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壬生怪談・百物語




〇七二・楽器(サクヤ)


 ダマルだろう。
 黙る、ではない。酒クズ親父、坊主のクソ駄洒落がうつったか。

 自分が闇殺しにいたころの話だ。
 幾人か、多彩な趣味を持つ者を見た。
 幼いころより人を殺して育った自分は、無趣味だ。暇つぶしといえば、砂時計を傾ける手慰み程度。
 しかし、いくらか分別のつく年になってから、人殺し稼業に身をやつした者のなかには、生きて殺して飯を食いクソして寝る以外の、無駄なことに意識を傾けるのを好む奴がいる。

 白昼、往来を歩いていたような者が、どこかで揉めて人を斬っただとかして追われる身になり、生きるためにはもう人斬りしかできないと、進退窮まって闇殺しに堕ちてくる。
 そういう者は、まっとうな人間だったころの感覚を、半端に引きずっている。はじめのうちは、人殺しを忌諱する癖がどうしても出る。
 素人の大人をまともに使えるように仕立て上げるのは、分別のつかぬ子どもをさらって仕込むよりも、長く時間がかかるそうだ。
 だから、ろくに育てはせぬ。大方は使い潰され捨てられる。替わりはいくらでもいるからだ。

 年を食っているくせに新米の顔をした闇殺しのなかには、うちにいる坊主のような人間がたまにいた。
 念仏を唱えたり、九字を切ったりするのを好む。神仏にすがる。
 なんのことはない。人を斬って殺すことが恐ろしいので、神に仏にすがって、己のしたことをなかったことにしたいのだ。
 殺す相手の顔を見られず目を逸らすようなものは、闇殺しにいようが、往来を歩いていようが、同じだ。どうせどこかで、まもなくくたばる。
 斬らねば斬られる。そういう世の中だろう。

 自分が百人斬りをした日に、ひとつ偉くなり、上から世話役にとあてがわれた男が、ちょうどそんな元坊主だった。
 なんでも楽人の末裔だと言っていたが、自称なのでいいかげんなものだ。
 名は、慶全(けいぜん)という。自分は人の名などほとんど忘れてしまうが、その男は作ったものに己の名を彫る癖があった。
 自分の使っていた着物や草履にも名を刻んでいたから、嫌でも覚えている。

 慶全という男は、裕福な商人の家に生まれたが、生来嘘をつく癖がある。
 客の信用を損ねる癖は、客商売では致命的だ。これはかなわぬと、家の者は思ったのだろう。性根を叩きなおすために、幼いころより寺に預けられた。
 慶全はやたらに顔のきれいな男で、楽器を持たせれば誰より良い音を出せた。何年かはまじめに法衣を着て、笛なぞを吹いていたらしい。

 ある時慶全は、寺に出入りする鋳掛屋の娘に惚れた。
 戒律を破って珊瑚の櫛を送った。しかし娘は寺の住職とすでに恋仲で、受け取ってはもらえなかった。
 それを恨んだ慶全は、己が贈った珊瑚の櫛を、恋敵の住職が娘に贈ったものと偽って、「住職が若い娘とデキている」と寺の坊主や町人たちに言いふらした。
 慶全は、嘘が体の芯まで染みこんでいた。仏の道を歩んでも、なんともならなかったようだ。

 住職と娘は仲を離され、それぞれ寺を、家を追い出された。
 その後しばらくして、慶全の嘘がバレた。そいつこそが仏道を破ったうえに、「罪なき住職と娘を陥れた罪」で寺を追い出された。
 ほうぼうをさまよい歩き、野垂れ死にかけているところを、闇殺しの誰某何某に拾われた。死人が多く出る場所ならば、お弔いをする坊主が必要になるだろう。だから自分はここにいるのだ……。
 そういう話を、殺す人間を待ち伏せているときに、ベラベラと喋って聞かされたことがある。坊主という人種は、どこでもうるさいものなのかもしれん。

 それで、ダマルの話を聞いた。

 慶全は手先が器用で、そのあたりに落ちているものを拾って、音の出る玩具をすぐに作ってしまう。
 闇殺しにいる者にとって、「そのあたりに落ちているもの」というと、人の躯くらいだ。
 人の頭蓋骨の天辺を切り出して、盃のようなものをふたつ用意する。くぼみがそれぞれ外へ向くように貼りあわせる。
 盃に蓋をするように、腹の皮を切り裂いたものを膜のかわりに貼る。紐の先に一文銭をくくりつけたものをとりつけると、太鼓ができあがる。
 人骨人皮でできた、でんでん太鼓。それがダマルというものだという。

 坊主が躯で遊んでいるのは罰当たりだ、と誰かにからかわれたときに、もともとでんでん太鼓とはそういうものなのだ、と慶全が言いわけをしていた。
 大昔に大陸のほうから伝わった密教の儀式では、太ももの骨から作った笛や、頭蓋を組み合わせたでんでん太鼓のように、人の体から作った楽器を鳴らすことがよくある。
 その証拠に天竺にいる護法善神という神、これははるばる日本へやって来て七福神の大黒天となったのだが、その神はいつも手にダマルを持った姿で絵に描かれているという。
 自分は坊主の好きそうな話はわからない。本当か嘘かは知らぬ。

 先ほど平隊士が持ちこんできた、このでんでん太鼓。
 見れば表面に、血管のようなものが浮かんでいるのが見える。
 小さいから、子供の頭蓋骨を使っているようだ。形が似ている。血の繋がった年子の兄弟か、双子のものかもしれん。
 ダマルが揺れるのにあわせて頭を振り振り、「でんでん」と叫んで踊る女の正体は知れぬが……。

 母親、なのかねぇ、と?
 なぜそう思う、酒クズ親父。
 自分の腹を痛めて生んだ小さい子供が命をとられて、頭の骨を楽器にされちまったら、おそらくその時は親も命はなかったろうが、そうして「でんでん」と叫んで踊って、せめてあやしてやろうと考えるのではないか、と。
 そうか。
 自分の母は、そういうふうに考える人ではなかった。だから、よくわからない。

 ああ。柄の尻に、「慶全」と名が入っている。これは奴の手になる作だ。
 その坊主は、何だって人の体で楽器なぞこしらえるようになったんだい、女にふられて寺追い出されて、気でも狂っちまったのかい、と。
 別に、狂ったわけでもないだろう。ただ闇殺しで、躯に四六時中囲まれて暮らしていると、誰でも慣れていく。人の死が金になると覚えこむと、己が殺した人間が、金のために捕った魚や獣、薪や野菜と同じに見えてくる。
 己で自由にできるものが、捨て置かれた躯しかない場所で生きていれば、何が欲しければそこから剥ぎ、拵えるしかない。
 死んでしまえば人は物になるので、好きにしてもかまわないだろう、と言っていたな。

 自分も当時は幼い見目をしていたから、ほかの子どもの闇殺しと同じように、玩具の風車を仕立ててもらったことがあるが、とくに興味もないので捨ててしまった。
 白い風車ではなかったか、と?
 酒クズ親父がなぜ知っているのかわからんが、たしか、そうだったように思う。からからから、と音のうるさい風車だった。
 子どものなかには、玩具を与えられて、それで喜ぶものもいた。
 一時は坊主と呼ばれていた男なりの、慰めだったのかもしれぬ。

 慶全は、今はどうしているのか、と。
 何年か前に死んだ。
 闇殺しの仕事のさなかに、殺しの対象の坊主に向かって「逃げろ」と叫んで邪魔をしたので、標的とまとめて師に一撫でで斬られた。
 躯は、闇殺しがいた痕跡を残さぬよう、沢に落とされ捨てられた。
 急に標的を助けようと飛び出していったのだが、けっきょくは相手も自分も首をはねられ死んだので、慶全の行動はまったくの無意味で無駄死にだ。
 しかし、なぜか満足そうな顔をしていた。
 殺せと依頼された相手とは、知己だったようだ。
 そういえば、死ぬ前にすこし話をしたか。

 ──同じ女に惚れた恋敵のことは、憎い恨めしいとずっと呪い続けていたが、今こうして自分と同じようにふられて、山中に庵を開いてひとり嘆いている姿を見れば、恋敵も女に捨てられてしまえば己とはふられ仲間なのだと、恨みの気持ちが消えていく。昔の自分の嘘過ちを謝りたいとまで、心が変わってしまった。

 たしか、そんなことを言っていたような気がする。
 勝手な野郎だねぇ、と。酒クズ親父も、勝手さにかけては大した違いもないだろうと思うが。
 下働きの慶全が死んだとき、自分はなにも思わなかったのか、と。なにも。ただ、不便になる、とは少し。
 細やかに気の付くところは、坊主といえば坊主らしい。うちにいるのも、そうだろう。
 坊主どもはよくわからない。雲のような生き物だ。よく喋り、よくまわりを見て気が付き、ふらっと出てきてふらっと消える。

 今も自分は、無趣味なのか、と。
 ……あっても、言わない。喋りのおっさんは信用ならぬ。
 俳句帳? なんの話だ。知らん……。

 平隊士は、この慶全のダマルが斎藤一にしか手に負えんと言っていたが。

 ──和泉守兼定を抜き、一閃。

 こうして斬って捨てれば、済む話だろう。
 このくらいは坊主の手を借りずとも、自分にもたやすくできることだ。
 刃に宿った土方歳三の魂も、目を覚まして光り輝いている。
 女たらしで情の深い人間だったと藤堂が言っていた。化けて出てきた母親と、骨を弄ばれ、言葉通り玩具にされた幼子を、憐れに思っているのやもしれぬ。

 酒クズ親父。大口開けて、間抜け面をしている。
 呪われる? 祟られる? ただの悪趣味な楽器に、そのような力が宿るはずはない。
 肋骨で琴を。大腿骨で笛を。頭蓋で堤を。人の体で楽器を作る、悪趣味な坊主の手になる、ただの玩具だ、これは。
 恨み言で人が死ぬなら、闇殺しは今頃すでに潰えている。




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