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壬生怪談・百物語




〇六二・補陀落(ギャタロウ)


 ここは、どこだァ?
 薬の匂いに、ゴチャゴチャと足の踏み場もねぇようなガラクタの多さ。お医者先生の研究室か。
 とすると、新選組の屯所じゃねえか。はぁ、帰ってこられたのか。
 おう、お医者先生ご本人だ。オイラ、いったい何がどうなったのか……。
 なんだって?
 ひどい熱出してうなされてたってか。三日も意識戻らなかったから、心配したと。
 逆に、よく生きてたなあオイラは。

 何が起こったかは、小生のほうが知りたいのです、ってか。
 じゃあ話ぃ、聞いてもらおか。
 熱に浮かされてたせいか、頭まとまらねえや。あったこと喋るから適当にまとめてくれ。
 仕事の最中だったから、藤堂の旦那のとこに、あとで上げなきゃなんねえしな。

 大坂湾の沖に出て、巨大鮫の死骸の引き上げやってたんだよ。
 死骸つうても残骸よ。火薬でぶっとばされたもんだから、食われた人の骨があっちこっちに突き刺さってた。
 陸に戻って土に埋めて墓を作ってほしいやつもいるかもしんねえが、まあ、大半の骨は粉々になったり、海の底に沈んじまったりで、拾って帰ってやるのは無理だな。
 坊主の使ってたお師匠さんの体もな。身内の躯には念仏あげてやりてえだろうから、あの紫色のヒラヒラした袈裟のきれっぱしでも見つかるといいと思ったが。すまねぇな。
 あん? 生きてる? いや、生きちゃいないが、首だけになって、夜が深くなるとそこら中を練り歩いてる。
 はあぁ、狐坊主のお師匠だけに、けったいな野郎なんだろうな。

 そんで、引き上げの話だ。
 骨は無理だが、犠牲になった奴らの身に着けてたもんは、鮫の胃の中でも溶けずにそのまま残ってる場合もある。硬いもんはとくに。坊主の瓔珞みたいな金細工やら、大判小判やら。

 ギャハ、羅生門じゃねえよ。追いはぎとは違うくてな。
 こちとら生きてる人間は、おまんま食うから金子がいりようだい。魚に食われて死んだ、もう誰のもんだかわかんねえお宝なら、ちょいと懐に入れるくらい盗みに入らねぇだろう。
 どうせあの世に持っていけるんは、六文銭くらいのもんよ。

 急に風向きが変わった。夏に差し掛かるこの時期に、冷たい北風が吹いてきやがる。
 最近は陸の上じゃ、作物が枯れるくらいにお日さんカンカン照りの日照り続きだってのに、海の上では逆に、黒い雲がモクモクとわいてくる。
 こりゃやばい。オイラが乗ってるのは小舟だ。波が高くなるとすぐにひっくり返っちまう。
 とっとと引き上げようってことで振り返ると、変だ。陸がいつの間にか見えなくなってる。
 沖合ちゅーても、陸の上の人間がいつ落ちてくるかと待ち構えてた巨大鮫とドンパチしたあたりよ。さっきまでは目と鼻の先に、港で手を振ってるボウと野次馬、それに昨日の晩に副長殿が、べた惚れの旦那と乳繰り合ってた湯屋が見えてたんだ。
 それが、前も後ろも右も左も、海、海、海。いつのまにやら漂流してんだよ。
 マジでやべえなこりゃと慌てているうちにも、どんどこしけってきやがる。

 すると、どこからともなく念仏が聞こえてきた。
 おう、スズランの坊主がいつも唱えてるようなのが、人気のない海の上にいるオイラの耳に聞こえてくるんだ。ブツブツと、四方八方から。
 こりゃあ、逆の逆に普通じゃねえ。噂に聞く海坊主ってぇ妖怪じゃねぇかと、オイラはピンときて、念のために積みこんであるひしゃくの底を抜いといた。
 海のバケモンにひしゃくを渡すと、舟に水を入れて沈めようとするから、底を抜いて渡せっていうだろう。
 そりゃ、船幽霊ではないか、って? そういやそうか。うん。

 白帆のあがった小舟が、すうーっと流れてきて、オイラの船に横付けしてきた。
 同じくらいの大きさの舟だったな。いや、ありゃ船なんかな。真っ赤に塗られた鳥居が四方に立ってて、見た感じ棺桶みたいだったわ。

 舟がこっちに近づいてくると、夏場の墓地みてえなにおいが漂ってきた。
 腐った仏さんのにおい。それから墓の前で煙あげてる線香のにおいだな。おなじみのあのにおいよ。墓を暴いて死体を盗んで咎人になった、お医者先生もよくよくご存じだろ。
 鳥居に囲まれた小舟の上に、小屋がある。背中をグルッとまるめねえと入れないような、本当に小さな造りで、入口は釘で打ち付けられている。臭いはそこからしてくんだ。

 いや、ぞっとしたね。
 櫂もなにも積んでねえ、ただ潮の流れに乗って、風に流されていくだけの舟だ。陸に戻る気なんかサラサラないやな。
 腐った躯の臭いがするってこたあ、小屋の中で念仏唱えてる奴は、もうこの世のものじゃあねえなあと、すぐにわかった。
 オイラは念仏なんざろくに知らねえし、逆に念仏唱えてんのはそっちのお化け舟のほうだし。おっかねえなあと、氏繁を構えて先を向けてたら……。
 オイラの舟のうしろから、北風に押し流されるみてえに、白帆の鳥居船が、次から次に、すうーっと通り過ぎていく。七艘ばかりいたかなあ。
 ウチに横付けしてた舟も、そいつらに続いて、流れて行っちまった。 

 すると急に、あのモクモクした気持ち悪い雲が、水平線のほうへ向かって流れて去っていってなあ。
 ありゃ、鳥居舟が黒い雲を連れていっちまったみたいだったなあ。
 しばらく経つと、凍えるみてえな北風がやんだ。暑い日が続いた墓場みたいな臭いが、なまぐせえ魚の血の臭いに入れ替わる。
 「ギャタ兄」とボウの声がした。
 そっちを見ると、陸地が見えた。おう、巨大鮫とドンパチやった場所よ。不思議そうな顔したボウのうしろに、野次馬どもの顔までくっきり見えてら。
 なにか狐につままれたような気がして、うーん、そのあたりから記憶がねえなあ。

 おう、ボウにスズランじゃねえか。
 心配して見に来たってか。オイラこのとおりピンピンしてらあ。
 結局あのあと、どうなったんだ。
 小舟の上でオイラがボーッと突っ立ってるんで、具合でも悪くなったのかと迎えにいったら、ぶっ倒れて驚いた、って。

 そのあとで、オイラを追いかけてくるみたいに、真っ赤な鳥居がついた小舟が、次々に海岸に流れ着いてたって?
 そりゃオイラの見たお化け舟だ。
 で、どうしたんだ。あの小屋の中には、やっぱり仏さんが入ってたのかい。
 釘で打ち付けられた小屋の戸は開けずに、もう一度海に送り返した? 
 道を間違えてたみたいだからって? なんだそりゃ。

 ほうほう。あの小舟は、補陀落を目指す渡海船って船で……。なんのこっちゃ。
 坊主もお医者様もだけどよう、頭のいい奴が自分にだけわかること並べて喋られても、オイラぁなんにもわかんねぇよ。うちのガキでもわかるように頼むわ。

 仏教には、南の海のかなたに「補陀落(ふだらく)」ってぇ極楽浄土があるってハナシがある。
 んで、偉い坊さんが生きたまま補陀落船って小舟に乗り、南の果ての浄土を目指して海に出る。
 あんな小さな舟で、無理があるだろそれは。

 おん、やっぱ無理なのか。
 三十日分の食料だけ積んで、入口に釘を打った小屋のなかに閉じこめられた坊さんは、死ぬまで念仏を唱え続ける。つまり生入定かよ。縁起でもねぇな。
 小舟が潮の流れに乗っちまうと、日本には戻ってこられねえ。出て行ったきり帰ってこねえなら、補陀落船は浄土にたどり着いたってことだろう、めでたしめでたし、ということになっているが……。
 ふつうに考えると、舟は広い海のまっただ中で、でかい波に飲まれて沈んだんだろう。生入定の坊主も、おぼれて死んじまった。
 そんな感じで、たとえ坊主が生きたまま補陀落浄土にたどりつかなくても、四つの鳥居が船の上に建っている。死んだ坊主の魂がそこをくぐれば、先は補陀落浄土だ、ということになっている。
 補陀落船そのものが、お弔いの場になってる、と。

 大坂湾に流れついた補陀落船は、ボウが押して、また海に返してやったってな。
 もう海はこりごりだい、ってふうに、陸に戻りたがってたんじゃねぇのか。躯を引っ張り出して、土に埋めてやらなくてよかったのかい。
 潮の流れに乗った小舟が、もう一度日本に戻ってくることはない。あの人喰いのお化け鮫の血が、穢れや悪いものを呼ぶ。引き寄せられてしまったせいで、道に迷ってしまったみたいだから、行くべきところへ送り返してやった、ってか。
 ま、坊主が言うなら、そうなんだろうよ。オイラはこういう話は、からっきしだからなぁ。

 補陀落渡海船を送り出す島のまわりじゃ、あの鳥居舟を見かけると悪いことが起こるって、言い伝えられている。なにか悪いことが起こらないと良いけど、ってなぁ。
 坊主。おめえさん、お化け坊主がお化け坊主にビビってどうすんのよ。
 オイラたち、捕まって死罪になったとこから始まって、けっこう最悪なことが立て続けに起こってるからよ。げんがわるいもんなんざ、逆に今更な気もするぜぇ。




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