市中見廻りのさなかに、妙な出来事があった。
白昼、視界が黒くなる。
頭上をなにか大きなものが通過したときに、その影に入ったような。
鳥ではない。大きすぎる。
たとえば大風に吹き飛ばされた家屋が空を飛んでいれば、そうなっただろう。
当日は無風、快晴。妙だなと、それを訝る暇もなかった。
一瞬あとには、その日組んで仕事をしていた斎藤一と、ふたりきりになっている。
平隊士もいない。今まで見ていた白昼夢が、突然覚めた瞬間のようだ。現実が覚めて、夢で我に返るような……永倉新八ではないが、逆に妙な感覚だった。
自分たちは屋根のある屋内にいた。
神社の祭りの日に踊りを奉納する、真四角の舞台のような場所だ。「舞殿だ」と斎藤が呟いたのが聞こえた。そういうものだ。
若草色の敷き布の上に、真新しい布団が一組。自分たちはその上に座している。
昼飯にクソまずいうどんを食わされて、ぬるさと臭さに腹を立てていたところだったから、未の刻ごろだ。しかし肌で感じているのは、丑の刻の冷えた空気。
自分たちは、夜の闇のなかにいる。
舞殿の四方に面掛けが立ててあって、おびただしい数の面が並んでいる。
ひとつも同じ面がない。舞がはじまるのを、今か今かと待っている観客のように、すべてがこちらを向いていた。
前に屯所の前の寺で壬生狂言を見たが、あれに使う面とは作りが異質だ。どことなく異国の造作に思える。
いや、わからぬ。自分は斬ることしかできないから、そのあたりのことは何とも言えない。
「まぐわい」
頭上から声がした。
見上げると、金ぴかの大仏が、こちらを見下ろしている。
奈良の東大寺にいるようなでかい奴だ。命名式に来ていた公家の服を派手にしたようなのを着て、雅楽の面のような……牙の生えた龍の仮面をつけた悪趣味な大仏が二体。左右に並んでいる。
双子のごとく似ているが、体つきを見ると片方が男で、片方が女のように見える。
納曽利だと、あとから斎藤が言ったが、どうかはわからぬ。自分には、坊主のいうことは何ひとつわからない。わかる必要もないだろう。
さて雑面ノ鬼の新兵器かと疑い、腰に意識を向ける。佩いた和泉守兼定は沈黙していた。土方歳三の魂は眠っている。
なるほど、これは斬れぬ、と直感した。
クソキモ大仏どもの肌は銅鉄、刃を振るえば欠ける。それに大きさ。自分は技量で不足しているつもりはないが、大仏を「斬る」には向いていない。
原田左之助に打ちこわしの道具を渡してやれば、なんとでもなったのやもしれぬ。家屋を壊すのと、人を斬るのは必要な道具が違う。
「影ができて、今は僕らそこにいるんだね」
坊主がヒソヒソ言った。
それで、先ほど京の市中で頭上を通り過ぎた何か大きなものは、こいつらだったのだのだと、不思議と得心した。人の目には見えん、空飛ぶ大仏なぞ冗談話のようだが……。
「まぐわい」「まぐわい」「まぐわい」「まぐわい」「まぐわい」「まぐわい」「まぐわい」「まぐわい」「まぐわい」「まぐわい」「まぐわい」「まぐわい」「まぐわい」
男女一対の仏像が口々に喋った。同じ言葉しか喋らぬ。
自分と坊主は、ひとつの布団に座している。
となりの人間とまぐわえと言われているのが分かった。大方こいつらは、人の男女の区別もついてはいない。そこいらの童が林でかぶと虫をつかまえてきて、相撲をとらせて遊ぶ程度の感覚なのだろう。
斎藤一は真っ青になっている。自分も吐きそうだった。
自分たちは、何か罪を犯したか。
坊主はどうか知らんが、自分はたしかに人を殺した。しかしその罰として、そこらへんの道端に一山いくらでいる酔っぱらいのおっさんと、まぐわいを強いられるのは道理があわぬ。
そう考えながら隣を見る。坊主と視線があう。あちらから目くばせがあった。
生臭坊主も理解し、腹を決めたのだろう。
──絶対嫌だ、と。
──こいつとどうこうなるくらいなら、ここで尻の穴が爆発して果てたほうが百倍マシだと。
なので自分も、いさぎよく腹を斬ろうと覚悟した。
「恐れながら私は人里に迷い出た、壬生の地の四つ足のけだものにございます」
「けだものは人の信仰を持ちえませぬ。ゆえに、そのようなものが御身の前でまぐわうところをお見せすれば、目を穢し御名をさらに貶め、お力を奪うことになりますまいか」
「貴方様をふさわしい場所へお連れして、望みのとおりに人間のまぐわいを捧げるので、ここは見逃してはいただけないでしょうか」
生臭坊主は、思ってもみないことを言いだした。
なるほど。けだものか。
新選組は壬生の狼と呼ばれている。
しかし、それでこのクソキモい大仏どもが、はたして納得するのだろうか。
日々あちこちで、口から先に生まれてきたと言われている斎藤一だが、神仏あやかしのような存在相手にホラを吹いたことが露見しては、相応の仕返しを受けるのではないか。
地獄に堕とされ、針を千本飲まされるのならまだいい。しかし相手は、人間を並べてまぐわいを強いてくる、特殊な性癖を持っている。
嘘をついた仕置きにと、マラを千本生やされてしまうかもしれぬ。
以前、斎藤一が宴会で披露していた変顔に、自分はギリ耐えた。笑わなかった。
だがあの時、「こいつはちんちんが千本ある」と考えてしまったら、きっと無理だった。耐えられぬ。爆笑しすぎて死んでしまったかもしれん。
生臭坊主は、横で唇を噛んで必死に笑いをこらえている自分を見て、「何ワロてはるの?」と心底理解できないという顔をしていた。
気づけば、先ほどまでいた京の町並みのなかに立っていた。
今まで見ていたすべては白昼夢だったのかと考えたが、いやにふところが重い。探ると、石の塊が出てきた。
赤い石だ。……さぁ、何の石かは知れぬ。瑪瑙かなにかではないのか。
童の腕ほどの大きさの、マラの形をした悪趣味な置物だった。
「零落した陽物神というところかな。哀しいね」
坊主がよくわからないことを言った。
「なんとかしておこう」というから、自分はそちらには疎いので任せることにする。
斎藤がキモい仏像どもに、「人を捧げる」という意味あいの約束を交わしていたことが気になったものの、この男は荒事ではなんの役にも立たないが、我が身可愛さに身代わりを差し出すような男ではないとだけは知っている。
斎藤一のふところからは、ホトの形をした赤い石が出てきた。
いい年をしたおっさんが、「キャッ! やだぁもう、困るわ、いやらしいのはダメよぉ……」と顔を赤らめてしどろもどろになる。かなりイラッとした。やめろ。
数日後、斎藤一から声がかかった。
暇をしているなら、付きあってほしいところがあるという。
先日の件、わけがわからぬままでは自分もすわりが悪かったので、応じた。
向かった先は遊所だ。遊びなれた斎藤でもあまり来たことがないような、七条新地の奥まった場所へわざわざ変装して行って、適当な店に入った。
そう、変装だ。
なぜか自分たちは、商人のふりをしていた。坊主は線香のにおいが髪の毛の先にまで染みついていて臭いから、ほかの仕事を持った者に化けるのは難儀だと思うだろうが。
ああいう場所では、線香一本分の時間を計って女を買う。だから、どこぞの店でもう女を抱いてきたあとなのだろうと、店のほうも気にしていなかった。
「自分は、摂津国は伊丹の大商人に縁のあるもの。此度、霊験あらたかな縁起物が手に入ったので、ぜひ店主にお目にかかりたく……」
斎藤一がうさんくさいことを言いながら揉み手をして、懐から出したのは、石でできた赤い招き猫の置物だった。
左手を挙げているものと、右手を挙げているもので、一対になっている。
くだんの赤い石を、斎藤が知りあいの彫り物師のところに持ちこんで、頼んで作ってもらったとかいう代物だ。縁起物どころか呪物ではないのか。
斎藤一は、店主にあることないこと吹聴し……あいつはそういうのが得意だろう。よくあんなに嘘八百が口から飛び出してくると、逆に感心してしまった。
奴に言わせればなにも嘘ではなく、摂津の大商人とやらが旅先で客死したときに念仏をあげてやったのだから、自分は正真正銘の縁者だとかなんとか言っていたが、屁理屈だろう。
そういう口のうまい奴が、店主をおだてていい気分にさせ、招き猫の置物をそこそこの値で売り払ってしまった。
坊主がすぐに商談をまとめてしまったから、自分は何もせずに黙って立っていただけだ。
帰りに高瀬川の横をそぞろ歩きながら、斎藤一に「いいのか」と確かめた。
神仏だかあやかしだか物の怪だかは知らんが、そういう存在に押しつけられた物を、ほかの形に削って売り払う。自分の母なら、あまりに罰当たりだと怒ったはずだ。
いまに坊主にあの妖物の天罰とやらが下り、チンポを千本生やされるかもしれん。
「これでいい。望むとおりにしただけ。対価にお金もらったから、僕らとの縁はもう切れてるし、あそこにいればほっといても人間同士のまぐわいが拝めるよ。そのためのお店なわけだし。きっと気に入るでしょ」
まあそうか、と自分も頷いた。
人間一組が自らやってきて、まぐわいをする。それが例のキモい大仏どもへの「奉納」ということになり、店が繁盛すればまぐわいの頻度も増えるだろう。
招き猫のご利益とやらが本物ならば、いまにあの店の部屋が増え、建物が大きくなり、色町が広がっていくのだろうか。
薄気味の悪い話だが、自分にはもう関係ない。
「店主のことも、別にだましたわけじゃないよ。いつかあったでしょ。ギャタロウちゃんが偽の書をボウちゃんにこしらえさせて、ソウゲンちゃんに頼んで古く見えるように加工して、古道具屋さんを騙して売りつけたのがばれて、藤堂ちゃんにカミナリ落とされてたの。ありゃ本当にしらけちゃったよね。三人とも。人から恨みを買うようなお金集めは、決して身につかないものよ。
あの招き猫ちゃん、ご利益自体はマジにあると思うのよ。今は店主も頭が冷えてきて、「やっちまったなぁ」って無駄遣いを後悔してるだろうけどさ、一日二日と過ぎてって、一月もすれば「マジ」ってわかるでしょ。僕らがお金を返して買い戻すって言いだしても、もう取りあってはくれないよ」
まあ、それで解決はしたらしい。
「あとちょっとお返事を待ってたら、サクヤちゃんが嫌がって泣いちゃうかもって楽しみにしてたんだけど。きみの泣きっ面、見てみたかったな〜」
斎藤が人の悪いことを言うので睨むと、「ウソウソ、僕のが先に泣いちゃうよ」と笑う。
「いやねぇ、サクヤちゃんが嫌いだとかじゃないんだよ。えーと、まぐわい。んふふ。それって好いた人とでないと、なにも意味がないじゃない? いつも隣にいたいって思えるような、すてきなお人と大事にすることだと思うわけよ僕は。やだもう、やらしっ。うふふっ」
「童貞か」
「お黙り。人が体をつなげるのと心をつなげるのは、似ているようで違うけど、それでも同じであれば何よりだよね。それがわかんないんだねぇ。ああいうモノって、知ろうともしないよねぇ」
かしましいおっさんが、しみじみと囀っていたのが、印象に残っている。
くだんの店は、あのあと繁盛しているようだ。
それがあの招き猫の、ご利益というものなのかは謎だが……あんな得体のしれぬクソキモ大仏モドキにまぐわいを捧げ、女を慰み者にし使い捨て、水子を流して得た加護が、長いあいだ続くものかは、自分が預かり知るところではない。
斎藤一と自分が連れ立って遊郭に出向いたのを、何人かの隊士が見ていて、報告を受けた藤堂が気にしていると、あとで永倉新八から聞いた。
報告は大事だ。
自分には解決済みで、終わった話だが、新選組の敵の雑面ノ鬼は、妖術使いのごときいかがわしげな存在。此度の体験を「あれは白昼夢だった」と安易に片付けず、細かく記録し情報を共有しておこうという藤堂の判断は正しい。
報告に行ったときに、そういえば「まぐわいをするのは、好いた人とでないと意味がない」などと斎藤一が言っていたことを思い出した。
「自分は藤堂だけでいい」というと、見たことのない顔をしていた。
それからしばらく機嫌がよくなった。縁側で呑んでいたときに、じつはすこし悋気を起こしていたと言われて驚いた。
よくわからないが、くすぐったい心地になった。
自分に。
そうか。
永倉から、医者には自分の口から伝えるようにとも進言を受けている。なぜかは知らん。
そういう次第なので、話した。退屈しのぎにはなったか。
以上だ。
ん。医者。
なにか今、あのときの藤堂と同じ顔をしていたな。