あ〜。なーにやってんだよ、サクヤぁ。
そんな居酒屋の大将の息子みてぇなおもしれー格好してさぁ。
夜も遅くにあいもかわらず、ゴマスリに忙しそうだな、この野郎。
おーい酒ぇ。店員サーン。そこの、ニコリともしねー不愛想な店員サンよ。テメーだよ酒をつげって客だぞ俺ぁ。
うわ、すっげ顔してる。町で顔がいいとかなんとかキャアキャア言われてるくせに、そんないぶし銀の親父みたいなしっぶい顔できるんだな。びっくりした。
ゲッ、酒つげつったって、俺の頭にぶっかけろとは言ってねぇだろ。
ンだこらテメー、やんのかやんのか。
いだっ。なんで俺だけゲンコツすんだよ、ギャタロウ。
不公平じゃね? サクヤも殴れよ。
ここはオイラの店? 黙って飯を食えねぇ無粋なギャツは、たとえ局長とはいえ客じゃねぇ?
次にぶうぶうブー垂れやがったら、逆にテメェを二号さんにしてやるかんな、だって。
なんだそれ。二号さんの俺とおかみさんのスズランが、明日の夜あたりにこの店で鉢合わせして、あんたこりゃあどういうことよこの女は誰よ、なによ大将ったら奥さんと別れてくれるって言ったじゃない、アンタどっちを選ぶのキーッうらめしい憎らしいアンタ殺してアタシも死ぬわ、ってな感じで、ちょっと面白そうじゃん。
修羅場だ修羅場だ。よく見るやつだな。
うわ、サクヤがまたすっげぇ顔してる。今度はギャタロウも。
想像して気持ち悪くなった、って? えー、自分で言い出しといて。
修羅場といえばさ、ここだけの話。
俺さっきまで、道ならぬ恋ってやつの相談に乗ってたんだけど。
あ? 恋も杓子もわからぬような尻の青いクソガキの貴様に、相談なぞする物好きがいるとは、よほど目が節穴と見える、だとォ? いちいち腹立つなぁ。
ま、そこはたしかにそうなんだけど。
俺には確かにイロコイなにがしは、全然わかんねーけど。そんな俺でも、話を聞いてやるくらいならできんだよ。
胸につかえた苦しい気持ちを、吐き出しちまえばいくらか楽になるもんさ。なぁ大将。
ほら見ろサクヤ、ギャタロウがめっちゃ頷いてる。
で、その恋のお相手ってのが、聞いて驚けソウゲンなんだけど。
相談相手はスズランか、って? いやいや違う。道ならぬ恋って言ったろ。道行き同じだろ、あそこは。
あのやばい奴に坊主以外が、って? そう、あのやばい奴に。スズラン以外が。
ソウゲンって、デカいし暗いし人を魚みてぇにさばくしで、最初のころはとくに、町の娘さんには怖がられてたりしてたじゃん。今はそんなことないけど。
意外とモテるんだな。うちでもスズランがゾッコン惚れてるみたいだし。
で、その相談してきた奴ってのが、うちの屯所の床下に住んでる狸なんだけど。
なんでふたりともズッコケてんの。いいだろ、狸が人に恋したって。狐だっておんなじことしてるじゃん。
お医者先生はケダモノに好かれる専門なんかねぇ、って。うん。なんだサクヤ、ちょっとうらやましそうな顔しやがって。
いいから続き話せって? エラソーだなテメーは。
さっき、今日の鍛錬が終わって、井戸で顔洗ってたんだよ。
すると、もし、と声がする。あなたは、いつも井戸端でたくさんの人間の話を聞いてやっている、近藤勇さまではありますまいか。
おうよ、と答えると、自分はこの壬生屯所の床下で生まれた狸なのですが、近頃悩みがあって、何も手につかず食事も喉を通らない。
よければあなたが日ごろ部下の悩みを聞いてやっているように、自分の話も聞いてはもらえまいか。
おうよ、ともう一度頷くと、狸は姿を見せずに話し始めた。
──自分の親は伊予国の出身で、八百八狸を従える隠神刑部の血に連なる、由緒正しき化け狸なのです。
享保の大飢饉のときに起こった松山城お家騒動の際に、先祖は稲生武太夫なる侍と戦って破れ、久万山に封じられてしまいました。その後、城を逃げ出した狸のうちの一匹が、流れ流れて京にたどり着き、以来この八木邸の床下に巣をかまえております。
じゃあ俺らより先輩なんだなあ、というと、狸はちょっと笑ったようだ。
どうやら人に話しかけるのは初めてで、緊張していたらしいんだよ。
自分が生まれたばかりの夜のこと。
床下の巣の天井の隙間から、昼のようにまばゆい光が落っこちてきます。
親狸が言うには、それはろうそくの明かり。人間は狸のように夜目がきかぬが、火を灯し、夜を昼間のようにすることができる。
そんなにすごいことができる人間というものは、いったいどんな素晴らしいものだろうと、私はいっぺんに人が好きになりました。
それで、天井の板一枚を隔てた先をそっと覗くのが、楽しみになってしまったのです。
人間の住んでいるところを観察していると、杉の木のごとく長い体の巨人が、毎夜楽しそうに笑い声をあげながら、何やら手先を動かしているのが見えました。
あれはなんなの、と親狸に尋ねますと、わからんけど関わったらアカンやつよ、と声を硬くします。
うちの親狸は人を警戒しており、躯を開いてウフフと笑う、巣の上にある研究室の主のことは、とくに恐れておりました。
──悪い子は、山南先生に狸汁にされてしまうで。
そう言って脅されたことも、一度や二度ではありません。
しかし自分は、山南先生なるお人を恐ろしいと思ったことは、一度もございません。
傷ついた新選組隊士がひっきりなしに担ぎ込まれてくるのを、ひとつもいやな顔せず、傷があれば縫いふさぎ、風邪をひいたら薬を与える。
人の命を救うことができる医者というのは、なんと優しく、なんと立派なものだろう。
自分は幼心に感心してしまい、いつしか山南先生に恋をしておりました。
そこで気に食わぬのが、あの附子みたいに毒々しい毛色をした、小汚い狐です。
自力では人のかたちもとれぬ、修行の足らぬダメ狐のくせに、自分が山南先生の見事な手わざにほれぼれとして、こっそりと部屋に忍びこみ、憧れのお人の手術道具をいじっているとやってきて、「お前の正体はわかっているのだぞ」ということを、まわりくどく遠回しで嫌味ったらしい言い方をして責めるのです。
「刃物を触ると危ないから注意した」などと、あとで山南先生の前で良い子ぶりっこをしておりましたが、あれはただの意地悪です。狐というやつは、みんなそうなのです。イケズな京女みたいな性格をしている。はあはあ。
ああ、すみません。狐めのことになると、つい興奮して熱くなってしまって。
あのダメ狐めは、自分が運よく人の躯を見つけて憑けたからといって、人の姿で山南先生にまとわりついては、しつこく後をつけまわしておりました。
そのなれなれしい姿を見てトサカにきたのは、一度や二度ではございません。
山南先生もはじめのうちは、狐の横暴に困惑しておられたのです。
しかし度量の広いお方ですので、怒りはせず、クソ狐めの無礼を許される。
とうとう最近では、いかにも両想いの情人の顔をして、ふたりで手をとりあって、うっとりとお互いの顔を眺めるようになってしまいました。
自分は、クソ狐に初恋の山南先生をとられてしまったのです。ああ、口惜しい。憎らしい。あの狐め。
坊さんかんざし、と明るい声が近づいてくるのが、床下の巣におるものですから、わかるのです。
あの唄は故郷の四国を唄っているのだなあと、うちの親狸などはうっとりと耳を傾けておりますが、自分に言わせれば、あんなものは大したことがありません。
格好をつけて無駄に響かせた声は地を這うようですし、同じ歌ばかりで聞き飽きてしまいました。
人の身の整った顔も、優しそうな体つきも、生来の狐のものではなく、ただの借りものです。あの者の実力ではありません。
一時、どこかで体を失くしたときに、みすぼらしい本性をさらしておりましたが、今の私よりも小さくて弱そうで、あのふわふわの尻に噛みついてやったら、すぐに泣いてしまったでしょう。
それなのによわよわダメ狐め、いっぱしの人間のふりをして、武器を持って危ないところへ毎日出かけていく。正気の沙汰ではありません。
刀や鉄砲を持った人間とのいくさへ出ていくなどと、なんと恐ろしいことを。まったく身の程知らずにもほどがあるでしょう、狐のくせに。狐のくせに──。
そんな感じでずっとぶうぶう言ってんだけど、聞いてるうちに俺、「おやおや」って首をかしげちまった。
んで、そのまんま言ってやったの。
おまえさあ、ソウゲンが好きなんだよな。でも、さっきから狐のことしか言わないじゃん。それじゃむしろ聞いてる俺には、お前が好きなのはソウゲンでなくて、むしろ狐のほうみたいに思えるけど、って。
俺がそういうと、井戸の影から、がさがさっと物音がした。
見ると、毛がモコモコの子どもの狸が、ポカンと口開けてそこにいた。俺が言ったのにびっくりして、転がって出てきちゃったんだな。よっぽど驚いた顔してたなぁ。
こっちが見てんのに気づくと、ハッと我に返った様子で起きあがって、慌てて走って逃げていっちまった。
そんなわけでさ、どっちにしても失恋しちゃったんだよなぁ。あの狸。
ソウゲンもスズランも、お互い好きあってるってんだから、俺ぁ邪魔はしたくねえし、うちのダチ公の恋路を邪魔するようなら許さねえ。
あの偏屈失恋狸もさ、次はちゃんと両想いになれる相手と出会えたらいいよな。
てなワケで、わかったか、サクヤぁ。
お前もさぁ、いつまでも町の娘さんたちはべらしてイキってねぇで、ソウゲンとスズラン見習って、好いた相手のひとりくらい……。
は? いる? 生まれて初めて一目惚れした相手が? どこに?
この壬生村にかよ!?
えっ。ちょっとおい、その話。詳しく聞かせろサクヤ。聞きたいって。
まさか俺じゃねぇよな? 待てちょっと。おい。えーーっ。えーーーーっ。