……(目次にかえる


壬生怪談・百物語




〇一三・舟影(桂)


 よろしゅうおたのもうします。大将。
 まァ。うちを見るなり、苦虫噛み潰したみたいな顔しはって。
 ひどいお人やね。うちとあんた、いっしょに火遊びした仲やないの。
 へえ。そちらさんが、大将の──おかみさんもおんなじ顔して旦那さん睨みつけはって、似たもの夫婦やねぇ。フフフ。

「あんたァ、どういうことなのよ。あたしって女がありながら、きれいな夜鷹の姉さんに手ェ出したのね。一緒になるときに「好いた女ァ、一生おまえだけだィ」なんて調子いいこと言ったくせに、この甲斐性無しの浮気者っ。あんたがそのつもりなら、こっちは実家に帰らせてもらいますからねッ」

 あーあ。うちと大将のただならぬ仲が、おかみさんにばれてしもたね。
 うちの名前なんてどうでもええやん。しがない夜鷹のうちには、名乗るような名前もあれへんわ。
 「きいーっ、この泥棒猫!」……そんなん、誉め言葉やわ。フフフ。
 ねェ大将。おまえさまいう人は、あんなにうちに熱あげて、もうおかみさんとは別れてくれはる言うてたやないの。
 ここではっきり言うてよ。うちかおかみさんか。どっち選びはりますん。

「オエッ。勘弁しろィ。両手におかまなんざ、逆に嬉しくもなんともねえやい」

 フフフ。そうぶすっとせんといて。ちょっとふざけただけやないの。おかみさんも堪忍して。
 うどん屋台の大将が、きれいな若い娘さんを嫁にもらって、夜の遅うに夫婦仲睦まじく店を開いてるって言わはるから。
 その嫁さんいうんはどんな娘さんかて気になって、いてもたってもいられへんで見にきてしもたんやわ。
 うちの片想いなんよ。まだ。フフ。

 今日はうち、ただのお客できてますのん。
 冷えるから、あんかけのたぬきうどんがええわ。刻んだお揚げと九条ねぎのったやつ。生姜も多めにのせて。
 大将、うちの若い子から聞いたんやけど、妙ちくりんな怪談話を集めてはるんやって。
 ほならせっかくやし、うどんが茹だる間にでも、うちもひとつ聞いてもらいましょ。
 川の話や。

 川いうんは同じ川でも、流れを上がったり下がったりすると、名前が変わっていくんよ。
 元服したり出世したりするたびに、名前が変わっていく人間みたいやね。
 嵐山のあたりやと桂川て呼ばれてる川が、下っていくと淀川になって大坂湾に流れつくねん。せやから京の町から大坂に出るには、舟使うんが早いし楽や。水が流れていくのに、乗ってるだけでええからね。
 うちが川の先の大坂に何の用事があるかて? 諸藩の蔵屋敷?
 なんのことやろ。フフ。

 あるとき、うちが川を下るのに、嵐山から三十石船使うたんよ。
 たまたま若いお公家さんと相席になってねぇ。どこぞのお偉いさんのボンボンやろうなと思うて、面倒ごとになるのも嫌やし、狸寝入りしてたんよ、うち。
 知りあいの、気の荒い若いのが何人かおるんやけど、その子となんだか仲がええみたいでねぇ、なんやかや話しかけて。ボンボンやなく、ボンボンの親の機嫌をとろう思うてたんかもしれへんね。

 どんなボンボンやって? パッと見で目立つ子やったよ。
 その子、お式の帰りやったんか、神職さんが着はるようなダボッとした動きにくそうな服着てて。異人さんみたいな金色の巻き毛やったからチグハグで、あんまり似合うてへんかったなぁ。
 目はそこの、おかみさんと同じ色やったわ。せやね、おかみさんよりも、もすこし濃い色してたかもしらへんねぇ。

 ねぇ大将。くらわんか舟、ってわかりはるかな。
 京と大坂のあいだ結んでる淀川を、三十石船みたいな大きい船が行き来するときに、物を売りに来る小さい舟や。
 大将のうどん屋台みたいなんが、水の上に浮かんでるもんやと思うてもろたらええ。
 「くらわんか、くらわんか」て荒っぽい声かけながら寄ってきて、煮物を売るんよ。

 川渡るとき、「くらわんか、くらわんか」てずーっと大勢が叫んでると、うるさぁてかなんでしょ。うち、そのときは半分寝ぼけてたけど、静かにしてくれへんかな、思うてた。

 いつもなら船のお客さんが何人か、むしやしないに何か買うて食べはるんやけど、その日は誰も声かけへんかった。船の上はシーンとしてる。
 どうも変やね思うて、狸寝入りをやめるとね。
 船に乗ってるお客さんみんな、下向いてジーッとしてるんやわ。青い顔してねぇ。
 何やと思うて見ると、周りに知らんうちに変な霧が出ててねぇ。
 大山崎のあたりで、三つの川が合流する場所あるやろ。遠いお山から降りてきた桂川と木津川が、琵琶湖から流れてくる宇治川とあわさって川幅がグンと太なって、大坂湾に向かっていく淀川が始まるあのあたり。
 うちの乗ってた三十石船のまわりを、くらわんか舟が囲んで、波も立てずにスーッとついてきてたんやわ。お客さんに出すもんを煮炊きして出すはずやのに、火の気もあらへん。

「くらわんか、くらわんか」

 そう言うて、物売りが差し出してくるくらわんか椀の中身見て、ああ、これで周りのお客さんが静かなんやな、って腑に落ちたわ。
 人間や。手や足を斬りおとしたの、引っ張り出した目玉、脳みそ、臓腑。
 汚い包丁で雑にとりわけたようなのを、お椀に入れて差し出してくる。
 くらわんか舟の物売りね、笑うてたわ。薄気味悪い笑顔やったねぇ。

 なんやろね。あの人間の肉、どっから用意したんやろ。そこらの墓場から、死にたてのを掘り起こしてきたんかねえ。
 なに? おふたりさん。
 その物売りは、前髪がドロンと長い、猫背の大男やなかったか、やて。
 ちゃうよ、そない変わったお人やなかったわ。
 舟の上の物売りは、とくに変わったところもあらへん。普通の人間や。男も女もおった。
 どうしたん。大将もおかみさんもホッとしたような顔して、変なお人らやねぇ。

 うちと相席やった若いお公家さんがねぇ、そんな妙な物売りにかちあっても、顔色も変えへん。
 落ちついて、ムッツリと黙ったまま、物売りからくらわんか椀を受け取った──と、思うたら。
 すぐに中身ごと川に捨ててしもた。
 お椀をお客さんに渡し終わったくらわんか舟の物売りは、お役御免みたいに、舟ごとスーッと消えていった。
 さすがにうちも驚いたわ。この世のものやなかったんやね。

 せやねん。くらわんか舟は、もの食べたあとに空になったお椀でお勘定するから、返すお椀がないんなら、対価を渡す必要ないねんよ。せこい連中なんかやと、空のくらわんか椀を淀川に捨てて、お勘定ごまかすこともあるて。
 だから若いお公家さん、物売りにもろたお椀を捨てて、お勘定もなかったことにしたんやね。
 とんち上手いうんかな。そういう変ちくりんな知恵比べに慣れてる感じの、不思議な子やった。

 ええカッコして「いらん」言うて、荒っぽくお椀を突き返してたら、どうなってたんやろね。
 大きい船も小さい舟も、そんな変わらんよ。水の上に浮かんでるペラペラの板切れや。寄ってたかってひっくり返されたら、どないもならん。
 この世のものやない物売りに、薄気味悪う笑うた顔で解体されて、次の売り物にされてたんとちがう。
 うちの荒っぽい子らも、正直おつむが弱いんやけど、そのくらいは想像がついたみたいよ。何よりやわ。

 みんながお公家さんに倣って、同じように恐々とくらわんか椀を受け取っては川に捨てていくと、物売りの舟は段々と減っていった。
 枚方のあたりに来たころには、おらんようになっとったよ。
 霧もほとんど晴れてきた。怪しい場所を、無事に通り過ぎていくことができた……。
 みんな、そう思うて安心したときや。

 船の下を、黒い影がすうーっと流れていくんが見えた。
 ありえへんと思うやろうけど、三十石船を一飲みにできるくらいはあったよ。
 それが川底の土をさらっていきよる。
 みんなが、くらわんか舟から受け取ったお椀を、中身ごと川にこっそり捨ててあるらへんの川底を、泥ごとさらって食うてる。
 下流から上流に向かって、ゆっくり流れていったそれが、何なんかはわからへん。
 通り去ったっきり戻っては来えへんかったけど……あれが水の上に頭出してひと跳ねすれば、うちらの乗っとった船なんか、木っ端みじんになってた思うわ。
 そしたらお客さんはみんな川に投げ出されて、お椀の中身の人間の肉と一緒くたに、すすり食われてたんかもしれへん。

 大将は、なんやと思いはる。大坂湾から上がってきた、フカの化け物やないかて? 
 鮫も鮭みたいに川を上りよるんかしらね。うちはわからへんわ。
 ただ、くらわんか舟が渡した椀に入っていたものを……人間の体の欠けたのを餌にしてる、何やら大きな肉食の魚があの川を泳いでたんは、うちが自分の目で見たから間違いあらへんよ。

 金髪のお公家さん? ああ、気ぃついたら姿が消えてたんよ。
 不思議に思うて、喋りかけてた若い子に聞いても、何も覚えてへんかった。
 案外あの子も、あやかしの類やったんかもね。

 うちの若い子らがあれ以来、肝を冷やしてしもてね。大坂と都を行き来するのに、船を使うのを嫌がるから困るわ。
 うちは怖くはないんかて?
 なに言うてはりますの。遭うか遭わんかわからん化け物よりも、遭えば刀を抜いて斬りかかってくる人間のほうが、なんぼも怖いやないの。




前の話にもどる ・ 次の話にすすむ ・ 目次にかえる

この小説は二次創作物であり、版権元様とは一切関係がありません。無断転載・引用はご容赦下さい。
−「壬生怪談・百物語…
紫鈴堂・えしゅ 2023」−