数年前の話。 深い海の底から見上げると、海面に上から射し込む白い太陽の光が反射して、まるで海の向こうの世界はきらきら輝く美しい宝石でもあるみたいだった。 嵐の中をさまよった末に、荒野に打ち上げられた鯨の化石みたいな柱が無数に立ち並ぶ海底の街並みを高台から見下ろして、オレはやっぱり陸の方が好きだなと十代は考えた。上を見上げた時に天井のない空が広がっている、光の満ち溢れる美しい世界が。 透明なドームの分厚いアクリル板越しに、水の中をゆうゆうと泳ぎまわっている魚達も、同じようなことを考えているのかもしれない。 この学園の下にもまだずうっと深くまで海が続いている。光の届かない真っ暗な世界がある。そこでもある種の生物は生きている。深海魚なんかは真っ暗な闇の中でよく生きられるなと十代は考えた。そして、これはおそらく反動のようなものなのだろうとも理解していた。 『ボクは温かな暗い闇の方が落ち着くけれどね。すべてを包み込む優しく温かな闇。キミそのものの闇。キミが望むのなら、ろくでもない日の光もまあ悪くはないけどね、多分』 「太陽の光は好きだぜ。気持ちがいいし、あれがなきゃ皆生きていけない」 『ねえ十代。ひとつボクとしてはすごく言い難いことを言うよ。最近のキミは良くメルヘンになる。前はこんな話しなかった』 ユベルに指摘された十代は一瞬きょとんとして、すぐにおかしそうな顔で、「そうかあ?」と言った。その様子がどことなく嬉しそうだったので、面白くないユベルは頬を膨らませ、十代の頭と首に腕を絡ませ、ぎゅうと力を込めた。「痛いって」と十代がユベルの腕を叩く。 起きたばかりでまだ意識が朦朧としているらしいヨハンは、瞼を擦りながら歯を磨き、篭った声で「昼過ぎから上がるんだ」と言った。昨晩もヨハンのレポートが終わってから、夜遅くまで対戦をやっていた十代は、ベッドの中から寝惚け眼で「へえ」と気の抜けた相槌を打った。そして戦績はどんな感じだったかなと思い返してみた。 確か二勝は確実だった。一度引き分けた。一度負けた。勝ち星は十代の方が多かったはずだ。十代が超融合によってレインボー・ネオスを召喚した瞬間の、『俺のレインボー・ドラゴン!』というヨハンの悔しそうな声はよく覚えている。後ろから囃し立てるユベルの嬉しげな声も。 それを思い出して、十代は自然ににやにやしてしまった。ヨハンは半端なく強い。しかし十代も負けちゃいない。彼に勝てるのはなんとも嬉しい。 (あれ? オレ床で寝たんじゃなかったっけ) 昨晩は二人で床に倒れ込むようにして寝入ってしまったように思うが、気がついたらベッドの中だ。寝惚けながらベッドに上がったのかもしれないし、世話焼きのヨハンが引っ張り上げてくれたのかもしれない。 口を濯いだヨハンが洗面所から出て来るなり大きなあくびをした。 「フィールド・ワークで外へ行く。お前も手伝ってくれるだろ」 「頭使う仕事なら、言っておくけどアテにはならないと思ってくれ」 「そんなことは分かってる。俺を誰だと思ってるんだ。お前の親友だぞ。はなからそんなこと期待してない。……ちぇ、まだ悔しいぜ。今度は絶対負けないからな」 ヨハンは昨晩負け越したまま眠ってしまったことが気に食わないらしく、まだ機嫌を損ねているようだ。 「十代、お前も海の底ばかりじゃ気が滅入るだろ。初めてこの街に来た時は、なんて綺麗なとこだろって思ったけど、やっぱ外が一番だ。太陽の光は気持ちがいい。あれがなきゃ皆生きていけないんだ」 『……パクんな、このメルヘン野郎』 「なんだぁ?」 ユベルがじとっとした目でヨハンを睨みつけている。何のことだか分からないヨハンは変な顔をしている。十代は吹き出しそうになりながら、「気にしないでくれ」と言った。 「いいぜ、オレも手伝う。暇だし」 『――いいのかい?』 ユベルが十代を心配そうに覗いながら言う。十代は頷き、思考だけで「大丈夫」と伝える。 街を出しなに、港に停まっている鯱みたいな黒い潜水艦の前で、資料の束が入った鞄を抱えている十代が変なことを言い出した。 「ヨハン、もしさ、オレがオレじゃなくなったとして、……お前それでもオレのことを親友だって言ってくれるか?」 ヨハンは意味が理解できず、「はあ?」と訝しげな顔をして首を傾げている。十代はたまによく分からないことを言い出す。 「変なこと言うな〜。お前がお前じゃなくなるなんて、あるわけないじゃないか」 「例え話だって。もしもの話さ」 「ものによるなぁ」 ヨハンはちょっと考え込み、中空に目をやり、素直に答えた。 「もしもお前の中に、誰かみたいに……まあ誰かは言わないけど……得体の知れないものが入り込んで、勝手に身体を動かしてるなら、俺は全力でそいつを引っ張り出すだろうぜ。お前を助ける。でもお前がお前なら、どんなに変わってしまっても、たとえ怪物になってしまったって、俺の気持ちは変わらない」 「……そっか」 十代がほっとしたように頷いた。笑う。 「それが聞けて嬉しかったぜ」 いやに透明な笑顔だなと、ヨハンは思う。 ―『TURN01 エメラルドの国』 END― →NEXT『TURN02 海の底から』 |