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アテムとソロモン(4)
【9 老人たち】
「遅くなってごめん。受付で友だちに会ったんだ」
レオンが、大会開催記念のパーティーで見たことがある顔といっしょに戻ってきた。
海馬モクバ。海馬コーポレーションの副社長だ。ふたりは、すこし前にどこかの決闘学校のオーナー権をかけて衝突していたが、勝負の結果は、彼らの関係に悪い影響を与えることはなかったようだ。
武藤家の焼け跡に倒れていた中年女性が意識を取り戻した。彼女はうめき声を零しながら額に手を当てて、モクバに気付くと不思議そうな顔になった。
「あら、モクバくん。ここはどこかしら。おばさんは、家でテレビを見ていたはずなんだけど」
「病院。風邪だって。家のことは……あとで息子がなんとかするって。おばさん、こっちはオレの友だちのレオンで、それから」
「ヨハンくんでしょう。うちの十代が写真を見せてくれたわ」
チョコレート色の髪、大きな目──あの男に似ている気もする。もしかすると、十代の母親だろうか?
「十代は、どこへ行ったのかしら。いっしょにいたはずだけど……」
「家を襲った奴に、連れ去られた可能性が高い」
モクバは、伏せっている相手にも容赦がない。
「なにか、思い当たることはないかな」
「わからないけど、遊戯なら。あの子が有名になってから、匿名の悪ふざけや嫌がらせが増えたのよね」
真っ青になった女性は、決闘王をいたずら者の子どものように呼んだ。モクバが「遊戯のお母さんだよ」と教えてくれる。ヨハンとレオンは驚いたが、同時に背筋を伸ばした。
「学校を出たばかりの十代を連れて、遊戯がふらっと帰ってきたの。世界じゅう引っぱりまわしてたっていうから、無茶苦茶でしょう」
「偶然一緒になったんだよ」
モクバがなだめるが、遊戯の母親のほうは納得していない。
「どうだか。兄さん風を吹かせていばりたいだけよ。子どもの面倒を見るどころか、昔から生き物の世話さえろくにできなくて──毎年、お爺ちゃんと蝉を採ってきては死なせてたっけ。十代のことも、大きな蝉かなにかみたいに思ってるのよ」
「たしかに、蝉みたいにうるさいやつだけど」
「モクバくんのお兄さんが立派だから、憧れてるんだわ。あの子バカだから、すぐに真似をしたがるの」
遊戯の母親は息子をさんざんに罵倒して、悔やむようなため息をこぼした。
「巻きこんでしまって、カンナには申し訳がないわ」
「カンナって、アイドルのですか」
やにわにレオンが口を出した。遊戯の母親は、こわばった微笑を作った。
「ええ、面白いでしょう。あの子の母親が、偶然同じ名前なのよ。神月カンナ」
近ごろ日本で流行っている芸能人だそうだ。名前を耳にしたことはあるが、アイドルにはとくに興味がわかないから、顔も知らない。
レオンが意味ありげな目配せをすると、モクバが肩を竦めた。
「そっか。行方不明の十代っていう子を、なんとしても助けなきゃならないわけができたね」
遊戯と十代の母親に面識があることは意外だったが、十代の母親がアイドルと同姓同名であることが、レオンになんの関わりがあるのだかわからない。テレビのなかの女の子を追いかける趣味があったとは、初耳だ。
「十代が言ってたわ。いつもヨハンくんが、自分のことを守ってくれるって」
ヨハンは遊戯の母親に頷いた。いちばん大切な友だちだ。あの男を必ず守ることを誓って、病室を出た。
海馬コーポレーションは、遊戯の母親の身の安全を約束した。これから引き続き武藤家の調査と、行方不明者の捜索を行うそうだ。精霊が関わる事件なら、ヨハンはじっとしてはいられない。普通の人間よりも鼻がきくし、確かめておきたいことがあった。
「俺はファラオを探します」
十代と旅の間じゅう共にいたあの猫なら、彼の行方を知っているかもしれない。モクバは渋い顔になった。
「猫になんて名前をつけるんだ」
「すごいネーミングセンスだよね。それに、今度は猫と喋れるようになったの。すごいじゃないか」
レオンはヨハンをびっくり人間扱いだ。さすがに猫の言葉はわからない。
もともとファラオの飼い主は、十代の担任の教師だった。何年も前に亡くなってしまったが、成仏しそこなって飼い猫の胃袋にとりついている。彼なら話ができるだろう。
病院の玄関ホールにさしかかったところで、廊下の電灯がいっせいに消えた。停電か。ふたたび明かりがつくと、ソリッドビジョンのモンスターが召喚されるような唐突さで、目の前に女が立っていた。
レベッカ・ホプキンス。一度会ったことがある。彼女は、以前の勝気な性格からは想像もつかないほどに生気がない。薄い背中を向けて、音もなく歩きはじめた。
「ミスター・モクバ。レベッカは行方不明だと聞いたんだけど」
「そのはずだ。どうも様子がおかしい」
ヨハンのデッキから、〈サファイア・ペガサス〉が飛びだしてきた。透きとおった青い眼が、悪い予感を告げている。家族の勘はよく当たる。ヨハンは、デュエルディスクにデッキをセットした。
「レベッカ。僕ら、きみのことずいぶん心配したんだ。今までどこにいたの」
レオンの呼びかけにも応えない。レベッカが片足を前に進めるたびに、細い体躯が左右に揺れる。杖に慣れた老人から支えを取りあげたときのように、不安定な歩き方をする。
柔らかい輪郭の後姿が、手術室に消えた。彼女を追って踏みこんだ扉の先で、薄緑色の病院の壁が消失し、童実野町の夜景と星のない空が、白い光のなかに溶けていく。
ヨハンたちはいつしか、巨大な電子基板が明滅を繰り返しながら果てしなく続く、現実味のない広大なホールに立っていた。
銀色のチップセットの上に、レベッカがいた。自信に満ちた青い瞳は、ずる賢くて人をだますことだけが生きがいの、老いたけだものの目にすりかわっている。
彼女のとなりに、度の強そうな眼鏡をかけた若い男が立っていて、機械仕掛けの兵隊〈機械軍曹〉の物々しい巨体が、獲物の逃げ道を断つようにうしろに回りこんでいた。
鋼鉄の重量感は幻影ではない。実体化している。
「久しぶりだね、モクバ。お友達の白人女の肉体で失礼するよ」
下品な嘲笑を浮かべたレベッカの顔に重なって、同じ表情をした禿げ頭の老人の顔が浮かびあがった。まとまりのない姿の三人のなかでも、リーダー格のようだ。
「〈ビッグファイブ〉か。大下、おまえレベッカになにした」
「この女に手を出したのは大岡だが、おまえも知ってのとおり、女の肉体を嫌がったのでね。私のものにした。払い下げというと気に食わないが、武藤遊戯には、これ以上衝撃的な姿もないだろう」
レベッカを襲った張本人の大岡は、カレッジ生ほどの年齢に見える若い男だ。鷲鼻で、黒々とした髪を神経質そうに整え、肩幅の広いスーツにうぐいす色のネクタイをしめている。
「わたくしたちは、年をとらず死にもしない、若返った理想の肉体を手に入れたのですよ」
「たしかにその姿は、社員名簿で見た若いころの大岡だ」
「なんでしたら、そちらのふたりの美しい外国人、どちらかの身体に乗り換えてもいいのですがね」
異様な姿をした〈機械軍曹〉が、大岡の提案に軽蔑がわりの蒸気を吐きだした。
「人間の脆弱な肉体なぞ飽き飽きだ。わしの完全なデュエルモンスターズの身体を見ろ。力そのものだ」
ロボットの胸のあたりに貼りついている人間の顔が口をきいた。ヨハンが異世界で決闘した、人とモンスターの融合体に似ている。
──〈ビッグファイブ〉。
レベッカの身体を盗んだ禿げ頭の大下に、眼鏡をかけた女嫌いの大岡。〈機械軍曹〉大田。モクバに憎悪を向ける彼らはそう名乗った。
「ゲームをしようじゃないか、モクバ。我々は、おまえの兄と違って鬼ではないよ。おまえたちがゲームで勝てば、このバーチャル世界から帰してやろう。レベッカの肉体も解放する。どうかね」
大下が猫なで声で提案した。まともな取引ではない。最初から対等な立場で向きあってはいない大下は、約束を守るつもりなどないのだ。
彼らの手のひらの上に立たされてしまったうえでは、この老人の挑戦を受ける選択肢しか存在しない。
「我々が勝てば、おまえたちのみずみずしい肉体をもらう。若い身体はいくつあってもいい。なによりモクバ、美しく成長したおまえの姿で瀬人をうちのめす。想像するだけで爽快だ。最高の復讐になると思わんかね」
老人たちの影が薄れ、しわがれた声がノイズに変わっていく。
「武藤遊戯が舞台から退場したいま、モクバ、おまえを手に入れれば海馬瀬人は丸裸だ。今度こそ、海馬コーポレーションは我らのものになる。復讐がいまこそ果たされるのだ」
人工的なマザーボードの世界が、薄暗い熱帯雨林に移り変わっていく。
ヨハンたち三人は、見知らぬ世界の熱帯の森に取り残された。
不思議と目に馴染む景色だ。熱い空気が、むせかえるような植物のにおいと、どこからともなく混ざりこんだ潮の気配をはらんで渦を巻く。層を重ねた木々の枝葉が、湿った風に揺すられてこすれあい、透明な水が流れるような音を立てている。
木の幹には、本当に触れることができた。モンスターが実体を持つ異世界に足を踏み入れたときの感覚に似ているが、モクバはそれを否定した。
「本物みたいに見えるけど、デュエルモンスターズの世界をもとに作られた電脳空間だ。あいつら、もうこんな夢のなかでしか生きられない存在なのさ」
〈ビッグファイブ〉──海馬コーポレーションを乗っ取ろうとした、元重役たち。
かつて海馬瀬人に騙されて捨てられ、ペガサスと共謀して復讐を企んだが、失敗した彼らは自ら生みだした体感型ゲームに心を囚われてしまった。意識が戻ることは二度となく、眠り続ける身体は朽ちた。電脳世界に閉じこめられた精神だけが、自分たちを放逐した者への復讐心を支えに生き延びていた。
空気のような存在になっても、あの老人たちは海馬兄弟に怨みを晴らそうともがいているというのだ。
「悪いやつらなのはわかるけど、なんか、かわいそうだな」
ヨハンは少しだけ同情した。モクバは、気にくわなかったようだ。
「おまえは十代によく似てるよ。ヨハン・アンデルセン。なんだかあいつと話してる気分だ」
消えた十代や遊戯も、このゲームの世界のどこかにいるのだろうか。
〈アメジスト・キャット〉が、敵モンスター〈プチモス〉のぶよぶよした身体をひっかいた。ライフを失ったモンスターの姿が徐々に小さくなり、あとには戦利品のカードが残る。
退屈さと気だるさがゲームのマップを蝕んでいて、欠片もワクワクしない。古ぼけた玩具みたいな作り物の世界では、命のやり取りをする決闘も、怖ろしいモンスターが歩き回っている危険なフィールドも、どうも他人事のような気がしてならない。
「あいつら、もともと軍需産業の亡霊さ。今まで一度も誰かを楽しませようなんて考えてこなかった」
モクバが淡々と言った。
こけに覆われた背の高い木々と、つる植物のトンネルをしばらく歩くうちに、小さな村に辿りついた。
素朴な木の家がまばらに見える。村の入口には、ゲームの案内役の簡素な身なりをした男が立っていて、壊れたスピーカーのように、同じ言葉を何度も繰り返していた。
「ようこそ。はじまりの街へ」
何度話しかけても、同じことばかり言う。ここへ来て、初めてバーチャルという意味を理解した。
この世界は人間が造りだしたものだが、人の手では魂は作れない。プログラム通りにしか動作しないノンプレイヤーキャラクターは、異世界の凶暴なモンスターたちよりも不気味だった。
はやくゲームをクリアしてしまおう。どんなにまともな人間でも、自分と同じかたちをしたものが機械のように振舞う違和感には、耐えられないだろう。こんな所にずっといたら、頭がどうかなりそうだ。
この森の王国は、ひとりの王に治められていた。民たちは王を敬い、豊かな暮らしを送っていた。
しかしある時、王国は闇の世界の魔物たちの侵略を受けた。王は勇敢に戦ったが、魔物たちを統べる五人の魔王に捕らえられ、世界を滅ぼす〈ファイブ・ゴッド・ドラゴン〉復活の生贄となるために、魔王の城に幽閉されてしまった。
村で集めた情報によると、森の王国の兵士たちはひとり残らず魔物たちの手にかかって倒れ、王の一人娘の美しい王女は、いまなお行方不明だそうだ。
森の王が囚われているという魔王の城は、荒れ果てたはげ山の上に屹立していた。陰気なシルエットを見あげて、モクバがあからさまに嫌そうな顔をしているのが気にかかった。
「デュエル・アカデミアができる前の、アカデミア本島の話を聞いたことがあるか」
モクバは急にそんなことを言いだして、遠くに見える古ぼけた城を指差した。
「初めてあの島を見つけたときは、今はアカデミア本校の校舎が建ってるあたりに、古代の錬金術師が建てた古い城があった。いろいろあってぶっ壊れちまったんだけど。ちょうどあんなふうな建物でさ」
はるかな昔、『不世出の賢人』、『最強の錬金術師』とまで呼ばれたとある王国の王が、最果ての地に流れ着き、地の底に三体の魔を閉じこめたという伝説があった。以来その場所は、次元の歪みが吹きだしやすい不安定な土地になった。
三体の魔──ユベルとの闘いの最中に現れた三幻魔だ。神の名を冠する〈レインボー・ドラゴン〉と拮抗するほどの怖ろしい力を持っていた。あのカードが解き放たれたときには、世界が終わるという伝説まであったそうだ。
「錬金術師の王は、神の祝福によって魔を使役することができた。神のしもべが悪魔を使うなんて意外だろ。ただその男は、自分の死後に解き放たれた悪魔たちが人の世界を荒らしまわることを恐れて、悪しき力を封印した。それがアカデミア本島に伝わる伝説さ。なかなかいわくつきだろ。決闘者を育む風土としては申し分なしと判断したんだな、うちの兄サマが」
「遺跡の上に校舎を建てたんだ。きみのところの兄さんは、あいかわらずすごいね」
レオンが感心しているのか、同情しているのかわからない表情で言った。レオンの兄も、海馬瀬人に負けず劣らずの変わり者だったと記憶している。
このゲーム世界のモデルになっているのは、昔のアカデミア本島なのだ。どうりで暑さも湿気も森の迷いやすさにも覚えがあるはずだ。
「こんなジャングルで、方向音痴のヨハンがよく生き延びられたよね」
「いつも十代がそばにいてくれたからな」
「その十代が、きみをこれからもずっと助けてくれることを心から願うよ」
レオンがしみじみと言った。
魔王の城は陰気な壁に囲われ、扉は固く閉ざされていて、人間の手ではびくともしない。他に入り口のようなものも見当たらなかった。ここがゲームの世界である以上は、どこかに道を進める仕掛けがあるはずだが、完全にどん詰まりのいんちきゲームという可能性もある。
あたりは魔物たちの気配が濃く、得体の知れない鳴き声が響き、多くの視線を感じる。隙間もなく閉じた扉の向こうから、地響きのような音が徐々に近付いてくる。
強い地震がきた。鋼鉄の扉が揺れ、頑丈な城壁の一部が灰色の砂煙になって吹き飛んだ。
壁が崩れて空いた大きな穴から、どことなく人間を思わせる体躯の、不気味な黒竜が頭を出した。
デュエルディスクを展開し、宝玉獣たちを召喚する。見たこともないモンスターだ。瓦礫の間から人の腕が突きだしてきて、竜の鼻づらを軽く撫でた。
「ありがとう〈ガンドラ〉。助かったよ」
優しい声。囚われの身だと聞かされていた武藤遊戯が、〈ブラック・マジシャン〉ではない白い魔術師を控えさせて、ヨハンたちの前に現れた。
〈ガンドラ〉は、おとなしく遊戯のデッキに戻った。遊戯が従えているモンスターの顔ぶれは、テレビの決闘ではあまり見たことがないモンスターばかりだ。
「モクバくん。それにレオンくんに、ヨハンくんまで。キミたちも、レベッカを探しにきたの」
「らしくもなく荒っぽいな。城の壁をぶち破ったのか」
モクバが砂埃で咳きこみながら言った。武藤遊戯にしては、力任せなゲームの進め方だ。
「五人の魔王に幽閉された森の国の王ってのは、どうやらおまえのことらしい。自力で脱出できたみたいだけど。とすると行方不明の姫ってのは、〈ビッグファイブ〉どもの特殊な性癖から考えて十代だろう。あいつら、恨みを持った相手の身内にお姫様の恰好をさせて、気まずい思いをさせるのが趣味なんだ」
「大丈夫かな、十代」
レオンが深刻な顔になった。ヨハンも、屈辱的な姿にされた親友の悔しさを想像すると、やりきれなくなる。
「〈ビッグファイブ〉は、十代くんを利用しようとしている。目的を遂げるまで、彼には手を出さないだろう。それよりもレベッカだ。彼女は精神だけを切り離されて、電脳空間をさまよっている。まともな人間は、長くは耐えられないよ。はやく彼女の居所をつきとめよう」
遊戯は落ちついていた。レベッカが無事なら、十代はどんな目にあってもいいと言わんばかりだ。ヨハンは、喉の奥に小さな棘が刺さる感じがした。苦い血が滲むような感覚。
たしかに十代は強いし、いつだってひとりで何とかしてしまえる男だから、遊戯が言うようにレベッカを探しにいくのが正しいのはわかる。それでも、ひとりではどうにもならない時だってある。
十代はとても遊戯のことを尊敬していて、彼が困っていたら一番に助けにいくのに、遊戯からは、そんなそっけない言葉しかかけてやらないのか。
レオンが、しばらく迷う素振りを見せたあとで、囁くように言った。
「遊戯さんは、十代のことになると目の色がかわる」
ヨハンは遊戯を見あげた。いつも通りの、テレビ画面に映った無敵の決闘王そのままに見える。
「今の遊戯さんはまるで、あなたと初めて戦ったときの僕みたいだ。前に十代がさらわれたときもそうでした。決闘王としてやるべき責務を海馬瀬人に押しつけてまで、十代のもとへ駆けつけた。顔色、真っ青です。気がつかないと思ったんですか」
遊戯は困ったように微笑んで、なにも答えてはくれなかった。モクバが遊戯の足を踏んだ。ヨハンは、ひとまず無言でレオンを肘でつついた──その話は、あとで詳しく聞かせてもらう。
遊戯が現れた壁の穴の奥から金の光が射しこみ、空気を震わせる咆哮が響いた。城のテラスに、とぐろを巻いた赤い竜が浮かんでいる。〈三幻神〉のカードの一枚、〈オシリスの天空竜〉だ。
〈神〉が対峙しているのは、遊城十代だった。はねのひどい癖毛で、デュエル・アカデミアを卒業したくせに、いまだにオシリス・レッドの制服姿。
ひとまず彼の無事を確認して安心するが、様子がおかしい。なにかを怖がる姿なんて想像もつかない十代が、ひどく怯えている。
〈オシリスの天空竜〉のあぎとが開き、〈サンダー・フォース〉が放たれた。閃光が十代を直撃し、ライフを根こそぎ破壊する。〈神〉は敗北した十代に踊りかかって、ひと呑みにしてしまった。
──ヨハンの肩を、遊戯が強くつかんだ。揺るがない宵闇の色の瞳と目があった。
「偽物だ。キミの親友は負けない」
たとえ神の写し身でも、誰の絆の力も宿らない弱いカードに、十代は決して屈しない。かつて〈神〉を使役し、しもべの強大な力を最もよく理解している遊戯が言う。ヨハンは、なかば放心しながら頷いた。
「十代は負けないんだ」
祈るように呟いた。
十代を捕食した〈オシリスの天空竜〉の姿がかき消え、入れ替わりに、フットボール選手のような肩を窮屈そうにスーツに収めた、とさか頭の男が現れた。モクバが舌打ちをする。
「大門か。悪趣味な真似を」
「チュートリアルはお役に立ったかな。ライフが尽きた者はこうなるんだ。ん。どうした、武藤遊戯。その顔は。おまえに、なにか言う資格があるかね」
面白そうに遊戯を見た。背中ごしのヨハンたちには、遊戯がどんな顔をしているのかはわからない。大門はそれで気が済んだ様子で、ヨハンとレオンに対してはうやうやしく一礼した。
「これは必要な儀式なのだ、ヨハン君にレオンハルト君。誤解をしないでくれ、君たちが我々の敵ではないなら、すぐにでも解放しよう。そこの武藤遊戯のように嘘は言わない」
「遊戯さんを嘘つき呼ばわりすると、許さないぞ」
レオンが珍しく怒りをあらわにする。大門は、哀しそうに手を広げた。
「君たちも十代様も、かわいそうに、遊戯に騙されているんだ」
大門は、これまでの〈ビッグファイブ〉のメンバーとは、少し毛色が違うようだ。いくらか話が通じそうな印象だが、ほかの男たちよりも嘘がうまいだけかもしれない。
「遊戯は、罪のない子どもを利用するのが得意なんだ。真実を知れば、我々が正しいとわかってくれるだろう。見ているがいい」
テレビのシーンが移り変わるような唐突さで、景色が組み替えられていく。気がつくと、ヨハンたちは法廷の傍聴席に着いていた。
証言台に、武藤遊戯が立たされている。真向いの檀上の席には大岡がいた。若い男の姿は、みるみるうちに変形し、いかめしい顔をしたモンスター〈ジャッジマン〉になった。木づちで机を叩いて、遊戯に指を突きつける。
「静粛に。これより開廷します。被告人武藤遊戯、おまえの罪は、おまえ自身がもっとも良く知っている。我々は、いたいけな遊城十代をもてあそぶおまえを、断固として許すわけにはいかない」
遊戯は、おかしな言いがかりに反発も怒りもなく、戸惑いを覚えるほどに静かな表情でいる。
【10 猫】
十代は、男子トイレの洗面ボウルから顔を上げ、顎を伝う水滴をぬぐった。鏡に、化粧を落とした男の素顔が映っている。
ごみ箱にワンピースとパンプスを叩きこんで、無人店からかっぱらったヘリーハンセンの赤いフードつきのコートを羽織り、マウンテンブーツの紐を結んだ。
まだ硬い新品のジーンズのほうが、伝線したストッキングよりもよほどなじんだ。やっぱりこれだよな、と十代は考える。このごろは、女の恰好をすることにほとんど抵抗がなくなってきていて、怖ろしい。
ユベルがいたなら、なにか気の利いた皮肉を言っただろうが、隣の空間はからっぽで静かだった。
十代は、人間の気配が絶えた巨大な商業施設の、有線放送のポップスが流れている清潔な廊下を歩きだした。ボディソープの専門店の前を通りかかると、店頭にみずみずしいにわとこの花が活けられていた。
少し前まで人々がそこにいたような気配があるのに、誰の姿も見えない。ダークネスに誘われて、全住民が失踪した童実野町にそっくりだ。いやな空気だ。
さっき決闘をしたペンギン男は、この世界が現実ではなく、自分たちが創りだしたバーチャル空間なのだと語った。精神をネットワークに囚われるのは、初めての経験ではなかった。いつ閉じこめられたのかは、よく覚えていない。
下階のスニーカーショップのあたりから、ぜんまい仕掛けの玩具が動くような、奇妙な物音が聞こえてきた。人の声。この電脳世界に、ほかの人間がいる。消えてしまった真崎杏子だろうか?
長い栗色の髪の女が、動く甲冑に襲われている。走りにくそうなパンプスのヒールが折れ、女は膝をついた。それでも、胸に抱えたプレゼントボックスを離そうとしない。
廃材でできた星四つの機械族モンスター〈機械軍曹〉の影が、女の全身をすっぽりと覆ってしまう。
『誰かの助けは期待できんよ。お嬢ちゃんはひとりで戦うしかない。さあ、カードを引くんだ』
〈機械軍曹〉が人間の言葉で喋った。女は、ぼわっとした黒い瞳を恐怖に見開く。
十代は、勢いをつけてモンスターに飛びかかった。羽飾りがついた鋼鉄の帽子に、マウンテンブーツの底をめりこませる。横っ飛びに吹っ飛んだ顔のないロボットを踏みつけて、十代は女に振り返った。
「あんた、怪我はないか」
女は、ベージュのコートの裾をにぎりしめて、十代を見あげてきた。震える瞳に希望の光が灯る。次の瞬間には、悲鳴をあげてあとずさった。機械人形の仲間だと思われたらしい。十代は、女の前にひざまずいた。
「オレは人間だよ。キミに危害をくわえる敵じゃない」
女の怯えは、徐々に困惑に変わっていく。
「助けてくれたのに、怖がってしまってごめんなさい。あなたが──」
女は言葉を飲みこんだ。音にもならなかった声が、十代の耳には届いた。
──とても恐ろしい人に似ていたから。
十代は、そう気にせずに首を振った。こんなわけのわからない目にあっているんだから、無理もない。
「あんた、悪いことは言わないから、荷物を置いてったほうがいい」
彼女の両手をふさいでいるのは、兄へのバースデープレゼントで、やっと予約ができた人気スニーカーだそうだ。妹よりも靴を大切に思う兄貴はいないし、この世界は幻だ。ベッドの上で夢を見ている彼女が起きたときには、スニーカーだって消えてしまう。
女は、自分が立っている場所が虚構だらけの電脳世界だということを、驚くほどすぐに理解してくれた。ラッピングペーパーを破き、かかとが欠けたパンプスを脱いで、新しいスニーカーにはき替える。兄のために用意したはずの靴は、不思議なことに、彼女の小さな足にぴったりだった。
女は川井静香といい、シューズショップを訪れていたときに、バーチャル世界へ引きこまれてしまったのだという。
噴水広場の穏やかな黄色い照明の下で、静香は、妹を守って戦ってくれる兄の自慢をして微笑んだ。兄弟のいない十代には共感しにくい話だが、仲の良い家族がいるのは羨ましい気がした。
「さっきのあなたみたいに、モンスターを蹴飛ばしたり、お兄ちゃんもそういうとこあるの。少し似てるかも」
「誰かに似てるって、よく言われるよ」
十代は、煙を吹いている残骸を一瞥する。〈機械軍曹〉は静香を知っていた。
「こんな怖ろしいモンスターだけど、本当は人間だって聞きました。昔、決闘をしたことがあるんです」
「キミは決闘者なのか」
「ううん。私は足手まといだっただけ。お兄ちゃんのお友だちが、守ってくれたんです」
観葉植物のコンテナのうしろから、黄色い塊が飛びだしてきた。てっきりファラオだと思ったが、反射的に掴んだ尻尾は細長く、剥製のように温かみのない触り心地だ。
生きていない。ロボットだ。機械の猫は、鋭い爪で十代の顔をひっかいた。
「いってえ! なにすんだ、こいつ」
猫は、身をよじって十代の手から逃げ出した。短い威嚇を繰り返していたが、静香の顔を見あげると、スニーカーに頬をすりよせる。彼女が伸ばした手にも、無抵抗に撫でられていた。嫌われているのは十代だけらしい。
「ここに住んでるわけでもなさそうだけど、どこから来たのかしら」
静香が猫を抱きあげて背中をさすっていると、ボタンスイッチが切り替わる乾いた音がした。
『ちょっとやめてよ。くすぐったいじゃない』
猫が、聞き覚えのある女の声で喋りだした。十代は静香と顔を見あわせる。
『レベッカさん?』
ふたりの声が重なった。
〈ビッグファイブ〉はゲームで負かした相手の身体を奪い、もとの持ち主の魂を、屈辱的な形をしたロボットの中に閉じこめてしまうという。レベッカ猫は、上顎に埋めこまれたスピーカーから、恨みのこもったうなり声を垂れ流した。
『遊城十代。あんた、ユーギやワタシたちに復讐しようとして、〈ビッグファイブ〉と手を組んだのね』
「待ってください。オレは、なにも知らないんです」
『黙りなさい。とっくに割れてるんだから』
レベッカは、初対面のころのモクバそっくりの理不尽さで十代を責めた。彼らの前では、すべての災厄が十代のせいになってしまう。
無邪気なベルの音がして、エレベーターの扉が開き、強面で浅黒い肌をした大門が出てきた。ペンギン男やポンコツロボットと同じ、〈ビッグファイブ〉のひとり。彼だけは、スーツを着た人間の姿をしている。
「十代様は嘘を言っていないよ。憶えもないのになじられるほど、不条理なことはないと思わないかね」
大門は十代に助け舟を出してくれたが、アウトドア用の赤いコートを見て、がっかりした顔になった。
「用意した洋服は、どうやら気に入らなかったようだ。次は、あなたの好みの色のものを見立てましょう」
「いや、服はどうでもいいよ。大門さん」
『ほら。やっぱりグルなんじゃない』
レベッカの疑惑が強まっていくのを、肌で感じる。殺意すら混じった敵意には、それなりの理由があるはずだが、十代には覚えがない。大門は、廃材になった〈機械軍曹〉に目を落とした。
「おかげで、我々の仲間が何人か使い物にならない。それでこそ我々の救い主だが、少々おいたがすぎますな」
「わからないな。大門さんはオレには親切にしてくれるし、悪い社長にだまされた可哀想なサラリーマンだってのも、嘘を言ってないのはわかるんだ」
「ああ。嘘はひとつも言っていないとも」
「でも、あんたは遊戯さんの敵なんだろう」
「いかにもそうだ」
大門はあっさりと頷いた。
「十代様は、必ず我々の味方になる。その確信があるのだ」
「寝ぼけたこと言ってないで、みんなを解放してくれ。いい大人が復讐だなんだって、あんたたちの気は晴れるかもしれないけど、オレの大切な人たちを苦しめるなら見過ごせない」
「その物分かりのいい言葉は、本来の十代様ではなく、武藤遊戯の言葉ではないかな」
大門は、わけ知り顔で十代を諭した。
「あなたの信念や価値観が、武藤遊戯が作りだした偽物だとしたらどうだろう」
「いいかげん怒るぜ。遊戯さんは、そんな馬鹿なことをしない」
「それだよ。武藤遊戯の名前があがった瞬間、聡明なはずの遊城十代は、思考停止に陥る。あの男に毒されている証明ではないか。思いだすんだ、かつてあなたは遊戯の敵だった。そこのふたりの女を見たまえ」
レベッカはもとより、静香が十代に向けた視線も、大門へ投げかけている敵を見るものと変わらなかった。十代ひとりだけが、ひどくずれている気がした。レベッカ猫が静香の腕のなかから飛び降り、青い目をとがらせて叫んだ。
『そうよ。あんた、確かにユーギを殺そうとした。記憶を失ってるなら好都合。あんたみたいな化け物が、またユーギを傷つける前に、ここで私が倒すわ』
大門の硬い手が、いきりたつレベッカの首の後ろをつまんだ。喉元の電源スイッチを切って、おとなしくなった猫を静香に預けた。
「ホプキンス女史は、すでにゲームに参加する権利を失った敗者だ。もうひとりのお嬢さんは決闘の初心者のようだし、あなた自身が失われた記憶を取り戻す邪魔はできないよ。安心しなさい」
「やめてくれ。オレが遊戯さんを傷つけることだけは、魂に誓ってありえないんだ」
言葉とは裏腹に、穴だらけの記憶のノートを抱いているうちは、自分自身の無害さを信じきることができない。抜けたページに、知らない顔をした怪物が描かれていたとしたら?
「あなたは、真実を知るべきだ。遊戯と我々のどちらにつくかは、それから決めてくれていい。ただ、本当の十代様なら、必ず我々に力を貸してくれると思うがね。ついてきなさい。遊戯のもとへ案内しよう」
エレベーターの銀色の扉の向こうには、薄暗くて湿った森が広がっていた。正体の知れない動物の鳴き声が響く。動かないレベッカを抱いた静香との距離が、さっきまでよりも開いている。なんということはない、他人の悪意には慣れている。自分を慰めながら、大門のあとに続いた。
ただ、遊戯にだけは悪者だと思われたくなかった。本物のヒーロー相手には、ひとつの嘘も赦せない。
【11 法廷】
レベッカの肉体で検察官側の席についた大下が、冷笑を浮かべる大門と大岡に「まあ待て」と口を出した。
「なにぶん、当時の遊戯は未成年の学生だった。どうかね、決闘王。大人の賢いやり方がわかるようになったか、試してやろう。我々の気分を損ねなければ、友だちを綺麗なままで返してやってもいいんだよ」
「ボクの身体を明け渡せと?」
遊戯は、皮肉に唇を歪める大下を見あげている。信じたのなら、どうかしている。ヨハンは、人の良すぎる遊戯の腕を掴んだ。決闘者なら、この男の自己犠牲など認めない。
ジャッジマンの姿をした大岡が、遊戯の前に立ったヨハンとレオンを、気味の悪い熱心さで眺めている。
「美しい男たちをかしずかせて、さぞ気分が良いでしょう、決闘王。しかしながら、お家に囲っていた元気のいいお小姓さんには、もう飽きてしまったのでしょうか?」
「ボクはなにを言われても構わないが、十代くんを笑いものにしないでくれ」
遊戯は、下劣なあてこすりに怒ったわけではないし、声を荒げもしなかった。ただ、十代をあげつらわれた瞬間に生まれた、息をすることすらはばかられる凄みが、大岡を沈黙させる。
「大岡の下品な物言いは謝ろう。その男の嗜好は、私にもいささか理解できかねるところがある。だが、おまえに口を出す権利はない。十代様のために、これまでいったい何をしてきた?」
大門が眉をひそめた。彼ら〈ビッグファイブ〉は、大人になってデュエル・アカデミアを卒業した十代を電子の海から監視し、食い物にしようと近寄ってくる者たちから守ってきた。
「それがどういう種類のものかは、おまえにも心当たりがあるだろう」
遊城十代に薄汚れた欲望をぶつけた大人たちは、痕跡を残さず命を奪われていく。誰も幽霊の罪など問わない──もしかすると、とんでもない話なんじゃないか?
「静粛に」
大岡が台を叩いて、大門に目配せを送った。
「被告人の罪状は殺人。武藤遊戯は、欲望のままに幼子の命を奪ったのです。証人、入りたまえ」
法廷の扉が開いて、どこまでも暗闇が続く回廊から、馴染みの顔が飛び出してくる。遊城十代。真っ赤なコート姿で、疲れた顔をしていた。十代のあとに、猫を抱いた女性が続く。
「静香さんも、ここへ来ていたんだ」
レオンの知り合いらしい。十代は遊戯を見つけると、ようやくほっとした様子で駆け寄った。
「ご無事ですか、遊戯さん」
元気そうな声だった。またいつもみたいに、一人でなんでも切り抜けてしまったのだ。きちんと男の恰好をしていることにも安心した。
「よかった、十代。やっぱり無事だったんだな」
「ヨハン。みんなも。ここでなにやってんだ?」
〈ビッグファイブ〉が童実野病院にいたヨハンたちをこのバーチャル世界へ連れて来たこと、彼らが遊戯に人殺しの濡れ衣を着せようとして、みょうちきりんな裁判ごっこをはじめたことを話して聞かせるうちに、十代の瞼がすがめられていき、やたらと人相が悪くなる。隣でレオンが息を呑んだ。怒った十代の顔が苦手のようだ。
大岡は、落ちついた態度で裁判を続けた。
「濡れ衣ではない。十二年前に武藤遊戯は、当時七歳だった遊城十代を殺害しました」
「え? オレ? 生きてるけど」
十代本人は、虚をつかれて目をまるくしている。〈ビッグファイブ〉たちが頭を下げた。花を捧げるような静寂は、葬送を思わせた。ただし、埋葬されるはずの当人はぴんぴんしている。こんなに騒々しくて、誰よりも存在感のある、明るい幽霊がいるわけがない。
「武藤遊戯には、思考パターンがふたつ存在する──かつてわたくしたちは、あなたをタイプBの武藤遊戯と呼んでおりましたね。十代様。信じていたものに利用され、捨てられたその無念は、よおく存じあげております」
虚構の情景が、大きく移り変わっていく──。
現在とは趣きの違う童実野町が現れた。古ぼけた雑居ビルや背の低い民家が、海馬コーポレーション本社ビルを見あげている。バトルシティのDVD映像で見た景色だ。
「真実をご覧ください。さすれば、いまは曇った目が晴れるものと信じております」
大岡が言った。遊戯は沈黙している。
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