彼は随分気落ちしているように見えた。膝を抱えて蹲り、顔を伏せている。
 彼の周りをぐるっと取り囲むようにして、無数の小さな人形が立っていた。作り物らしい無表情で、どこも見ていない。あまり良い出来じゃなかった。
 ともかく泣いている主人を放っておける僕ではない。不細工な人形を蹴っ飛ばし、僕は僕の主に駈け寄った。
「ファルロス……様?」
 あのファルロスに『様』付けなんて、やっぱり変な感じだ。でも皇である彼を『皇子様』と呼ぶのも変な感じだったし、小さなファルロスを『皇様』と呼ぶのもしっくりこなかった。全然皇様っぽくないのだ。
 僕はファルロスの肩に触れ、顔を覗き込んで、ぎょっとした。彼は泣いていた。いや、散々泣き叫んだあとで、どうにもならないことだと諦めをつけ、疲れてぼうっとしていると言ったところだろう。彼のことなら僕は良く分かるのだ。望月綾時様やニュクス様のことは理解出来なくても、ファルロスは長い間僕自身でもあったのだ。
「どうされました。どこか痛いところでも? どこですか? すぐに回復します。それとも何かひどいことでも言われたのですか? 誰ですか、すぐにそいつ殺しにいきます。何でも仰って下さい、僕はあなたのためにここにいますから」
「カオナシ」
 ファルロスはふっと顔を上げ、僕の顔を見るなり目を潤ませて、唇をぎゅっと引き結び、腰に抱き付いてきた。僕は僕の胸の辺りまでしか背丈のない、小さな僕の主を抱き締め、「もう大丈夫です、カオナシがここにおります」と言い、彼の背中を擦りながら頭を撫でた。
 僕は確か今しがた彼に突き刺されて死に掛けていたように思うが、そんなことはどうでもいい。後回しだ。僕はまずファルロスをあやすことに専念した。
 ふと目を落とすと、例の不細工な人形どもは、僕の見知った人間たちに良く似ていた。月光館学園の生徒たちやS.E.E.S、中には僕の仲間たちに良く似たものもある。どうやら僕らしい人形は、顔面が真っ白ののっぺらぼうだった。無理もない。僕には貌なんてないのだ。
 しばらくすると、ファルロスは落ち付いたようだった。僕に強く抱き付いたまま、「カオナシ」と僕の名前を呼ぶ。「はい」と僕は返事をする。
「みんな僕のせいでいなくなっちゃうよカオナシ。どうしよう?」
「あなたはあなたの役割を果たされる。ご立派です。僕はあなたと同じものだったことを誇りに思います」
「立派なんかじゃないよ。そんなわけないよ。好きなものを全部目茶目茶に壊しちゃうなんて、そんなの僕は望んでない」
 ファルロスは僕に掴まりながら、恐る恐る、周りを取り囲んでいる人形たちを見た。それらはじわじわと黒ずんでいき、やがて底無し沼に沈んでいくように、黒い闇の果てへと消えていった。
 ファルロスがそれを見て、また怯えたように僕の腰に掴まる。「望んでない」という。
 そして急に慌てた様子で僕から勢い良く離れ、貌のない僕のかたちをした人形を拾い上げ、大事そうに胸に抱いた。「君だけは守るよ」と言う。
 でも僕には分かるのだ。彼はそれがどんなに無謀なことかというのを理解している。
 僕は頭を振り、しゃがみこんで冷たい床に膝をつき、手を伸ばし、ファルロスが大事に抱えている人形を取り上げた。それは彼に大事に持っていてもらうにしては、あまりにも不恰好過ぎたのだ。
「か、返して。駄目だよカオナシ」
「聞き分けて下さいますよう。あなたがこんなものを大事にすることはありません」
「それがないと僕はひとりぼっちだよ。本当、それだけは許してよ。僕はこれから半分のまま、この星にずうっと独りで永遠にいなきゃならない。そんなの耐えられるわけないよ」
 ファルロスは怯えきった目で僕を見上げ、「なんとかしてよ、ママ」と言った。
 そしてすぐに目を伏せ、諦めきったふうに、「ごめんよ、なんともなるわけないよね」と言った。





 ――音が戻ってきた。鋭い風が僕の身体を切り裂く音と、大気が唸る音だ。
 僕の敵も仲間もいつのまにか床に倒れ伏し、頭の上には巨大な目玉が浮かんでいた。すごく狂った光景だ。
 僕の主は相変わらず悠然と佇んでいた。僕を見下ろし、翼をはためかせ、夜空に浮かび上がる。彼はがらんどうの声で、『ごめんね』と言った。
『今のが人としての僕の最期の未練だった。これでお終いだ。聞き流して欲しい。君には随分迷惑を掛けるね』
「いえ、構いません」
 僕は頷く。皇が手を伸ばし、『さあ、時間だ』と言う。
『おいでカオナシ。君をあの月へ連れて行く。見せてあげるよ、特等席で世界の終わりを。そして最後に君を僕の手で終わらせてあげる』
 僕は頷く。そしてなんとか身体を引き摺って、僕の主の大きな手を取り、支えにして立ち上がる。
 僕は美しい皇様を見上げる。漆黒の羽根で僕を包むように抱く、絶対的な存在を。僕は彼に笑い掛ける。
「お慕い申上げております。あなたの望みを叶えるために、僕はここにおりますので」
『ありがとう』
 僕は頷く。そして「何だってできるんですよ」と言う。僕は彼のためなら、本当に何だってできるのだ。
 僕は愚かだが、彼のためだというなら、今この時、宇宙全部を手のひらに収めることだってできるのだ。
 そして数多くの選択肢のなかから、ひとつを選び取る。彼の願いは僕の願いで、僕の望みは彼の望みだ。だって僕らは同じものなのだ。





「貴方の望むとおりに、僕は――









分岐選択肢―――――


いつでもあなたのお傍に


二度とあなたを泣かせはしない


なんとかしてみせます



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管理人:ゆりんこ 2007年04月29日〜