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アテムとソロモン(7)
【24 裁き】
「遊戯はあなたを殺した、十代様」
大門は得意そうに繰り返した。〈ジャッジ・マン〉が着く裁判官席はそのままに、遠い現実世界で眠り続ける脳に投影された景色が移り変わっていく。
「かつて遊城十代は、海馬瀬人と武藤遊戯の姦計によって、悪魔の力を奪われた」
宇宙センターから打ちあげられたロケットが、煙と火花を勢いよく後方に蹴りだしながら、青空をまっすぐに切り裂いていく。人工天体の膝元へ追い払われたユベルのカードは、唯一の主の裏切りを信じられないまま、寂しい星の間を漂っている。
「遊戯が語る、正義や友情といった甘い言葉に騙されたのだと知ったあなたは、我々の後援者でもあるアムナエル氏の力を借り、ふたりに復讐を誓った。遊戯の〈神〉に立ち向かうべく、神の影を従えて決闘を挑んだのだ」
十代たちの目の前に、十数年前の、名もない無人島だったアカデミア島が再現される。
あらゆる魔を従える最強の錬金術師として、古代世界を支配した覇王の生まれ変わりであった十代には、呪われた島の地下深くに封印された〈三幻魔〉を操る力が備わっていた。
しかし、闇は光を打ち負かすことはできなかった。闇のゲームに敗北し、未熟だった十代の心と肉体は死んでしまった。
自らを殺した遊戯を恨む幼い悪の魂に、〈神の影〉に宿っていた残留思念が吸い寄せられた。十代の死体にとりついた怨念──それはもともと〈タイプA〉の遊戯の人格に汚染された闇そのものであり、遊戯の心の形に型抜きをされた〈タイプB〉、古代エジプトでは闇の住人に大邪神と崇められていた死霊の王だった。
大いなる闇を受け入れる器は、選ばれし者でなければならない。分不相応な役割を望んだ身の程知らずは、裁きの炎によって焼き尽くされてしまう。
遊戯は、王の力の一端を宿してなお形を保ち続ける十代の強靭な魂を利用して、〈闘いの儀〉で失われた完全な決闘王の力を取り戻そうと企んだ。
海馬コーポレーションの医療技術によって再生した十代から記憶を奪い、意のままに振舞う操り人形とする。デュエルモンスターズの法則に則って、欠けた半身を墓地から取り返す代償にふさわしいレベルのモンスターに育つまで、生かしておくことにしたのだ。
「かつて海馬瀬人が我々にそうしたように、遊戯は十代様を利用し尽くして捨てる。我々の手で、あなたに仇なす遊戯めをこらしめてやりましょう」
〈ジャッジ・マン〉が、大きな芋虫に似た指で遊戯につかみかかった。ネオスが放った純白の熱線に貫かれ、牙の生えた口元が歪む。
十代のデッキのエレメンタルヒーローたちが、険しい顔つきで腕を組み、身の程知らずの老人たちを威圧する。
「雑魚モンスターごときが、決闘王に触れることは赦されない」
十代は静かに告げた。
〈ビッグファイブ〉は、人のぬくもりを失った両目を見開いて、唾を飛ばして十代をなじった。
「なにをなさるのです。憎き遊戯を討つのは、十代様の悲願ではないのですか」
「たしかに、遊戯さんに決闘で勝つのはオレの夢だけどさ」
十代は寝癖のついた後ろ髪に右手を突っこんで、「言ってることがよくわかんないんだけど」と正直にぼやいた。
子どものころのことは、よく覚えていない。もしも遊戯が魂の欠落を満たしたいと願い、十代の命を犠牲にして救われるのなら悔いはない。だが遊戯は、その選択はしないだろう。
「爺さんたちが見せてくれたデータだけどさ、あんたたちがオレの、なんだっけ、『留学先』をなにも知らなかったみたいに、それって信じられるのか」
「留学先」
ヨハンが唸った。
「そういう斬新な言い方もあるのか」
「たとえ、昔のオレがどうしようもない悪ガキだったとしても、遊戯さんは子どもに力を振りかざすような真似はしない。その人は力に頼らなくたって、ほかの方法をいくつも知ってるんだ。でも、遊戯さんの仲間たちが、オレを憎んでいるのは本当だ。モクバさんもレベッカさんも、わけもなく人を憎まない。異世界でみんなを傷つけたときみたいに、オレがなにかやったんだ」
十代は老人たちの存在をなかば忘れて、遊戯を真剣な面持ちで見あげた。
「聞かせてくれませんか。今のオレは、なにも知らない。償えないし責任もとれない。それじゃ、馬鹿なガキだったころと同じだ」
「じゃあ教えてあげる。十代」
レベッカの声音で喋る黄色い猫が、静香の腕のなかから飛びだしてきた。遊戯が伸ばした手を機敏な動きでかわして、三日月型の眼が物怖じせずに十代を睨む。
「よすんだ、レベッカ」
「もういいでしょ、ユーギ。こんな下衆野郎を、十何年も庇い続けてきたんだから、充分だわ。十代、アンタはワタシたちを裏切った。騙して殺そうとまでしたの。アンタみたいな悪人が、ユーギの隣で良い子ぶって笑うなんて、絶対に認めないから」
ピンク・レモネードのような苦くて甘い憎悪のつぶてが、真正面から十代にぶつけられた。そこに、嘘はない。
これまでも、モクバやレベッカの敵意を何度も味わってきた十代は、そんなところだろうと冷静に考えた。大切な隣人を傷つける極悪人。十代は、レベッカ猫の前にひざまずいて頭を下げた。
「なにをやったって、赦してもらえないでしょう。せめて、あなたがたとこの世界を守らせてください」
「口だけなら、いくらでも言えるわ」
レベッカ猫が、細くて鋭い息を吐きだした。毛を逆立てて威嚇を続ける小さなロボットを、遊戯が自分のほうへ引き寄せて溜息をついた。
「見ての通りだ。〈ビッグファイブ〉、十代くんはキミたちの思い通りにはならない。彼はボクのものだ。ボク以外に与しない。やれと言えば闘うし、死ねといえばそうするだろう。そうだな。十代くん」
遊戯の言葉ではないみたいな、吐き捨てるような言い方だ。それでも十代は、疑いを差し挟むことなく頷いた。
「え。はあ。遊戯さんが望むなら、もちろん」
「ばかだな。昔から、キミってそうだった」
決闘王の心はなにも見通せないから、試されていたのだと思い当たるまでに、しばらく時間がかかった。遊戯が悲しそうにまなじりを伏せる姿を目にして、答えを間違ってしまったことに気がついたが、遅すぎた。
「おのれ遊戯。遊城十代、なぜそうまで言われて遊戯に従うのだ。一度でも世界を手にした王の誇りはないのか」
「オレは遊戯さんを守る。決闘者として、最高の誇りだ」
〈ビッグファイブ〉の身勝手な期待が、無機物へ向ける無関心さに変わっていく。
『薄気味の悪い男だ。この狂った怪物を我々の次の主に据えようなんて、どだい無理な話だったんですよ』
「残念だ。遊戯の手先に成り下がるのなら、ただの脅威だ。排除しなければならない」
幻影世界が組み変えられ、ロケットも宇宙も無人島も、そらぞらしい法廷も消え去った。地平線の見えないまっさらな電子基板の上に、十代は立ちつくしていた。
隣には遊戯がいて、その靴を不機嫌なモクバが踏みつけにしている。ヨハンとレオンにも、怪我はなさそうだ。レベッカ猫を預けられた静香が、不安そうに黄色い体躯を抱きしめる。
杏子の姿がないのが、気がかりだ。
向かいあわせに、本性をあらわした〈ビッグファイブ〉が集結していた。
鱗のスーツを着こんだ生臭い魚人〈深海の戦士〉、大下。
木槌のかわりに棍棒を握った悪徳弁護士の〈ジャッジ・マン〉、大岡。
罠を寄せつけない効果モンスター〈人造人間-サイコ・ショッカー〉大門。
十代が蹴飛ばして破壊した〈機械軍曹〉大田のデータは再生成されて復活し、つい先ほど別れた〈ペンギン・ナイトメア〉の姿も戻ってきている。
サーカスの興業師の衣装に身を包んだ、ずんぐりむっくり体型の大瀧が、十代を憎々しげに睨んだ。
「こいつは、私を騙したんです。とんでもない詐欺師だ。大嘘つきだ」
「大瀧さん」
「悪魔だ!」
大瀧は、十代を口汚くののしり続けた。少し前に訪れていたかすかな変化は、ほかの四人に迎合するかたちで消えていた。
十代との決闘によって変更を加えられた大瀧の人格は、初期化され、魂が複製された時点に立ちかえっている。憎き海馬瀬人への復讐に燃える〈ビッグファイブ〉から、変化は常に排除されていく。それが、彼らが疑似的な永遠の生命を得た代償でもある。成長を放棄したのだ。
彼らには、もう個人としての意思は存在しないのだろうか。それぞれの記憶や感情は統合され、〈ビッグファイブ〉としての総体でしかないのかもしれない。
彼らはゲームに取りつき、ゲームそのものになった。この、誰も楽しませるつもりのない古ぼけたゲームこそが、今の彼らの魂を乗せた肉体なのだ。
「その顔、決闘でわかりあえたと思ったのかな。そんな殊勝な連中に見えるかね」
大門が笑った。
「我々は、海馬瀬人に敗れて肉体を失ったときから、この果てのないゲームを進めてきた。それを道半ばで断つことは、〈ビッグファイブ〉にとって死と敗北を意味するのだ」
「言いにくいんだけど、あの海馬さんが、こんなつまんないおんぼろゲームの相手をしてくれるとは思えない」
十代はひかえめに告げた。隣でモクバが何度も頷いている。
「あんたたちは永遠に救われない。オレなら、負けて死ぬほうがよっぽどましだ」
「憐れんでくれるのかね。お優しいな、十代様は。おまえも同じ穴の貉だというのに、他人事の顔をしている」
大門が言った。
「遊城十代、なるほど怖ろしい力を宿している。どうやら、神か悪魔にでもなったつもりらしい。おまえの前に利用してやろうとした、生意気な子どももそうだったよ。我々には、我々の矜持がある。引っこんでいたまえ」
望んでいないものを救おうとするのは傲慢だと、大門の強面は十代をはねつけていた。
「大門の言うとおり。夢から覚めて正気に戻った今は、こう思いますよ。遊城十代十九歳の手口は、おまえの正義に力ずくで従わせるやり方でしかないとね」
大瀧は仲間の輪の中にいると、決闘のあとのしおらしい態度が嘘のようだ。胸を膨らませて自分を大きく見せようとしている相手は、十代だけではないだろう。
この老人は、仲間たちにこそ虚勢をはっている。彼らに見下されることが、負けることよりも、死ぬことよりも、空虚な永遠をたゆたうことよりも我慢がならないのだ。
「たしかに、押しつけられたキミの目で見た世界は、そりゃあ気持ちの良い幻でしたがね。なにか見つけたような気になったものです。でも。もう目を洗い流されてしまった。キミと同じ景色は見えない。我々には、キミの見るような世界は見えないわけですよ」
今日までに救えたり、わかりあえたと思いこんだ人たちの顔を思いだす。そう多くはないから、全員の顔を思いだすのは容易だ。彼らも大瀧と同じに、いつかは十代をほら吹き男だと笑うだろうか。
世の中には、悪人の性分が染みついてしまった人間がいて、そういう人種は、もう救いようがないのだろうか。ふさわしい末路を迎えるまで、同じ過ちを繰り返すのだろうか。
十代はどうしても納得できないし、信じたくない。
「騙したつもりなんかないんだ。きっとみんな変われる。オレたちの未来は、本来、闇に向くようにはできていないんだから」
「同じ間違いを犯した同胞が、自分の言葉で変わっていく姿を見て気が晴れましたか」
大瀧は、もう十代を信じていなかった。ペンギンの眼差しは、子どもの絵空事にうんざりしている。
〈ビッグファイブ〉それぞれの魂を生贄にして、〈ファイブ・ゴッド・ドラゴン〉が召喚された。
五本首の竜の姿は、五人の幽霊の敵意と憎悪の象徴だ。何度も罪を重ねる、かつて人間だったものの姿だ。五人はこれからも誰のことも赦さないし、誰の言葉に耳を傾けることもない。悪意だけを抽出されて、古ぼけたロールプレイングゲームの敵キャラクターを演じ続ける。
彼らの時間は、肉体を失ったときから停まってしまっている。ほんのわずかな変化さえ救いにはならず、やがて死んだときに引かれたフラットな黒いラインへ沈みこんでいく。どこまでも孤独に伸びていく五線譜に戻る。
十代は、ユベルとふたりでひとつの異物として生まれ変わった日を振り返る。超融合のカードが発動し、空は祝福の光に満ち、人としての十代の肉体は滅んだ。
今の十代は、〈ビッグファイブ〉とそう変わらない条件で偏在する幽霊だ。
一瞬は心を通わせかけたと思った相手が、ためらいなく牙をむく姿を前に、自分自身もいつかまたたくさんの人を傷つけ憎まれて、誰もが怖れる独裁者の罪にふさわしい最期を迎えるまで、何度でも殺戮を繰り返すのかもしれないという絶望に、足の先から飲みこまれていく。
「助けてやらないと」
〈ネオス〉を召喚し、自分に言い聞かせるようにつぶやく。
醜い竜の姿に変化した〈ビッグファイブ〉の姿を、見ていられなかった。隣に遊戯の姿があることも、十代の決意を硬くした。なんとか助けてやれないだろうか──。
「見たくないものを消しても、なかったことにはならないよ、十代くん。助けを求めているのは、キミなんだ」
遊戯の言葉が、首筋をひやりと撫でていった。
「奴らの化けた竜の姿を見て、キミが恥ずかしい思いをすることもないんだ。キミは、〈ビッグファイブ〉とは何から何まで違うんだから」
遊戯は、聞き分けのない子どもに言い含めるような、穏やかで優しい喋り方をする。夜空の星をせがんで泣きだした子どもをいさめる声が、対等の相手に向けられたものであるはずがない。そう諭されるたび、十代は、ひとりの大人として扱われていない気持ちになる。
「キミは、生まれついた力で、何度でも友だちを傷つける。何度も友だちが自らの身を犠牲に引きあげてくれる。そのたびに、キミは大事なものを失う。それがスタートラインだ、遊城十代くん。──それで、キミは、どうするんだ?」
十代は、熱い空気を呑みこんだ。時間が停止したようだった。
遊戯といるとき、十代の時間は停まり、ふたりだけの秘密の場所で向きあっているような気がする。
その特別な感覚が好きだった。それも今だけは、彼との時間が永遠のように感じることが、苦しかった。
「今キミがすべきなのは、光を目指すことじゃない。キミは闇のなかにいる自分と向きあうことを降りて、そいつから目を逸らし続けているんだ」
いつかまた自分を見失って、大切なものを亡くす『もしも』を想像したとき、あんなことが二度と起こるわけがないと思いこむことにした──『大人になった』、『誰よりも強くなった』、『もう光を知っているから、闇の力には二度と取りこまれない』。
自分にも制御できない力を、十代は宿している。
日常のふとした瞬間に、網膜に焼きついた仲間たちの死に顔が浮かびあがった。両手が赤く染まって見えた。陽光の下でさえ死臭が漂い、断末魔の叫びが地を埋め尽くしていた。
ただ、遊戯といる間だけは、十代の世界はとても綺麗だった。光の幕が、汚いものすべてに覆いかぶさって隠した。守られているようだった。そこでは、いつか迎えにくる闇の衝動について、考えるのをやめられた。
「なあ、十代くん。子どもから大人になって、責任の取り方が難しくなったな」
遊戯が言った。
「間違う大人もいる。たくさんいるんだ。取り返しがつかないことだって、もちろんあるけれど、そいつを取り返そうとして腕を振りまわして、まわりにあるものを全部壊してしまうのが、子どものころのキミの悪い癖だった。大人になったキミは、そいつに関してどう責任をとる?」
「オレは、多くの犠牲の命を喰らって得た力と、この肉体と魂のすべてをかけて、この世界を守りたい。仲間を、同類を救いたい。そうじゃないと、この手で殺めてしまった者たちに顔向けができないですから」
「それは償いだ、十代くん。それじゃ責任をとることにはならないよ。キミが手をかけた人たちは、納得できない」
遊戯に諭されて、十代は耳まで赤くなった。彼の気に入る答えを探している自分が嫌だった。自身の肉体には魂がなく、すべてを持っているのはこの人なのだという気がした。
「勇敢な言葉と立派な夢で、とても丈夫な殻を造りあげて、キミは、キミを怖れた人間たちから、自分自身の傷ついた心を守りたがっているように見える」
「ちがう。信じてください。オレは、そこまでくずじゃない」
十代は言った。遊戯の落ちついた色の瞳に、自分の顔が映りこんでいるのを見るのが怖かった。
「キミの、本当の望みはなに?」
遊戯の問いかけに答えるのは、簡単だ。
──みんなを守りたい。悪い奴をやっつけて、世界を守りたい。ヒーローになりたい。そして、あの頃の自分のようにひとりぼっちの子どもに、そうじゃないんだって言ってやりたい。力を持ったせいで孤独になり、決闘を忘れた人間に、楽しい決闘を思いださせてやりたい。
そのとき、十代は気がついた。遊戯の前に立ち、自分の理想の地図を広げて知った。
鏡だ。
──遊戯はみんなを守ってくれた。悪い奴をやっつけて、世界を守るヒーローだ。子どもの頃ひとりぼっちだった自分に、ブラウン管のなかから、そうじゃないんだと教えてくれた。力を持ったせいで孤独になり、決闘を忘れた十代に、楽しい決闘を思いださせてくれた。
全部、遊戯が、そうしてくれたことばかりだった。
気がついたとたん、自分自身の姿がはっきりと見えるようになった。
からっぽだ。蓋の開いた棺だ。なにもない。なかは綺麗なものだ。
心の中には武藤遊戯しかいない。遊戯を映した無数の鏡が、十代の心を埋め尽くしている。
自分は、いったい誰だったのだ。どこにいるのだ。誰の頭で、ものを考えていたのだ?
この身体のなかには、武藤遊戯しかいない──。
十代は、呆然と遊戯を見あげた。唇を動かす。音にならない。かすれ声は出たかもしれない。爆音にかき消されて、どこにも届かない。どこへも行けない。ほかになにも見えない。
遊戯の目が怖い。見ないでほしい。覗かないでほしい。
彼が、悪魔のように人の心を見透かすことはできないと知っていた。それでも、恐ろしかった。
「オレは子どものころ、決闘王になるのが夢だったんです」
「ああ。知っている」
「遊戯さんになりたかった。でも、あなた言いましたよね。人は、ほかの誰かにはなれないって。あなたになれないのが、すごく悲しいと思うんです。でも、これもあなただ。誰かになりたがったあなただったんだ」
喉から出る声は、泣き言のようでみじめだった。
「キミはボクじゃない。キミの頭の中にある、ボクのイメージとは違うって意味だ。だから、必ず正しいばかりじゃいられないんだ」
十代は、すこし微笑んだかもしれない。
いつしか、同胞の心が、自分のもののようにわかるようになっていた。心に満ちている遊戯になれなかった十代は、誰であればいいかわからなくなった。だから、彼らになろうとしていたのかもしれない。
みんなが責めてくれるような、悪い奴になりたい。そしてみじめな最期を迎えて、悪人の末路を、これまで傷つけてきたものたちに祝福される。そうすることでしか、許されないのだと諦めていた。
遊戯の言うとおりだ。助けてほしがったのは十代だ。『キミはボクじゃない』と遊戯は言う。『キミは彼じゃない』、『〈ビッグファイブ〉じゃない』。
『キミは誰かじゃなくて、遊城十代なんだ』とは言ってくれない。無力でも強くなっても、正義の味方でも悪者でも、十代は遊戯の心に届かない。なにを考えているのかわからない。
そしてそのひとを、どうしてこんなにも求めているのかもわからない。
「キミが誰なのか、ボクに教えてくれ。キミは遊城十代なのか、アテムなのか、それとも彼らのかわりに、この世界に生まれた別の誰かなのか。十二年前のあのときから、ボクはどうしてもそれを知りたい」
遊戯が言った。
「ボクはずっと、十代くん、キミを──」
遊戯は、とても大事な秘密を打ち明けるようにささやいた。
声の後ろ半分は聞き取れなかった。とてもつらそうに言うのだ。遊戯に苦しい思いをさせる言葉なんて、なくていい。聞きたくない。
十代自身が、遊戯に認められる正しい人間に変わればいいだけだ。
時間が戻った。
遊戯が、カードを閃かせた。
「下がっているんだ、十代くん」
「オレもやれます。闘えます」
「キミは、似た境遇の悪人を見つけて同情し、憐れんで、自己投影する。そいつを倒すのは、自殺にほかならない。そんな決闘を、キミがしちゃいけない」
〈ファイブ・ゴッド・ドラゴン〉。強靭な戦闘能力を持つ金の竜の胴から、五本の首が枝分かれし、それぞれが独立した意志を持って、地響きのような唸り声をあげた。
遊戯の傍らに、黒衣をなびかせた〈サイレント・ソードマン〉が降りたち、背丈ほどもある大剣を軽やかに振りかぶった。
燃えさかる炎の竜、水棲生物の特徴を濃くあらわす水の竜、頭に針山の冠を頂く地の竜、朽ち果てた老木が変化した闇の竜、硬い装甲で覆われた風の竜。神聖なる光の剣をしか受けつけない闇の竜が、五つの属性を帯びた滅びの息を吐きだす間もなかった。
沈黙の剣士の大剣の一閃が、いらなくなった玩具を壊すときのとりとめのなさで、五つの竜の首を斬り飛ばす。
〈ファイブ・ゴッド・ドラゴン〉に命を吹きこんだ〈ビッグファイブ〉は、落ちた首をうねらせながら怨嗟を叫んだ。傷痕から吹きだした血が、どす黒く濁っていく。
多量の黒い血液は粘り気を増し、〈ファイブ・ゴッド・ドラゴン〉の残骸を溶かしこんだ。最後は泥の塊になり果てた化け物が、圧縮された膨大な憎悪を孕んで、遊戯の頭上に覆いかぶさった。
『武藤遊戯。いつもいつも、憎き瀬人への復讐の邪魔をする。貴様だけでも道連れだ。我々と共に、この電子の地獄を永遠にさまようがいい』
醜い心の闇の集合体が、遊戯を飲みこんだ。十代は顔色を変えた。
「遊戯さん!」
遊戯は応えない。
精霊たちの寵愛を一身に受けているとはいえ、決闘王は生身の人間だ。ダメージが現実世界の脳に直接作用する攻撃にさらされて、無傷ではいられない。この虚構の空間で精神の死を迎えたとき、現実世界で眠り続ける肉体は、二度と目覚めないかもしれない。
人間は、どんなに強くても簡単に死んでしまう。人を外れた認識に慣れつつあった十代は、愕然と思い返していた。『遊戯は、身体が潰れたら死んでしまうのだ』。
呼吸が乱れた。膝を折って、身体を折り曲げる。苦しい。息ができない。背中を丸めてくずおれた。
大きな力を持つ者が、自律を放棄したときに、何が起こるのか。十代は、誰よりもよくわかっていたはずだった。
遊戯の在り処を見失った瞬間に、それは起きた。人の理解を外れた悪意が、十代の理性を打ち砕き、柔らかい皮膚を突き破った。生き物の心の闇を糧とする、不定形の怪物が産声をあげた。
真っ黒で、いかがわしくて醜く、幼子の落書きのようにいびつな黒い怪物が、クレヨンで描き加えられたかのようなざらざらした涙をこぼしながら、悪あがきを続ける〈ファイブ・ゴッド・ドラゴン〉の残骸を包みこんだ。
現実と見紛うばかりに精巧に創りあげられた電脳世界を構築するのは、自分たちをみじめな境遇に突き落した海馬瀬人を逆恨みする、五人の人間だ。悪魔にとっては、爪も牙もないくせに、この上なく甘いにおいのする餌でしかない。
複製された魂は、いくらかは本物の人間よりも味が落ちるものの、心の底に溜まった澱をすする怪物にとっては、喉を潤す冷たい泉の水のようなものだった。
邪心に支配され、憎しみに突き動かされているものほど、身が崩れやすく味が良い。底意地の悪い策を弄する老獪さも、汚れた脂でぬめった欲望も噛み砕かれて咀嚼され、白を黒に塗り潰す正義も、火薬をまぶした鉄の意志も、折れた忠誠心も無惨に喰らい尽くされていく。
ささやかな箱庭世界の形をとった脳髄に消化液がいきわたると、禍々しい鱗の手が、干乾びて発酵が進んだ五つの魂をつまみ出す。
新鮮な怯えの味が、舌の上に広がった。憎悪はなかなか発酵が進んでいて、自己愛の脂がのっていた。肉体を失くした老人たちが赦しを乞う、小気味の良い音を聴いたかもしれない。五つの魂が何を叫ぼうと、あらゆる悪意を内包する影には、もうどうでもよかった。
決闘王武藤遊戯を冒涜する者は、誰もが罪を負う。その御名を呪う者は死ななければならない。
牙にほんのわずかな力を込めるだけで、〈ファイブ・ゴッド・ドラゴン〉と、そのはりぼての体躯の奥に詰め込まれている魂たちを、チーズのように真っ二つに引き裂くことができた。
破滅の傷痕をそのままに、気がつくと、停まった時間のなかで優しい両手に背中を支えられている。
「遊戯さん」
遊戯の腕だ。力強くて安心する。土埃で薄汚れているが、生きている。
共にいた仲間たちのことを、ようやく思いだした。ひりつく感触が首筋を刺し、恐る恐る振り返った。
異世界で、十代を信じてついてきてくれた仲間たちの期待を裏切り、死なせてしまった決闘を思いだしていた。あの時は、わけもわからないうちに最悪の選択を重ね、十代を恨みながら光る砂粒になって消えていく友だちを、眺めていることしかできなかった。
勝手に孤立し、勝手に絶望していた。再び、過ちを繰り返してしまったのか。
赤光を放つ無数の光球をまとった黒竜が、折りたたんだ分厚い翼で、仲間たちを包みこんでいた。遊戯のしもべの〈破壊竜ガンドラ〉。主たちを、腐り落ちた幻影の臓腑を喰らう、不定形の闇の暴走から遠ざけていた。
ぽかんと口を開けている十代の髪を、遊戯が指で梳いて、絡みついた金色のうろこの砕片を払ってくれた。
「考えるのを、やめちゃいけない」
声は優しいのに、十代は、操られるように頷くことしかできない。とんでもなく悪いことをしでかしてしまったあとの、ばつの悪さが、肺腑を縮こまらせている。
「なにがあっても、自分以外のなにかに選択を任せてはいけないぜ。それがどんなに大きくても、どんなに正しくても、キミが自分の頭でものを考えなくなったとき、キミの中にある怖ろしい力は、それをチャンスと襲ってくるだろう」
「はい、遊戯さん」
十代は従順に頷いたが、胸の奥に隠していた言葉がいっぱいに溢れて、口から滑り出るのを止められなかった。
「でも、あなたがオレを試したとき……自分のものだと言ってくれて、とても嬉しかった」
優しい家族に囲まれた子どもが迎えた、クリスマスの朝の冷気に包まれているようだった。どうして、そのイメージにこだわるのだろう?
大きな手に、くしゃりと髪をつかまれる。笑顔の遊戯の瞳が困っている。また余計なことを言ってしまったのだとわかった。いつもみたいに、仲間が離れていったときみたいに。
「いけないよ、十代くん」
十代は、ぎこちなく愛想笑いを浮かべた。
「わかってますって、遊戯さん。変なこと言いました。忘れてください」
〈ビッグファイブ〉の消滅をもって、電脳世界は終焉を迎える。
作り物の世界が消え、囚われていた魂たちは、もとの肉体に戻るだろう。狡猾な老人たちのことだから、自分たちのデータ化した魂を、電気仕掛けの海底にバックアップとして残している可能性が高い。無限に複製されるデータが、再び人工的な幽霊として現実世界に浮きあがってくるかもしれない。
「彼らは、前よりもずいぶんばらばらになったようだ。少なくとも、ボクらが生きてるうちは、出てこないんじゃないかな」
「あいつらみんな、復讐したかった海馬さんが年をとって死んじまってからも、死人を憎んでゲームを続けるんでしょうか」
「キミは、そうはならないよ」
遊戯が穏やかに言った。珍しく、心に僅かな隙間が空いていて、彼が十代を信じてくれているのが伝わってきた。だから十代は、どうしても答えが出ない問いかけを、今まで数えきれないほど繰り返してきた疑問を遊戯にぶつけてみた。
「誰の犠牲もなくみんなを救うためには、どうすればよかったんでしょうか」
「そんな方法、はたしてあるのかどうかわからないけれど。今のキミはどうすればいいと思うのか、聞かせてくれないかな」
「わかりません。敵を倒せばいいと思っていたオレの答えは間違っていて、守るべき人たちに憎まれて死なせてしまった。いまでもオレにはわからない。けど、友だちは──」
いつも十代を助けてくれる、親友の笑顔が思い浮かんだ。なにがあっても信じてくれて、隣で守って勇気をくれる、いちばんの友だちなら──。
「オレの大切な友だちは、そんなときは神様に祈りました」
遊戯の優しい目に、びくびくと怯えきった自分がうつる。正解か、間違いか。そんなことばかり考えてしまう。胸がざわめいて苦しい。
そういえば、家族といるときは、いつもこんな気持ちがした。父親が怖かった。母親が怖かった。ふたりは十代のもとから去ってしまって、それでもユベルがそばにいて愛してくれたから、両親の欠落をことさら意識することはなかった。
いまは遊戯が、父親と母親ででもあるように感じた。怖ろしくて、愛されないことを知っていて、それでいて振り向いて欲しかった。
「その人のこと、大事にするんだ。いつかキミがどうしようもなくなったときに、そういう友だちが助けてくれる」
遊戯が背を向けて、仲間のところへ歩き出す。正しいか間違っているかわからない、宙ぶらりんの気持ちのまま、十代は自分の両頬を叩いて気合いを入れなおし、遊戯のあとを追いかけた。
【25 鏡】
〈ビッグファイブ〉亡きあとも、ゲームの世界が消滅することはなかった。電脳世界は、いまだに形を保っている。
「もしかするとあいつら、プレイヤーがクリアしたあとも、仮想世界に永遠に取り残されるようにゲームを作ったのかもしれない」
モクバが、ノートパソコンのキーボードを叩きながら、冷静に言った。レベッカ猫が、不満そうに威嚇音を出す。
『一生偽物の世界に閉じこめられて、しかも猫の姿だなんていやよ』
「大丈夫ですよ。遊戯さんがついているんですから、きっと無事にお兄ちゃんたちのところへ帰れます」
静香が、レベッカの喉を撫でてなだめている。レオンとモクバが顔をつき合わせて、モバイルをものすごいスピードで弄りながら、十代には意味のわからないやり取りをしている。
「ともかく、手がかりを探そう。モクバと僕で、ゲームのデータを解析する」
「古いもんだから、まあなんとかなるだろうが、おまえらもなにかあったら教えてくれ」
十代の自律が戻ってきたことをきっかけに、闇は去った。頭上と足元には、複雑な模様を描かれた基盤が、果てなく続いている。
基盤の天地をつなぐ銀色の柱がそそりたっており、柱の根元には、飾りのない無数の扉が並んでいる。扉のひとつにあてずっぽうに手をかけた十代は、ヨハンに腕を取られた。
「あまり勝手な真似はするなよ、十代。おまえは、いつもひとりで先行しすぎる」
十代は、びくりと肩を震わせた。ヨハンはいつもどおりだ。
「おまえ、怖くないのか」
「何を言ってるんだ。よくわからないぜ」
「だって、見ただろう。あんなもの、オレならめちゃくちゃ怖いけど」
「さっきの闘いで、なにかあったのか。こっちは遊戯さんのドラゴンに隠れてなにも見えなかったけど、よっぽど怖い目に遭ったのか。顔色が悪いぜ。十代をびびらせるものがあるなんて、信じられないな。俺も、ちょこっと見てみたかったかも」
ヨハンは、嘘やごまかしを言っているわけではない。恐怖のにおいがしない。
「べつに、びびってるわけじゃない」
「大丈夫だって。行こう。なにがあったって、俺は十代のこと信じてるぜ」
ヨハンは頷いてみせ、微笑んだ。遊戯が、ヨハンに興味深そうな一瞥を落としたのが見えた。
開いた扉から、目をくらませる白い光が溢れだす。
*
ユベルの耳慣れた呼び声に引きあげられて、十代は瞼を開いた。心もとない落下の感覚に、びくりと首筋を引きつらせるところは、眠りから醒める感覚によく似ていた。
肉体から抜き取られていた精神が、あるべき場所に戻ってきたのだ。ひどい頭痛が恨めしいが、半身のユベルの気配が戻ってきていることに安心した。
緑色をした非常用照明が、宇宙基地を模したSF映画のセットをほの白く照らしている。雪に閉ざされた海馬ランドの〈バーチャルワールド〉だ。青い屋根の、ハンガーをイメージしたかまぼこ型の娯楽施設。修学旅行で初めて体験してから、何度か訪れたことがある。
海馬コーポレーションのロゴマークのモニュメントと無人のカウンターの間に、銀色のカプセルが五つ並んでいる。十代が閉じこめられていたのは、そのうちのひとつだった。
蓋が開く前に飛び起きたせいで、頭をぶつけて悲鳴をあげるはめになった。前に来たときにも、同じ目に遭ったことを思いだす。
ほかの四つのカプセルは空で、遊戯や仲間たちの気配がない。そのかわり、アムナエルのマークが入った白装束を頭から被った男が、隣のカプセルの閉じたガラス蓋の上に腰掛けて、足を揺らしていた。
恩師も同じような服を着ていたが、錬金術師の正装なのだろうか。
「どうやらおまえも、アムナエルの道楽の犠牲者ってわけらしい」
耳に不思議によく馴染む声で、男が言った。
「おまえ、何者だ」
身体がすくんでいることに、舌打ちをこぼす。電脳空間にいたときは、記憶に忘却の膜が覆いかぶさっていて、顔もデッキも思いだせなかったが、十代はこの男を知っている。
トランプの三剣士を引き連れて、武藤家を襲撃してきた男だ。
「おまえは、何なんだ。なにされたのかもわかんなかった。オレは負けたのか」
「オレのしもべが、おまえの魂を消し飛ばそうとしたんだが。どうも、おまえに目をかけるやつがいてな」
頭上から降り注ぐ、金色の気高い光を浴びて、十代は顔色をなくした。
鳥と竜の特徴を併せ持つ黄金の偶像が、実体を持たないままハンガーに降り立った。くちばしを開閉させて、小首をかしげている。〈三幻神〉の一柱にして、最高の神格を持つ〈ラーの翼神竜〉。
真に迫った荘厳さを持ちながら、現存するのはコピーカードだけだ。相対するのは、二度目になる。
「そんな、そんなことって……」
「なんだ。顔見知りかよ」
〈神〉を従える男を前にして、無意識に顎が引けた。十代が先の決闘の最後に見た、二つ口の赤い竜がとぐろを巻いて天に浮かぶ光景は、悪夢では済まなかったらしい。
「オレが何者かって、おまえはよく知ってるだろう」
白い手が、フードをはねあげる。十代は言葉を失った。冷えきった自らの頬を、無意識に撫でる。たしかに、その顔は知っている。
白装束の男は、十代とそっくり同じ容姿をしていた。
ただし、肉体を失う前の大徳寺がそうであったように、髪や肌から色が抜け落ちていて真っ白だ。瞳は、血の色をして燃えていた。錬金術によって生成された、ホムンクルスの特徴なのかもしれない。
ゆったりとしたフードに隠されていた目元のあたりに、腐敗の兆候が見て取れた。
*
白髪の十代もどきが語るところによると、粉々に砕かれて情報の粒子となった〈ビッグファイブ〉を電子の海の底から拾いあげたのは、アムナエルの異名を持つ大徳寺だった。
老人たちに新しい肉体、それは若返ったかつての彼ら自身であったり、モンスターの姿だったりしたが──復讐の機会を与えるかわりに、五人の手によるバーチャルリアリティ・ゲームを使って、遊城十代のデータを取りたいと持ちかけたらしい。
なぜ大徳寺は、今になって生徒の力を試そうとしたのだろう。
魂をかけたゲームの旅へ、十代と仲間たちを放りこんだのは、学究の知識欲によるものなのか、恩師なりの卒業試験だったのかは知れない。
そして、目の前に現れた遊城十代と同じ顔もまた、次から次へと投げかけられる試練のひとつなのだろうか。
その男に名前はない。肉体はかりそめで、いつどこで何をしていた人物なのかを自分でも知らない。
命ある人間ではないことだけは、確かだった。
死臭の濃い闇をさまよっていたさなか、精霊を引き寄せる特別な地であるアカデミア島に構えられた錬金術師の工房で、不完全な失敗作として廃棄されていた肉人形の器をまとって覚醒した。
死体を動かしているに等しいから、腐敗の運命からは逃れられない。崩壊しゆく肉体に辟易した名無しの彼は、工房の主のアムナエルという錬金術師が遺した文書から、完全な人工生命体を生みだすことに成功したという稀有な存在を知る。
武藤遊戯という名の男だ。
「オレの器は、見ての通りの壊れかけだ、童実野町にいる遊戯に、新しい肉体を造らせようと考えた」
「遊戯さんが錬金術の話をしてるところなんて、想像つかないんだけど」
「おまえはおおかたオレと同類で、どこぞの死霊が人形にとりついて動かしてるんだろうと思ったが、どうも違うらしい。生身に見える。しかも、魂をふたつも宿している面白いあり方だ」
完全な人間の形をした十代をじろじろと見て、名無しは目を細めた。
鏡に映したような男の声色はともかく、話をしていると、過去にさかのぼった先で待っていた、高校時代の遊戯を前にしている感覚に囚われる。
あの身を焼かれるような苛烈な気迫を、目が眩むような剣のきらめきを、十代はまだ、大人に成長した遊戯に見出したことはない。
ふと思いついて、十代は訊ねてみた。
「キミの名前だけど、もしかして、アテムっていうんじゃないか」
確信はないが、〈アテム〉は遊戯に生き写しだったという。その男は、十代の顔をしているのがもったいないくらいに、濃い闇のにおいをさせているときの遊戯に、雰囲気や喋り方がそっくりだった。
──彼女にとって、ボクはアテムを殺した殺人者なんだ。
遊戯の穏やかな声が蘇る。遊戯が人を殺めたとはとても信じられないが、もしも死霊となってさまよっていたアテムが、十代の顔をしたホムンクルスの器に憑依して、この世に戻ってきたのだとしたら──。
「オレの名を知っているのか。教えろ」
「く、首をしめないでください。本当のあなたが、どんな姿でどんな声をしているかもわからないけど、その名前の誰かを、とても大事に想ってる人たちから聞いたんです」
十代は自然と敬語になって、赤い跡のついた首をさすりながら咳こんだ。
「たしかに、懐かしい感じがする名前だ。昔、誰かがオレをその名で呼んだような──だけど遠すぎて、相手の顔も忘れてしまった」
名も知れない魂がアテムという人物だとすれば、本来の彼もまた、武藤遊戯を大切に想っているのだと信じている。遊戯や彼を取り囲む仲間たちの口ぶりから、それはわかる。
彼が遊戯を求めて武藤家を襲ったのは、進行していく肉体の腐敗への焦りによるものだ。仮住まいの人造体は、じきに肉が溶けて動かなくなる。
殺人者と自分を責めながらも、その名前を呼んだときの遊戯の姿を覚えている。まるで半身に等しい友を失ったようでもあり、幼い子どもをなくした父親のようでもあった、切ないほどに優しい横顔。
「あなたの記憶と、本当の身体を取り戻す手伝いをさせてはくれませんか」
十代は膝をついて、〈アテム〉に頭を垂れた。もう身体は恐怖に震えなかった。
【26 記憶の迷宮】
デッキから、〈超融合〉のカードを引きだした。ふたつの魂を繋げれば、たとえ悪魔の眼で心が読めない相手でも、無意識の奥底に広がる記憶の世界へ、足を踏み入れることができるはずだ。
〈アテム〉の、白い〈十代〉の顔が、本物が試したことのない歪んだ嘲笑を浮かべた。
「会ったばかりの敵かもしれない奴を信用して、いきなり土足で心のなかへ入れろってのか。ずいぶんとずうずうしい奴だぜ」
「あなたがアテムさんでしょう。遊戯さんも、そんなふうに厳しいんです。なにより、すべての〈神〉を従えられる決闘者は、ただひとりだけのはず。オレにわかるのは、顔はともかく、あなたの魂が、本人と見分けがつかないくらい遊戯さんに似ているってこと。オレは眼がいいんです、それで充分だ。
オレのなかに魂を入れれば、あなたは今の腐りかけてる身体よりは長く生きられるはずだし、気に食わないならオレのことを追い出したっていい。遊戯さんの大切な人になら、オレのすべてを好きにされてもかまいません」
『ちょっと、十代』
ユベルが勝手なことを言う十代に文句を言ったが、いまは取りあわなかった。
「それが、オレの信頼の証だ。本来のあなたは、悪いふうには力を使わない。オレのことも信じてほしいとまでは言えないけど、ただ、アテムさんの帰りをずっと待ってる遊戯さんだけは、信じてさしあげてほしいんです。何も思いだせないまま、器ごと腐って朽ち果てちまうなんて、そんなのはあなたにもあの人にもだめだ。
オレ、あなたがどうしてここにいるのかも、何者なのかもわからない。遊戯さんたちだけの秘密を、何も知らない。でも、あなたが帰ってきたら、遊戯さんめちゃくちゃ喜ぶでしょう。オレは、あの人のためになることがなにかしたい。遊戯さんの役に立ちたい」
「人間のくせに、人形の身体のオレより道具みたいな物言いをする。おまえ、十代って言ったか」
「はい、アテムさん」
「オレがアテムって奴だと、おまえがそう思いこみたいだけじゃないのか。茶番につきあってやる理由も義理もないが、どうしてそんなに遊戯に入れこんでるんだ。おまえはオレと同じにおいがするのに、他人のために、どうしてそこまでやれるんだ?」
〈アテム〉はまじまじと十代を見つめて、「ははん」と意地悪そうに口の端をつり上げた。
「惚れてるのか」
「いえそのそういうわけでは。違うんです」
十代は真っ赤になって、勢いよくまくしたてた。
「遊戯さんはオレにとってガキのころからの憧れの人で、これまでたくさん恩があるし、ただ好きとかそういうのはいくら優しくて心の広い遊戯さんだって困ると思いますし」
「照れるなよ。意外とかわいい奴だぜ」
赤い目が面白がって細くなっているのが、やたらと気恥ずかしい。
「か、かわいいって言われても」
「じつに退屈しない男だ。オレは、おまえのことが好きになってきた。奇妙だが、守りたいとさえ感じたくらいだ」
十代は、笑顔をこわばらせて硬直した。アテムは、冗談を言っているふうでもなかった。焚火のように頭が熱く燃えて、全身から大量の汗が吹きだした。
失われた記憶が霧のようになって漂うアテムの心の部屋は、古代人が造りあげた黴臭い墓所を思わせた。心のなかに、これほど膨大な数の部屋がある人間を知らない。記憶の断片が格納されている部屋を探して、ぶあつい埃をかぶっている扉を叩く。
〈超融合〉のカードを通行札がわりに、十代はアテムと並んでじめついた回廊を進んだ。癒着してひとつになった心の奥で、正解の扉を見つけることができれば、彼が忘れ去ってしまった光景が再現されるはずだ。
「その、アテムさん。仮想空間からオレだけ目を覚ましたんですけど、遊戯さんたちがどうなったのか知りませんか」
「黒い頭の女がひとり目を覚ました様子だが、ほかのやつらは、まだそのへんで眠っているようだったぜ」
すると、大瀧はやはり嘘を言っていなかったのだ。緊急の出口へ導いてくれたのは、あの時点では本気だった。杏子は非常口から現実世界に抜けだせたが、十代に利用価値を見出していたほかの老人連中が、出口を塞いだのだ。
煉瓦の壁に、虫食い跡を見つけた。壁や天井を這う虫の数が、やけに多い。濃い朱色の頭といくつもの体節を持つもの、土色の翅を広げると人の頭ほどあるもの、金属めいた光沢を帯びる甲虫。ユベルが、蛙が潰れたようなうめき声を上げた。
『なんだかわからないけど、こいつら嫌い。近寄りたくない。潰して潰して、気持ち悪い』
「ここには記憶を喰う虫が棲んでる。おまえのなかのユベルというのは、こいつらにとっては捕食ワードになってる。一度食われたことがあるんだろう。噛みつかれると骨まで残らないぜ」
アテムが静かに告げた。
『ちょっと十代、なんとかしておくれよ。こんなところに住めない。なんとかしてくれないと、出ていくからね』
「出てってどうするんだよ」
『いいからなんとかして』
「しょうがないな」
ユベルに髪を掴まれてがなられた十代は、嘆息して足元の甲虫を踏みつぶす。潰れた虫は体液を吹きだして粉々になり、黒い煙に変わって消えた。
「遊城十代って虫かごに、虫どもを送りこんだやつがいたんだ。いつかどこかでつけられたな」
「昔、記憶を消す機械にかけられたことがあるんですけど、そのときかな」
「ろくでもないものを作るやつがいるもんだな。失くすとどれだけ困るものなのか、そいつにはわからないんだ。ぶっとばしてやりたいぜ」
共感した十代は、微妙な笑い方をした。アテムの赤い目が睨む。
「なに笑ってるんだ」
「オレも記憶がない苛立ちとかわかるんで、その、あなたと同じ気持ちになれて嬉しいです」
アテムは鼻を鳴らして、そっぽを向いた。照れたのか、怒ったのかはわからない。
虫たちを追い払いながら、回廊のどん詰まりにはめこまれた重い扉を開いた。小さな部屋の中央に、金色に塗られた棺が安置されている。十代はアテムに頷いてみせ、蓋に手をかけた。
しまいこんであるのは、いつの日の記憶だ?
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