すこし、楽になった。感謝する。
夜を過ぎたころから、咳がとまらず難儀していたが、医者の作る薬とは大したものだ。
薬か。
これまで自分はあまり飲んだことがない。幼いころに熱を出した折に、何度か。
闇殺しに連なるものに、高価な薬などつける者はない。斬れるうちは斬る。病で動けなくなり、斬れぬようになればそこまでだ。刀と同じだ。
人に盛る毒の扱いがうまい者はいたが、ソウゲン、貴様のように、附子のような強い毒すら、人を生かす薬に変える者は見たことがなかった。
そんな器用な手わざを持つ貴様に、悩みなどあるとは意外だが、あるのか。
暇つぶしに聞いていただけますか、と。かまわない。
──生臭坊主が喜ぶことがわからぬ、と。
あれはいつでも何かに喜んでいるように見えるが。
うまい飯の店に誘おうと思いたっても、そういう店は坊主のほうがよく知っている。そうだろうか。
坊主の知っている店など、臭いうどんを出すいかがわしい店くらいのものだろう。あまりあれを買いかぶるな。
そもそも、坊主の湯がいたうどんを、解剖台を座卓がわりに、顔をつきあわせてすするのが、最近はいっとう気に入っている、と。
では、それでいいのではないか。
あの坊主は、年頃の女人を見れば声をかけずにはいられぬ不治の病だと聞く。あの獣のごとき……いや、獣だった。畜生ゆえの習性ばかりは、さしもの医者も手を焼くのではないか。
あれが何かやらかす前に、静かに宅飲みをしていろ。
ふたりいっしょに呑むのにうまい酒を買おうと選ぶにも、坊主はなんでもかまわず、味も気にせずうまいうまいと呑む。そも、医者のほうから、あの酒クズにこれ以上の酒をすすめるのはどうかと悩ましい。
たしかに、味のわからぬ者にうまい酒など与えても無意味。
途中から瓶の中身を水にすりかえてあっても、飲んだくれどもは気づかないのではないか。
良い提案だと。今度試してみると。そうか。
面白い話題を振ろうとしても、己が面白いと思うことはたくさんあるが、つい熱が入りすぎて喋りすぎてしまい、よく苦笑いをされてしまう。
それらしく贈り物をしようとなれば、少欲知足と、坊主にまるで物欲がない。
相手を喜ばせてやるために、何を喋ればいいかわからず、何を贈れば良いか思いつかず、ということか。
それは、自分も覚えがある。よかれと思ったことで、何度相手を怒らせたかわからぬ。
よけいなことを喋って、今まで聞いたことのない顔と声で怒らせたこともある。不逞浪士の首をとったり、間者を捕らえて縄で吊るしても、たまにアキラが密に知らせにくるような話を聞いたときに、別人ではないかと思うほどに目が輝くのだが、あれほど喜ばせてやれたことは自分にはない。
どこどこに新しいあんみつ屋ができるらしいとか、気に入りの店で季節ごとの練りきりの扱いがはじまったとか、自分にはわからないが、そういう話だ。
藤堂は喜んだが、酒クズ坊主がそれで喜ぶかは知らぬ。
わからぬまま怒らせてしまうことは、今もある。だから、うまくやる方法は、自分には見当もつかない。それこそ坊主本人に聞け。
聞いたが、己が熱弁をふるっている顔が楽しそうで大好きだと言われてしまった、と。
のろけか。他人ののろけを聞かされたのは、自分は生まれて初めてだ。微妙に腹立たしい気持ちになる、これがそういうものか。
ここへ来たばかりのころの医者からは想像もつかぬほど、何やら素朴な悩みばかりのように、自分には思える。人間の悩みだ、という気がする。
良いことか悪いことかは、自分にはわからない。結局のところ、己のものさしだろう。貴様が良いと思うのならそうなのだろうと、藤堂はよく言う。
そういうふうに、坊主が喜ぶようなことを何もしてやれぬのだが、あちらからはエレキテル錫杖を作り与えたというささやかなことで、毎日のように命の恩人だと感謝ばかりされてしまう──。
自分には、貴様の与えた武器がささやかなものだとは思えない。
あのクソ雑魚ナメクジ坊主が、ろくに人を殺せもしないくせに、恥もなくイキっていくさ場に立ち、それでいて大きな怪我もせず、まだ生きていることに自分は驚いている。
あの非力さ。自分が知る限りでは、あの程度の腕の男が刀を持てば、抜く間すらなくすぐに死んでいる。
医者は、人を生かすのがうまい。自分は人を斬るしかできないから、その真逆をやる貴様が、医者としてどれだけ腕がたつかはわかる。
斬ったそばから治されては、商売上がったりだと、昔の自分ならば言うだろう。
坊主の感謝は、当然のものだ。
先達の意見を聞けてよかった、と。
先達。そうなるのか。
喋るのに向かぬ者が、すこしうるさいくらいに喋る者を、どう喜ばせてやればいいか。
自分は何も気の利いたことは言えぬ。だが、何か参考になったというなら、それでいい。
話しているうちに、咳がとまったようだ。夜中でもひどくなれば呼べと。承知した。
先日見た巨大鮫。昨今は大坂湾に頻繁に出没し、商売のために行き交う舟を襲って沈め、人を喰うという。
早々に駆除し、民を安心させよと、新選組に討伐命令が下っている。
自分は人を斬るしかできない。でかい魚をさばくとなると勝手が違うが、仕事となればそうも言ってはいられない。
実物の巨大鮫を一度も見ていない馬鹿星などは、魚釣りでもしにいくと思って、いそいそと竿を用意していたので呆れる。
ボウなどは鮫を焼いて腹いっぱい食うのだといって涎をたらしていたが、人を喰った魚を焼いて食うのにためらいはないらしい。割り切るのがうまい奴だ。
今夜は明かりがまだついている部屋が多い。明日の早くに出るというのに、飲んだくれている者たちがいる。
ソウゲン。坊主が酔うとのろけ話しかしなくなったと、ギャタロウから苦情が出ている。
明日の朝、二日酔いで使い物にならぬようになる前に、早々に瓶の中身を水にすりかえてきてやれ。おそらく奴もギャタロウも、頭にまで酒がまわっている頃合いだ。どうせ何も気づかぬ。