ギャタロウのところの孤児は、なぜか常に気安い。
いつのまにやら、酒クズ親父の子分だと思われている。心外。
あのオッサンは、フカシがでかすぎるところがある。またなにか、孤児たちにあることないこと吹きこんで、新選組の連中は皆まとめて自分の子分だとか、いいかげんなデタラメを教えているのだろう。
ろくでなしの酔っ払いでも、戦でめっぽう役に立つのがまだ救いか。
留吉は、あの巨大鮫が子持ちの母親ではないかと言っていた。
腹の子を育てるために人を喰い、人に恨まれ、刃を向けられる。ややこを育てるために必死なのだろうが、こちらも仕事できているので容赦はしない。
さて。水に入った人間を襲う巨大鮫だが、最近は鮫を恐れて誰も水につからない。
とうとう船を襲うようになった。小さな船。大きな船。底に穴が開けば、みな同じことだ。
体当たりで船を壊し沈めて、こぼれ出てきた人を喰う。
それが続くと、ここ数日で誰も船を出さなくなった。
「これでも漁師だったことあるんだぜ、俺」
こちらは、馬鹿星。釣り竿では鮫に歯が立たぬだろうと皆が口を揃えて言うので、渋々聞き入れて頑丈な網を抱えている。
子供のころ、着るもの食うもの住むところ、すべてに困って海際をウロウロとさまよっていた時期に、漁師の家に転がりこんで、住みこみで働いていたことがあるという。
あまりにも劣悪な環境だったので、金と飯を盗んで逃げ出したという前科つき。
「やっぱ自分の尻は、自分で責任もって守んなきゃな」
しみじみと言いながら、ひとりで頷いている。何があったのか想像したくない。
「緊張しておなか痛くなってきちゃった。帰りたい」
これは生臭坊主。馬鹿星の、現物を知らぬゆえの能天気さとは真逆で、鮫が人を飲むところを目撃していたせいで、完全に怖気づいている。
いざとなれば、携えている電気棒が鮫よけになる。
帰りたいなどというくせに、おとなしく船に乗る。気のいいやつなのか。流されやすいのか。判断がつきにくい。
陸のほうでは、ボウが引いてきた大砲をこちらに向けている。
ソウゲンが火薬を準備。打ち方はギャタロウ。船に危険が迫れば砲撃を行う。
網に鮫がかかれば、陸側から引いて上げる。
自分たちはオトリ役だ。
船をひっくり返されればそこで詰む。こちらに近づけぬよう、坊主の電気棒で距離をとりつつ、網に誘導。暴れれば、自分とアキラが対処する。
湾内に浮かぶは、自分たちの乗るこの小さな漁船のみ。日差しがきつい。
堺港のほうには黒船がとまっているというが、あれはこの国に魚をとりにきているわけではない。異人の船をあてにするわけにもいかぬのだろう。
なぜかめりけん人たちは、鮫はそうそう人を襲わぬと信じているらしい。実際に目にすれば、考えは変わるだろうが、あの調子ではいまに大事故が起こるぞ。
「事故をもとにした芝居が作られたりしてな」
「それ楽しそう。人気になって、続編も出ちゃったりして」
おい。貴様たちは、無駄話が過ぎる。
馬鹿星はその下手な舟歌をすぐにやめろ。相手方に気づかれねば、オトリの意味はないだと? もっともらしいことをいう。
坊主も身を乗り出して手を振るな。陸側の三人も手を振り返すな。遊覧気分か。度し難い。
さっそくあちらで、藤堂がキレちらかしているのが見えた。「わかる」と船の上のアキラがうなづく。自分もわかる。
留吉の情報をもとに、子持ちの鮫だと仮定する。
医者が言うには、鮫は種類ごとに子の成し方が異なるという。デタラメな生き物だ。
卵を産むもの。卵を腹のなかで孵して、しばらく腹のなかで育てるもの。自分たちと同じくへその緒で母親に繋がって育ち、生まれてくるもの。確認されているのは、この三つ。
巨大鮫は、話に聞いた容貌からおそらくは腹の中で卵を孵して育てる種だろうと推測するものの、捕らえて捌いてみねば詳細はわからぬ、ということだ。
ここしばらく、物資輸送船は鮫を恐れて操業を停止している。商人たちは商売あがったりだと嘆いている。
酒を運ぶ樽廻船なども襲われるそうだ。沈めて人と酒を食らう。
「おっ母ってこたぁ、酒はひかえたほうがいいんじゃねぇの。腹の中のややこのためにもよ」
相手は人食い鮫だ。控えるもなにもない。腹の子ともども殺さねばならぬ。
「まあ、こんだけ人食ってちゃ、そうなるよな。淀ちゃんもよ、おとなしい性格のクジラかなんかだったら、みんなに大事にされたんだろなぁ」
「鮫ってお魚でしょ。なのにお酒好きなんて、いやに人間臭いんだね」
お前が言うか、ポンポコ狸。
「狐ですう」
ところで屯所の床下に巣を作った狸の子供が、「間抜け面した役立たず、化けるのド下手なごくつぶし、いい気になるなよクソ狐」と狐を笑いものにしたわらべ歌を唄っているのを、夜中に聞いた。
面妖だがなかなかの美声で、自分は歌詞も共感できる内容で良いと思った。
──坊主が怒りのあまり、可聴領域外の叫び声をあげている。
そんな音が、腹のどこから出てくる。謎だ。
餌がない日が続き、とくに腹を減らしているから、見え見えのオトリにも食いつく可能性が高い。
船上からアキラが、陸では藤堂が、望遠鏡であたりを覗いている。
肉眼では及ばぬはるか遠くまで、手元にある書の文字に目を落とすがごとく見渡せる便利道具。ソウゲンの部屋で遊ばせているのがもったいないということで、持ちだしてきたもの。
どうだ。気配はまだ感じない。
来た。
オトリに食いついたようだ。
馬鹿星が、いつものように前髪をギュッと絞って気合いを入れ、網を投げた。
自分とアキラは抜刀。和泉守兼定は光る。菊一文字もやる気のようだ。あの巨大鮫が、雑面ノ鬼どもと力の源を同じくするという証。
網に手ごたえがあった、と馬鹿星の声。
次の瞬間。馬鹿星の姿が船上から消える。持っていかれた。