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壬生怪談・百物語




〇六八・澤蔵司(藤堂)


 ういーひっく。
 なんだ、おかみ。もうそろそろその辺で? お客さん、ずいぶん酔っぱらってるみたいだよ、だと?
 私をみくびるな、おかみ。これしきの酒の量で、酔うはずなかろ。
 なんだ、かわいらしい割烹着なぞ着ているくせに、まるで斎藤一さんのような顔をしおってからに。
 本物のあの人は、濡羽色のつややかな髪も格好よく、キリッと尖った涼しげな目をしておったのだ。なんだ、あけびの皮のような紫色の頭をして。私はなあ、あのほろ苦いのは好かんのだ。ひっく。
 貴様さては、斎藤さんに化けた狐であろ。うえっぷ。

 化ける狐といえば、その昔、斎藤さんから聞いたことがあったな。
 いつだか、宴席で、皆ほろ酔いになって潰れてしまう者も出てくるなかで、こんなふうに話し出したのだ。
 藤堂、おまえは、目に見えぬものを信じるか、と。
 からかわれているのかと思い、幽霊なぞ迷信です、私は目に見えぬものなど怖くはありませんと返せば。
 斎藤さんは苦笑いをされて、オレは目に見えぬはずのものを見たことがある、と言われた。

 その昔、斎藤一さんがまだ十九の歳のこと。
 地元の江戸は小石川のあたりで、旗本の侍と喧嘩になり、相手を斬ってしまった。
 父の友人の道場へ身を隠すために京へ向かう道中、夜道で追手に囲まれてしまう。多勢に無勢で、いかな剣の達人の斎藤さんであっても、これで終わりかと観念したそうだ。

 すると急に森のなかから、ひょろっと痩せた男が出てきた。
 追手の男たちは、とつぜんの闖入者の顔を見るなり、ワッと声をあげるやいなや、一目散に逃げ出してしまった。
 その男には、顔がなかった。
 ゆで卵のようにつるつるで、真っ白の顔をしていた。そう、のっぺらぼうだったのだ。

 すわ人に害なすあやかしかと、斎藤さんは鬼神丸国重を握りなおしたが、どうもそんな感じではない。
 のっぺらぼうめは、坊主の法衣をまとい、両の袖が濡れていた。
 うん、森の中でしくしくと、泣いておったのだな。
 面妖なあやかしとはいえ、悲しんでいる者を放っておくのは江戸の男ではないというので、斎藤さんはのっぺらぼうに話しかけた。
 おまえさんは、なんで泣いてるのか、と。

 すると、のっぺらぼうは答えた。
 自分は江戸へ出てきて、近所の傳通院という、徳川将軍家の菩提寺である由緒正しい寺で修行をしていた。
 ところが、うっかり尻尾が出ているところを同期の僧に見つかってしまい、狐とバレて寺を追い出されてしまった。
 仏の教えを乞うに人も獣もないだろうに、狐だという理由で師には寺を追い出され、仲のよかった友だちの僧たちも態度が冷たくなって去ってしまった。
 狐が人のことを知りたい、人の信仰を知りたい、人と仲良くしたいと思うのは、いけないことなのだろうか。
 それで気分がサガって悩み苦しみ、人というものがわからなくなってしまった。
 人のかたちに化けてはみても、胴に手足が二本ずつ、そのうえに頭が乗っているのはわかるのだが……。
 人の、目に鼻に口の形を、どうしてもうまくとらえられぬ。
 みっともないのっぺらぼうの顔をさらしてしまって恥ずかしいが、どうにもならぬのだ、と。
 斎藤一さんがのっぺらぼうを見れば、目のないところから、岩から湧水が染みだしてくるみたいに、だらだらと涙が溢れて流れ落ちていく。
 それを見ながら斎藤さんは、化け物もいろいろと大変なのだなあ、と同情した。

 化け物は、己を「澤蔵司(たくぞうす)」と名乗った。本名かどうかは知らぬ。
 名乗るとまたしくしくと泣くので、前にいた傳通院でつけてもらった名前だったのだろうな。追い出されてしまえばもう名乗れぬ、意味のない名だったのだろう。
 うどんは西の味つけが好みで、東は蕎麦のほうがいいとわかったようなことをいうので、斎藤さんは近くの萬盛という蕎麦屋の蕎麦を出前してやり、神田川のほとりに座ってふたりでたぐった。

 これからどうするんだ。故郷へ帰るのかい。
 斎藤さんが、化け物の故郷ってどこだよと胡乱な気持ちでそう聞くと、ぐずりながらウンウンと頷く。

 おまえさんはどうしてうっかり、しっぽを出してしまったのかね。
 斎藤さんが尋ねると、のっぺらぼうは答えた。
 人は何のために生きるのかという、師の問いを受けたのだが、人でない自分にはどうしてもその答えがわからず、悩みすぎるあまり、ついうっかりまろびでてしまった。

 君にはわかるのだろうか、とまじめな声で言うものだから、人斬りの人でなしに尋ねることではないと思って、斎藤さんは面白がって……。
 女と酒以外に、男が生きる理由なんかない。
 笑って答えると、化け物は感激したみたいにまたウンウンと頷き、お兄さん、粋だねぇ、そうかぁ、としみじみつぶやいた。
 そう、斎藤一さんは、仲間内でも有名なくらいに、稀代の女たらしだったのだ。

 蕎麦を食い終わったあとで、斎藤さんはのっぺらぼうにこう言った。
 今のおまえさんが人間の、目に鼻に口の形をどうしてうまく真似られないか。オレにはわかる。
 化け物のくせに、人間様の真似をしやがってと、軽蔑の目を向けられたろう。
 獣臭い、狐臭いと鼻をつままれたろう。
 化け物には仏の教えなどもったいない、すぐに寺を出て行けと、口でののしられただろう。
 人の目、鼻、口が、おまえさんは怖くなっちまったんだ。
 顔のなかでも耳だけうまく化けられるのは、誰もおまえさんの言葉に耳を貸してくれなかったからだ。
 人間には聞く耳がない。だから耳だけこうしてうまく、化けられているんだよ。

 顔がないのは不便だろう。好きな蕎麦屋ののれんもくぐれない。
 おまえさんは命の恩人でもあるし、オレが生きている間は困るが、どこかでくたばっちまったあとならば、オレのこの顔をくれてやろう。
 どんな女も夢中になる色男の顔だ。命を拾わせてもらった礼だと思って、とっておけ。
 どうせオレのような人斬りは、そう長生きはできまいよ。
 斎藤一さんがそう言うと、のっぺらぼうはペコリと頭を下げて、いずこかへと去っていった。

 ん? ふふふ。斎藤一さんがふたりいる。
 どうしたんです、斎藤さん。黒い髪の斎藤さんも、紫の髪の斎藤さんも、だめだこりゃという顔をして私を見ている。
 酔ってなんかいませんよぉ、私は。ふふふ。この程度の量の酒なら、水のようなものです。
 あんたぁ、ギャタちゃん、藤堂ちゃんもうアカンよ。お部屋かえしてくるわね、ですって。
 あれっ。あなたって、そういう感じのふざけ方をするお方でしたっけ……。
 斎藤一さん。今度、私に稽古つけてくださるって約束は、どうなったんですかぁ。ねえぇ。
 約束破ったら嫌ですよぉ。むにゃ……。
 ぐうぐう……。…………。




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