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壬生怪談・百物語




〇四五・御殿(ソウゲン)


 城の御殿へ通されると、悪徳藩主とやらの肉玉のごとき巨体が、スズラン殿の細い体を、肉のたわみのなかに巻きこむかのように密着して、膝の上に抱いておりました。

「やっほーソウゲンちゃん。急に呼んでごめーんね。来てくれてうれしいよ」

 明るく言うスズラン殿は、目の下にくっきりとした黒いくまができて、あきらかに衰弱しております。
 開いた胸元の素肌に、虫刺されのような、赤い痕が散って見えました。
 ここへ来るまでも、藩主は新しい男妾をたいそう気に入っていて、風呂や厠へ行くときですら片時も離さぬらしいと、噂をされているのが耳に入ってきました。
 閨で朝まで愛されていた証の、胸元の赤い痕を、恥ずかしげもなくひけらかしていると──。
 己の目で見たものですから、信じないわけにはまいりません。
 しばらく、花が咲いたような痕に目を奪われておりましたが、あの方の首から下がった金の瓔珞が揺れて、涼しい音を立てたので、我にかえりました。

 藩主の、太い古木の根のような手が、スズラン殿の肩を無遠慮にまさぐります。
 それを見ると小生の胸のなかに、エレキテルの光がはしったような感覚がありました。
 人の魂が良質の動力源として扱われている例を、幾度も見ております。では魂の一部分となる、怒りという感情も、臓腑にいくらか火花を散らす程度の動力を有しているのかもしれません。

「男と男と変態大名と、十二人の妻のド修羅場じゃん。帰りたい」

 近藤局長殿が、おののくように呟かれました。はて。

 藩主のもとへ呼び出された小生と、新選組からは局長の一番星殿と藤堂殿。組長をかどわかされては、新選組としては黙ってはおけぬという真っ当な理由と、あとは小生のお目付け役というところでしょうか。
 痴情のもつれというのは、何が起こるかわからない。しみじみと一番星殿が仰っておられましたが、そういうものなのでしょうか。
 そして背後に控えておりますのは、十二人の兄嫁。不承知ながら、いまは小生の妻ということになっております。
 なるほど。これが修羅場なるもの。得心がいきました。

 スズラン殿は、小生の妻ということになっている女人たちを見ると、十二人という尋常ではない数に驚いた顔をされましたが……。
 どこかほっとしたような、しかし思い悩むようでもある不思議な表情になり、短くまるい眉を下げてうつむいてしまわれました。

 ──なにか今、ひとつ、諦められてしまったのだと悟りました。

 スズラン殿は、そういうところがあります。誰かが欲しがっているものがあれば、己が大切に思っているものであっても、なんでも他人に渡してしまうのです。
 何ものにも執着しないという僧侶の生き方が身についており、そういうところが好ましく、また、いまだにあの人ほど世の物事を達観できてはおらぬ未熟な小生は、もどかしいと感じておりました。
 諦めて、ひとつ手放すときの表情が、普段からは想像がつかぬほどに儚げで──常の明るい表情が薄く翳ると、もともとの造作の整っているさまがくっきりと際立ち、それが見たこともないほどに美しいのです。
 なんと可憐なお方でしょう。
 思わず心のままにこぼれた呟きが、後ろの女人たちの耳に入ったようで。
 「こいつはなにを言っているんだ」という、二十四の目が、小生を胡乱に見つめてきました。

「えっと、ソウゲンちゃん。こういう状況だし、いまはなにもお祝いできないけど。いやー十二人てなにそれ。僕というものがありながらとか妬いちゃう前に、びっくりしちゃってそれどころじゃないよ。相変わらず、何をするのもとんでもないね君は」

 今見せた、壊れやすく、消えてしまいそうな横顔が嘘のように、スズラン殿は明るい笑顔になって言います。
 兄嫁です、と手短に伝えました。
 小生はスズラン殿のように人の感情に敏いわけではありませんが、スズラン殿自身の心のあらわれは、表面から見て読み取りやすいのです。
 腹になにを抱えているのかわからぬと、この方を知らぬ者ほど言いますが、それが不思議に思えるほどに、言葉にせずともそうとわかります。いつも観察していたからでしょうか。
 世の多くの人々と同じく女人を娶り、子を成して、最期は血のつながった家の者に看取られ終わる──スズラン殿にとってはそれが、男同士で恋仲になるよりも、小生にとって実りのある人生のように思われたのかもしれません。
 実の父を幼いころに亡くされ、これまで天涯孤独の身であったと、酒が入ったときにぽつりと零されたことがあります。何も残せず、祈るしか能のない、誰にも必要とされぬ身だが、己で本当にかまわぬのかと。
 ほぼ呂律もまわっておりませんでしたので、覚えておらぬかもしれませんが、まったくの見当違いなのです。
 興味のないものにかかずらって終わる人生など、小生ならば退屈で耐えられません。
 それにしても──。
 スズラン殿は己の恋心を殺して弔いながら、小生の幸福を祈っておられるのです。
 そこまでこの方に強く想われているとは知らず、どのような顔をすればいいのやら、わからなくなってしまいました。
 まったく、いじらしいお方なのです。かわいらしいにも限度があるというもの。
 またも思わず心のままにこぼれた呟きが、後ろの女人たちの耳に入ったようで。
 「なんだこいつ」という、二十四の目が、小生を胡乱に見つめてきました。

 ──診てもらいたいものがいる。

 そう、藩主が切り出しました。
 病の診断を誤り、山師と謗られた一族に連なる小生ですが、腕の良さはスズラン殿のお墨付き。もう一度、機会を与えると。

 ──その者の病を見事治せば、咎人たちをすべて許し解放する。しかし失敗すれば、兄たちの首はつながらぬものと思え。

 それを聞いた十二人の兄嫁たちが、わっと泣き崩れました。
 人の死体を弄ぶ罪人に、人を救えるはずがないと、まったくもって心外なことを言っています。

 藩主に案内され、十二人の兄嫁たちをその場に置いて、医者の小生、そのあとに局長殿と藤堂殿が続いて、御殿の奥の間へ通されました。
 廊下を塞ぐほどの巨体が、往く道、愛玩人形のようにスズラン殿を腕に抱きかかえていきます。
 肉塊のなかに埋もれるようにして、スズラン殿はされるがままでした。焦点のあわぬ目を床に落としております。
 薬でもかがされたのかと心配しておりますと、一度振り返って、眉を下げて微笑まれました。
 小生が兄たちの首を心配していると思って、安心させようとしてくださったのでしょう。見たことのある表情です。
 ブッコミの際などに、「何でもないよ」と言われ、疲れたとかなんとかわがままを言って、仲間を先行させるときのお顔でもあるのです。
 そういう時は大体どこかをザックリと大きく斬られていたり、いくつか骨が折れていたりして、決して「何でもなく」はないのです。
 足手まといの非戦闘員が、仲間の足を引っ張らぬよう、静かにひとりで終わろうとされるその様子を、小生よく見てまいりました。それで、非力で殺人を厭うこの方でも己の身を守れるようにと、エレキテル錫杖を造って贈ったのです。

 スズラン殿は、小生が妻を迎えたということに、思いのほか動揺しているようです。
 何とか気持ちに折り合いをつけ、愛しい相手と添いたいと想ってくださる心を、手放そうとしているのがわかりました。
 それなので、娶る気はありません、とお伝えしました。あなたのほかには、と告げれば、泣きだしそうな顔をされました。
 小生は天才です。此度の患者の病を癒やすことは、不可能ではない。さすれば兄たちは解放され、女人らもそれぞれの家へ戻るでしょう。
 小生に悋気の心の起こし方を教えてくださった方が、己の心に生まれたはずの悋気を殺してしまうさまは、誠に複雑怪奇に思えるのです。

 藩主に命じられ、患者を診ました。
 御殿の奥の間に布団を敷かれ、若い娘が眠っています。年のころは、ギャタロウ殿を慕う孤児たちと同じほどでしょうか。
 いまは大切にされているようですが、栄養状態のよくない場所で育ったのでしょう。容姿は父親の藩主とは正反対に小さく痩せており、あまり似ていません。
 なんとなく、長い間粗雑に扱われてきた者が、ここしばらくで急に興味を持たれて、扱いがよくなったように察しました。

 若く美しい男女をおもちゃのように扱うという、悪の権化のように語られる藩主です。さらった女人を手籠めにすれば、子ができることもあったでしょう。
 成した子が娘ならば、娘盛りになれば母親と同じように手を付け──そのような胸の悪くなる噂も耳にしています。
 この肉塊のごとき男に、はたして子を想う親の心というものがあるのか、それはわかりませんが……。

 噂は噂。
 腕のいい医者揃いの小生の一族が、いいかげんな山師と吹聴され、お家を取り潰され町にもいられなくなって、ひとり孤独に肩を落とした父の姿を思い出しました。
 噂はあてになりません。ひとつの情報として、そういう話があったと心に留めておくのみなのです。
 さて、なるほど。
 小生、この娘さんと同じ病の患者を診たことがあります。ほぼ毎日。頻繁に。
 娘は肺を患っていました。結核です。

 治る見こみのない病を治せという。
 それでなければ兄たちを処すとなると、藩主はスズラン殿の助命嘆願など、はじめから聞くつもりもなかったのだと悟りました。
 しかし小生は天才なので、患者が苦しんでいる姿を見れば、なんとかしてやりたくなるのです。

 ──必ず治りますとは、お約束できません。

 小生は正直にお伝えしました。
 肺病の患者を日頃から見ておりますので、小生にできるのは症状の緩和と、病の進行を遅らせることです。
 医療技術は日々進歩しており、いつの日か、治す方法が見つかる日が必ず来るでしょう。その日のために、少しでも病の時間を遅らせ、命をながらえさせること。
 小生に今できるのは、それだけです。かまいませんか。そう告げると、藩主は、ジロリと探るような目線を投げかけてきました。
 スズラン殿が肉塊のような男の顔のあたりを見上げ、「いいって」と、こちらに向かって屈託なく頷かれます。
 「あなたも診ましょう」と、小生はスズラン殿に声をかけました。
 この方と、静かにふたりきりで話をしたいという気持ちはありますが、今は医者として。

「そちらは、毒ですね」

 スズラン殿の、はだけた法衣の胸元の、瓔珞まわりに散った赤い痕を指し示すと、スズラン殿は誇らしげに微笑まれ──。

「さすが。頼りになるお医者様だこと」

 ゆっくりと、菫色の頭が傾いていきます。
 とっさに近く寄り、支えようと手を述べますが、藩主はスズラン殿を離しません。
 その方をこちらへ、と小生が語気を強めますと──。

「殺されてしまいます」

 藩主が小生の耳元で、小さく鋭く囁きました。
 生真面目そうな話し口調。噂で聞いていた極悪人とは、どうも印象が異なる気がしました。

 毒を盛られるのを恐れて、スズラン殿は食事も水も口にしていないこと。
 そんな日々が続き、もはや誰かが抱き上げて運んでやらねば歩けぬほど、足腰が弱っていること。

 藩主はそれを伝えた後、あなたはスズランを助けてくれる人か、と問うてきました。
 医者は人を救うのが仕事です、と小生は答えました。
 もちろんスズラン殿を助けます。そのうえで、あなたのご息女も助けます。小生医者なので、と。

「何から話せばいいものか。ときに、間者は」
「三人」

 ヒソヒソとささやく藩主に、藤堂殿の肩の上にいるサクヤ殿が、明快に答えられました。

「ここへ来たときから、室内をうかがっている者がいる。無実の罪で投獄された死罪人を、助命しようなどと言い出す。昨今、民を苦しめる極悪藩主が行なうようになった、突然の善行。提案したのは坊主だろう」

「スズランが城へ来たあたりから、藩主はあきらかに人が変わったようになったと聞く。咎人の助命だけではない。己が重税を課して飢えた民を出しておいて、とつぜん炊き出しをはじめたそうだな。それで、あのヌルヌル坊主が政治に口を出したと、快く思わない者がいるということか」

 サクヤ殿と藤堂殿のやりとりに、「さようで」と藩主が頷いてみせます。

「闇殺しが来ているのを見た。医者の変装をしていたが、いつか組んだことがある。毒に精通した男だ。山で化け狼に襲われたときに、自分を突き飛ばし、身代わりにして逃げた野郎だ。自分がここに来ていることは、まだ気づいていない」

「元同僚が一寸法師になってるとは、誰も思わんよな。いつ治るのだ」

 この騒動が終わったら、何とかしますゆえ。

「坊主は聡い。食事に混ぜられた毒を少量摂取して、体に症状が出た。すぐにそれと気づき、飲まず食わずで今日まで過ごしていたらしい。このままでは毒など盛らなくても、衰弱して死ぬ」

 小生がおりますので、死なせません。
 スズラン殿の口元に粥を運ぶと、毒を警戒してでしょう、ギュッと唇を引き結んでしまいました。
 「ご安心ください。小生が来ましたので」……そうお声をかけると、体から力が抜けていくのがわかります。
 この方の信頼を感じられて、いとおしく思う半面、なぜこうも軽やかにおひとりで死に急ぐのかと、恐ろしいような気持ちになります。
 粥をすすり、すこしぼんやりとされたのち、「おいしい」とかすれ声で呟かれました。

「貴様たちはゆっくり話でもしていろ。すぐに片づけて戻る」

 「間者を始末してくる」と言いおいて、藤堂殿が橙色の羽織りをひるがえし、局長殿と肩を並べて部屋を出ていく姿を見送りながら、気をきかせてくださったのだ、と気が付きました。
 藩主が心配そうにスズラン殿の名を呼び、巨体で上から乗って押しつぶしてしまいます。ぐえっ、カエルのような悲鳴があがりました。
 どこか苦しいところは、と肉の山のごとき巨人が声をかけるのに、「今のっかられてて苦しい〜」と、スズラン殿は手足をカサカサと動かされております。
 ふと、藩主が、もの言いたげにこちらの顔を見ていることに気づきました。
 このお方が信頼できる人ならば、助けてはもらえないだろうか。話を聞いてもらえないだろうか。我々だけの力では、もう無理なのではないか。
 小生とスズラン殿の顔を、オドオドと見比べて、そう仰います。
 スズラン殿がお困りならば、どうぞ頼ってくださいと、小生は居住まいを正して伝えました。医者として、良人として、好いた方のお力になりたいのです。

「僕のこと好きって言ってくれるのに、ソウゲンちゃんに嘘ついてたことあるの。だから、本当のこと言ったら、もういやになっちゃうかもだけど。そしたら、思いきってふってくれてかまわないからね」

 スズラン殿が、言われます。薄い体がかすかに震えていました。
 小生の腹の底が、ひやりと冷たくなるのがわかりました。嘘、とは。
 もしも、このお方が長州藩の間者だったならば。それとも、雑面ノ鬼の手の者ならば。悪い想像が次々に浮かびます。
 そうなれば新選組は、スズラン殿を粛清することになります。
 小生はどうするのか。おそらくは、サクヤ殿がこの方の首を刎ねることになるのでしょうが、それを是として受け入れることができるのか──もしくは、連れてどこかへ逃げましょうか。
 脱走したところで、幕府を裏切ることになるわけですから、いずれは連れ戻されて切腹を申しつけられることになるでしょう。ですが、もとよりこの命はないものです。
 すぐに腹は決まりました。

「事情は、私の口からお話ししましょう。スズランはここへ来て眠れていないので、途中で寝落ちをしてしまうかもしれません」

 藩主は、やけにスズラン殿の性質を理解しているようです。なにか、もやもやとした気分でした。
 小生はもう知っております。これが悋気というものなのです。口の中が苦くなるような、不可思議な感覚で、理論的な思考を妨げるのであまり好きではありません。
 しかし、これも人間の体ではなく心がかかる病と思えば、興味深い。

 藩主が大きく口をあけ、長い舌がデロリと飛び出してきました。
 あきらかに死相です。さすがにぎょっとしておりますと……。
 舌の上を、ぬるぬると、手のひら大のなめくじが這い降りてきました。
 このような大きななめくじは、小生見たことがありません。分類は……わかりません。新種でしょうか。体色は紫。スズラン殿の髪や目と同じ色をしております。

「驚かせてしまって申し訳がない」

 大なめくじが人の言葉を話しました。
 発声器官もないはずなのに、どうやって音を出しているのやら。仕組みが非常に気になり凝視していると、なめくじは折り目正しく触角を折り曲げました。
 人でいうと、頭を下げている格好にあたるのかもしれません。

「私はスズランの同郷の友達です。金剛山のあじさいの森で生まれたなめくじです」

 さすがにこれは、予想してなかったのです。




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−「壬生怪談・百物語…
紫鈴堂・えしゅ 2023」−