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壬生怪談・百物語




〇九七・「介錯」(ソウゲン)


 どこまでお話をしましたか。
 そう、サクヤ殿とともに、人探しのため、夜の山道をゆくところまででしたね。
 小生、興味のあるものの話はいつまでも尽きぬものでして。
 そこで人の話を語るようになったのは、つい最近のことです。それまでは他人の来歴なるものには、うまく興味がもてませんでしたので。
 しかしながら人の形を作るものは、骨や臓器ばかりではありません。生まれ、過ごした環境もまた、人間の一部であるのです。
 そう思えばこれまでは、多くの面白きことを見過ごしていたのですね。

 土御門率いる雑面ノ鬼が復活させた安倍晴明を、我々新選組が討伐して以来、山に棲む奇妙な獣に人が襲われる事件が相次いでおりました。

 雑面ノ鬼が扱う、妖刀や大砲など、通常の武器とは威力が桁違いに強力な霊式兵器。
 あれらはすべて、晴明の加護により動いていたものです。
 晴明を討伐しますと、霊式兵器の動力源としてとらえられていた、殺された人々の魂が、次々に解放されてゆきました。
 動力がかき消えた瞬間、それら霊式兵器は、ただのガラクタと化したのです。
 京に攻め入ってきた長州兵は、雑面ノ鬼に霊式兵器の提供を受けていたことがわかっております。晴明の消滅とともに撤退したのも、それが理由なのです。

 山の獣たちが、突如として狂いはじめる──。
 それも霊式兵器と同じ紫色の輝きを宿す、摩訶不思議な獣たちなのです。
 あきらかに妖刀などと動力を同じくしながら、晴明の滅びとともに消えなかった理由は、知れませんが……。
 人の魂が生物の体内に蓄えられているうちに、もとが人間であったことを、亡き魂本人すら忘れるほどに変質してしまったため、でしょうか。
 生きた獣のなかにとりこまれて、動力源とされる。それすなわち捕食され、食らった相手の栄養となることと、何の違いがありましょうか。

 霊式兵器に汚染された獣たちは、動力源の供給をなくし、みな飢えておりました。
 なかには人の言葉を話すものもいたようですが、ほとんどがただの獣とそう変わらぬ様子で、山へ分け入る人々を見ると襲って喰らいます。
 やがて、人が恐れて誰も山へ近寄らぬようになると、人里へ出て人を攫うようになります。市中の道では、とつぜん人が消え、引きずったような血の跡だけが残るという事件が多くなりました。

 そんな折なのです。
 スズラン殿が姿を消されました。
 ……自分と同じ名前だ、と? ふふ。そうですね。
 あの方は、ご自分が大きな傷を負えば、仲間の足を引っ張らぬようにと、それを隠してしまうお方です。
 己の身に、山の獣たちに起こったような異常を感じたのではないか。
 それで仲間に迷惑をかけぬよう、姿を消してしまおうと考えたのかもしれない……ギャタロウ殿が、そう言われました。
 ほかの獣たち同様に気が狂ってしまう前に、人里離れた山奥へ、己を押しこめようとしたのではないだろうか、と。

 いいえ、それはないでしょう。
 ならぬものはならぬことを、小生がしてしまったとき。または、そうなろうというときには、「ダメだよ」と叱ってくださるお方です。
 その方のほうが、決してならぬことをしてしまおうとされるならば、では逆に、小生が止めねばなりません。
 いつか、ひとりで死に急がれるその方を、「ダメなのです」とお叱りしましたところ──。
 丹念に水や栄養をやって育てた朝顔の花が咲いているのを見つけたような、まぶしそうな、うれしそうな顔をされて、うん、と頷かれました。
 それなので、あの方はご自分の意志で、とつぜん消えたりはしません。
 なにか、思いがけぬ事態に陥ったのです。

 どうにもならぬことならば、人の助けが必要です。
 ひとりで成せることなど知れています。個人の限界というものを、小生お恥ずかしながら、土御門が遺した書を読み痛感いたしました。
 この世には、医術や科学と分野をまったく別にする、謎に満ちた学問があります。
 根源を突き詰めれば、小生の知るものと似通ったところも見つかるのかもしれませんが……。
 人の一生はあまりに短く、おそらくは関わったとしても、本質のさわりを撫でて終わるでしょう。お手上げなのです。

 ギャタロウ殿のところの孤児たちや、床下の狸のご一家までご協力を仰ぎ、総動員でスズラン殿の行方を追ううちに……。
 不思議な毛色をした、四つ足の獣の噂を聞きました。

 スズラン殿は、動力源を失い意識が混濁し、ほかの同じ毛色の獣たちと同じように、我を忘れて山の中をうろついているのやもしれません。
 しかしあの方のことです。存外、ひょっこり帰ってくるやもしれぬ。
 それとも、同じようにうろつくとしても、寂しい山中ではなく、日ごろからたいそう好まれている花街に向かわれたのかもしれぬ。
 あんな人の多いところへ、珍しい色の毛皮がノコノコと迷いこんだら、即刻襟巻だい、とギャタロウ殿は青くなっておられましたっけ。

 意見が分かれましたので、ギャタロウ殿とボウ殿は花街へ。
 藤堂殿たちは屯所に留まり、小生は噂の出どころの山へ向かうことになりました。
 サクヤ殿も、坊主が正気をなくして人を襲うなら始末せねばならぬと、同行を申し出てこられました。
 ──そうですね。そう言われてはじめて、そのような可能性もあるのだと思い至りました。
 日ごろはあまりにも人畜無害な方ですので、考えが及びませんでした。

 サクヤ殿とともに、あれこれと話をしながら、山の奥深くへわけいると……。
 横穴があります。獣がひそんでいる気配がする、とサクヤ殿が仰います。
 スズラン殿でしょうか、と尋ねますと、首を振られ──。

「狐坊主ではない。送り狼だ」

 送り狼。サクヤ殿の顔を見ますと、相違ないと頷かれます。
 サクヤ殿が闇殺しの仕事に身をやつしていたころに、その狼に出会ったことがあると聞きました。
 信じられぬような怪力と身のこなしで、熟練の暗殺者たちを、またたく間に食い殺してしまったという化け狼です。
 今思えばその力の源は、なまくら刀に無数の人の命を吸わせて、強い刃に仕立て上げた妖刀と、同じ仕組みであったのでしょう。
 かつて危うく食われるところだった、山の怪異です。
 サクヤ殿が襲われていたところへ、飛びだしてきてかばった小生の良人の義父上殿を、喰い殺した獣です。
 義父の仇、となりますか。

 サクヤ殿が、巣穴の様子をうかがいます。数年前に一度見た時よりも、ひとまわりほどは小さい、と言われました。
 晴明がしびとに戻り、動力源を失った今。闇殺しや小生の義父ら、多くの人を喰らった化け狼も、飢えと渇きでやせ衰えて、すぐにでも死にそうでした。
 苦しげな息をつきながら、巣の中で伏しています。
 あたりに、血の匂いはしませんでした。ここで喰われて亡くなった、新しい犠牲者はないようです。

 人間が来たと気配で悟ると、狼は唸って威嚇するでもなく、我々の顔をじっと見つめてきました。
 瞳には意志があるように見受けました。サクヤ殿が以前出会ったときは、あきらかに正気ではなかったといいますから、ここ何年かの変化でしょう。
 小生が下げております薬入れの家紋を見て、「もしかして、お医者様ですか」と、驚いたような声を出します。
 そう、人の言葉です。この狼もまた、人語を解するのです。

「血の匂いの濃くするお二方。そちらの草色の髪の御仁はもしや、長崎で丸に踪の家紋をかかげて医者を営む一族のお方ではないでしょうか。
私は、松原のおよしと申します。死産の赤子は縁起が悪いと、長崎の医者の家を出されたときは、お武という名前でありました。もしや貴方は、一族の末の男の踪玄兄さんでは──」

 相違ない、と頷きました。
 すると狼は言葉を詰まらせたのち、そんな偶然があるとは思わなかった、とうなだれました。
 小生も同じ気持ちです。妹のお武は、生まれたときはこの身と同じく、たしかに人でありました。
 それが今や、熊のごとき大柄な化け狼の姿になり果てている。
 わけがわからずにいると、狼は……妹のお武は、ぽつぽつと話し始めました。

 ──自分は死なねばならぬと思いつめ、自死をする者が多く訪れるこの山へ入ったところ、僧侶姿の化け狐に出会って恋に落ち、夫婦になって子をなしました。
 もしや兄さん、紫の毛色をした狐が、このあたりをさまよっているのを見かけませんでしたか。
 あやかしにしては、まだ生まれたばかりの仔狐のような歳です。両親をなくして、生きているか死んでいるかはわかりません。
 もし生きていて、不自由をしているようなら、どうか助けてやってほしいのです。

 妹がそう言うので、小生は頷きました。
 すでにそのお方は、ひとりでもしっかりと生きていけるほどに立派になられた。人の姿に化けて、小生とともに新選組なる組織に拾われて、毎日世のため人のために、正しき誠の道を歩んでおります、と。

「そんなような偶然が、まさかあるなんて」

 妹は涙ぐみ、喉の奥でグルグルと唸り声をあげておりました。
 小生も同じ心です。とかく人の多い世の中で、同じ血のものがめぐりあうような偶然は、大変に稀なものです。
 しかし小生は、お互いに何も知らぬままあの方、スズラン殿と出会い、仲間になり、友人になり、やがて恋仲になって娶り妻にしました、と答えますと……。

「ウソでしょお兄ちゃん。あの子、まだ二歳ですよ」

 唖然とした様子で、妹が大口を開けました。
 驚いた表情が、スズラン殿にそっくりです。
 妹は小生とあまり似ておりません。しかし頭の切り替えは、一族の者なので早いのです。
 実の兄が義理の息子になってしまうようなことは、そうそう世の中では起こらぬだろうが、自分は世の外へ出てしまった身の上、もはや何も言えるような体ではない。
 そうなってしまったならしょうがない。子はいつまでも幼いものだと思ってしまいがちだが、二歳になる狐のあやかしというのは、考えてみれば人でいえば二十歳ほど。元服も済んで、つがいを得ていても不思議ではない。
 では、くれぐれもあの子をよろしくお願いします、と頭を下げられるので、こちらこそ、と返しました。
 生き別れの兄妹の再会と、義母への挨拶をいっぺんにしてしまいましたので、小生も妹も冷静なつもりでしたが、じつのところは混乱していたのでしょう。

 妹は、子を産み落としてほどなく、体が弱って命を落としました。
 医者一族の身内がいながら、診てやることもできずにいたことを、小生が悔やみながら詫びますと、病気になって死んじゃうお医者様だって星の数ほどいるのですからと、あっけらかんと言います。
 このあたりの明るく達観した気質も、息子殿に受け継がれているのかもしれません。

 さて、山には以前より、狼が住んでおりました。送り狼、と呼ばれるものです。
 縄張りに入ってきた獲物をつけまわし、転んで隙を見せれば襲うという狼の習性を鑑みますと、それがあやかしなのか、それとも普通の獣だったのかは、わからないのです。
 狼の体内には、雑面ノ鬼の妖刀工場から流れ出した汚水がたくわえられており、次代か、その次には、おそらく紫色の毛皮を持った狼を産み落としたことでしょう。
 そのため、子に与える動力源を求めて、執拗に人を襲います。旅人を喰うので、とくに恐れられていた狼でした。
 狼を警戒し、山に入る人は少なくなりました。なので狼は腹をすかせて、埋葬されていた妹の死体を掘り起こし、食らったのです。
 雑面ノ鬼に騙されて、怪しげな薬に漬けられていた妹の肉を食らった狼の身に、どのような反応があったのか。小生は実際には観測しておりませんので、わかりませんが……。
 死んだはずの妹は、気づけば狼になっておりました。
 それは妹の魂が、身を食らった狼に宿ったのでしょうか。
 それともここにいるものは、妹の亡骸に染みこんでいた記憶ごと食らい、人生を追体験して、己を妹だと思い込んでいる狼なのでしょうか。
 小生は土御門やスズラン殿のような専門家ではありませんので、判断がつきかねますが……。

 獣の本能を御するのは、人の身であったころよりも難しく。
 狼となった妹は、以前の、ただの人食い狼であったころにも増して、人を襲うようになりました。
 人を喰う忌避感は、人喰い狼の噂を知らぬ旅の者が通りかかったのを、飢餓のあまりに襲って一口喰らった瞬間、その肉のあまりの甘さに霧散したそうです。
 己が狼であるのか、人であるかもわからぬまま、ただ山中孤独に人を襲って喰い、人の通りが絶えれば里へ出て子どもを攫いました。
 子を喰われて怒り、山狩りへきた大人たちを、逆に喰らい殺しました。
 そのような、スズラン殿流に言えば地獄のような場所で、妹はただ暴食を繰り返すだけの、獣よりも獣らしい暮らしを送っておりました。

 獣の正気とも、人の狂気ともつかぬ心が、昔のように晴れわたる出来事がありました。
 妹は、良人の肉を食らったのです。
 妹が人間であったころの夫は、年を重ねても化けるのが下手な化け狐でした。悪さもせず、人に化けて僧侶の真似事をし、長く寺で務めていた変わり者のあやかしです。
 無数の人を食らうよりも、あやかしを一匹食らうほうが、狼の腹は膨れました。
 妹を苛んでいた果てのない飢餓感は、夫を喰らうと消え失せました。質の良い動力源を十分に得て、満ち足りたのでしょう。

 正気に戻った妹は、夫を殺めて肉を喰らったことを嘆き悲しみましたが、しびとは蘇りません。
 気がかりなのは、幼くして両親を失った子どものことです。夫の肉を食らう合間に、かばわれて逃げのびた人が、連れて隠れるところを目の端に見ました。
 珍しい毛色をした仔狐でしたので、人が捕まえれば襟巻にしてしまうかもしれぬと心配でしたが……。
 子どもは人の手から、無事に逃げおおせたか、それとも連れていったお人が優しい性質だったのかは知れぬものの、父の遺した庵でひとり暮らしているところを見つけて、ほっと一安心だったそうです。
 藪に隠れてコッソリと見ていれば、子どもは父狐の墓を作り、祈るばかりで何も出来ぬ。
 そういえば、祈りのほかには、まだ何も教えられてはいなかったのです。

 父を喰い殺した狼が近くに寄れば、仔狐は恐ろしいでしょう。
 己を母と名乗ることも、できなくなりました。何より、その紫の毛色の仔狐は、産みの母親の目で見ても、あまりにも肉が美味そうなのです。
 いまは父狐を喰らって、己のなかに動力源が満ち足りているから襲わずに済むが、また飢餓感に苛まれれば、己は夫ばかりではなく、息子までも食らってしまう。
 今度こそ、取り返しのつかぬことになる前に、命を絶ってしまいたいが、残された子はあまりにも弱い。
 そう案じ、仔狐が生きる術を覚えるまではと、餌を運んで育てておりました。
 熟れたあけびや、やまももの生ったのを、ひとつふたつちぎって、庵の前に置いてやると、仔狐はお山の神様の施しだと勘違いをして、空を見上げて手をあわせ、ニャムニャムと感謝の祈りを捧げておりました。
 本当に祈るほかには何も出来ぬ子だと、もどかしい心地がしましたが、僧侶には向いていましょう。
 やがて、町を追われた僧が庵を訪れ、そこで暮らすことになりました。
 獣相手にも正しき祈りを教えてやるような、変わり者ながら親切な御仁でしたので、己がしてやれるのはここまでだと、妹はいくらか体が大きくなってきた息子のいる山を離れる決意をしました。
 自分の夫を、己が最後に食らった人間にしようと、別の山の深くに巣を作って、とじこもったのです。
 また飢餓のあまりに錯乱して、人を襲ってしまわぬよう、正気のうちに後ろ足を折り、あとはただ死を待つのみ。
 そこへ小生たちが訪れた、というわけなのです。

 小生が、足を診ましょう、と申し出れば、いらぬと断られました。
 今の己の動力源となっている夫の魂を使い果たせば、妹は再び人心をなくし、ただ人を食らう獣になり果てましょう。
 良人を喰らい殺してしまったのだから、足が治れば兄である小生を喰らい殺し、うまそうな匂いのするひとり息子を探しに行って、殺して喰ってしまうだろう。
 あやかしを喰らえば、きっとまた正気に戻る。今度は夫ばかりでなく、兄と息子を喰ったと嘆く。
 同じことを繰り返す前に殺してほしい、この狼の身はやたらと強靭で、うまく死ねぬからとせがまれました。
 妹からの、初めての兄への頼みです。叶えてやりたいものですが……。
 このような大きな狼に、毒や麻酔は効くものでしょうか。
 また、一思いに首を刎ねられるほどの技量は、小生にはありません。
 良い方法はないものかと、思案しておりますと……。

「医者はどいていろ。自分が介錯する」

 うしろで話を聞いていたサクヤ殿が、小生を押しのけ前へ出られます。
 たしかに、刀の技量は新選組のなかで随一のこの方の手にかかれば、妹はそう苦しまずに逝けることでしょう。
 サクヤ殿は、交流のある親しい人間が、身内の者に手をかけるところを見るのが、あまり好きではないようでした。
 以前、この狼にやられっぱなしで、おめおめと逃げ出すしかなかった雪辱を、注ぐおつもりもあったでしょう。負けず嫌いなお方ですので。
 妹は、サクヤ殿の顔をじっと見上げ……。
 驚いた様子で、ぽっかりと口を開けました。

「お兄ちゃん、こんなに顔のいい男と友達なの。なんで紹介してくんなかったの。こんだけ顔がいい男に首を刎ねられるなら、一片の悔いなしなくらい本望だわ」

 そうかしましく、興奮して、無事な前脚で巣穴の地面をたたいております。
 花街で芸妓の女人にちやほやされているときの、スズラン殿のデレデレとした仕草にそっくりでした。
 妹は小生とあまり似ておりません。

 サクヤ殿が刀を抜きました。和泉守兼定は青く輝いております。
 我々の刀は、晴明を倒したのち、いまだ光ります。本物の新選組の皆さんは、己の意志で我ら替え玉とともに歩むと決めて、浮世へ残ってくだすったようなのです。
 それはもう、成り代わられた不幸なしびととは言えぬのではないでしょうか。
 刀のなかにおわす方々もまた、いまだ立派に新選組であられるのです。

 ふと、妹の魂も、新選組の本物の幹部の方たちのように、何らかの方法でこの世につなぎとめておけぬものか、という考えがよぎります。
 魂が獣ではなく刀に宿れば、人を喰らわずともいられるのではないか。
 それとも獣の本能を抑える薬を作れば、この先も生きながらえられるのではないか──。
 しかし、それこそ雑面ノ鬼と同じ考え方なのです。
 そも、土御門の残した書を開いて、その技の仕組みをひとつも理解できなかった小生には、何も出来ぬのだと思いなおしました。
 幼子が、ものの道理を理解せぬまま実験用具や劇物に触れるのは、何も生み出せぬばかりか、ただただ危険なだけです。

 サクヤ殿が、妹の首をはねました。
 昔、命を救われた老狐の僧侶を喰い殺したその狼を殺めて、通常ならばこれで仇討ちとなったのでしょうが……。
 皮肉なものですね。
 首を斬られた妹は、サクヤ殿の剣筋があまりに見事なので、いつ首を斬られたのかもわからぬようで、狼の目をパチパチとしばたたかせておりましたが。
 ほどなく瞼を閉じ、動かなくなりました。

 身内を失った悲しみは、そう感じませんでした。
 己に片割れとも呼ぶべき生まれをした双子の妹がいたとしても、ほとんど初対面なのです。いま悲しめば、嘘でしょう。
 ただ妹が、同じ日に同じ母の腹から生まれた娘が、今日この時欠けて、死んだのだな、と思うのみです。
 かなうならばスズラン殿に、母と子で顔をあわせて、何か話をさせてさしあげたかったのですが。
 まもなく妹は人心を失い、ただの狂った獣になり果てていたでしょう。
 スズラン殿ならば、口から泡を飛ばして吠えさかり、正気を失った目で喰らい殺してやろうとガチガチと歯を鳴らす己の母を見ても、嬉しそうにあれこれと喋りかけていたのかもしれませんが……。
 そのような姿を、見せるべきだったのでしょうか。わかりません。
 しかしながら、この見ず知らずの妹を、人のうちに死なせてやることに決めたのです。
 サクヤ殿のおかげで、安楽な死となりました。
 いたずらに苦痛を長引かせずにすんだことを、感謝せねばなりません。

 小生は妹の首の前で手をあわせ、知っている祈りを唱えましたが……。
 墓を作る前にひとつ約束があります。
 生まれてすぐに離れ離れになり、何十年も経て再会した、妹との約束です。たがえるわけにはいきませんので。
 妹の遺体をサクヤ殿に頼みまして、小生はあなたを探しておりました。スズラン殿。
 くれぐれも頼むと、妹に……義母上殿に頼まれましたので。
 むう、やはりまだ、妙な気分なのです。




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この小説は二次創作物であり、版権元様とは一切関係がありません。無断転載・引用はご容赦下さい。
−「壬生怪談・百物語…
紫鈴堂・えしゅ 2023」−