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壬生怪談・百物語




〇一一・送狼(サクヤ)


 なんだこれは。……きつねごはん。うどんが売り切れたからと。
 飯に、お揚げを刻んだのが入った、しょうがのきいたあんをかけたもの。そうか。悪くない。
 これは。焼いた湯葉で魚を巻いたものを、出汁で炊いたもの。
 卵はないのか。ある。それももらおう。今夜のおすすめは昆布か。それも。酒はいつものを置いているのか。
 なにをニヤついている。「若人が元気に飯をギャっつくところ見ると、おっさんたちは嬉しくなっちまうんだよォ」だと。よくわからん。そういうものか。

 永倉新八に斎藤一。
 毎夜ふたりで連れだって、遊郭へ出かけていると聞いたが、こんな夜中に屋台を引いて、飯屋を開いて何をしている。
 ……いや、本当に何をしている。おっさんが突然思いついて始めることは、理解しがたい。

 自分は、貴様たちを監視していた。酒と女遊びにのめりこみ、新選組の風紀を組長である永倉と斎藤が自ら乱すとあらば、平隊士たちに示しがつかない。
 いざとなればふたりのマラを斬り落とし、二度と種を出せぬ体にしてやる心づもりだった。
 どうした。何を抱きあって泣いている。

 しかし、意外だ。こんな夜更けに、よりによって貴様たちふたりが、殊勝な真似を──藤堂が頭を悩ませていた新選組の金策に、奔走しているとは。
 酔っぱらいのおっさんどもに金の心配をされるほど、新選組は落ちぶれてはいないが。
 内緒にしてくれ、だと。確かに。他の者が聞けば、微妙な気持ちになるだろうが。

 永倉に斎藤は、どうやら荒事より飯炊きが向いていると見える。……言葉どおりの意味だ。
 自分は、間者から情報を聞き出すためには、「痛み」を使うのが手っ取り早いと思っている。しかし、そのやり方が向かぬ、強情な者もいる。
 相手の顔も見えぬ薄暗い場所で飯を出し、酒を出されれば、口も軽くなるのではないか。内に抱えた事情を話してしまうこともあるかもしれん。
 考えようによっては、足を棒にして聞きこみをするよりも有用。事実、昼の間に町では聞けないような、様々な話が入ってきているようだ。 
 雑面ノ鬼は、鬼を名乗るが人だ。人は生きるために飯を食う。
 意外と、このような暗くて人相もわからぬうらぶれた屋台を選び、客として来るかもしれん。奴らの動向がつかめればいいが。

 永倉。孤児たちの間にいつのまにか混ざっている、妙な子供の話が気になるか。
 山の獣のようなにおいとは、どんなものかと……。
 獣か。自分も山で、獣に遭ったことがある。
 鹿やたぬきではない。熊でもない。妙なものだ。

 あれは自分が、五百人目を斬るはずだった日の夜のことだ。

 日が沈んだあとの薄暗い山に入ると、おかしなものに行きあうことがある。
 そのときは、人払い役を立てて入ったはずの金剛山で、誰もいないはずの自分たちの後方に、提灯のあかりが見えた。
 自分は仲間を先行させ、それを確かめに行った。

 光の見えた場所に着くと、人の気配はない。
 荒れ寺……いや、もう寺ではない。本堂は崩れ、土にかえりかけている。あたりには大きな石がゴロゴロと転がっていた。昔の墓場の名残だろう。 
 門の土台の向こうに、風雨にさらされ、顔の消えかけた地蔵が並んでいる。
 その前に、妙なものがいた。
 斎藤一がいつも着ているような、坊主の袈裟を着て笠をかぶっている。上背は自分の腰ほど。子供かと思ったが、違う。
 人ではない。
 狐だ。後ろの二本足で直立している。
 毛並みはゴワゴワと硬そうだった。年のいった古狐だろう。地蔵の前で、数珠を前脚に巻いてこすりあわせて、何やら念仏をブツブツと唱えている。
 正しい念仏なのかどうかは知らん。自分は坊主ではないので詳しくない。
 だが、人の言葉を喋っていたのは間違いない。
 あきらかに山のあやかしだが、読経する姿があまりに堂に入っている。存外、どこぞの寺で坊主に化けて、長く勤めていたことがあるのかもしれん。

 山のなかではおかしなものに行きかうが、坊主に化けた古狐が、人間のまねごとをしているところを見たのは初めてだった。
 様子をうかがいながら、闇殺しの仲間になんと報告すればいいかと、一瞬悩んだ。
 正直に話せば、こいつは頭がいかれたと思われるだろう。自分ならそう思う。
 狐の坊主は子連れだった。横に小さいのが一匹いて……まだ巣穴から出たてだろう、やっと毛が生えそろったくらいの狐のややこだ。
 それがもう親狐に倣って二本足で立ち、前脚をこすりあわせて口を動かし、「ニャムニャム」と念仏のまねごとをしている。
 「肉球が桃色だな」と、自分は思った。

 父狐は、神の使いのごとき真っ白の狐だった。
 幼い仔狐のほうは、父狐が附子の花とでも番ったのか、見たこともない紫色の毛並みをしていた。

 父狐が「南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ)」と、人間のようにはっきりと唱えると。
 仔狐が親の真似をして、「ニャムニャムニャムニャム」と長い口のなかでモゴモゴと唱える。

 このような調子だ。
 得体の知れぬあやかしだが、何やらこの狐の父子が妙に気になり、気配を隠してそれを眺めていた。
 仔狐がああも真剣に父狐のまねをするということは、父の在り方を子が心から尊敬しているということだろう。
 父狐が仔狐の横について手習いをさせるというのは、子が長じれば己のようにできるようになると信じているからだ。
 山中で人間ごっこをしているあやかしの親子の姿は、自分の知っている親子の姿よりも、よほどまっとうで人のように見えた。
 
 先行していた集団が大きな声をあげるのが、頭の上のほうから聞こえてきた。
 狐の父子は驚いて、すぐに四つ足に戻って藪のむこうに逃げていった。

 先へ進んでいた闇殺しの仲間のもとへ戻ると、狼に襲われていた。
 狼は頭がいい。群れで協力し獲物を追い詰める。
 ただ、そのとき遭ったやつは妙だった。大きな体のが、一匹だけで行動している。
 目が、正気とは思えなかった。紫がかった妖しい輝きを宿していて、錯乱しているのが一目でわかった。
 送り狼だ、と仲間が叫んだ。

 言っておくが、下心を持った男が、酔った女を家へ無事に送り届けると請け負いながら、その後女の家にたどり着いたのちに豹変し暴行するという、おっさんが想像しているようなクソなのとは違う。
 旅人が山道を歩いていると、あとをついてくる狼の妖怪のことだ。
 あとをついてくるだけで何もしないが、もし旅人が夜道で転ぶと、襲って食ってしまう。
 たしかに狼は、急に走りだしたり転んだりした者から襲って喰っていた。自分が元々、五百人目に斬るはずだった人間も、そこで。
 そいつはやたらと力が強く、動きが速く、殺しに慣れた手練れが束になっても歯が立たぬ。
 仲間のひとりが、自分を送り狼のほうへ突き飛ばした。転んだ自分が狼に食われているあいだに、安全に逃げればいいとクソみてぇに考えたのだろう。

 送り狼は転んだものを見ると、一気に襲い掛かってくる。
 自分を喰おうと狼が口を開ける。紫色の、光るモヤのような息が、喉の奥から吐き出されるところが見えた。

 そこへ、さっき坊主の姿で念仏を唱えていた父狐が飛び出してきた。
 毛並みもくたびれた、年のいった狐だ。こおおおおん、と、甲高く鳴きながら、それが……。
 自分の目の前で、転んだ。
 わざとだろう。ヨタヨタとした、下手な転び方だった。
 送り狼は、山で転んだ者を襲う。自分から父狐のほうへ向きを変えて、飛び掛かっていった。
 あやかし同士だろうが、狐のほうにはなんの力もなかった。ただ人間みたいに二足で立って歩き、念仏を唱えることができるというだけだ。
 弱すぎる。戦いにもならなかった。
 坊主の姿をした狐が狼に食われているあいだに、自分は親狐の近くにいた仔狐をつかんで、高い木の上に逃げた。腕の中に抱いた仔狐はぴいぴい鳴いていたが、父狐が死に際に唸るように一声鳴いたとたんに静かになった。
 黙れ、隠れておれ、決して出てくるなと言い含めた……人の言葉にするのなら、そうなのかもしれん。
 仔狐は親譲りの頭の良さで、生き延びるためにはどうするべきかを、すぐに理解したのだろう。

 空が白むと、自分たちが降りてくるのを、夜じゅう木の下で待ち伏せていた送り狼は、あきらめて去っていった。
 あとには、父狐の骸があった。年寄りの痩せた狐だ。もう骨も噛み砕かれて、ほとんど何も残ってはいなかった。 
 抱いていた仔狐を降ろしてやると、父狐の血だまりの前に尻をつけ、前脚をこすりあわせて、「ニャムニャム」と念仏のまねごとをはじめた。
 教えられた見よう見まねで、親を弔っているように見えた。
 しばらくそうしていたが……。
 自分は仲間に合図で呼ばれて、立ち去った。
 一度振り返ると仔狐は、暗い森の中に消えていくところだった。親狐が念仏を唱えるときに、前脚にかけていた数珠を口にくわえて、引きずっていく小さな尻が見えた。
 あれから狐は見ていない。

 なんだ、永倉新八。何を泣いている。子供と小動物がかわいそうな話が無理だと?
 命を救われた親狐に報いて、仔狐を拾い育てようとは思わなかったか、だと。
 自分は畜生の面倒なぞ見きれん。
 それにあれは、山を降りては生きられないと思った。山の下は人間がひしめいている。父狐よりもひどい死に方をするのは目に見えている。
 飢饉に苦しむ者に肉を食われるか、金に目がくらんだ者に珍しい毛皮をとられるか。
 どちらでも、差し出せと上に言われれば、あの時は闇殺しの掟に従い斬ることしかなかった自分は、狐を殺して差し出さねばならなかった。
 自分が報いてやれるのは、関わらないでいてやることだけだ。

 そんなに金になりそうな毛皮だったのか、だと。永倉。貴様は手のひらを返すのが早い。
 自分は知らん。うどん屋台を開いているよりは、懐が潤うかもしれん。
 だが、生きていく術を教えてくれるものもいない、非力な狐のややこだ。大きな獣に食われたか。猟師に捕まったか。
 もう死んでいる。だから探しにいくだけ無駄だ。
 自分は斬るしかできないから、「あの山に狐などいない」と、そう答えてやることしかできない。

 斎藤一、なんだその目は。
 「サクヤちゃんは優しいお人ね」だと。気色の悪いしなを作るな。
 ……あの仔狐は、頭がまわった。父親に恵まれていた。だから、あるいは。
 そこの永倉のような欲の深い人間とは一度もかかわらず、父狐のように毛皮が古びて硬くなるまで、野山で長く生きているのかもしれん。
 目がくりっとしていて、人懐っこく、顔のかわいい仔狐だった。

 狐は臆病な獣だ。
 あの親狐は、見ず知らずの人間の命を救うために、決してかなわぬ殺されるとわかっていながら、牙むく飢えた狼の前に飛び出した。
 自らは食われながらも、最後に子に向かって生きろと発破をかけた。
 親を殺し、子を殺すのがまかり通る闇殺しでは、情から出でて、損にも得にもならぬそういう所業を、愚かという。
 そうだろうか。あれが、誠の父親というものではないだろうか。
 土方歳三ならそう言うだろう。藤堂も。

 ボウの上げた報告を聞いた。
 とりとめのない夢のごとき話だったが、紫色の毛皮の狐が出てきたというくだりで、自分はあの仔狐のことを思い出した。
 神か仏か知らないが、誠の主に拾われて、自分を助けた父狐のように、人を救うために忙しく駆けまわっているのかもしれん。
 それならば、いい。

 今ごろは念仏の真似事が、すこしは様になっているだろうか。




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紫鈴堂・えしゅ 2023」−