十代へ

 台風が来たよ!
 空は昼間から夜みたいに真っ暗で、まるで島全体が大きなホースで水を掛けられているみたいにぐしょ濡れだ。ひどい風で、ここから見える森も海も、食中毒を起こした海蛇みたいにくねくね転げ回っている。
 上手くは説明できないけど、端末から聞こえてくる台風情報を聞いていると、胸の奥からじわじわとワクワクが込み上げてくるんだ。なんでかな。何かが起こりそうな予感がする。
 でもワクワクと同じくらい、心配でソワソワしてる。僕らのおんぼろ幽霊寮が、オズの魔法使いに出てくるカンザスのドロシーの家みたいに、根こそぎぶっ飛ばされちゃうんじゃないかって気が気じゃない。そうならないように祈るよ。
 さっきイエロー寮では飛ばされてきた石が窓ガラスを割ったって大騒ぎしていたんだけど、うちの寮の窓なんてはじめから割れているものな。君が暮らしてた時から割れてた?
 森の中の幹の太い木々も沢山倒れている。でも雑草は折れない。硬くてどっしりしているものよりも、柔らかくてしなやかな方がしぶといんだ。何か暗示的だね。……これは僕が言ってたんじゃないけど。難しいことを言い出すのはいつだって大体大徳寺先生なんだ。

 雨漏りがひどい。床が水浸しだ。日記も水を吸って紙がしおしおになっている。
 さっきから顔を雨粒が叩いてる。今夜は安眠はできなさそうだ。
 まあいいや、おやすみ。


(追記)
 崖のそばに建ってるおんぼろ寮は色々危ないから、校舎の中に避難することになったよ。新しいけどおんぼろってことにはうちと変わりない現役レッド寮の生徒達も一緒だ。
 皆にシーツと水を配ったり、夜食のおにぎりを作るのを手伝ったりしたよ。誰かの役に立てるのってすごくワクワクする。こんなに沢山の人にありがとうって言われたのは初めてだ。
 デュエル場で雑魚寝をしている顔ぶれの中にはツトムもいた。故郷のパパとママにメールを書いていたらしい。僕が近寄ると覗くなって怒られたけど、手紙を送る家族がいるっていいな。
 今日は夜遅くまで友達と話をした。外で風がごうごう唸っている中でやる怪談は格別なんだって。デュエル・アカデミアには七つの不思議な話があって、全部知ってしまったら真っ暗な闇の世界へ連れてかれちゃうんだそうだ。
 今日僕が聞いた話は四つ。『王家の墓の守人』、『廃寮の闇のゲーム』、『デュエルをする猿』、『イエロー寮のカレーを作る幽霊』。十代はいくつ知ってる?

 そうそう、海が荒れているから、今週末に予定されてた卒業生の同窓会が延期されたそうだよ。早く有名人を一目見たくてうずうずしていた生徒達はがっかりしていたけど(僕もね)、船も飛行機も島に寄り付けないんじゃしょうがない。
 でもさっき、港に真っ黒の大きな船みたいなものが泊まってたのを見たって、誰かが言っていたよ。船がこの大嵐の中をやってくる訳はないし、鯨がデュエルをやりたくて島を覗いていたのかな。

 そう言えば大徳寺先生はどこへ行ったんだろう。姿が見えない。ファラオもだ。
 外に出て風に飛ばされていなければいいけど。

 オカッパ頭の先生がもう消灯時間だって言ってる。眠らなきゃ。
 今度こそおやすみ、ばいばい、また明日。

◆◇◆

 しばらく居座った台風が島を過ぎ去ると、気温は急激に下降した。秋は遠い地へ向けて旅立つ準備を始め、冬の訪れが近い事を告げている。森は赤く色付き、大気が深みを増し、太陽の光はうっすらと透明に透き通りはじめる。
 僕は早朝の冷え込みに身震いをして、両肘を手のひらで暖めた。着の身着のままで、追い立てられるように生まれ育った街を飛び出した僕の手持ちは、薄手の青い半袖シャツと、裾のほつけた黒いズボンだけだった。ここへ来てからも大事に大事に着ていたのだが、これだけでは少し心許無くなってきた。
 出掛けしなの僕の様子を見かねたらしい大徳寺先生が、「それじゃ風邪を引いてしまうにゃあ」と言う。
「おチビさん、購買へ行くならトメさんに相談してみるにゃ。確かいらなくなった制服やらユニフォームやらが、倉庫にいくらか余っていたはずにゃ」
「うん、そうするよ。それにしても昨日まではすごく暖かかったのになぁ」
「季節の移ろいは一瞬ですにゃ。変化とはそういうものにゃ」
 先生はいつものようににこにこしながら、僕に向かって「頑張るのにゃ〜」と手を振ってくれた。

 まだシャッターが閉まったままの購買に顔を出すと、トメさんがまず僕の格好を見咎めた。
「アンタ、そんな薄着じゃ風邪引いちまうよ。最近は朝晩冷え込むんだからね」
「大徳寺先生がトメさんに相談しろって。余っている上着かなにかないかな」
「それなら、卒業生が残して行った制服が何着かあるよ」
 そう言って、トメさんがロッカーから引っ張り出してきた青いコートを、僕の頭から被せた。
「これなんかが似合うんじゃないかねぇ」
 僕は微妙な顔をしていたと思う。この青いコートは、アカデミアの中でも成績優秀なブルー寮の生徒だけが着ることを許されている制服なのだ。生徒でもない僕が着ているところを見つかると大変なことになる。お説教を食らって、何度か小突かれてしまうかもしれない。
「大丈夫だよ。そんな細かい事、誰も何も言いやしないよ」
「でもデュエリストと間違われたら困るよ。僕はデュエルができないから」
「良く似合っているんだけどねぇ。じゃ、これなんかどうだい?」
 次にトメさんが渡してくれたのは、灰がかった白色のカーディガンだった。少しサイズが大きく、黴臭いにおいがしたが、それは特に気にはならなかった。
「誰かの忘れ物だよ。多分私物だと思うんだけど、もう長い事ロッカーに入ってるから、元の持ち主の子もとっくに卒業しちゃってるだろうし、もらっといても良いと思うよ」
「ありがとう。あったかいよ。これ本当に僕が着ていてもいいの?」
 トメさんが「いいよいいよ」と頷く。裾の部分がヒラヒラしてて、ちょっと女の子の服みたいだったけど、寒さをしのげるなら贅沢は言わない。ありがたく貰っておくことにした。


 今日は学園祭だ。昨晩から島のあちこちで、生徒も先生も一緒になって夜通し賑やかにやっていたと思ったら、ほんの一晩でデュエル・アカデミアはまるでお祭会場みたいに変貌していた。
 今日の購買の営業は朝だけだ。朝食を食いっぱぐれた徹夜組がいなくなると、昼には畳んでしまう。ブルーとイエローが屋台や喫茶店を出していたから、僕らもお昼はそこへ食べに行く。トメさんが「アンタも遊んでおいで」と背中を叩いてくれた。
「あたしゃこれから毎年恒例の大事な用があるからね」


 良く購買に顔を見せてくれるオベリスク・ブルーのマリカという女の子が、僕を見付けるなりカーディガンの袖を掴んでブルー寮へ引っ張っていく。彼女が言うには、今年のブルー寮は例年とは少々趣向を変えて、メイドカフェというものをやっているそうだ。
 ほとんど押し込まれるようにして喫茶店に入ると、金の刺繍が入った布張りの椅子に座らされ、紺色のメイド服姿の女子生徒達に周りを取り囲まれて、『いらっしゃいませぇ〜』と声を揃えて歓迎を受けた。
「キャ〜!! 来てくれたのユウキくんっ、ゆっくりしていってね!」
「や〜ん、このカーディガンカワイイ〜。ユウキくんはもっとカワイイけどぉ〜。すごくフリルが似合うよねー」
「相変わらずうっとりしちゃうくらいキレイな顔ね〜。こんなの見てるとお化粧したくなっちゃうー。メイド服の予備もあるんだけど。ね、学園祭終わったらブルー寮においでぇ〜」
「えっと、あの……」
「ちょっとお、アンタ達、ユウキくんが困ってるじゃないの。でも困ってるユウキくんもすごくイイ〜☆」
 購買の手伝いをしている際にも、女子には何かと弄り回されることが多いので、僕は何となく身構えてしまった。愛想笑いのようなものを作ってみたけれど、顔は引き攣っていたかもしれない。
「……なんスかあれ。あそこでハーレム作ってるあれ。超気に入らない。髪の色がまず気に食わない」
 ふとおどろおどろしい、もったりとした視線を感じて顔を上げると、水色の髪の男の人が僕のことを呪い殺しそうな目で睨んでいた。見た感じではまだ中学生のようだったが、きちんとスーツを着込んでいるところを見ると、嘘みたいだが卒業生のようだ。
「丸藤先輩、落ち付くドン。あいつ怯えてるザウルス」
「止めるな剣山! ボクはアカデミア三年生に上がった頃から、どうしてかエメラルド色のものを見ると握り潰したくなる衝動にかられるんだ……あれ? あいつかと思ったら違う人だ。まだ青二才っぽいし、ムキムキじゃない。目もきらめいてない。死んだ魚のようだよ」
「他人にしちゃそっくりすぎるザウルス。フリルだし。弟とかだドン?」
「彼はハーフだねぇ〜。最近の人気は、中性的なキレイくんのようだね。ボクもうかうかしてらんないなぁ〜」
『きゃあああっ、吹雪さまぁ〜!!!!』
 喫茶店の一郭がにわかに沸いた。とても賑やかだ。お仕着せみたいなスーツに、『アイラブ・ダイナソー』と書かれたジャケット姿、この寒いのになんでかアロハシャツ。すごくちぐはくな集団が僕の斜め向かいの席に着いている。
 皆の視線は彼らに釘付けだ。それもどうもイロモノを見る目じゃない。尊敬と憧れと好奇心を混ぜこぜにした熱っぽいものだ。
 隣にいるマリカに「あの人達は誰?」と聞くと、彼女は誇らしげに「アカデミアの卒業生よ。学園祭に合わせて島にやってきたみたい」と教えてくれた。
「ねぇ、ところであとで私、お姉さんにユウキくんのことを紹介したいんだけどぉ〜」
「うえぇっ?」
 僕は目を丸くして、反射的に身を引いてしまった。さっきの水色の髪の男の人が、訝しげに腕を組んで首を傾げている。
「あれ。女の子に迫られた時の、あの男としてなってない反応……すっごい既視感」
「丸藤先輩、そろそろ時間だドン?」
「え? ああ、うん、そうだね。アニキどこかなぁ〜」
 午後一時を少し回った頃、卒業生三人組は揃って喫茶店を出て行った。それと入れ違うようにして、ツトムが落ち付きのない様子で、きょろきょろしながらやってくる。
「ええと……あ、いた。ユウキ!」
 メイドカフェに興味があるのかと思えば、どうやら僕のことを探していたらしい。僕は彼に手を振って、女の子たちに「ごめん、行くよ」と言い置いて店を出た。女の子達は骨を取り上げられた犬みたいなとても残念そうな顔をしていたけど、『あとでお化粧』や『予備のメイド服』から解放された僕としては一安心と言ったところだ。ほっとした。
「ありがとう、ツトム。助かった。何か僕に用?」
「用と言うか、卒業生が旧レッド寮を見に行くって言ってたのを聞いたんだ。昔は集合場所みたいになってたんだって。それで君がいてくれると心強いと思って、みんな探してた。なにせ君はあそこに今住んでる訳だから、近寄っても摘み出されないだろ。すごく近くで有名人を見られるかもしれない」
 僕は口実のようなものらしい。


(見ろよあれ、本物の丸藤兄弟だぜ!)
(亮サマがイケメンすぎるぅ〜。こっち向いてくんないかなぁ)
(丸藤翔って、あの『ボクとアニキ』描いてた大手同人作家か? 俺あれ読んで一晩泣いた。アニキが健気すぎた)
(『ドージン』ってなんだ?)
(今度貸してやるから読め! 涙腺ぶっ壊れるぞ)
(あ、プロ・デュエリストのエド・フェニックスだ。おジャ万丈目もいるね。今日は着ぐるみ着てないのかー)
(いやに残念そうだね、ユウキ。あれ、遊城十代が来てないなー)
(十代さん来ないのかなー……俺今度十代さんが島に来たら、絶対デュエル申し込むんだって決めてたのに)
 僕の部屋にはびっちりとアカデミア生が詰まっていた。レッド寮生にブルーの女子もいる。窓や壁の隙間から、外で楽しそうに歓談する卒業生達を覗いている様子は、どう見ても怪しかったけれど、彼らの気持ちも良く分かる。僕も間近で有名人を見るなんてことは初めてだったから(あの十代がこんなに人気者だとは知らなかったけど)、とてもワクワクしていた。
 だけど「十代が来てない」と不満そうに言っている生徒達の声を聞くと、少し苛々した気分になる――来られる訳がないじゃないか。
 卒業生達は熱っぽい視線で見つめられていることも知らずに笑い声を上げている。すごく仲が良さそうだ。彼らはいつもこんなふうに十代とも話をしていたんだろうか?

◆◇◆

「あいつの姿が見えないわね」
 明日香が腕を組んで言う。翔が首を傾げ、「ついこの間見たけど」と言う。
「リーグを見にきたよね、お兄さん。ボクと目が合うと、笑いながら手を振ってくれた。毎日沢山いろんなことがあっていっぱいいっぱいだけど、それでボクなんだか安心しちゃった。ああボクはちゃんとアニキに笑い掛けてもらえてる、成長してる、大丈夫なんだあって。アニキはいつもそういうとこがある」
「お前の贔屓目だ、それは。ヤツ絡みで『いい話』などあるか。先週うちに押しかけてきて、無断で冷蔵庫の中を漁った挙句、詫びと称して勝手に洗濯機を回して行ったんだが……あいつオレが大事に着てたセーターを、ペットボトルサイズにまで思いっきり縮めて帰りやがった! しかもオレに向かって『お前オレの中の不潔な奴ランキングでけっこう高いとこにいるぞ。ちゃんと服を洗えよ』だとか無礼なことをほざきやがって、ふざけるな! 服はともかくオレは毎日風呂に入っている! それに、どうせなら何故優勝者と言わん!」
 万丈目が拳を振り上げて怒っている。
「そんなんで一位取ってほんとに嬉しいドン?」
「『やるからには何でも一番』が万丈目くんの目標だからね。今まで一度もアニキに勝てたことないけど」
 剣山と翔が冷静な顔で突っ込み、万丈目に「そこ、うるさい!」と怒鳴られている。その万丈目に、訝しそうな顔をしてエドが言う。
「洗濯? お前も付き人がいるだろうに」
「オレは子供みたいな扱いは好かん。自分のことは自分でやる」
「まあ僕の知ったことではないがな、おジャ万丈目。何だあの無様な醜い着ぐるみは。お前まだ懲りてないのか」
「しょうがないだろう!」
 万丈目が怒りで顔を真っ赤にして怒鳴り声を上げる。横から翔がすかさずフォローを入れた。
「あのカッコで出て来ないと、子供が『おジャ万丈目が出てこないなんてやだぁ〜!』って泣くらしいっス。だから万丈目くんも仕方なく……」
「何だかんだ言って、万丈目先輩もあの着ぐるみ気に入ってるドン」
「うるさい! うるさい!! うるさい!!!!」
「みんな……みんな立派になったノーネ! 先生は嬉しいノーネ!」
「泣かないでよ先生……先月も先々月も会ったじゃない」
「確かに、デュエル関係の仕事に就くと、アカデミアを訪れることは多いわね」
 生徒を抱き締めて泣き出すクロノスを翔がなだめ、明日香が苦笑している。
「留学生組もいまだにしょっちゅう来るらしいよ。購買でドローパン纏め買いしてくんだって。ヨハン先輩とか、オブライエン先輩、ジム先輩も。セイコさんが言ってた」
「あちゃー。彼らもドローパン中毒患者に。罪深いパンだねぇ」
 レイが立てた指をくるくると回して言うと、吹雪がぴしゃっと額を叩いてわざと悲壮な顔を作る。
「しかし賑やかな集まりにあいつがいないと、変な感じだな」
「エドが同窓会に顔出すなんて珍しいドン。アニキに会いに来たザウルス?」
「当たり前だ。友達に会いに来て何が悪い。……あいつは台風の目みたいなものだ。一人真中ですがすがしいくらいのマイペースで、いつも周りを暴風域に巻き込んでしまう。振り回されるこっちはたまったもんじゃないが、いないと何かが欠けている気分だよ。卒業してからあまり見ていないんだ。斎王とは会っているらしいんだが……」
「え、なんかすごい怪奇コンビだね」
「影丸理事長と藤原も一緒だ。たまに四人で集まって茶を飲んでいるらしい」
「それなんてラスボス会議? 今度は世界征服でも企んでるの?」
 翔が青ざめた。エドが頭を振って、「まあここへ来たのは、それが心配だって理由もある」と言った。
「あいつらは思い詰めると宇宙規模で色々と大変そうだからな。ほっとけない」
「確かに……世界を滅ぼし掛けたり、人類を根絶やしにしたり、異世界で大量虐殺の末に天下統一したりって前科があるから、奴らなら大丈夫だとフォローしてやれないのが何とも言えないな」
「あれ、君誰? アカデミアの教師の人? お疲れ様です」
「三沢だ! お前らの同窓生だっ!!」
 翔に文句を言っている三沢をよそに、明日香がレッド寮前の人が一人ようやく通れる程の小道に目をやり、ふと話を切り出した。
「……そう言えば、大徳寺先生が。亡くなった大徳寺先生の親戚の方が、アカデミアへやって来たの。それが、そっくりにも程があって。今は……どこへ行ったのかしらね? たまにいなくなるのよ。どこかへふらっと消えてしまうの」
「挙動不審なところも似ているのか」
 万丈目が不審そうな目つきで鼻を鳴らした。明日香が頷く。
「その大徳寺先生が……ややこしいけれど、今この学園にいる大徳寺先生の方ね。預かっている子がいるんだけど、その子がまたあの留学生の『彼』にそっくりなの。なんだか頭が混乱してしまうことが多いわ」
 そう言いながら、明日香は顔を上げた。そして今や廃寮となってしまった、生徒は誰も住まないオシリス・レッド寮の錆びた階段に足を掛ける。

◆◇◆

(まずい、こっちに来た! 気付かれた!?)
 部屋の中は騒然となった。(隠れろ、隠れろ!)と誰かが小声で叫んだ。今まで覗きをやっていた生徒達は、揃って柱の陰やベッドの下に頭を突っ込んだ。しかし元々何もない室内には、隠れる場所なんて上等なものはない。
 靴の踵が廊下を叩く音が、コツコツと響き、どんどん近付いてくる。
 そしてついに、大きな音を立てて扉が開いた。僕らは驚き、うろたえ、思わず飛びあがりそうになる。開いた扉の前には腕組みをした明日香先生が立っていた。相変わらず綺麗な顔で、すごい迫力だ。
「出てきなさい。あなたたち、ここで何をやっているの?」
 皆の返事は、気持ちがいいくらいにぴったり揃っていた。僕を指差して唱和する。
『ユウキくんの部屋に遊びに来ていました!!』
「……え、あ」
 僕は混乱して、陸に打ち上げられた魚みたいに口をぱくぱくさせた。何を言えば良いのか分からない。そもそもここは僕の部屋で、ちょっと話が『聞こえちゃった』だけなのだ。そういうことにしておけばいいのに、でもつい「ごめんなさい」と謝ってしまった。後ろめたかったせいだと思う。
「……問題児を持つクロノス先生の気持ちを理解したわ。ごめんね、ユウキくん」
「おおっ、これが明日香が初めて受け持つ生徒達か〜」
「天上院君の生徒……なんて羨ましい……」
 明日香先生の後ろから、先生のお兄さん(らしい)と、プロデュエリストの万丈目が顔を出す。明日香先生は参観日の子供みたいな顔になって、微妙に恥ずかしそうにしながら彼らを押し退けた。
『あらん? ねぇアンちゃん、この子アイツに似てない?』
『おう、そっくりだゼー。オレに良く似た緑色のイケメンのアイツだろー』
『何て名前だったかなー思い出せない。フ、フリスク、フリードリッヒ、……あ、フリル?』
 万丈目の頭の上に、手のひらに乗りそうなサイズの、小さな精霊達が三体現れる。黄色と緑、黒色、お世辞にも可愛いとは言えない顔つきのおジャマトリオだ。
 僕は、ぱっと身を乗り出して叫んだ。声がちょっと上擦っているのが自分でも分かった。
「うわあ……本物のおジャマトリオだ!」
「……ユウキ、どこ見て喋ってるの?」
 ツトムが訝しげに言う。彼には精霊が見えていないようだ。でも万丈目は違う。一瞬ちょっと驚いたような顔になり、「お前も精霊が見えるのか」と言った。やっぱり『おジャ万丈目』というだけはある。彼は普通の人とは違うのだ。
『ねえねえ、アニキ、そっくりでしょお?』
『でしょ、でしょー!』
「ああもう、うるさい屑ども! オレの知ったことか!」
 万丈目がばたばたと腕を振り、おジャマ達を散らかしてしまった。そして僕の方を見て、「ああ」と納得が言ったように頷く。多分僕は、見て分かるくらいに、すごく物欲しそうな顔をしていたんだろう。
「いいぞ。プロのオレがサインをしてやらんでもない」
「本当!? ありがとうおジャ万丈目!」
「さん、だ!」
 僕をはじめとして、覗きをやっていた生徒達も、まるでお菓子に群がる蟻みたいに万丈目を取り囲んだ。万丈目は慣れた様子でポケットからCDを取り出し、油性のマジックペンでさらさらとサインをする。
「ほら、くれてやろう」
 そして尊大な態度で僕にCDを突き付けた。ミリオンセラーの『おジャ万丈目のうた』、彼のテーマソングCDだ。僕は彼の大ファンで、毎週テレビを見ながらこの歌を唄う。
「ありがとう、おジャ万丈目! 僕これからも応援してる! 頑張ってね!」
「おジャ万丈目、サイコ〜! キミのハートにおっジャマおジャまんじょうめ〜♪ ボクもサインちょうだい!」
「エド様ー! サインくださーい!」
「ああん亮サマぁ!!」
「翔さん、『ボクとアニキ』読みましたっ! 良かったらスケブ描いてくださいっ!」
 ぱちんと緊張が途切れてしまうと、辺りは息を殺していたさっきまでとは一転して、ものすごい騒ぎになった。僕は大好きなおジャ万丈目のサイン入りCDが貰えて、飛び上がって喜んでいたけど、ツトムは大人びた顔で「遊城十代の方が強いもん」とか言っている。どうやらツトムは十代一筋らしい。
「おジャ万丈目は学園代表の遊城十代にぶっとばされてたんだろう?」
「そうなの? でもきっとそれ、おジャ万丈目が本気じゃなかったんだよ! 本気でやると優しくてかよわい十代が泣いちゃいそうだったから、手加減してやってたんだ。おジャ万丈目は本当は『アームド万丈目ブラックサンダー』なんだ。超強いんだよー」
「ユウキは趣味が子供っぽいよ。遊城十代のことを何にも分かってない。もう、後で僕の部屋においでよ。とっておきの十代戦のDVDを見せてやる!」
「それは嬉しいけどさぁ……」
 僕にはツトムが言う『強くて格好良い闘う十代』というのが良く分からない。万丈目は興奮している僕を見て気を良くしたようで、「ふん、お前はガキながら分かっているようだな」と言った。
『クリクリ〜!』
 そこにハネクリボーが出てきて、僕と万丈目に何やら言いたげな目を向けてじたばたしている。相変わらずクリボー語が理解できない僕には何を言っているのか分からないが、仕草と顔つきから文句を言っているんだろうなというのは読めた。十代が万丈目より弱いと言われているのが我慢ならない様子だ。
 ともかく僕は大慌てだ。大徳寺先生の言い付けを破る訳にはいかない。すぐにハネクリボーを引っ掴み、胸から下げているカードの中にぐいぐいと押し込んだ。
 でも万丈目にはばっちり見られていた。無かったことにはできない。
「それは……何故お前がそのカードを持っている!」
 今まで大騒ぎしていた皆はぴたっと静かになり、僕らに目を向けた。万丈目が僕のシャツの襟を掴んで怒鳴った。
「お前が持ってるそのハネクリボーのカードは、世界に一枚きりしかない、あの武藤遊戯に遊城十代が貰ったという、十代のバカが相棒と呼んでいるカードだ。他人に譲るとは思えない!」
 万丈目を押し退けて、明日香先生が僕の肩に手を置いてしゃがみこみ、じっと僕の目を見つめてくる。彼女の瞳の中には、すごく居心地の悪そうな顔をした僕が写り込んでいた。
「ハネクリボーは十代のラッキーカードだわ。彼がデッキに入れない訳がない。それをどうしたの?」
「……もらったんだ。十代に、お守りだって」
「もらった? 変ね。あなたはデュエルをしないと聞いたわ」
「しないけど、もらったんだ。ハネクリボーが僕を守ってくれるって言ってた。……悪いけど、この話はしたくないんだ」
 ずっしりと重みを増した空気に耐えられなくなって、僕は明日香先生の手を振り解いて、すぐに部屋を飛び出した。
 あとは逃げるように駆け出した。


 ――十代、十代。この学園は僕の知らない十代の記憶で埋め尽くされていて、僕には少し息苦しい。あの人の過去の幻がまるで影法師のように僕の足元に張り付いてくるようだ。
 ここには僕の居場所はないんだと、僕は思った。
 この島には過去しかない。未来なんかない。
 どんなに会いたくなっても会えない。もう十代はどこにもいない。



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