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壬生怪談・百物語




〇八四・「芝居」(藤堂)


 近所の者から、みかんが庭に余るほどできたというので、厚意で分けてもらった。
 匂いはきついくらいに甘いが、味はすこし酸いな。うむ。しかしうまい。
 この時期のみかんは、去年の秋に木になったのが、冬を越してきたものだ。この種類のやつは、なりたては渋くて食えたものではない。時間をかけて甘くなるのだ。
 サクヤ、お主もひとつどうだ。
 はは、酸いだろう。渋い顔をしているな。
 この実は重宝するのだ。果肉を使い、ソウゲンが胃の薬を作るし、皮は干して風呂に入れると湯冷めをせぬ。なにより、においが良い。
 懐かしいな。昔、よく土方さんが私にくださったのだ。
 あの人は生まれながらの武士ではなく、百姓をやりながら道場で鍛錬に励んでいらした。
 それなので、畑の脇に植えてある木になったみかんやらびわの実やらを籠に入れてきて、それ甘味だ、もっと食え食えと私の口につっこんできた。
 平助は好き嫌いが多い、ろくに食わぬからそんなに小さいのだ、と言って……。
 私は、好き嫌いなどしないだろう、と? うむ。
 今は、そのような子どもっぽいことは言わぬ。苦いのがいやだとか、酸いのがいやだとか、ああいうものは年をとればなくなるものだろう。

 むっ。ドタバタと大きな足音をたてて、せわしないのは誰だ。
 ギャタロウか。なんだ、血相をかえて部屋に飛び込んできてからに。お主も食うか、みかんだ。
 なに? ふたりとも無事か、だと? 見てのとおりだが。
 今度は急に座りこんで、ため息をついている。ひとまず安心して気が抜けた? 何かあったのか。

 おめえさんたちは、芝居見物には行かなかったのか、と?
 ああ。お主から譲ってもらった、芝居小屋の木戸銭のことだな。
 いや、行ったのだ。そうだな、すこし聞いてもらおう。

 ギャタロウ、お主の弟分から、芝居で身をたてることになったと報せがあっただろう。
 幼いころから面倒を見てきた仲間が、立派になったと喜んでいたお主は、ぜひいい人と見に来てくれと木戸銭を渡されたものの、急ぎの仕事が入ってしまった。
 それなので、ちょうど非番だったサクヤに、いい人と楽しんできてくれと伝え、木戸銭を押し付けて出かけていった。
 ギャタロウが市中見廻りを担当しているところは、孤児たちが多く住んでいる。そこで殺しがあったというので、心配で芝居どころではなかったのだな。

 それでサクヤは、いい人とともに連れだって……うむ、その、なんだ、うむむ。
 え? ふたりがつきあっていることを、今更取り繕う必要はない?
 どうせみんな知ってる、だと? そ、そうなのか!?
 そ、そうか。うむむむ……隊の風紀を乱さぬよう、このことは内密にしておくつもりだったが、さすがに敏いお主ら相手に隠し通せるものではないようだ。
 バレバレ? 人目をはばからずいちゃついてる医者と坊主とどっこいどっこい? は? それはない。さすがにあそこまでではなかろ。なあサクヤ。
 負けぬ? 何と戦っとるのだ、お主は。

 はあ。ま、いい。
 サクヤに誘われて、ふたりで芝居見物に行ったのだ。ギャタロウから譲られた木戸銭を持ってな。四条通にある芝居小屋だった。
 暗い小屋のなかで席についてしばらく待っていると、なにやらカリカリと妙な音がしはじめた。
 なにか、硬いものを噛む音だ。
 浅葱幕の前に、いつの間にか、女がうずくまっている。
 シミだらけの汚い着物を着た女だ。今しがた鴨川から上がってきたかのように、全身がぐっしょりと濡れている。
 そやつは一心不乱になにやらかじっているのだが、あれは何かと見ていると、笛のようなのだ。小屋のなかは薄暗く、よほど夜目のきく者でなければ子細はわからぬだろう。
 すると私の横でサクヤが、骨だ、とささやいた。
 形と太さから、おそらく大腿骨だという。色から見るに、墓の下から掘り出してきたものだろう、と。そういえばこやつは、やたらと夜目がきくのだったな、と得心した。
 心中ものの芝居をやると聞いていたのだが、そのような雰囲気ではない。どう見ても怪談が始まるやつだろう。
 さてはギャタロウめ、弟分にからかわれて嘘を言われたな。そう思っておったのだ。

 女が骨をかじる音にかぶさって、へたくそな三味線の音が鳴りはじめた。
 目の前の床の上で、白塗りの男か女かもわからんような者が、居眠りをするように頭を上下に揺らしながら、ビヨンビヨンと不快な音をたてている。
 寝ぼけておるのかと呆れていると、あれは躯だ、と横からまたサクヤが囁いた。
 死んで何日か経っている躯だ。強い香をたきつけてごまかしているが、くせえ腐臭がここまで漂ってくる。そう言う。
 鼻が馬鹿になりそうなほど強い花の匂いに、奇妙な生臭さが混じるとは思っていたが、なるほど。
 誰かが躯を操って動かしているとなると、思い浮かぶのは、似たようなことをやっとった、うちの狐坊主だ。
 サクヤが、あの酔っ払いどもどういうつもりだ、と怨念をこめて呟いておった。ギャタロウとスズランが組んで、若人をからかっているのではないかと疑いはじめたのだな。

 やがて上手から下手から、ぼろを着た男たちがワラワラと現われ出でた。
 そやつらの衣装を知っている。雑面ノ鬼どもが、揃いであつらえている道着だった。
 体液の染みや泥が付着し、見るにたえぬほどに汚い。今度こそ、私にもはっきりと腐臭が感じられた。しびとだ。
 新選組と斬りあいになって殺されたのち、スズランが弔いたいというので許し、埋葬したはずの雑面ノ鬼どもの躯だった。
 よくよく目をこらせば、幾人かは己が斬った相手とわかった。自分の剣の癖を見るようで、妙な感じだったな。

 雑面ノ鬼の躯どもは、不自然な手足の運びで、浅葱幕の前で骨をかじっている女のところへ進んでいく。
 そばまで来ると、手にした棒切れやら鉈やら、卒塔婆やらで女を滅多打ちにしはじめた。
 得物は、あの妖しい刀ではない。奴らが使う妖刀は、持ち主を斬り捨てたあとに回収し、見分したり廃棄したりで躯と同じところへは置いていないからな。
 おそらく、墓穴から這い出してきたあとで、その辺に落ちているものを拾ってきたのであろう。
 雑面ノ鬼に打ちのめされている骨かじり女は、いまだにうずくまったままだが……。
 ひとつ打たれるごとに、体が大きくなっていく。
 雑面ノ鬼の躯に、容赦なく何度も何度も叩かれるので、むくむくと膨れあがって、気づけば見上げるほどの位置に顔がきた。

 もうこれが、ギャタロウの弟分の芝居なぞではないことはわかっておったから、サクヤが刀を抜いた。土方歳三さんの魂が宿る和泉守兼定が、強烈な青い光を放つ。
 芝居小屋のなかで闇に慣れた目に、あれだけの光量はいささか堪えた。サクヤ当人はなんでもない顔をして、女の化け物や動く躯どもに斬りかかっていく。
 私も花道のほうから押し寄せてくる者を斬り捨て、ほかの客たちに逃げろと促した。
 しかし、振り向けば我々以外の客が、すべて消え失せている。
 ドーン、ドーン、と奥から太鼓の音がした。

 すると、私とサクヤは陽光の下、四条河原に抜き身の刀を下げて立っていた。
 サクヤの刀はもう光を失っていて、土方さんの魂がまた眠りにつかれたのがわかった。
 わけがわからぬが、もう芝居小屋へ戻るような気も失せてしまった。屯所へ帰ってきて、こうして麦茶を飲みながらみかんを食べている。そういうわけだ。

 オイラにもみかんをひとつくれ、と。うむ。
 そんなに酸いか、ギャタロウ。渋い顔をしている。
 なに? ギャタロウの弟分がおる芝居小屋は、裏で不逞浪士とつながりがあった、というのか。
 今しがた、土間に仕掛けられていた爆薬に火がつけられ、小屋は木っ端微塵に吹き飛んだと、平隊士より報告があった。
 私とサクヤがもしそこで芝居を見ていたら、ほかの客たち同様、とても命はなかっただろう──。
 それでギャタロウが慌てふためいて、部屋に飛びこんできたのか。
 己が渡した木戸銭のせいで、私とサクヤが命をとられていたら寝覚めが悪すぎるから、我々の悪運の強さに逆の逆に安心しすぎて力が抜けた、と。

 なに? 私とサクヤが招かれた妖怪芝居の一座は、それを知って助けてくれたのだろうか、だと?
 いや、そうではないだろう。あの薄気味悪い妖物どもにそのような殊勝な様子はなかったし、むしろ害をなそうとしていたのではないか。
 それでも、結果的に救われた形になるのか。よくわからぬが、ふむ。
 その話はあとだ。まずは現場へ向かうぞ。

 ギャタロウ。お主の弟分は、本来は我々ではなく、お主を殺そうと企んでいたのであろう。
 わかっている、と。ふむ、お主が見廻りによく訪れている、孤児たちの多く住むところで殺しがあったのにも、関わりがあるかもしれぬ。力の弱い者の体を使って、試し斬りをしたのかもしれぬと考えるのだな。
 芝居小屋の弟分のことは自分に預けてほしい、不逞浪士と繋がりがあったことといい、落とし前はきちんとつけさせる、そういうのか。
 わかった。ではそちらは頼むぞ、ギャタロウ。

 心を許せるほど長年親しく付き合ってきた、身内の人間の裏切りか。
 躯がいくつも起き上がってきて、へたくそな芝居モドキを披露していたあの不気味な小屋での出来事が、無邪気な児戯のようだな。




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