数年前の話。 十代はひどく不機嫌だった。食堂のカウンターテーブルに着いて、ぶすっとした顔で飯を食っていると、入口のガラス戸が左右に開いて、紺色のラインが入ったベージュ色のセーターを着込んだ青年が入ってくる。久し振りに見る顔だった。相手の方も、こんな所でこちらの顔を見ることになるとは思いもよらなかったようだ。色素の薄い目を軽く見開いている。 彼はすぐに満面の笑みを浮かべ、「よぉ十代!」と大声を上げた。 「久し振りだなぁ! お前なんでこんなところにいるんだよ? 確かにうちのカレッジの学食は美味いけどさ、だからって何もわざわざ遥々食いに来ることあるかぁ?」 けらけら笑いながら、見当違いのことを明るく言うなり(こういうのが彼らしいところなのだ)、エメラルド色の髪の青年ヨハンは、力いっぱい十代の背中を叩いた。 思わず噎せる十代の隣に、椅子を引いていささか行儀悪く座ったヨハンは、どうやら十代の様子に違和感を覚えたらしい。珍獣でも見るような顔つきで、「お前、なんでメシ食ってるのに不機嫌な顔してるんだよ。らしくないぜ」と言った。 十代はグラスの水を二口飲んで一息吐くと、頭を振って、「色々事情があるんだ」と言った。 「確かにメシは美味いさ。エビフライカレー。エビフライとカレーの超融合なんてさすがにオレでも勝てる気がしないぜ」 「お前の口から超融合って聞くと、何でだろうな。背骨のあたりがぞわぞわする。なんか、こう、愛とか痛みがどうとかっていう単語が急に浮かんできて……うう〜、なんだっけ。思い出せない」 「……思い出さない方がいいと思う。ヨハンに会えたのも嬉しいんだ。あとでデュエルしような。それはいいんだ」 十代は肩を竦め、テーブルに立て掛けておいた丸めたポスターのテープを剥がし、広げてみせた。 「……なんだこりゃ? 遊城十代……WANTED。賞金一億ぅ!?」 ヨハンが目を丸くして、十代とポスターを交互に見比べる。十代は肩を竦め、「そう」と頷いた。 「お前今度は何した?」 「何もしてないって。たぶん」 ポスターには十代の写真と、一億円の賞金首である旨、それから小さく『死亡時無効、五体満足で』と書かれていた。どちらにしても無茶苦茶な話だった。 ヨハンは十代からひったくったポスターをしげしげと眺め、「あれ?」と訝しげな声を上げた。 「これ、賞金を掛けてるのはうちの理事長じゃないか」 「そうだよ。おかげで気ままな旅なんてどこにもない。全然ない。一言文句を言ってやろうと思ってさ。あのオッサンは昔からやることが無茶苦茶なんだ」 十代がぼやくなり、スピーカーからがなり声が響いた。 『あー、十代! 遊城十代、ここに来ている事は解っている! 今すぐ理事長室まで出頭するんだっちゅーのぉ!』 十代は項垂れて溜息を吐いた。あの男は苦手なのだ。 デュエル・カレッジ・アトランティス校は地中海の海底、透明なドームに覆われた白い街の真中にある。街は校舎を中心として扇状に四分割されており、南の端の潜水艦が停泊している港から北へ向かって、学生達の生活区画が広がっている。 西には教師や研究員達が暮らす寮が建ち並び、南部と西部の境目には商店街が通っている。東には図書館や病院といった施設が整然と建ち並び、そして北部には各分野の研究施設、そして北の果てに出資者である男の屋敷が存在する。 街は昨年の暮れに完成したばかりだ。いたるところに膨大な数の重厚な飾り柱が立ち並び、中心には巨大なダイダロスの彫像が建っている。海面から見下ろすと、街はまるでいつか焼かれるのを待っている冷凍ピザみたいに見えた。 「なんでヨハンも来るんだ?」 「俺も呼ばれてんだ。昼飯が済んだら顔を出せって」 ヨハンは当たり前のような顔をして、食堂でパックに詰めてもらったシーフードのサンドイッチを齧りながら、十代の隣を歩いている。二人がゆっくりと歩いているのは、カレッジの食堂に隣接するエントランスを抜けた先にある透明な回廊だ。理事長室へ向かうには、回廊を抜けた先のエレベータを使って最上階まで上がらなければならない。 「ヨハンが進学組だったのは意外だな。プロリーグからスカウトが来てたんだろ? 雑誌で読んだぜ」 「強い奴と戦えるのは楽しそうだけど、プロなんて柄じゃない。俺は俺でやるさ。このカレッジな、面白い授業がいくつもあるんだぜ。俺は精霊学を専攻してる。興味沸かないか?」 「精霊学? それって、ハネクリボーとかルビーとかのことを勉強するのか?」 「そう。そいつを学びたくてここへ来たんだ。まだ新し過ぎる分野らしいから、取ってる奴あんまりいなくて、じきに無くなるんじゃないかって噂だけどな。今はいいけど、後に残るものがないってのはちょっと寂しい」 パンくずをぼろぼろと零しながら、ヨハンはふいに良いことを閃いたというような顔つきになった。 「そうだ、お前も入らないか?」 「オレ?」 「ああ。精霊と繋がりの深いお前なら、きっとすごく楽しめるさ。それにお前がいれば、当面は学科が存続するかもしれない」 「……オレみたいな万年落第生を入れて人数合わせしなきゃなんないくらい、生徒が少ないのか?」 「俺を入れて六人だな」 「うん、大変そうだ」 十代は肩を竦めて苦笑した。 二人で話をしながら歩いていると、目的の理事長室はすぐだった。それは二人が出会った頃から変わらなかった。お互いが隣にいることにすぐに馴染み、一瞬で当たり前になった。一緒に過ごす時間は楽しくて、時が過ぎるのもすぐに忘れてしまう。 十代はヨハンが何を考えているのかということが感覚的に感じられたし、ヨハンもそうだった。二人は魂の本質のようなものが、まるで生き別れた双子の兄弟ででもあるように、良く似通っていたのだ。 理事長室に入るとまず、厳つい顔立ちの中年男が満面の笑顔で十代に飛び付いてきた。 「おうおう、十代よう! 久し振りだっちゅーの、このやろう!」 「ぎゃあああ! 背骨がへし折れる!」 大柄な体躯と盛り上がった強靭な筋肉を持った男に、まるで小さなぬいぐるみのように抱き上げられて締め上げられ、加えて頬擦りをされて、最近ではちょっとやそっとのことでは動じなくなった十代もさすがに悲鳴を上げる。 「離せえ! オッサン、どういうつもりだよ! 今度は勝手に人に賞金なんか掛けやがって!」 十代は両腕を振り回してわめいた。 この目の前にいる岩のような中年男こそ、世界中に広がる海の八割を牛耳る海運王アナシスである。今から三年前、十代は彼からデュエルの挑戦を受けたことがある。金さえ積めばこの世に手に入らないものなどないと嘯く困った男だ。 十代は一度アナシスに誘拐されかかったことがある。当時は死に物狂いで彼の元から逃げ出したものだが、数年経ってもこの男は相変わらずのようだ。 アナシスは武骨な手のひらを十代の髪に突っ込み、わしわしと掻き混ぜ、上機嫌で言った。 「カタいこと言うなっちゅーの! お前の身体は既に俺のものなんだ。今更細かい事ガタガタ抜かすなっちゅーの」 「はああああ!?」 驚いたのはヨハンだ。十代とアナシスの顔を見比べて声を裏返らせ、「それって一体どういうことだよ!?」と叫んだ。 アナシスはまるで話を聞いていない様子で、十代の耳を引っ張り、ガラス張りの大きな窓の向こうを感慨深そうに示して見せた。 「言ったろ、金さえあれば手に入らんものなどない。この風景を見るがいいっちゅーの! これこそが俺の目的、俺の夢! デュエル・カレッジ・アトランティス校だっちゅーのォ!」 「オッサン、海の底に真のアカデミアを造るのが夢なんじゃなかったっけ?」 「商売というものは、競争相手がいないところに陣取るのが基本だっちゅーの。デュエル・カレッジには今まで、いまいちぱっとした、こう売りとか華のある所が見当たらなかったんだっちゅーの。で、アカデミアでもカレッジでもそう変わりはないと俺は考えた。この目論みは大当たりで、アトランティス校の今年の入学者数はアカデミア本校のそれに引けを取らん。良い出だしだっちゅーの」 「でも聞いたんだけど、精霊学専攻は、」 「理事長、十代! 説明を聞かせてくれって言ってんだよぉお!!」 「ヨハンを入れて六人しかいないって」と十代が言い掛けたところで、当のヨハンがかなり頭に血が上った様子で大声を上げた。彼は力任せにアナシスから十代を引き剥がし、保護するように抱き締めた。何故かは分からないが、これはかなりキレてるなと十代は考えた。ヨハンは険しい顔つきでアナシスを睨みつけ、そして心底途方に暮れた表情で十代を見つめた。 「十代……お前、アナシス理事長に身体を買われちゃったのか? そんなに金に困ってたのか? なんで親友の俺に相談しない! 俺の通帳はな、初めてお前に会った日から、お前と俺の共同名義になってるんだぞ!」 「ヨ、ヨハン? 落ち付けよ……ていうか、なんで共同名義?」 「たとえどんな理由があったとしても、お前はそんなことしちゃいけないんだ。俺は絶対認めない。アナシス理事長、あなたはいくらで十代を買ったんですか? 俺が十代を買い戻します。そして今後一切この十代に近寄らないで欲しい!!」 アナシスは十代を取り上げられたことが気に入らないらしく、不満そうに眼鏡ともみあげをいじっていたが、さすが海運王と呼ばれるだけのことはあり、商談と聞くとすぐに顔を上げて瞳を輝かせた。 「うーん、そうだなぁ、ヨハン・アンデルセンは前途有望な本校の生徒でもある訳だし、学割を適用して――底値で五十億。これよりは下がらんっちゅーの」 「ごっ、ごじゅうおくぅ!? ……うう、だが俺はやる……愛の為に!」 「――ああもう、二人共、勝手に俺を商品みたいに言うのはやめろ! 俺は俺のもので、オッサンが紙束いくら抱えて来たって知ったことじゃない。ヨハンもオッサンの話まともに聞くことない」 十代は膨れっ面でアナシスとヨハンの間に入り、溜息を吐いて、「誤解を招く言い方は止せよ」とアナシスに文句を言ってやった。 「誤解? 心外だっちゅーの。俺は事実を語っているだけだ。三年前、俺は十代、お前にデュエルで負けた。この七つの海を股に掛ける海の男アナシスが、だっちゅーの。俺はそれで心底お前に惚れ込んだ。金に糸目は付けん、欲しいものは何でも買ってやる、だから俺のものになれ――だがお前は何で釣っても首を縦に振らなかった。もうアカデミアに帰る、友達が待ってるの一点張り。しかし、お前はまだまだ子供だっちゅーの。お前を手に入れる方法なんぞいくらでもある。そんな訳で俺は遥々海を超え、お前の故郷日本にわざわざ出向き――」 アナシスは垂れ目がちの目をパチンと片方閉じてウインクをして、十代に指を突き付けた。 「日本にいる遊城十代の両親から、息子の親権を買い上げたんだっちゅーの。五億で」 「俺に吹っ掛けた値段の十分の一じゃないか! それより、親権を買い上げたってことは、」 ヨハンが恐る恐ると言った様子で口にする。十代も聞きたくは無かった。アナシスだけが豪快に笑いながら頷く。 「ぬっはっはっはぁ! 遊城十代は今や俺の可愛い息子だっちゅーの!」 「……普通息子に賞金掛けるかぁ?」 ヨハンはぽかんとしている。アナシスは心外だとでも言うふうに首を振った。 「馬鹿言うな。この海運王が馬鹿正直に『探し人』なんて張り紙をばら撒いてみろ。間違いなく身代金目的で誘拐しようって輩どもに狙われる。賞金首の方がまだ安全だっちゅーの」 「それにしたって、家族から引き離すなんてあんまりじゃないか。俺なら耐えられない。十代だってきっと同じだ」 「五億ぽっちのはした金で息子を売りに出す家族なんぞの所にいるよりも、おとなしく俺のものになった方が幸せになれるっちゅーの。十代よう、欲しいものは何でも買ってやるから言ってみるっちゅーの。何が欲しい? 宝石か? 島か? カードか?」 アナシスが十代の機嫌を取ろうと、にこにこしながら両手を揉んでいる。しかし十代はぷいっと顔を背け、「知らない」と突っ撥ねた。 「大体オッサンがオレの父さんと母さんから買い上げた書類はもうない。三年前、オレが屋敷から逃げしなにバラバラに破いてやっただろ。だからオレはオッサンの養子だか息子だか知らないけどそんなじゃない。オレはただ、オレに掛けられた賞金を取り消してもらいに来ただけだ。アレのお陰で行く先々で追っ掛け回される。落ち付いて昼寝もできない」 ――三年前、もう日本には帰る場所がないのだと知った時、十代も当時はそれなりにアナシスを恨んだものだった。死に物狂いで書類を破き棄て、傷だらけになりながら、アナシスの船からボートを奪って逃げ出したのだ。 今はというと、そう怒りらしい怒りも感じなかった。どのみち実家には帰る気にはなれなかった。それでも物のような扱いを受けて面白い訳はない。 ふてくされている十代を気の毒そうに見ていたヨハンが、ふと思い出した様子で、「そう言えば、俺に何の用事だったんですか?」とアナシスに尋ねた。 「大事な話があると聞いたんです。いやぁ、まさかうちの専攻が取り潰されるとかって話じゃないことを祈りたいけど」 「おう。話というのはだな、ヨハン・アンデルセン。お前はこの俺の息子十代と、」 「……まだ言うか」 「十代と同等の力を持ったライバルデュエリストだと聞く。I2社のペガサス会長にも世界屈指のデュエリストと認められ、美しい宝玉獣のカードを使う。当人の見た目も良い感じだなァ。話題性は十代と良い勝負だっちゅーの。な、金に糸目は付けん。ウチの十代と共に、このアトランティス校の象徴に――」 「ああああもう、いい加減にしろぉおお!!」 そこで十代の忍耐が、ぷつんと途切れた。瞳をちぐはぐの色に輝かせ、実体化したハネクリボーを思いっきりアナシスの頭に投げ付ける。そしてヨハンの腕を乱暴に掴んで、引き摺るようにして理事長室を後にした。廊下を大股で歩いていく十代達の背中から、アナシスの声が追い掛けてくる。 「――ヨハンの説得は頼んだっちゅーの、十代〜!!」 「…………」 「お前が自分の事で怒ってるとこなんか、久し振りに見た気がする」 眉間に皺を寄せている十代を見て、ヨハンは苦笑いだ。十代は勢い良く振り返ってヨハンを睨み付け、「笑い事かよ」と文句を言おうとした――ところで、足元の階段の段差につんのめり、体勢を崩してしまう。 「……うわ!」 「危ない、十代!」 慌てて腕を伸ばして十代を抱き止めたヨハンは、 「……あれ?」 ……一瞬後、ひどく不可解そうな顔つきになった。 ヨハンは、自分の手のひらに当たる感触が信じられないふうだった。彼は注意深く十代の身体、右胸に触れている手を何度か蠢かせた。その触り方がひどくくすぐったくて、十代は「ひゃ」と小さく声を漏らしてしまう。 「……十代、お前……胸? なんで胸が、しかも結構ある? あれ、でも左の方はぺたんこだけど」 ヨハンは混乱しているようだった。彼は男であるはずの十代の身体の半分が、まるで女のように柔らかな曲線で構成されていることに困惑しているのだ。 ――その直後、ヨハンの顎に十代の拳がめり込んだ。 『どいつもこいつも……ボクの十代を一体何だと思ってるんだっ! 気安くベタベタ触りやがって!!』 勿論十代の意志ではない。十代と魂を共有している精霊ユベルの仕業だ。ユベルはヨハンが十代の身体を無遠慮に撫で回していた事が余程気に食わなかったらしい。 ヨハンは殴られた顎を押さえながら、十代に取り憑いている半透明のユベルの姿を見上げ、「ああ、なんとなく分かった気がする」と言った。 ユベルは男性でありながら女性でもある。 |