十代へ

 色々あって、今日のことはあまり日記に書きたくない。代わりに何を書こう?
 習慣的に続けていた何かをある日ぱたっと止めてしまうとする。するとその先が見えなくなる。僕にとっては立ち止まるということは、そこで行動を止めるということと同じなんだ。
 だから書くことがなくても何か書いておかないとね。でなければ僕はこれから先この日記帳を開くことは無くなるかもしれない。大した意味もない日記だけど、僕は君へ向けて書いているんだ。君への手紙だ。手紙を書くのを止めてしまうと、そこからどんどん君のことを忘れていくような気がして、僕はそれが恐ろしいと思う。

 最近ブルー寮の裏に花壇を見付けた。ブルー生達が水やりや手入れを面倒がってほったらかしだったから、荒れ放題になっていたのを、今は僕がかわりに世話をしている。誰も文句は言わないから、構わないってことなのかな。冬が来れば植物は枯れてしまうから、きっと花ももうすぐ見納めだ。
 僕は太陽みたいなひまわりの花が好きだけど、君は青い花がとても好きだった。僕が子供の頃にも、君の部屋の花瓶には青いパンジーが生けられていた。とても大事そうに生けられていた。
 残念ながらあの花は枯れてしまったけど、来年は君の為に花壇一面に青い花を植えてみようかな。綺麗な花畑ができたら君も見に来るといい。幽霊でも構わない。
 でも一応、皆が怖がっちゃうかもしれないから、来るのは僕だけの時にして欲しいな。
 そしたらその時は、沢山僕の名前を呼んで、そして僕も沢山君の名前を呼んで、君が生きていた頃のように僕のことを大きな手で抱き締めて欲しい。
 僕は多分、泣いてしまうだろうけど、君になら弱虫だって笑われたって構わないんだ。

 来るかどうか分からないけど、その日を楽しみにしているよ。
 ばいばい、おやすみ。

◆◇◆

 デュエル・アカデミアの中に僕の居場所は無かった。身体を丸めて膝を抱き、縮こまっているスペースさえないような気がした。
 まず第一に僕は学生ではない。デュエリストですらない。そして今はデュエル・カレッジ・アトランティス校から遊城十代のヒーローデッキを盗み出した窃盗犯として引渡しの要請を受けている。
 夜が明けきらないうちから、僕は二人の男に追い回される羽目になった。丸藤翔とティラノ剣山。十代の友達だったらしい。
 実にちぐはぐな二人組だった。丸藤翔は小柄で生白く、極端な童顔で、まるで小学生みたいだった。どう見ても僕よりも歳下に見えた。そのくせこれでも十代と同じ歳なんだっていう。
 反対にティラノ剣山の方は、大きくて体格ががっしりしている。真っ黒に日焼けしていて、まるで生きた恐竜みたいだ。見るからにおっかない男だった。
「待てぇ〜! おいちょっと止まれ、そこのフリル似っ! 君には聞きたい事が山ほどあるんだゴラァアア!」
「そんな怖がらないでいいザウルス! 何も取って食おうって訳じゃないドン! ちょっとだけ、少しだけ話がしたいだけだドン! 丸藤先輩、そんな殺意しかない目をしていたら子供はまず逃げてしまうドン!?」
 どうやら中身もちぐはぐらしい。ティラノ剣山は見た目よりも穏やかな人間らしいが、丸藤翔の僕を見る目は、明らかに戦場の狼のようだった。長年戦い続けている宿敵を見る目だった。彼とは昨日初対面だったはずなのだが、誤解を受けているとはいえ、一体僕が彼に何をしたって言うんだ。
 島の中を無茶苦茶に逃げ回っているうちに、灯台がある港に出た。後ろばかり見て走っていたものだから、僕が前を歩いていた人間に気が付いたのは、勢い良く衝突してしまった後だった。
「馬鹿者、気を付けろ!」
「すみません……あ、」
 僕と同じように、コンクリートの上に尻餅をつく格好になって罵声を上げているのは、僕の憧れのプロ・デュエリストの万丈目だった。子供達のヒーローだ。朝一番の船でプロ・リーグに帰るところだったようで、エド・フェニックスと丸藤亮も一緒だ。兄の亮は弟の翔とは違って、僕を恐ろしい形相で睨み付けてきたり、獲物を狙う猛獣のように追い掛け回してくるようなことはないようだ。落ち付いた雰囲気の男だった。物静かでどこか達観したような顔つきが、少し十代に似ているような気がする。
 万丈目は起き上がると、黒いコートを億劫そうに叩いて砂を落とした。そしてコンクリートの上に死んだ魚みたいな格好で落っこちていた銀色のスーツケースを無造作に拾い上げると、無愛想な目で僕を一瞥し、遠くから響いてくる翔の物騒な怒声(とそれを宥める剣山の声)を聞いて、つまらなさそうに鼻を鳴らした。
「おい、緑色の貴様」
「は、はいっ!」
 僕は緊張のあまり、両手と両足を揃えて直立して、上擦った変な声で返事をしてしまった。万丈目が右手を僕に差し出した。僕はどうすれば良いのか分からず、恐る恐る彼の右手を握った。
「違う!」
 そこですかさず怒られた。どうやら万丈目が右手を差し出したのは、握手の為では無かったらしい。僕が恥ずかしくて赤くなっていると、彼は「CDだ」と言った。
「昨日くれてやったものを出せ」
「あ、うん……わかったよ」
 僕が彼の気分を損ねるようなことばかり仕出かしたせいで、せっかく貰ったサイン入りのCDを取り上げられてしまうのかと思うと、ひどく残念だった。しかし、万丈目は僕がポケットから引っ張り出したCDをひったくるように奪うと、マジックペンでサインの上にいくらか付け足しをして、また僕に突き返してくれた。
――困った事があればいつでも呼べ。このオレ様がすぐに駆け付けてやろう」
 サインの上に書かれている数列は、どうやら万丈目の携帯番号のようだ。僕はきまり悪くて下を向いていた顔をぱっと上げて万丈目を見た。彼は照れ臭さを押し隠すような、渋い顔をしていた。
「ありがとう、おジャ万丈目!」
「さん、だ!」
「やっぱり万丈目は頼りになる。皆のヒーローだ!」
 僕がそう言うと、胸に下げているカードから、見たことがないくらいに不機嫌な顔をしたハネクリボーが飛び出してきた。
『ぐりぐり、ぐりぐりぐりぃ〜……』
「なんで怒ってるんだよ、ハネクリボー。僕は十代じゃないんだ。お前が何言ってるのか分かってやれないんだ。だから……あいたっ、叩くことないだろ!?」
『ぐりぐり〜!』
 ハネクリボーは何度か僕の頭を小突き、最後はやけくそのように身体全部を使って突進してきた。こいつは小さいし、全身ふわふわだからそう痛くはなかったが、僕の何がそんなに気に食わなかったって言うんだろう?
 「お前はハネクリボーの言葉が分からんのか」と万丈目が言う。僕は頷いて、「見たところでは、『このわからずや!』って感じだったけど」と答えた。「まあ違いない」と万丈目が頷く。
「こいつは十代以外の奴が、お前にヒーローだと持ち上げられているのが気に食わんらしいな」
「そうなの? ……わからずやはお前だろ、ハネクリボー」
 僕はカードを突付いて文句を言ってやった。余程腹を立てているようで、ハネクリボーのカードの絵柄は完全に背中を向いていた。これではただの茶色い毛玉だ。
「本物のヒーローっていうのは、悪い奴がやって来たら真っ先に駆け付けて戦わなきゃならないんだぞ。そんな危ない事、かよわい十代にさせられるわけがないだろ」
「……かよわい十代?」
 万丈目がぞっとしたように繰り返した。この学園に来てから、良く十代がヒーローだという話を聞くことがある。でも僕はどうもその完全無欠のヒーロー遊城十代像に馴染むことができない。僕は万丈目に向かって「そう」と頷いた。
「十代はやさしくてかよわくて、花が大好きなんだ。身体が弱くて、いつも物静かでおとなしい人だったから、僕は戦ってる十代を上手く想像することができない。第一デュエル・ディスクみたいな重たいものを持って、あの僕より非力な十代がデュエルなんてできるわけないよ」
「悪いが緑色、お前の言う十代はおそらくオレが知ってる奴とは別人だ。そんななよなよした気色の悪い遊城十代がいてたまるか」
「でもそれが僕の知ってる十代なんだ。……でもそうだね、なんか、違う人なのかなぁ」
「まさか奴め、またうっかり第三だか第四だかの人格を作り出してしまったんじゃないだろうな……!」
 僕と万丈目が話し込んでいるのを横目に見て、通り過ぎしなに、エドが呆れたような顔をして言う。
「貴方って本当に子供に大人気ですよね、万丈目センパイ。そういう所だけは尊敬に値しますよ」
「うるさいエド! 貴様がオレを先輩とか言うな、気色悪い! ……『だけ』って何だ!?」
 万丈目がエドに向かってがなっている。彼らはテレビの中ではライバル同士だったが、普段は割と仲が良さそうだった。
 万丈目が僕の方をちらっと見て後頭をがりがり掻き、「墓はどこにある?」と言った。
「え?」
「緑色、お前、十代が、なんだ……死んだと言ってただろう。まあなんだ、その、暇があればこのオレがあの馬鹿野郎の墓参りに行ってやらんでもないと思ったのだ」
「そして号泣するんですね、センパイ」
「するかっ! ふざけるな! 何が『死んだ』だ、あのトーヘンボクが、万年落第生が! 結局最後まで勝ち逃げしやがって、墓石を真っ黒に塗り潰して散々落書きしてやらなければ気が済まん!」
 万丈目が顔を真っ赤にして怒っている。良く見ると目の端が少し潤んでいる。僕は十代が死んで初めて泣いてくれる人を見付けたせいで、なんだかほっとして、少し嬉しくなった。
「海だよ。海の中にある白い街だ。大人が沢山いるんだ。港には鯱みたいな潜水艦が停まってる。先生が鯨の骨を拾ってきて、病院の庭にお墓を作ってくれたんだ。十代もおジャ万丈目が来てくれたらきっと嬉しいよ」
「さっぱりわけが分からんが……まあいい。この忙しいオレ様に、暇があればの話だからな」
 万丈目が僕の頭をぽんぽんと撫でた。既に桟橋を渡って船に乗り込んでいるエドが、万丈目に「遅いぞ」と文句を言う。
「早く乗れ」
「お前もちょっとは気にならんのか」
 万丈目が少しむっとした顔でエドを睨んでいる。エドは肩を竦め、「心外だ」と返した。
「そのうちヨハンのスポンサーにでも話を聞かせて貰うさ。僕は十代が好きだし、大切な友人だと思っている。あいつにはこの先何をやっても返せないだろう借りがある。ヨハンも僕と同じだ。十代に救われた。借りがある。返すかどうかは奴の自由だが、仇で返すような真似をする奴を、僕は十代の友人だと認める訳にはいかない」
 そしてエドは哀れみの目を僕に向けた。本当に可哀想なものを見るような目だったから、僕は何だかちょっと馬鹿にされているんじゃないかという気分になった。
「それより亮、お前は弟を甘やかし過ぎだ。あれは目に余る」
「いや、あれでいい」
 亮は少し微笑み、すれ違い際に足を止めて僕を静かに見下ろし、短く「すまない」とだけ言った。弟が迷惑を掛けてすまないという意味なのだろうが、どうせなら島を出る前に翔の暴挙を止めてから去って欲しかった。やはり兄の亮もどこか変だ。ずれている。
 遠くからはまだ僕を探し回っている翔と剣山の声が聞こえる。

◆◇◆

 船が海に出て、遠くに見えるデュエル・アカデミアの影が薄くなった頃、万丈目は「どうも違和感がある」とぼそぼそ声で言った。
「何がですか、センパイ」
 エドがどうでも良さそうに受けた。万丈目も亮もしばらくの付き合いで、エドが慇懃無礼な口調の時は、単純に機嫌を損ねているか、ストレスが溜まっているせいで誰かを徹底的に弄くり回してやりたい時か、表に出せない怒りや苛立ちを抱えている時だと知っていたから、何も言わずに黙っていた。性格の悪い後輩にちくちくやられるのはそろそろ懲りている。
 万丈目は、見えなくなった島の方角へぼんやりと目をやったまま続けた。
「あの緑色のガキが言っていたことだが、あいつが言う『十代が死んだ日』の後で、オレは十代を見ているぞ。校長が見せてくれたDC付属病院の診断書にもあったが、一月前に奴が自殺したとされている日以降だ。ほんの一週間程前だ」
「幽霊でも見たのか?」
 エドが不思議そうに目を瞬かせて、いつもの口調に戻って言う。幽霊。万丈目はなんとなくぞっとして、腕を組んで背中を丸めた。
「そ、そう言えば……オレの家はオートロック付きで、許可なく誰も中に入れる訳が無いのだ。入口に不審な痕跡も無かった。オレはいつものようにきちんと鍵を開けて中へ入ったのだからな。だがあいつ、帰ったら何故かいたんだ。明かりも付けずに冷蔵庫を漁っていた。オレが飯を食っている間に洗濯機を回して、そしてオレがリーグ中継の録画を見ていたらいつのまにかもういなくなっていた。帰った気配も無かったな。それに結局オレは声と物音を聞いただけで、あいつの姿も見ていないぞ」
「そう言えば……」
 エドの左隣で、腕組みをしながら、亮もふっと思い当たったという顔になる。
「先週翔がリーグに出ていた時のことだ。いつになく張り切っていると思えば、デュエルが終わった後で、十代に会ったと言っていた。試合中に目が合うと手を振ってくれたそうだ。しかし俺には、翔に指差されても、そこに十代の姿は見えなかった。あいつも、十代に会いたいあまりに幻覚を見たのかと思っていたのだが」
「おかしいと思え、お前達」
 エドが突っ込んだ。
「おい万丈目。顔が青いぞ。精霊が見えるとか言うくせに、幽霊なんかが怖いのかお前は」
「そ、そんな訳がないだろう! ……しかし、しかしだ。考えてもみろ。もしも十代の幽霊なんかが出たとする。するとこの先オレ達は一生、あいつの親切という名の最悪の怪現象に見舞われることになるんだぞ。大事な試合前夜に衣装が全て縮められ台無しにされる、子供と記念撮影をしたら何故かいつもあいつがどこかに写っている、そこに足がないから子供が泣く。オレ達は『写真を撮ると常に心霊写真になるプロ』として違う意味で有名になる。そして疲れて家に帰ってきたら一晩中奴の子守唄というポルター・ガイストに襲われ、腹が減って冷蔵庫を開けたら食料を食い尽くされて何も入っていない」
「それは……」
「奴らしいが……」
 嫌だ。
「……まあ相手は十代だ。何が起こってもしょうがない」
 しばらく黙り込んだ後、エドが諦めたように溜息を吐いた。
「あいつはもしも幽霊になったとしても、自分を殺した相手を恨むようなことはないんだろうな」

◆◇◆

 万丈目達を乗せた船が出航したすぐ後、背後から太い腕がぬっと現れて、サイン入りのCDに新しく書き足された番号を見つめていた僕の両腕を掴んだ。
――やっと捕まえたドン」
 ティラノ剣山だった。彼は見た目通りすごい力で、僕がもがいても暴れてもびくともしない。
「あ、暴れないで欲しいザウルス! 何もひどいことはないドン! そうだ、朝飯でも食いながら落ち付いて話すドン!?」
「ようやく捕獲したぞフリル似。お前の命運は決した。まったく、散々手間掛けさせてくれたね。もうこの僕から逃げられると思うなよ。さ、ちょっと校舎の裏まで行こうか。助けを呼んだって誰も来ないと知れ」
「丸藤先輩、なんでそう緑色のものにはとことん辛辣なんだドン!? 子供相手に大人げなさすぎるザウルス!」
 剣山はともかく、翔の目は普通じゃない。僕は青くなって叫んだ。
「助けて十代、先生〜! 殺されて埋められるー!」
「あっ、なに人聞きの悪いこと言ってんだゴラァア!」
「丸藤先輩の言動じゃ無理もないザウルス……」
 剣山はもう諦めた顔つきで、僕の腕を掴んだまま、「こんなんだけど、ホントに危害は加えないザウルス」と言った。
「オレ達は十代のアニキの弟分だドン。アニキを慕う奴に無茶はしないザウルス」
「……え?」
 意外なことを聞いて、僕は驚いて剣山の顔を見上げた。こんな怖そうな奴らがあの十代の子分だって?
「ほんとに?」
「ほんともほんとザウルス」
「十代のことが好きなの?」
「大好きだドン」
「もちろんこのボクが一番アニキのことが大好きさ」
 翔がぐっと親指を立てて、パチンとウインクをした。彼からはなんとなくいかがわしいものを感じたが、剣山の目は真剣だ。すぐに嘘は言っていないと知れた。
「離してよ。もう逃げないからさ。ほんとだよ」
「あ、ああ。痛かったドン? 悪かったザウルス……あ」
 剣山が僕の腕からようやく手を離したところで、彼の肩を後ろから叩く者がいる。剣山が振り向くと、そこには目を閉じた明日香先生が静かに佇んでいた。
 港に乾いた平手打ちの音が響き渡った。


 旧レッド寮の食堂の中、明日香先生が両手のひらを勢い良くテーブルに叩き付け、「いい加減にしなさい!」と叫んだ。怒った彼女はすごい迫力で、叱られている翔と剣山だけでなく、僕や他の大人達も皆一緒にびくついてしまった。
「だ、だってボク達アニキのことが心配で、そこのフリル似くんが何か知ってるみたいだったから……しかもそいつ、なんだか不自然なくらいヨハンに似てるし、ついむしゃくしゃしてやっちゃったんだ。今は反省してる」
「丸藤先輩、ひどいドン! 『達』じゃないザウルス。おチビさんを怖がらせてたのは九割先輩の表情と言動だドン。あんな顔で追い掛けられたら、オレだけじゃなくてさすがのアニキでも逃げるザウルス」
「相変わらずバカだね、剣山くんは。アニキを前にして怖い顔ができる奴なんて人間じゃないよ。その仮定はありえない」
 明日香先生がもう一度テーブルを叩くと、翔と剣山は黙り込んですごく静かになった。額には脂汗が浮いている。二人の顔にはくっきりと赤い手形が浮き出ていた。
「十代が心配なのは分かるわ。だったら何をしても良いって言うの?」
 明日香先生がすっと僕に目を向ける。僕はおどおどしてしまって、「いやあ」と後ろ頭を掻いて、少し離れたテーブルに着いている大人の男の人達に助けを求める視線を送った。明日香先生のお兄さんと、三沢というらしい男の人だ。でも彼らは僕を見て、微笑みながら手を振ったり、意味もなく頷いたりするだけで、てんで頼りにならない。
「ごめんなさい。彼らが怖がらせてしまったわね」
「いやあ、どちらかというと、彼を今ダイレクトに怯えさせているのは明日」
「兄さん?」
「なんでもないよ明日香。さあ、話の続きをするといい。兄さんは少し遠くから君を見守っているけど、これは別に怒った明日香が怖いからとかじゃないんだ」
「ユウキ君、昨夜は部屋に戻らなかったでしょう? ちゃんと眠ったの」
 僕は明日香先生から目を逸らして頷き、「ごめんなさい」と謝った。
「この寮には帰りたくなかったから」
 昨夜は鶏に少し場所を借りた。鶏小屋は快適とは言えなかったが、僕はどこででも眠れる体質だったから、そう不便は無かった。明日香先生は溜息を吐いたが、「そう」と言っただけだった。
「居心地の悪い思いをさせてしまっているわね。保護者の大徳寺先生には連絡がつかないし」
「気にしないよ。それよりもヨハンはどこにいるのかな」
「……どうするつもりなの?」
「決まってるよ」
 僕はすぐに答えた。
「殺すんだ。十代が受けた痛みを僕があいつに返してやる」
 室内に重い沈黙が落ちた。
 まず最初に口を開いたのは翔だった。椅子を引いて立ち上がり、隣に来て僕の肩を叩いた。
「ごめんよ、ユウキくん。そうだよね。ボクは少しきみのことを誤解してたみたいだ。顔や髪の色なんかできみのことを差別してしまったことが恥ずかしいよ。ボクも手伝う。一緒にヨハンの奴をぶっ殺そう」
「う、うん」
「待てえ! 殺人同盟なんか組むんじゃない、そこの二人!」
 三沢が勢い良く立ち上がり、僕と翔の方へ指を突き付けて叫んだ。翔が口を尖らせて、暗い顔でぼそぼそ言う。
「だってさぁ、おかしくない? アニキを殺したんだよ? ヨハンがってのが信じらんないけど、もしもほんとなら、ボクはアニキのことが大好きだから、アニキを殺した奴が今もこの星の空気を吸って生きてるってことが耐えらんない。どこまででも追い掛けてって、最高の苦しみを与えてやるよ」
「お前その台詞、ラスボス以外の何者でもないぞ」
「丸藤先輩はアニキのことになるとほんと怖いドン……」
「亮が甘やかすから」
 明日香先生が目を閉じて頭を振っている。言外に『連れて帰ってくれれば良かったのに』という彼女の心の声が聞こえた気がした。僕も少しそう思う。
「う〜ん、愛するものを失った行き場のない悲しみを抱き、そして最愛の人を奪った者への憎しみに殉ずる……君はまだ随分若いのに、数奇な人生を歩むことになったようだ」
 明日香先生のお兄さんが、奇妙な楽器(名前は分からない。僕が知っているのはピアノと笛と太鼓だけだ)を演奏しながら、滝のように勢い良く涙を流して泣いている。僕の為に泣いてくれているらしいのだが、ここまで大げさにやられると、どう反応して良いのか分からなくなってしまう。素直に僕は困った。
 十代は良くこんなおかしな人達に囲まれて三年間も生活していたものだ。あの人はおとなしいから、振り回されたり虐められたり、泣かされたりすることは無かったんだろうか。かなり心配になってきた。
「ユウキ君、君は十代君を愛しているかい?」
「もちろんだよ」
 僕は迷わず頷いた。
「世界で一番愛してる」
 明日香先生は額を押さえ、男性陣は「愛ぃ?」と呆気に取られたような顔になっている。
「さ、最近の子はマセてるザウルス……」
「前言撤回だよ。やっぱりあいつも敵っぽい。フリル似にろくな奴がいる訳無かったんだ」
「勢いが良くて、情熱に溢れたいい返事だ! 君達も彼を見習うといい。しかしユウキ君、君はちょっと無粋だね。考えてもごらん。もしも君が愛のために剣を手に取り、愛する十代君の仇を討ったとしよう。でもね、血で汚れた君の手を見て十代君は喜ぶのかな?」
 僕は首を傾げて、「喜ばないと思うけど」と言った。
「でも僕はあいつが許せない。だからそうするしかないんだよ。十代には悪いけど」
「だけどそれで十代君を悲しませちゃ元も子もない。十代君は君のことを愛してくれたんだろう?」
「うん」
 僕は頷いた。
「世界で一番ね」
「嘘だッ!!」
 翔が恐ろしい形相で叫んだが、明日香先生のお兄さんは全く気にしていないようだ。何かのスイッチが入ってしまったらしく、さっきまではあんなに怖がっていた明日香先生の冷たい目も、今は全く気にならないらしい。
「だったら十代君が喜んでくれる方法を選べばいい。そう、……デュエルだ。彼の大好きなデュエルで決着を着ければ良い。君は剣ではなくカードを手に取り、君が仇と狙うヨハン君をデュエルで打ち負かすんだ。彼が絶対と信じるデッキとプライドを粉々に粉砕する。そうすれば天国の十代君も、愛する君の勇姿に感動することだろう」
「デュエルで……」
 僕は顎に手を当てて考え込んでしまった。そんなことは想像もしたことが無かった。僕がいつかデュエルをするのは、あの黒い部屋で、十代と一緒に、そしてそれはとても楽しいものだと決まっていたのだ。
 でも十代はもういない。
「……分かった。やってみるよ」
 僕は頷いた。明日香先生が胸に手を当てて、ちょっとほっとしたみたいな顔で溜息を吐いている。
「兄さんもたまには役に立つことがあるのね……」
「何を言うんだ明日香。兄さんはいつも人々を元気付ける幸福の妖精なんだよ」
 明日香先生のお兄さんは、そこで区切りを付けるようにぱちんと手を打ち、「さて」と言った。
「僕はそろそろ行かなければ。青い海の美しい人魚達が僕を待っているんだ」
「……今度は何をやらかそうって言うの?」
「デュエル・カレッジの学園祭に一曲お呼ばれしていてねぇ。アイドルも大変さ、ははは。明日香も一緒にどうだい?」
「行きません」
 明日香先生がお兄さんの手をはねのけてぴしゃりと言った。彼女はすごく容赦がない。



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