「なんだあいつ?」 万丈目が、逃げるように走り去ったエメラルド色の髪の少年が消えた方角を見つめて首を傾げている。明日香が「あの子よ」と説明した。 「大徳寺先生が連れて来た子よ。ユウキくん。いつも購買の手伝いをしているわ」 「ほんとにあいつにそっくりッスね」 翔は腑に落ちないと言った顔だ。万丈目がさっと表情を厳しいものに変えて、拳を握り締めた。 「――これは事件だ! あのガキは『遊城十代・湯けむりトレイン密室殺人事件』の関係者に違いな」 「万丈目くん? 縁起でもないこと言わないで」 余計なことを言った万丈目の額に、明日香の痛烈なデコピンが食らわされる。訳も分からず事態を見守っている彼女の生徒達が、『明日香先生超つえぇ』と呟く。 「なんでユウキが十代さんのハネクリボーを持ってるんだよ? 羨ましい」 「な、デュエルやらないのにな。オレも欲しい」 アカデミア生達も訳が分からないといった様子で、顔を見合わせている。 「ふん。奴は、誰も好き好んで住もうとは考えないだろう旧レッド寮で生活をしている。しかも十代のハネクリボーを所持している――結論はひとつだ」 明日香に殴り倒されることには慣れた様子の万丈目が、すぐに立ち直り、額を擦りながら悟った様子で頷いている。その場にいる者達は、何かに気付いたらしい万丈目を注視し、声を合わせた。 『それは?』 「うむ。あのガキ、オレのファンでありつつ、実は熱烈な遊城十代のファンでもあったのだ。しかしあの頭の弱い十代に憧れていることに、無理もないが恥ずかしさを感じ、普段は全く興味ないふりをしているのだろう」 「世界に一枚しか無いハネクリボーのカードのことはどう説明するんスか?」 「だらしない十代が落っことしたのを偶然拾ったんだ」 万丈目が自信たっぷりに言いきった。 ◆◇◆ 屋上のへりに座り込んで、足をふらふら揺らしながら、遠くの黒い海を眺めていると、ファラオを抱いた大徳寺先生が後ろからやってきた。僕の様子を見に来たらしい。 いつでも気の抜けた笑顔を浮かべていて、あまり要領が良くないくせ、先生はいつも何でも分かっているのだ。知らないはずのことを知っているし、人の考えていることを鋭く悟ってしまう。そのせいで時々僕は、先生がまるで何十年も何百年もの長い歳月を一人で生きてきた老人のように見えることがある。 「……先生。怒りにきたの?」 「ん? やっぱり君と十代くんは、どこか深い所で繋がっている部分があるようにゃ。彼も、いいことでも悪いことでも、何かあると良くここへ来てましたにゃあ」 先生が僕の横に、「よいしょ」と年寄り臭い掛け声を掛けて腰を下ろした。 僕は、僕を心配するように覗き込んできているハネクリボーを見上げ、「お前のせいじゃないよ」と言ってやった。ハネクリボーは、どうも僕がしょげているのを自分のせいだと思っているらしかったからだ。でもそうじゃない。 「どうりでハネクリボーが、友達を待ってるみたいな顔をしてるはずだよ。あの人のお気に入りの場所だったんだね。……十代は友達に愛されていたんだね。良かった」 僕は自分の身体が小刻みに震えていることに気付いた。言うつもりのなかった言葉が、自然に口から零れてきた。まるで無数の小さな鉛の玉を吐き出しているみたいに苦しかった。 「……でも、死んじゃった」 『それ』を、僕と先生とが共有する秘密を口にした時、僕の声はまるで昏い海底から響いてくるかのようだった。冷たく、重く、救いがない。 「どれだけ愛されても、どれだけ楽しい思い出を持っていても、もう十代は面白い話を聞いて笑うこともできない。久しぶりに会った友達の手を握って、最近元気にしてるかとか、前に会った時とはどこがどう変わったとか、そういうことも言えない。感じられない」 僕は緩慢に顔を上げた。先生は思った通り、眉毛を下げて困った顔をしていた。 大徳寺先生のことは大好きだけど、僕にはどうして先生が怒ってくれないのかが分からない。十代がいなくなったことを悲しんでくれないのかが分からない。 「ねえ先生、あの人達も十代の友達なら、僕と同じ感じ方をするんじゃないかな?」 「――見たものだけが全てじゃない場合もあるにゃ」 僕はついに我慢出来なくなって、今まで必死に身体の内側に押し込めていたものをぶちまけるように、大声で叫んだ。 「全てじゃなくたって、あいつがやったんだ!!」 ――それは一月前のことだ。 あの海の底の白い街の、真っ黒な奇妙な扉の隙間から、僅かに覗いた光景だ。僕が見たあの日の記憶の断片だ。 相変わらず『彼』の部屋は柔らかい闇に包まれている。その中で、ライトを浴びた深海魚の鱗みたいに、白いコートの裾がひるがえる。 室内には見たことがない男の姿がある。 そいつの右手にはポケット・ナイフが握られていた。銀色のぎらっと光る刀身は、背中から『彼』の左胸に吸い込まれるように食い込んでいた。 『彼』は心臓を壊されて、おそらく一瞬で絶命していたはずだ。悲鳴も上げないまま、棒倒しゲームの乾いた木の枝みたいに、重さも何も感じられないくらい軽やかに、身体がぐらっと傾いていく。 「……胸を突き刺されて、血が、沢山吹き出したんだ。まるでシャワーみたいに。流れ落ちると、血はあんなに熱かったのに、身体は氷みたいに冷たくなった。……そして動かなくなった。もう二度と目を覚まさない。――あんなに優しかったのに、なんであの人は殺されなきゃならなかったんだ。十代が何をした?」 僕の声は呪詛のようになっていた。大好きな人を失う悲しみ、苦痛、そして僕から十代を奪った男への憎悪、恨み。十代が死んでしまった日から、僕の中にはそんなふうに黒くてもやもやとした感情の塊が渦を巻いている。 どれだけ綺麗なものを見ても、楽しいことがあっても、それはいつも僕の足元にある影のように、ぴたっと僕の心に張り付いているのだ。 「僕は十代を傷付けて命を奪ったあの男に、同じだけの痛みと苦しみを与えてやるんだ。絶対許さない。あいつが、十代を殺したんだ!」 僕はきっとひどい顔をしていたと思う。僕をじっと見つめている大徳寺先生は、相変わらず途方に暮れたような表情だった。 その時、僕らの後ろから、呆気に取られたような声が聞こえてきた。 「……それは、一体どういうこと?」 明日香先生だった。僕を追い掛けてきたようだ。いつもは意志の強い目が、今は焦点が曖昧になり、ぼんやりとぼやけている。 先生の友人達も一緒だった。余程驚いたらしく、誰も何も言わない。呆然としている。 話を聞かれていたらしい。僕はぞっとした。背中が泡立つような感覚があった。このことは、僕と大徳寺先生の重大な秘密だったのだ。きまりが悪くて先生を見上げると、『あーあ』というような顔をしている。 「十代が死んでしまった?」 空っぽの声で、明日香先生が呟いた。その声を聞いて正気に戻った万丈目が、「おいチビ、話を聞かせろ!」と怒鳴り声を上げる。 そこに明日香先生の端末から着信音が鳴り響く。 先生がはっとして回線を開くと、端末から落ち付いた男性の声が聞こえてきた。 『明日香先生、至急校長室まで来て欲しい。皆もいるならちょうど良い。大変なんだ』 「校長先生? 一体どうしたんです?」 明日香先生が厳しい表情で尋ねると、鮫島校長が、さっきの大徳寺先生と似たような途方に暮れた顔で言う。 『現在この島のどこかに、二枚の三幻魔のカードを持った者が入り込んでいるようなんだよ』 「――ああ、遊城十代君のことだろう。私も随分動揺してしまって、連絡は入っていたんだが、君達にはその、なかなか言い出せなくてね。すまないと思っているよ。ただ、彼は殺された訳じゃない。自殺だと聞いている」 鮫島校長はそう言って、厳しい顔つきの明日香先生に向かって頷いてみせた。 僕は「あなたには聞きたい事があるの」と明日香先生に引っ張って来られていたのだが、それを聞いて目の前が真っ暗になるような気がした。だけれど、僕がそんな訳がないと声を上げる前に、万丈目がほとんど食って掛かるようにして、校長室の机を両手で思いっきり叩いた。ばん、と大きな音がした。 「そんなことがあるハズがない! あの殺したって死なない十代が! どうやったら自殺なんて殊勝なことを仕出かすっていうんだ! バナナの皮を踏んで滑って頭を強打したとか、道に迷って餓死したとかなら分かるが! ――どこの誰だ、そんな馬鹿なことを言い出した奴は!? 死因は? 証拠は! 根拠は!!」 僕は心の中で、そうだおジャ万丈目、もっと言ってやってくれと喝采を送った。やはり彼は頼りになる。こういう時に『そうですにゃ』と援護をしてくれそうな大徳寺先生は、気がついたらまたいつのまにかいなくなっていた。あの先生は肝心な時に役に立たない。 鮫島校長はたじたじだ。両手を顔の前に突き出して、弱りきった顔で言う。 「私に言われても困る。アトランティス校付属病院のお医者様だよ。ちゃんと正式な書類も出ている」 鮫島校長がそう言うなり、室内左手の壁に掛かったモニタに、『DC』の青いロゴが現れる。校長はほっとしたような顔になり、「ああ、あちらがアトランティス校の方だよ。ちょうど今話していたんだ」と言った。回線が繋がっているらしい。 「お話中に申し訳ない。今ちょうど十代君の友人達が島を訪れていてね。やはり彼らも私と同じく、ひどく衝撃を受けているようなのですよ」 『無理もない。友人の訃報を聞いて穏やかでいられる人間なんていはしませんよ、鮫島校長』 ゆっくりとした喋り方の男の声がした。声質が少し大徳寺先生に似ていたけど、彼のような特徴的な口癖はないようだった。 『遊城十代の死因についてのお話でしょうか? 自殺で間違いはありません。彼は数年前から不治の病に罹っていた。ゆるやかな死が恐ろしかったのでしょう』 「嘘だっ!」 僕は頭にきて、通信用のモニタに両手を叩き付けた。手のひらがじんじんしたけど、構わなかった。 「僕は見たんだ! 十代は殺されたんだ。自殺なんかしない。死にたいなんか、僕は一言も聞いてない!」 『きっと夢でも見ていたんですよ。それよりも先日、我が校で特別展示をやっていた、遊城十代のヒーローデッキが盗まれたんです。そちらの学園にハネクリボーのカードを持った人物がいたとの情報が入ったのですが……心当たりがあれば、鮫島校長、容疑者の拘束をお願いします』 「僕は盗んでなんかいない。ちゃんと十代から預かったんだ。このカードがあれば、いつでも一緒だって!」 『すぐに犯人を引き取りに上がりますので――』 言いたいことだけ言って、通信は切れてしまった。僕がもう一度モニタに拳を叩き付けようとするのを、後ろから明日香先生が手首を掴んで、やんわりと引き止めた。 「……あなたは何もやっていないわ。私はこの学園にいる人間を信じることにしているの。トメさんの人を見る目もね」 明日香先生の声は柔らかかった。僕は、ぐっと目が熱くなってくるのを感じた。奥歯を噛み締めて、泣きたい衝動を我慢する。まだ何も終わっていないし、始まってすらいない。まだ泣いてしまう訳にはいかない。 「アトランティス校の先生だかなんだか知らないけど、ヤな奴ドン。それにしても、デュエル・アカデミアにアトランティスなんて分校あったザウルス?」 「剣山くん、知らないの? デュエル・カレッジ・アトランティス校。何年か前にできた超お金持ち学園だよ。海底学園都市って呼ばれててね、言葉通り海の底にある。ボクらみたいにリーグに出たいプロ志望よりも、研究者を目指す生徒が多いんだ。学園自体がひとつの研究機関として機能してる。ただその分入学条件が厳しくてね、ここみたいに寮の色分けは無いんだけど、その分エリートしか取らないんだ。頭を使うのが苦手なアニキとは、三沢くんと存在感くらい相性が悪いんじゃないかなぁ」 「相性!? 翔、そ、そこまで……」 「まあそんなイヤミな成金学校に進学した人も、ボクらの知り合いに一人いたみたいだけどね。あの一昔前の少女漫画みたいにキラキラした眼差しを持った勘違い王子さ。傲慢なナルシスト野郎にはお似合いだよ。ドームが割れて海の藻屑と成り果てろ」 「丸藤先輩、相変わらずアイツに容赦無いドン……。て、ヨハンは進学組だったドン? なんかテレビで見たような気ィするんザウルス……」 剣山が首を捻っている。彼の疑問は、横から口を出したエドが解いてくれたようだった。 「ヨハン・アンデルセンは、プロデュエリストとして華やかな活躍を見せた。何と言ってもあのペガサス会長のお墨付きだ。スポンサーはどこでも欲しがるさ。が、十戦も戦っていない」 エドは頭を振り、やれやれと溜息を吐いた。 「奴は連戦連勝の記録を更新中、いきなりぱっと消えてしまったんだ。引っ込んだきりそのまま行方不明になった。だが全戦あまりにも鮮やかな戦いぶりだったことから、プロリーグ界では『閃光の王子』などと呼ばれている。誰もが復帰を待ち望んでいる。完膚なきまでに叩きのめされた、こっちの万丈目サンダーと丸藤翔なんかが特にな」 「うるさい! うるさい! オレはちょっと油断しただけだっ!」 「そうッス! あいつだけは生かしておく訳にはいかないっ! 次は絶対大勢の観客の前でボッコボコにした後で跪かせて、『今まで調子に乗って申し訳ありませんでした翔様、もう貴方様の十代にちょっかい出しません』と言わせてやるっ!」 喚いている万丈目と丸藤翔をちらっと見遣り、明日香先生は少し呆れているようだった。 「ヨハンは学生プロよ。うちの……北米カレッジとは卒業時期が違うの。だからまだアトランティス校の研究生でもあるわ。彼は精霊の実体化に興味を持っていたようね。確か精霊学を専攻していたはず。最近研究が進んでいる分野で、以前はその、精霊と話をするなんていうのは、その……」 「……明日香先輩の言いたいこと分かるドン。アニキも万丈目先輩もヨハンも、はたから見てると電波を受信しちゃってるやばい人だったザウルス」 「そ、そこまでは言わないけれどね」 「今はまだ認められていないが、このまま研究が進むと、百年後にはソリッド・ビジョンに代わって本物の精霊を使ってデュエルをやっているのかもしれないな。科学とはそういうものだ。ペガサス会長も乗り気のようだしな」 『へえ~』 皆が三沢というらしい影の薄い男の人の解説に、気の抜けた相槌を打つ。 「……でも、ヨハンもこのことを知ったら悲しむでしょうね。彼は十代とは親友だったわ。二人が並んでると、まるで兄弟みたいに良く似ていた。ところで――」 明日香先生がかつかつとヒールを鳴らして、校長室の入口へ歩いていく。そして腕組みをして一度溜息を吐き、扉の前に、だん! と勢い良く足を置いた。 自動扉が左右に開いていき、僕は廊下で立ち聞きをやっているアカデミア生達が、ものすごくまずいぞって顔をしているのを見た。明日香先生が、「こら、あなたたち!」と彼らを叱責する。これで皆が今日明日香先生に叱られたのは何度目だったろう? 「立ち聞きは良くないわね。どこから聞いていたの?」 「ヨハン! ヨハン・アンデルセンのところですぅ! 明日香先生、私ヨハン王子様のファンなんですっ!」 「同窓会にヨハンも来てるんですか!? あの宝玉獣デッキのヨハンが!」 「見てぇ~!!」 ――どうやら立ち聞きを始めたのは、ほんのちょっと前のことらしい。 僕は、もう明日香先生に叱られることに慣れたのか、まるで悪びれた様子のない生徒達に近付き、「宝玉獣?」と尋ねた。大人達ばかりの中で、僕だけが『ヨハン』を知らない。気になっていたのだ。しかも十代と仲が良かったという。 顔ぶれの中にはブルーのマリカもいた。彼女は僕の鼻先に指を突き付け、「ユウキ君、ヨハン様にそっくりなのよ」と言う。 「ちょっと待ってね、見せてあげる。閃光の王子様のデュエル、私全部端末に入れてあるの」 「うおっ、マジで? さすが追っ掛け。オレも見てぇ~」 「俺も俺も」 どうやらヨハンというデュエリストは、この学園でもかなりの人気者らしい。丸藤翔と万丈目が面白くなさそうな顔でぶすっとしている。プロ同士でも、あまり仲は良くないのかもしれない。 映像データのロードが終了し、録画されたプロ・リーグの実況中継が端末の液晶画面に映し出される。片方は言わずと知れた万丈目サンダー。そして対する相手は、エメラルド色の髪の、背の高い、白いコートの―― 「……きゃあっ!? ちょ、ちょっと、ユウキくんっ! 何すんのよぉ!」 マリカが、大事な端末を彼女の手から叩き落した僕に文句を言おうと、きっと目つきを鋭くした。そして怯えたようにひゅっと息を飲み、一歩後ずさった。 「ユ、ユウキくん? どうしたの?」 僕はひどい顔をしていたのだろう。 まるで心の中が氷の棘で覆い尽くされてしまったような気持ちだった。その中で憎悪と殺意が鋭い音を立てて、大嵐のように吹き荒れているのだ。 その時僕が思い出していたのは、身体の中を巡る血液の、信じられないくらいの熱さだった。 「……こいつだ」 飛び散った血飛沫が僕の頬に斑の模様を描く。 頭の中も身体も煮えたように熱かったが、それよりもずっと、今まで生きていた『あの人』の身体の中を巡っていた血は温かかった。火傷してしまうんじゃあないかってくらいに、熱かったのだ。 ぱりんという音が聞こえた。僕が今しがた新鮮な水を注いだ花瓶が、手から滑り落ち、弾け飛び、僕の大好きなひまわりの花がばさばさと無残に散らばった。 物音に気付いて、『あの人』の胸に刃物を突き立てた白いコートの男が、ふっと振り向く。その顔を見て、僕は息が止まりそうになった。 そいつはあまりに僕に似ていたのだ。エメラルド色の髪、白い肌につんつんと尖った癖っ毛。まるで鏡を見ているみたいだった。 そいつは少し笑ったように見えた。そして血まみれの腕を伸ばして、僅かに開いていた扉を閉ざす。部屋が閉じられしな、僕はそいつの、『見るなよ』という声を聞いた。 「こいつが、十代を殺したんだ。僕の目の前で!」 僕は、憎しみを込めて叫んだ。明日香先生は、丸藤翔や万丈目達も、誰もが呆然としている。彼らの顔にはありありと『信じられない!』と書かれていたけど、僕は嘘なんか吐いていない。見間違いでもない。僕は僕自身の目で、ちゃんと見たのだ。 「……誰かヨハンに最近会った? 彼になにか変わった様子は無かったかしら」 「いつも通りだったけど……でも最後に会ったのは、まだあいつがプロデュエリストをやってる時だった。変わった様子は特に無かったけど、言われてみればデュエル中、たまに厳しい表情の時があったかなあ。……けどあいつがアニキを恨んでるなんて、考えられないよ」 「似た者同士が長い間一緒にいると、いつしか自分の影を相手に見て憎しみが沸くようになるとは言うがな。まず本人を探し出して聞かんとしょうがないだろう」 丸藤翔と万丈目が、悪い夢でも見ているような顔で言う。 ――その時、急に外から大きな爆発音が聞こえた。 「な、何だ?」 慌てて窓の外を覗くと、森の一部が煤けて、黒い煙が立ち昇っている。それを見るなり厳しい顔つきの鮫島校長が、「さっき話したろう」と言った。 「現在三幻魔のカードは世界各地に別々に封印され、保管されているんだ。ちょっと前にアトランティス校の『降雷皇ハモン』が行方不明になったと聞いたんだが、先日『神炎皇ウリア』も何者かに奪われた。そして今、この学園に保管されている『幻魔皇ラビエル』が狙われているという訳だ」 「じゃあ今の爆発は、その三幻魔のカードを奪った誰かの仕業……?」 「恐らく」 鮫島校長が頷く。 爆発があった森の中へ向かった僕達が、そこで見たものは、 「――けほっ、けほ! いやぁ~、おっかしいですにゃあ、分量は間違ってなかったはずにゃあ~? 失敗してしまったにゃ……」 爆心地で煤だらけで咳込んでいる大徳寺先生だった。 『まあ次はやれるさ』とでも言うように、ファラオが先生の傍で、慰めるように鳴いている。どうやらさっきの爆発は、大徳寺先生がまた何かの怪しげな実験を行っていて、そいつが失敗したことによって引き起こされたらしいのだ。がらくたに変貌した、用途の良く分からない機器の残骸があちこちに転がっている。 まったく人騒がせにも程がある。 「おや? 皆さん揃ってこわ~い顔しちゃって、どうしたのにゃ?」 「大徳寺先生……まぎらわしいことを……」 明日香先生が頭痛でも起こしたみたいに額を押さえている。万丈目と丸藤翔は、僕には良く分からないけれど、『確かにそっくりにも程がある』とうさんくさそうな目つきを大徳寺先生に向けていた。 そんな訳で、結局僕らは空回りしてしまい、ぐったりとした足取りで校舎へ戻ることになった。なんだかひどく疲れてしまった。今日は色々なことがありすぎる。 「皆さんお揃いで、夜回りでもしていますのにゃ~? 先生も混ぜて欲しいのにゃあ」 「あんたはもう黙っててくれ、大徳寺先生二号。……ん? やけに校舎の方が騒がしいな」 万丈目が訝しげに眉を上げる。彼の言う通り、エントランス・ホールへ足を踏み入れた辺りで、急に高らかに警報が鳴り始めた。軍人みたいな格好をしたアカデミア倫理委員の女の人が、鮫島校長に気付くと素早く駆け寄ってくる。 「校長、何者かがラビエルを持ち出そうとしています」 「そのようだ。急いで校長室へ!」 僕らが駆け付けるなり、大柄な軍服の男の人が室外へぶっ飛ばされてきた。廊下の壁でごつんと頭を打ち、そのまま伸びてしまう。 そしてガラス窓の割れた真っ暗な校長室に、一人きりで佇んでいるのは、僕のろくでもない思い出の中にいる人物だった。白いロングコートに濃い紫色のシャツ、ぴったりした黒のパンツ。僕に良く似たエメラルドグリーンの髪。 そいつは宝玉獣デッキ使いのプロデュエリストだっていう。 海底学園都市アトランティスのカレッジに在籍している、十代ととても仲が良かったはずの男。 その男の名前は、ヨハン・アンデルセンと言った。 「――これで、三幻魔は揃った」 ヨハンは薄っぺらいカードを、確めるようにじっと見つめていた。やがてふと顔を上げ、僕らに向かって「しばらく借りるぜ」と言った。 「返すアテはないけどな」 「ふざけるな! なんでお前、十代を……!」 「ユウキ君、下がっていなさい」 明日香先生がすっとしなやかな腕を伸ばして、頭に血が上っている僕を制し、ヨハンを詰問する。 「らしくないわね。何のためにこんなことをするの?」 「決まってる。……愛の為さ!」 ヨハンは大仰な動作でばっと腕を振り、まるで絶対の正義を示すかのように答えた。明日香先生はすうっと目を細め、僕の耳の後ろの方で丸藤翔が「また正気を失っているっス」と呟くのが聞こえた。 確かに、僕には彼がまともな人間にはどうしても見えなかった。まともな人間は僕の大切な人をナイフで突き刺したりはしない。 ヨハンが踵を返したタイミングで、上空から轟音が鳴り響いてくる。黒いヘリが滞空しながらゆっくりと降りてきて、ヨハンに向かって梯子を投げ掛ける。どうやら奴の仲間のようだった。 「待てよ……十代を僕に返してよっ!!」 このまま逃がす訳にはいかない。僕はやっとその男のことを見付けたのだ。あの日からずうっと探していた僕の十代の仇を、彼に痛みを与える為に。 「ヨハン・アンデルセン! 絶対に、僕がお前を殺してやる!!」 僕は明日香先生の腕をすり抜け、そいつに掴みかかっていこうとした。でもヨハンは、割れたガラス窓の枠を蹴って飛び降り、片腕で器用に梯子に掴まり、夜空の闇へと吸い込まれるように消えていく。 最後に彼の口が動いて何事かの言葉を紡いだようだったが、ヘリのプロペラが回る大きな音に飲み込まれ、掻き消され、僕には届かず、なにも聞こえなかった。 ◆◇◆ 僕がまだ子供の頃の話だ。 「なぁチビ、お前のデッキモンスターばっかじゃん」 十代が白いベッドの上でうつ伏せの格好で、脚を交互にパタパタとさせながら言う。 僕は首を傾げた。モンスターばかりで何か具合が悪いことがあったんだろうか? 「賑やかなのは楽しいよ。ねぇ、ハネクリボー?」 『クリ、クリ~……』 僕が同意を求めて見上げると、ハネクリボーはなんだかちょっと偉そうな顔つきで、身体を左右にゆすって見せた。これは人間で言うと、肩を竦めたり、溜息を吐いて頭を振ったりって仕草なんだろう。僕は呆れられているようだ。 「……あれ?」 「実際にやってみれたら面白いんだけどな」 十代は包帯が巻かれた右腕で、ゆっくりと僕の頭を撫でた。 「――お前はその『精霊に触れる』って体質のせいで、普通にデュエルやって遊ぶことはできない。負けたら死んじまうかもしれない。でも、なあ、デュエルってのは楽しいものなんだ。オレはお前にそのことをどうやったら教えてやれるのかなって、ずっと考えてる」 「もう充分知ってるよ。カード触ってる時の十代の顔を見てたら分かるよ」 僕がそう言うと、十代はぱっと嬉しそうな顔になった。上半身を起こしてちょっと行儀の悪い格好で座り、綺麗に揃えた二本の指を僕に突き付ける。 「いつか好きにデュエルできるようになるさ。そん時はオレとやろうな」 いつもベッドの上にいる十代は、痩せていて、かげろうみたいに弱々しい。腕も脚も包帯だらけだ。僕は枕の上に広げていたカードを纏めて、「大丈夫?」と聞いた。 「具合が悪そうだよ。疲れた?」 「そうかもな。今日は沢山面白いものを見た」 十代が満足そうににっと笑う。沢山面白いもの、って言うのは、僕が部屋に……この病室みたいな十代の部屋に持ち込んだ、今月のお小遣いを注ぎ込んで買ってきたカードのパックだ。 僕はおかしな体質のせいでデュエルをすることはできないし、カードゲームのことも良く分からない。でもデュエルの話をしている時、パックを開ける時、気に入ったカードを見つけた時の、十代のまるで僕よりも小さな子供みたいなきらきらした目が大好きだった。大人びた十代は、その瞬間だけ僕と同じ子供になる。 「目を開いてると疲れるんでしょ。また目に包帯を巻き直してあげるよ。十代は不器用だから」 「ああ、悪い、ありがとう」 僕はベッド脇の白い棚から新しい包帯を取り出してきて、ベッドに膝立ちで上り、十代の左右で色がちぐはぐな美しい瞳を包帯で覆い隠していく。綺麗な目が包帯で隠れてしまうのは残念だったけど、こればかりはしょうがない。 「十代はこんな暗い部屋にひとりきりで寂しくはない?」 「明るいのは眩しくてしょうがないし、お前がいるからひとりじゃない。それに、なあチビ、人ってのはな、離れていても、目に見えなくても繋がっている大事な友達がいるんだ。オレにも沢山いる。みんな大好きだ。だから寂しくない」 「じゃあ、その大好きな人たちに会いたいって考える時は寂しいね」 十代はそう言われて初めて気が付いたように、俯いて少し考え込んだ。そして微かに笑って、「……ああ、そうかもな」と言った。 僕は十代が笑ってくれるとほっとする。でも同時に、訳も分からず、すごく不安になる。だから僕はちょっとまごつきながら、十代に確認を取る。 「それまでいるよね?」 「ん?」 「十代は僕がデュエルできるようになるまでここにいるよね?」 十代は、きっと不安そうな顔をしていたろう僕の頭を、また包帯だらけの手でがしがしと撫でた。そうして、言ったのだ。 「――ああ。きっとな」 ……きっとなんて、僕はこの先、二度と信じることはないだろう。 |