十代へ

 おジャ万丈目にサインをもらったんだ。すごいことに携帯番号付きだ。
 彼はやっぱり子供達のヒーローなんだ。おジャ万丈目のおかげで、今僕は大分気持ちを落ち付けることができている。
 でもハネクリボーは随分機嫌を損ねているみたいだ。さっきから後ろを向いたままで返事もしてくれない。ハネクリボーの言うところは相変わらず難しくて良く分からないけど、どうも僕がおジャ万丈目を誉めると怒るみたいだ。なんでだろうね?
 君ならなんて言うかな。ハネクリボーに大人げないぜと一言言ってくれるかもしれないし、反対にオレのことも誉めろよと拗ねて僕の髪をぐしゃぐしゃにするのかもしれない。

 そう言えば君はプロでもないのにいくつか映像記録が残っていると聞いたけど(大会にでも出ていたのかな?)、僕は君のデュエルを見ていない。
 君がヒーローデッキを使うということは知っているけれど(そりゃあれだけ沢山のヒーローと一緒にいればね)、どんな戦い方をするのかを知らない。
 そう言えば、僕は君を知らない。
 なんで僕は大好きな君のデュエルを見なかったんだろう? 君が攻撃されたり負けたりして傷付く姿を見たくなかったんだろうか? 怖かったんだろうか?
 そうかもしれない。
 僕が知っているのは、いつもベッドの上でにこにこ笑う十代だけだ。デュエルをするわけでもなく(これは僕が君の相手にはなれなかったからだろうけど)、カードを見てすごくご機嫌になっていた君だ。まさか学生をやっていた頃もずっとベッドの上にいたわけじゃなし(僕はどうしても保健室の常連になっている君しか思い浮かばないんだけど)、君にも小さい頃があったはずだ。
 僕と一緒にいない時の君は一体いつも何を考えて、どこで生きて、そして最期に何を思って死んでいったんだろう?

 あの頃僕には君しかいなかった。君しか知らなかった。だから、君が僕の世界だったんだ。世界が僕の周りにあってずうっと僕を抱いているのはすごく当たり前のことで、そこには不思議なんて何もなかった。
 僕は君がいなくなって初めて街を出た。あの黒い部屋と病院と海底の街に別れを告げて、このデュエル・アカデミアへやってきた。
 でもここには君のような人は一人もいない。言葉にするとすごく当たり前のことになってしまうけれど、確かにそうなんだ。
 島のみんなはみんなで学園というひとつの世界を作り上げている。毎日が新鮮なことばかりで、まるで一人一人が時計の針のようなんだ。それぞれが一歩一歩前へ進み、人生を刻んで、そして一生懸命生きている。人間の匂いがする。
 君からは感じられなかった匂いだ。命の匂いだ。君ほど何の匂いもしない人はいない。
 ここじゃ誰も君みたいに不思議な力を持ったちぐはぐの眼を持っていないし、触っただけで傷を癒したり、枯れた花を蘇らせたりはしない、できない。
 背中に骨でできた綺麗な白い翼も生えていないし、鋭い爪や牙も持っていない。鱗もなしだ。みんな僕と同じで男の人だったり、女の人だったりする。君みたいな真中はいない。

 君は何なの、十代?

 僕の思い出が間違っているのかな。それとも、みんなの方がおかしいのかな。
 何だっていい、ただお願いだから、君が幻だったなんてことだけはないように、僕は神様に祈ってる。本当に頼むよ。

 じゃあね、おやすみ。

◆◇◆

 僕が「デュエルがやりたいんだ」と切り出すと、いつの間にか幽霊寮に戻ってきていた大徳寺先生はぽかんとして、ファラオにやろうとしていた煮干しのパックを床に落っことしてしまった。
 ぶちまけられた煮干しを美味そうにもそもそと、だけどすごいスピードでがっついているファラオをよそに、先生は青白い顔をして硬直している。まるで彼の周りの時間だけが切り取られてしまったみたいになっていた。
「あの……先生?」
 しばらく経って僕が恐る恐る声を掛けると、先生ははっとして、「駄目ですにゃあ!」と大声を上げた。こんなに大きな声を出した先生を見るのは、悲鳴以外では初めてのことだった。
「おチビさんはデュエルができる身体じゃないにゃあ! もしも何かあったら先生はどうなるのにゃ!? 覇王に容赦などないのですにゃ、今度こそトイレに流されてしまうにゃあ! 勘弁なのにゃ〜!!」
 大徳寺先生の目には涙が浮かんでいた。彼は必死に「どうか思い直して欲しいにゃ!」と僕を諭していたが、僕の決意が固いことを悟ると両膝を地面につき、がっくりと項垂れた。見ているだけで可哀想になってくる程の落ち込みようだった。
「そんなに心配しないでよ先生……覇王ってなに?」
「ううう、なんだか変なことになっちゃったのにゃ……ヨハンくんが据わった目で私の胸倉を掴んで振り回す光景が目に見えるようですにゃ……」
――ヨハン?」
 僕は先生の泣き言を聞きとがめて、シャツの袖を掴んで思いきり引っ張った。
「ヨハン・アンデルセン、先生も知ってるんだね」
「ひい! あ、い、いえ、そりゃあおチビさん、彼は君の、」
「そう、十代の仇だよ。僕はあいつを許さない。ヨハンもデュエルが大好きなんだろう? だから僕がデュエルでヨハンを倒すんだ。あいつが信じるデッキを粉々に打ち砕いて、ぶったおして、ぶったおして、ぶったおして、……それでもまだ僕の怒りは収まらないけれど、そうして奴に与える痛みと苦しみこそが、僕の十代への愛の証明ってことになるんじゃないかなあ」
「う〜ん、そう来ましたか。いい具合に遺伝子が融合していますにゃあ」
「ともかく、僕は決めたんだ」
「そ、そうですにゃあ。この島にいたらそりゃあデュエルのひとつでもやりたくなると思いますが、おチビさんは肝心のことを忘れていますにゃ。君は自分のデッキを持っていませんのにゃ〜? デッキが無ければデュエルはできないのにゃ」
「十代と一緒に組んだデッキなら大事に取ってあるよ」
「あちゃあ……先生は一体どうしたらいいのにゃあ……」
「ねえ先生、いいでしょ?」
 袖を引っ張ってせっつくと、大徳寺先生は大分困っていたが、結局しょうがないという顔で折れてくれた。この人は基本的にいつもすごく押しに弱いのだ。僕や十代の頼みを断ったためしがない。
「ここで駄目と言ってもおチビさんは聞かないでしょうし、デュエルをやりたいという子を引き止めたりしたら、先生はこっぴどく十代くんに蹂躙……でなくて、拷問……でもなくて、そ、そう、叱られてしまうのにゃあ」
「嬉しいけど、でも先生、十代は怒っても怖くないよ」
「十代くんはおチビさんに特に甘かったのですにゃ。彼に逆らった人間には、それはそれは……や、やめておくのにゃ。それに子供の可能性を積み取るようなことはしないと、先生はある人と約束をしましたのにゃ」
「それって、十代?」
「さあ、どうでしょうかにゃあ」
 先生はいつものように、はぐらかすような微笑みを浮かべている。
「ただ、おチビさんのことを愛する人の為にも、くれぐれも命を粗末にするような真似はしないで欲しいのにゃ」
 僕は頷いた。


 教室はがらがらに空いていた。座席は半分も埋まっていない。大徳寺先生は「朝一番はこんなもんにゃ」と言っていたけれど、朝一番でも昼一番でも出席者数にそう変わりはないことを僕は知っている。先生本人も本気なのか冗談なのか判別がつきがたい錬金術の授業にきちんと顔を出すのは、余程真面目な生徒か、あるいは余程出席日数が足りなくて困っている生徒に違いない。
「今日は転入生のお知らせがありますのにゃー」
 大徳寺先生が相変わらず気の抜けた笑顔で僕を紹介した。ちらほらと教室にいる生徒達が僕の顔を見て意外そうな顔つきになり、「購買の子じゃん」とひそひそやっている。でも僕の転入を誰より意外に思っているのは、きっと僕自身だ。まさか僕が学生なんかやることになるとは思わなかった。
「皆さんも知ってると思いますが、少し前から購買のお手伝いをしてくれていたユウキくんですにゃ。虐めないで仲良くしてあげてくださいにゃあ〜。そしてできれば、先生の為にも、あんまり彼にデュエルを申し込まないであげて欲しいのですにゃ」
 先生はまだいまいち踏ん切りがつかないようなことを言っている。
 挨拶が済んで、ちょうど空いていたツトムの隣の席に着くと、彼は驚いた顔で「デュエルはできないって聞いてたけど」と言う。僕は頷いて、「色々事情があるんだ」と説明した。先日の騒ぎのこともあったから、ツトムも察してくれたのかもしれない。ありがたいことにそれ以上は何も尋ねてはこなかった。
「キャ〜! ユウキくんっ!」
 後ろから首に腕を回されて抱き付かれ、締め上げられて、僕はたまらず「ぐえっ」と蛙みたいな呻き声を漏らしてしまった。涙目で一段上になっている後ろの席を見上げると、マリカをはじめとするブルーの女子生徒達が、目をきらきらさせながら黄色い声を上げ、僕を見つめていた。僕は冷汗を流しながら愛想笑いをした。


 錬金術の授業が終わるなり、いい遊び道具を見付けたという顔つきのレッド生達が僕のところへやってきた。彼らは五人ばかりで僕を取り囲み、「恒例のあれだな」と言う。
「そんな訳で購買君、この学園の生徒になった以上、お前にも新入り恒例の『デュエル・アカデミア七不思議探索』に行ってもらわなきゃならない。俺達は先輩に突付かれて行ったのに、お前だけ免除ってのはずるいからな。……て、言っても、ユウキは今あの幽霊名所に住んでるんだよな。……なぁ、なんか見た?」
「何も」
 僕は首を振って、「悪いものはいないよ」と答えた。レッド生達はそれで少し考え込んでしまい、「名所は大体やっちゃったからな」と言った。
「じゃあ最後、七つ目の怪奇名所の探索をお前に任せる。森の中の廃寮だ。昼間でも薄暗くて不気味な場所でさ、昔は特待生達が行方不明になったり、闇のゲームや不老不死の研究が行われていたって噂もある――どうだ、怖いか?」
「うーん……どうなんだろう」
「じゃ、決まりだ。肝試しのルールは分かるか? 端末で写真を撮って、画像を掲示板に上げるんだ。変なものが写ってる写真ならなお良しって感じだな」
「いいよ、分かった。肝試しって季節じゃないけどね」
 僕が笑うと、レッド生は毒気を抜かれたような顔になって、「まあそうだけど、頑張れ」と言った。


 僕が学生だろうが何だろうが、仕事はきちんとこなさなければならない。朝一番と昼時、それから放課後は相変わらず購買でトメさんとセイコさんの手伝いをやっている。僕のような生徒を奨学生というらしい。
 何しろ僕には学費を払ってくれる親はいないし、僕の面倒を見てくれている大徳寺先生にこれ以上面倒を掛ける訳にはいかない。
 今日も冷やかしにきたツトムは、ファラオの顔がプリントされたエプロンを付け、床をモップで拭いている僕を見て、「ユウキは本当に偉い奴だね」としみじみ言った。
「このまま疲れたんだって言い訳して逃げちゃえばいいんじゃないかな。あの廃寮はまずいよ。僕らも入学してすぐの頃にちょっと覗きに行ったことがあるんだけど、すごく嫌な感じがするんだ」
「嫌な感じって、幽霊が出そうとか?」
「それもあるけど、なんだか、口では言えないけど変なんだ」
「学園七不思議のひとつって言ってたけど、どんな話なのかな」
「あの寮はいわくつきだから、七不思議のひとつって言っても本当に色々あるんだ。毎年怪談話が入れ替わってる位だよ。生徒が消えたって話もあるし、大男が闇のゲームを仕掛けてくるって話もあるし、ミイラがあるとか、地下に実験室があって、不老不死のマッド・サイエンティストが人造人間を造ってるって話もある。特待生が魔法陣で悪魔を呼び出したとか、精霊を実体化させる磁場が発生しているとか、ともかく挙げたらきりがないんだよ。やめといた方がいいと思う」
「大丈夫だよ」
 僕は笑ってバケツにモップを突っ込み、棚の整理を始めた。
「幽霊は怖くないんだ。それに僕には心強い仲間がいるからね」
『クリクリ〜!』
 ハネクリボーが僕の肩の上で、ちょっと得意そうな顔をして胸を張った。でも精霊が見えないツトムは谷底にまで届きそうな深い溜息を吐いて、「僕も行かなきゃだめかな」と言った。どうやら少し誤解をさせてしまったみたいだけど、一人で肝試しをやるのもなんとなく虚しかったから、ちょっと怖がりの気があるツトムには申し訳ないけど、僕は訂正はしないでおいた。


 購買を閉めて遅い夕食を取った後、僕はツトムと一緒に正門を出てブルー寮を通り過ぎ、森へ入って行った。
 夜の森は心地良い闇に支配されていた。寝ぼけた鳥の奇妙な鳴き声や、無数の虫の羽音、何かが茂みを揺するざわざわという音が聞こえる。森の中はすごく賑やかだった。
「いや〜ん、ユウキ君、私怖〜い!」
「何かあったら私達のこと守ってね。あっでも私、ユウキくんの為なら怖くてもちょっと頑張っちゃうかも〜」
 ブルー女子寮の前では、昼間僕らの話を聞いていたらしい女の子達が待ち構えていた。マリカが僕の右腕を取ってぎゅっと抱き締めている。怖いと言う割にすごくご機嫌だ。
 そして三人ばかりの女の子に絡まれている僕の後ろを、ツトムと恨みがましげな顔をしたレッド生達がのろのろとついてきていた。昼間僕に廃寮探索の話を持ち掛けてきた少年達だ。以前ツトムと一緒に僕の住む幽霊寮に押し掛けてきて、真っ先に逃げ出した顔ぶれでもある。
「……何かこう、転入生の格好悪いところをカメラに収めないと気が済まないよな」
「ちくしょう、男は顔じゃないぞ〜」
「ねぇねぇ、ユウキ君の好みのタイプってどんな子なのかしら?」
 マリカが僕の腕を引っ張った。興味津々という顔だ。「好みって?」と聞くと、「好きなタイプに決まってるでしょ!」と返された。
「僕の好きな人は……ブラウンの髪で、細くて、かよわくて、」
 ブラウンの髪のマリカが「よっしゃ!」と小声で呟いて、片方の手でぐっと拳を作る。
「両眼はグリーンとオレンジの互い違いの色をしていて、暗闇の中で光るんだ。猛獣みたいにね。背中からは骨でできた翼が生えていて、肩と肘から角が生えてる。腕と脚にはびっしり鱗が生えていて、鍵爪と牙がすごく鋭いんだ。あとは……両膝と額に目玉がついてる」
 僕は澱みなく答えた。
「かよわいってレベルじゃないよユウキ。それは女の子じゃなくて化物だよ」
 ツトムが青い顔ですごく失礼なことを言った。みんなも真顔で頷いた。僕はむっとして(ツトムは十代に憧れているなんて言うくせに、何てことを言うんだ)、何か言い返してやろうと思ったが、そこで目の前を覆い尽くしていた茂みが消え、例の廃寮が現れたので、足を止めてぽかんと口を開けた。廃寮は思っていたよりもずっと大きかった。僕は現在住んでいる旧レッド寮のようなものを想像していたのだ。
 地面に横たわった切れたロープと『キープ・アウト』の札が、ただでさえ陰気な廃寮の印象を更に不吉なものにしていた。しかし長年野晒しにされていたにしては、割合まともに建物のかたちを留めていた。
 僕の後からやってきたレッド生が、廃寮を見上げて訝しげにぼやいた。
「おかしいなあ。前に覗いた時はこんなに綺麗な建物だったっけ?」
「そうだよね。遠くから見ただけだったけど、ほとんど崩れてしまってたんじゃなかったかな」
 ツトムも不思議そうな顔をしている。僕が端末を覗くと、時刻は既に午後十一時四十分を示していた。
「写真を撮ればいいんだっけ?」
「馬鹿、外から撮ったんじゃつまんないだろ。中に入って撮れよ」
「ところでさ、廃寮の怪談ってどんなものなの? ツトムに聞いたんだけど、沢山ありすぎて良く分からなかったんだ」
「廃寮の地下には闇の儀式場があって、午前零時にそこへ行くと、闇の精霊が『自分が一番怖いもの』の姿で現れるんだって。心の弱い人間はそいつに闇の世界へ引きずり込まれて、二度と現世には戻って来られないって話よ」
 マリカが僕の耳もとで怖々という調子で囁いた。吐息がくすぐったかった。僕は「ふうん」と相槌を打って、「闇の世界ってどんなところなんだろう」と彼女に尋ねた。マリカは困惑していたが、少し考え込んで、「あの世みたいなところかしら?」と言った。
「死んだ人とか悪霊とか、そういうのがいるんじゃないかしら?」
「死んだ人かぁ……」
 僕は頷き、携帯端末を開いてカメラモードに切り替え、廃寮の入口の扉を調べてみた。鍵は掛かっていなかった。
「急がないと零時になっちゃうよ。どうする、君たちも来る? あまり大勢で行くと、床が抜けちゃうかもしれないから危ないと思うよ」
「ユウキって、おとなしそうなのに意外とサバイバル能力が高いよね」
「住んでるのも幽霊寮だし」
「不思議くんだよなぁ〜。電波だし」
 結局廃寮の中へ入るのは、僕とツトム、マリカの三人だけになった。他の顔ぶれは、キープ・アウトの看板がひっくり返っている辺りで、はらはらした様子で僕らを見送っていた。彼らに手を振り、まず中に入ってすぐ、僕は腐った床板を踏み抜いて転ぶ羽目になった。建物は見た目通りにちょっとした衝撃で崩れてしまいそうだ。床から足を引っこ抜いて、僕は顔を上げ、今にも逃げ出してしまいそうな体勢でいる二人に「大丈夫?」と声を掛けた。
「それはユウキの方だよ。もう帰る?」
「せっかく来たんだし、それになんだかこの寮は懐かしい匂いがするんだ」
 鼻先をくすぐるのは、どこかどろっと澱んだ夜の匂いだった。僕が生まれてからずっと馴染んでいたものだ。僕を抱いていた世界の空気にどこか似ている。
 ツトムは二三度廃寮の空気の中で鼻を蠢かせて、「腐った木の匂いがする」と言った。
「ああ、それとこの感じはなんか嫌だな。昔どこかで嗅いだ匂いだ。確かずっと昔実家にいた頃に、何かは分からないけど」
「どこから地下へ降りられるのかな?」
 廊下のふにゃふにゃになった木の板の上を注意深く進みながら辺りを見回してみた。板を打ち付けられて開かなくなった扉やガラスが割れて枠だけになった窓、倒れた洋服箪笥、砕けたシャンデリア、上り階段らしいものはいくつか見つかったけれど、下へ降りる階段というものはどこにも見当たらない。
 そもそも本当にこの寮には地下室なんてあるのだろうか?
 端末を見ると、時刻は午前零時を少し過ぎていた。簡単に寮の中を見回って、僕らが諦めてそろそろ帰ろうとした時に、どこかから猫の鳴き声がした。
 この島に猫なんて一匹しかいない。
「ファラオの声だ。あいつ、きっと迷い込んじゃったんだな」
「君の猫?」
「うんそう。たまにとんでもないところに入ってっちゃうんだよ。そんで出られなくなって助けを呼ぶんだ」
 鳴き声は細長い通路の先から聞こえてきた。声を追い掛けて僕らが見つけたのは、壊れた扉を潜った先の踊り場だ。深い穴のような階段がまっすぐに地下へと続いている。
 途方に暮れたようなファラオの声はその暗がりの向こうから響いてきた。
「ほ、本当に降りるの?」
 ツトムとマリカは渋っていたが、僕はファラオを連れ戻してやらなきゃならない。あいつはまた狭いところへ入ったはいいけど、腹がつかえて出られなくなったりしているかもしれないのだ。構わず降りていくと、階下には月の明かりも差し込まない真っ暗闇があった。


 ツトムが怖々懐中電灯を点けると、冷たい石の壁が照らし出された。地下は地上部分とは随分赴きが異なっていた。湿気がすごくて息が詰まりそうだ。壁には苔が生えていて、黄色い光を当てると、見ようによっては血の染みのようにも見えた。
 ファラオは階段を降りたすぐ横にある、崩れた壁の隙間にいた。鼠を追い掛けてきたはいいけれど、小さな相手が穴に潜り込んでしまい、追って顔を突っ込み、そこでパズルのように頭がぴたっと嵌まってしまったような感じだった。気を付けて穴から引っ張り出してやると、ファラオはほっとしたように一声鳴いた。
「お前はドジだなあ。どうしてこんなところへ来たんだよ。もしかしてお気に入りの場所なのかな」
 僕が呆れてファラオの尻尾の付け根をぽんぽんと叩いてやると、彼はさっさと階段を駆け上って行ってしまった。もうここには用はないらしい。そして僕らも同じだった。ここにもう用はない。
「そろそろ帰ろうか。結局何もなかったみたいだし、随分冷えてきた」
「そうだね。早く上がろうよ」
「あーんユウキ君、可愛い顔してこんなに頼りになるなんて〜!」
 そして、僕らが元来た道を引き返そうとした時のことだ。
「えっ?」
 急にツトムが背後を振り返って顔を強張らせた。マリカも『なんだろう?』という顔でツトムの視線を追って、
「……きゃああああ〜!!」
 悲鳴を上げる。僕も振り向く。そして目を見開く。
「ユウキ……見えるよね? 黒い、すごく背が高くて変な服着た、サングラスを掛けた男の人だよ」
 ツトムが恐る恐る言う。僕は頭を振った。
「何を言ってるんだよ? そこにいるのは……」
「あいつだ、ミスターTだ。まだ生き残りがいたんだ」
「誰それ? 違うよ、あの人は――
 僕が見ている目の前で、白い病人着の裾がまるでドレスみたいに翻った。かつんと硬い足音がする。鳥みたいな脚の鍵爪が、石の床にぶつかる音だ。
――うわああああああっ!」
 その途端、ツトムが一目散に逃げ出した。
「いやあああっ、大ネズミのお化け〜!!」
 マリカも悲鳴を上げながらツトムの後を追う。僕は一人でぽつんと残された。
 かつん、と再び足音がする。僕は身体が強張って振り向くことができない。俯いて唇を噛み、一度深呼吸をして、喉から声を絞り出した。
「……君なの?」
 かつん、もう一度足音。僕のすぐ真後ろで止まって、じっと僕が何か言うのを待っている。鱗がびっしりと生えた腕が、静かに僕の肩を掴んだ。
 その瞬間、僕の身体は動いた。
「……じゅうだいっ!!」
 僕は振り向きざまに、勢い良く彼の腰に抱き付いた。僕が見上げると、――遊城十代はいつものように互い違いの瞳で綺麗に微笑んでくれた。僕が覚えているままの、透明色をしたはかない微笑みだった。
「ようチビ。どうした、そんな顔して」
 十代は優しい手で僕の頬を拭って、「泣くな」と言った。
「生きてたの?」
 僕は十代の柔らかい胸に頭を擦り付けて、鼻声で尋ねた。
「それとも幽霊なの?」
「そう思うのか?」
「生きてる人の匂いがしないもの。もっとも、僕は君からそんなものを感じたことは無かったけれど。でも、そんなのはどっちだっていい」
「本当にそう思ってるのか?」
 十代が、背中がぞわっとする声で言う。猫撫で声ですごく甘ったるい。十代には似合わない喋り方だ。
『クリ、クリクリ〜!!』
 ハネクリボーが険しい顔をして十代を睨み付けている。十代は冷めた目でハネクリボーを一瞥し、僕を片腕で抱きしめたまま、邪魔っけそうに空いた手で『相棒』を追い払った。
「なんだ、邪魔だなこいつ。星一個の最下級モンスターはあっちいってろよ」
『クリ〜!!』
 ハネクリボーは必死になって僕と十代を引き離そうとしていたが、はたかれてあっさり地面に落っこちて目を回している。もちろん僕の知っている十代は、大事なハネクリボーにこんなことはしない。
「……十代じゃないの?」
「なぁチビ、お前はほんとは、オレが一体何だったのか、すごく知りたいんじゃないのか? この翼は、爪と牙は、鱗は、オレの身体は何なんだ? 誰とも違う、人間じゃない。オレがみんなと違うってことは、オレと同類だったお前もみんなと違うってことだ。だから今のお前は、心の底ではオレのことが怖いんだよ。お前はひとりぼっちで暗い部屋に閉じ込められて、最後には無惨に殺されてしまう十代にはなりたくなかった。あんなみじめな一生を送りたくないんだ。チビ、こいつはお前の恐怖そのものだ。だから遊城十代がここにいる」
 僕は優しく語り掛ける十代の声に耳を澄ませていた。確かに僕は不安だったのかもしれない。
――でもそんなのは、今君の姿をしたものが僕の目の前にいることに比べたら、取るに足らないことだよ。僕は先生も友達も、ファラオも花も綺麗な世界も大好きだ。だけど僕は君が、たとえ偽物でももう一度僕の前に姿を見せてくれるなら、この世界から消えて、皆が僕を忘れてしまってもかまわない。これからも十代が僕を愛してくれるなら、僕は君の愛の中だけで生きていける。他に我侭は言わないよ。傍にいて」
「このままオレと闇の世界を永遠にさまようことになったとしても?」
「かまわないよ」
 僕は迷わずに頷いた。僕の足元でハネクリボーが目を覚まし、僕の足首を羽根で叩いて甲高い鳴き声を上げる。まるで悲鳴を上げているみたいだ。
「僕は十代がいればどこだって楽しいよ。だって僕には元々君しかいなかったんだ。全部が元に戻るだけじゃないか」
 十代の腕がどろっと溶ける。僕の周りを黒い靄が覆い尽くしていく。不思議と僕は闇に恐怖も後悔も感じなかった。それはいつも僕の傍に当たり前のようにしてあるものだったからだ。
――グリグリ……クリ、クリィイ!!』
 ハネクリボーが大きな声で、鋭く一声鳴いた。僕を抱き締めている十代のちぐはぐの目が、怪訝そうにすっと細められる。
「なんだあいつ。仲間を呼んだのか? くだらない。あんな毛玉の親玉なんて、たかが――

『たかが、何だって?』


 十代の目が大きく見開かれ、昼間の猫みたいにきゅっと瞳孔が窄まる。
――えっ?」
 黒い靄がいっそう濃くなり、今まで辺りを覆い尽くしていたぺらぺらの闇を呑み込んでいく。それは長い間僕を抱いていた世界そのものだ。

『低級モンスターがオレの家族をたぶらかそうなんざ、いい度胸だよなァ』


 僕の身体を巨大な蝙蝠の翼のようなものが覆った。真っ黒で、視界も、意識も、すべてが闇の中へ溶けていった。

◆◇◆

 気が付くと、僕はあの思い出が沢山詰まった黒い部屋の中にいた。相変わらず静かだ。時間が停まったように何も変わらない。ここには永遠がある。生も死も飛び越えた、特別な概念がある。
 僕は眠い目を擦り、僕を抱いている十代の膝に頬を擦り付けた。十代はゆっくりと僕の背中を叩いてくれていた。
 ベッドの上にはカードが、モンスター、マジック、トラップ、何枚も並べられている。全部で四十枚ある。僕のデッキは組みあがり、でも僕自身はデュエルをすることができない。
「僕、デュエルやりたい」
 僕は十代に言った。自分でも寝ぼけた声だと思った。
「でも負けると死んじゃうんだよね。死んだら君に会えるから別にいいけど、……痛っ」
 十代が僕の額をぴんと弾いた。彼は呆れた声で、「お前はちょっと背伸びをし過ぎだな」と言った。
「友達と過ごす時間はすごく大事な思い出に変わるんだぜ。一歩一歩地面を踏み締めて、しっかり歩いて行けよ。オレさえいればいいなんて言ってる暇もないくらいに、今を、瞬間をすごく楽しむんだ」
 僕は十代の白い病人着の裾をぐっと握って、「ごめんなさい」と謝った。十代が少し微笑んだ気配がした。
「大丈夫だ。日が暮れるまで、めいっぱい沢山遊んでこい」
 僕は目を擦って十代の胸にしがみ付いた。彼の身体は僕が覚えているよりも小さかった。
 十代が僕を抱き締め、子守唄でも唄うみたいにかすかな声で囁く。
「これからもずっと、なぁ、チビスケ」
 彼の声は優しい。誰よりも僕に優しく響く。

「あいしてる。お前はオレとあいつの、大事な大事な、大事な――

 僕も頷いた。顔がくしゃくしゃになった。
「僕も」
 十代の手を強く握った。

「僕も、あいしてる」

◆◇◆

『クリクリ、クリ〜? クリクリ』
 鳥の鳴き声に混じって楽しそうなハネクリボーの声が聞こえる。窓から柔らかな薄青い光が射し込んできている。空気は冷たく澄んでいる。僕は目を擦って起き上がり、そして低い天井に頭をぶつけてうめいた。
 いつのまにか僕は、いつも寝起きする旧レッド寮の三段ベッドの一番下にいた。昨夜は確か購買の手伝いが終わった後で肝試しをやったような気がするが、上手く思い出せなかった。枕元の携帯端末を開くと、いくつか覚えのない画像が入っていた。入口も壁も屋根も、全部がぺしゃんこに潰れた廃寮の写真だ。腐った廊下や地下室はどこにもない。
 どこからどこまでが夢だったんだろう?
 僕はベッドから顔を出して、梁の上でさっきからうるさく鳴いているハネクリボーの方へ目をやったが、そこには僕のお守りのカードの精霊がぽつんと滞空しているだけだ。
「ハネクリボー、お前今まで誰と喋ってたの?」
『ク〜リ!』
 ハネクリボーはとても満足そうに笑顔で頷いた。僕には良く分からないけれど、楽しそうだったから、良い精霊が偶然通り掛かって、友達になったのかもしれない。
「……良かったね」
『クリクリ〜』
「十代の夢を見たよ。あんまり覚えてないけど、いい夢だったと思う。それより僕はいつ帰って来たんだろう? ベッドに入ったのも、布団を被ったのも覚えてないや」
『クリ〜!』
「え? まあなんでもいいけど、そろそろ起きなきゃ。ハネクリボー、今日は実技の授業がある。初めてのデュエルだよ。よろしくね!」
 ハネクリボーはすごくご機嫌で頷き、僕にウィンクをして、ふっと姿を消した。僕はベッドから抜け出して伸びをした。そして割れた窓を開けて、冬の朝のきりっとした空気を大きく吸い込んだ。



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