれ、目が合ったらマサカド喚んでメギドラオンとか吐いてくるんだぜ!」
「お前一体どこの星に行く予定立ててるの。この国いらんないだろ、散々悪行の限りを尽くしてた訳だし。――向こうなら、お前の病気ももしかしたら治せるかもしんないじゃん」
僕の叔父が、とんとんと指で自分の頭を示して言う。まるで僕の頭が病気だって言われたみたいだが、そうじゃないだろう、多分。僕の身体の話だ。
僕はむくれて「関係ないじゃん」と言う。「それよりやらなきゃならないことがあるんだよ」と言う。
今朝から僕は圧倒的火力で沈められ、トランクに詰められてしまったのだ。空港の荷物検査で引っ掛かったのが幸いだった。「お客さん、こういうのは困るんですよね」「いや、これペットですから」「いや、困るんですけどね」というやりとりの後、僕は解放されたわけだ。もし検査がずさんなものだったら、僕は寝ている間にどことも知れない異国の地に送り飛ばされていたろう。危ないところだった。
でも話はそれで終わらなかった。叔父は何としてでも僕をこの日本から退去させたいらしいのだ。それはとても困る。僕はここでやらなきゃならないことがあるのだ。
「行きたくないんだぜー……」
「我侭言わない。いい歳して子供みたいなこと言わない」
「じゃあ子供扱いするなよ。俺は俺の意志でここに残りたいって言ってる」
「却下」
ごねてもまるで話を聞いてもらえない。泣きそうになってきたところで、「栄時!」と僕を呼ぶ声がした。
僕を栄時なんて名前で呼ぶのはひとりきりだ。思った通り、綾時様が息を切らせてやってきた。
「綾時様……」
彼は僕を見付けて「良かった、間に合ったあ」とほっとした様子で言って、半泣きの僕の手を取り、大真面目な顔をして僕の叔父に言った。
「――甥っ子さんを、僕に、下さい!」
「……あ?」
叔父はきょとんとして、僕と綾時様の顔を見比べて首を傾げた。まあ気持ちは分かる。最初の頃は僕もそうだったのだ。
「ええと……あれ? おかしいぞ? 俺の甥っ子は確か性別が、……ああ、まあいいや」
僕の性別は「まあいいや」で片付けられてしまった。ともかく叔父はしばらく腕を組んで考え込んだあと、「まあいいや」ともう一度言った。僕の頭をぽんと叩き、「こっち残るの?」と言った。
「……ん」
僕は何度も頷く。
「後悔しない」
「するわけない」
「何かあったら、連絡して。携帯の番号知ってるだろ。迎えに来る。そっちの子も、うちの甥っ子手が掛かるけど、ほんとよろしく」
僕はどうやら解放されたらしい。ほっとして、それから少し決まり悪い気持ちになり、叔父の顔を見上げて言う。
「ハッちゃん」
「なに」
「……ありがと」
「……べ、別にお前のためとか、そんなじゃないし。これ以上子供の面倒見るの面倒だし、もううるさいことピーピー喚かれないって思ったらせいせいするし、……ああもう、いいや。じゃあねトキ君。ポリスには気を付けるんだよ」
僕は頷いて、それから「もう悪いことしないよ、たぶん」と言う。僕の叔父はあまり信用していないようだったが、「ああそう」と頷いた。そしていつものように、嵐のようにやってきて、嵐のように去っていく。
◇◆◇
ねぐらに帰ると、ジンが荷造りをしていた。また引っ越すのかと思ったが、それにしちゃ荷物が小さい。
「なにそれ?」
「お、お帰りカオナシ。なんや色々あったから、慰安旅行でも行こかいうことになってんけど」
「へえ。どこに」
「いや、わしたこ焼き食えたらどこでもエエんやけど、京都かなあ」
「京都こないだ行ったばっかじゃん」
「せやねんけど、タカヤが気に入ってしもてなあ。やっぱり羽織りが欲しい言うんやわ」
「そのタカヤはどうしたんだよ」
「ジーパン履き忘れて外に出て、」
「ああ、理解した」
「チドリはまた絵描きに行ったわ。カオナシ、エエ時に帰って来たな。手伝いや」
「あ、急に用事思い出したんだぜ」
「ちょ、おいカオナシ! 逃げんなや!」
僕の仲間達は相変わらず滅びを崇めている。今回は失敗したが、次こそはとか考えているらしい。『次』を考えている時点で執着しない僕らとしてはどうなのかなとは思ったが、まあ楽しそうだから、その辺に関しちゃ口出しはしないでおく。
結局僕らは世界中を相手に壮大な悪戯を仕掛けてやることが楽しくてしょうがなかったのだ。今もそれは変わらない。「悪いこと」ではないのだ。
面倒な荷造りをジンに任せ、僕は綾時様と一緒に、入口がシートに覆われて、解体の準備が進んでいる天文台の中へそっと入り込み、ぼろぼろに崩れている屋上へ上がり、ぽつぽつと話し込んでいた。
綾時様が僕に言う。
「君は僕の望みを、本当に何だって叶えてくれる」
彼は微笑み、僕の頬に触れ、「当たり前の顔をして奇跡を起こしてくれる」と言う。
僕は彼に向かって頷き、「あなたの望みなら、僕は何だって叶えてみせます」と言う。
「うん。身体のほうは平気かい」
「はい。気分が良いです」
「そう、良かった。――ねえ、あと二年あるし、もしかしたらまた何かいい方法が見つかって、君達はもう少し長く生きられるかもしれない。そう悲観しないでおくよ。たとえまた滅びの予兆が何度も襲って来るにしても、僕らにはもう少し一緒にいられる時間がある。今日に関しちゃ、ずうっと一緒にいられるんだ。きっと明日もね。それだけで充分さ、僕には過ぎた幸せって奴だよ」
僕はおかしくなってくすくす笑う。
「滅びを嫌がる宣告者様ってのは、やっぱりなんだかおかしいですよ」
「変かな?」
「変です。でも僕はそんなあなたが好きなんですよ」
「……君に好きだって言われると、やっぱり嬉しいもんだね」
綾時様はちょっと照れたみたいな顔になった。そして立ちあがり、きらきら輝く海を見ながらぐっと身体を伸ばして、「やっぱり僕は、海も空も青いほうが好きだよ」と言われた。
「君と同じ色だからね。ねえ、僕も君が好きだ。僕は自分の役割も果たせない宣告者だけど、君はこんな僕でもこれからも一緒にいてくれるのかな?」
僕はちょっとむくれながら頷き、「今更なにを言ってるんですか。当たり前ですよ。僕はあなたが大好きなんですから」と言った。僕の忠誠も愛情も伊達じゃないのだ。 「僕はこれからもあなたの望みを何だって叶え続けますし、あなたと今を楽しんで生きるためなら何だってします。滅びも世界の存続だってどうでもいい。だからご安心下さい、綾時様」 僕は綾時様に頷いて見せ、「僕を信じて下さい」と言う。
「あなたが困っている時は、僕が全力でなんとかしてみせます」
[復讐代行人ST4〜いとしの僕の皇子様〜:終わり]
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