十代へ 僕がデュエル・アカデミアに入学して、昔の君とお揃いの赤い制服を着て、高校一年生の授業を受けて、デュエルの実技をやっているって聞いたら、君は一体どんな顔をするかな? 心配そうに僕を抱き締めるかもしれないし、腹を抱えて笑うかもしれない。 はじめのうちは何もかもが分からないことだらけだったんだ。僕は今まで学校なんかに行ったことがないからね。編入試験も一苦労だった。数字や漢字を見ていると頭がぐるぐるする。今もする。 だから僕は編入初日からドロップアウト・ボーイなんて呼ばれている。クロノス教諭だよ、君も知ってるよね? 変な喋り方をするオカッパ頭の先生さ。何日か前に教諭が鶏小屋に卵を盗みに来ているところを見掛けたんだけど、多分これは誰にも言わない方がいいんだよね。 大徳寺先生は僕の期末試験の答案を見て、「とんでもないほうの遺伝子を貰っちゃったのにゃ……」と悲しそうに言っていた。先生は良く遺伝子の話をするけど、それって何なんだろう? 僕と君の関わり方に何か関係があることなのかな? ともかく僕はドロップアウトでも何でも、十代と同じならそれはそれで嬉しい。君はいないけど、僕はこのアカデミアで毎日楽しくやってるよ。 このまま僕は楽しい毎日に埋れるようにして君の顔を忘れていくんだろうか? それは嫌だな。 僕の頭の中は前まで君でいっぱいだった。君しかなかった。君がいなくなったら、今度は君を殺したヨハンへの憎しみだけでいっぱいになった。 でも今はそこに何やかやといろんなものが入り込んできている。訳の分からない化学式や、デュエルの特殊な勝利条件や、友達や先生の顔や、そんないろんなものがね。 僕としては少し寂しいんだけど、君はきっと喜んでくれるんだろうね。ならそれでいいのかもしれない。ただ忘れて欲しくないのは、君が僕を愛してくれるのと同じように、僕が君を愛してるのは何も変わりはないってことなんだ。 もうすぐ冬休みが来る。ツトムもマリカも日本へ帰ってしまうらしい。寂しいことに二人みたいに実家へ帰る生徒がほとんどだけど、僕のようにアカデミア残留組もいる。 昔、冬休みにアカデミアに残っていた生徒のところにサイコ・ショッカーが現れたって話を聞いたんだけど本当かな。アカデミアは本当に怪談の話題には困らない不思議な島だね。 冬休みに入ったら一度君に会いにいきたいな。大徳寺先生に頼んでみよう。 色々話したいことがあるんだ。お墓の上からだけど聞いてくれるかな。 そこは冷たくはない? 寒かったら毛布を持って行ってあげるからそう言って。 じゃあまたね。ばいばい、おやすみ。 ◆◇◆ 南海にぽっかりと浮かぶ島の上に活火山と同居をしているデュエル・アカデミアにも、意外に厳しい冬が来る。木々は枯れ、森から虫の声が消えて、風は鋭さを増して上空のほうでひゅうひゅうと唸っている。僕はまだ見たことは無いが、時には雪が降ることもあるらしい。 太陽が秋頃よりもいくらも素早く引っ込み、夜がやってきた。 大徳寺先生はコタツに身体を突っ込み、首から上だけ出した格好で、生徒達に年賀状を書いている。僕はファラオを膝の上に乗せて蚤を取ってやっていた。ブラシを入れられるのも蚤を取られるのも嫌いじゃないファラオはされるがままになっていたが、僕が時折うっかりごわごわした毛を蚤と一緒に引っ張ってしまうと、文句を言うように短く鳴いた。 僕は蚤取りの手は止めないまま、「十代に会いたいよ」と切り出した。 「先生、僕はゆっくりあの人のお墓参りもしていないんだ。花瓶を無くした枯れたひまわりの花を供えてあげたっきりだ。なんだか落ち付かないよ。あの街に僕ら以外に十代のお墓の面倒を見てくれている人がいるとも思えないから、きっと今頃は埃だらけになっているんじゃないかな。墓石が汚れてちゃあんまりだし、僕はあの人のお墓の前で聞かせてあげたい話が沢山ある。新学期が始まってしまったら、またしばらくは空いた時間っていうものも無いだろうしね」 大徳寺先生は筆を置いて頬杖をつき、「そうですにゃあ」とちょっと困った顔をして頷いた。 「先生も君には悪いことをしたと思っていますのにゃ。きちんと一から説明をしてあげた方が良かったんですが、あまり確証のないことも言えないにゃ。それで困っていたんですにゃ。そろそろ用事も済んだことですし、一度君の生まれた街へ戻って落ち付いて話をしましょうかにゃ」 「話すこと?」 「十代くんの話ですにゃ」 僕は少し迷ってから頷いた。十代。僕は多分彼の一番傍にいたのに、彼のことを何にも知らない。僕が知っているのは、十代がやさしくてかよわくて、いつもベッドの上にいたということだけだ。 そこに勢い良く寮の部屋の扉が開き、小柄な体格の男が飛び込んできた。 「ちょっと待って! 話は聞いたよっ!」 翔だった。彼は兄弟でプロ・リーグを立ち上げたり、自らプロを相手にデュエルを行ったりもしているすごい人らしいのだが、しばらく前から何故かこの旧レッド寮で生活をしている。仕事がすごく忙しいという話を聞いたことがあるのだが、こんなところに何日も留まっていて大丈夫なのだろうか? 「リーグはお兄さんが見ててくれてるから心配ないよ。ボクの気が済むまで真相を追い掛けて来いと言ってくれたんだ。真相を追い掛けるというか、まあありていに言えば、ボクの気が済むまでアニキを殺したヨハンをブッ倒してこいという意味だと、ボクは取ってるんだけれどね」 翔が僕の心を読んでいるみたいに言った。 「それよりアニキのお墓参りに行くらしいね? ボクを置いてく理由はないよね。なんたってボクはアニキに関しちゃこの中で一番の古株なんだ。弟分の中では一番の兄貴分なわけ。つまりボクはきみのアニキなんだ、フリル似くん。わかるよね?」 何だか言っていることが無茶苦茶だが、翔はこれでも十代と関わりのない分野では、非常にまともな常識人らしい。僕はまだまともな翔というものを見たことがないけれど、彼が非常に十代のことを尊敬し、愛しているということは嫌という程理解できていた。十代も大変だ。 「翔は、」 「翔『さん』だよ。歳下のフリル似のガキに名前を呼び捨てにされるいわれはないよ」 「翔さんは、十代のどこが好きなの?」 僕はちょっとした興味で尋ねてしまってから、しまったと思った。翔の目が、『よく聞いてくれたもんだね』とばかりにぎらっと輝いたのだ。これは長い話になるかもしれない。 「アニキはね、兄貴の中の兄貴なんだ。ボクは天真爛漫で太陽みたいに輝いていて、そして誰よりデュエルを愛するアニキに、初めて出会った時に間違いなく運命を感じたんだ。この巡り合いはきっと前世から約束されていたことなんだよ。ボクとテストの成績はそう変わりがなかったのに笑顔で「オレが一番強いし」と断言できる自信、そしてひとを惹き付ける言葉では言い表せない魅力がある。アニキの輝きというやつだね。ボクはアカデミア在学時代の三年間、ずっと一番傍でアニキを見ていたんだ。その間何度も何度もおジャマ虫が現れた。アニキに突っ掛かっていくのが趣味みたいな意地悪ツンデレ男、イヤミで生意気な後輩、恐竜男にワニ男、ヤンデレ精霊、アニキの隣を虎視眈々と狙ってくるフリル魔王――他にも数え切れないくらい。でもボクがアニキの一番の弟分の座を譲ったことは一度もないよ。ボクは昔から、そして今も、これからもアニキを世界中で一番リスペクトしてると、これだけは自信を持って言えるんだ。昔の無邪気なかわいこちゃんだったアニキ、そして大人になって物凄く色っぽい美人に成長したアニキ――もう大好きだ。ボクは、アニキが、大好きなんだよおおおお。それなのにどうしてボクを置いて逝ってしまったんだアニキぃ……! しかもあのフリル野郎なんかに殺されるなんて! あんなちょっと電波なだけの筋肉野郎に! アニキが本気を出したらあんな奴小指で捻れるだろうに、きっと浮かばれないに決まってるよおおお!!」 思った通り、長い話になった。途中からは涙声で内容が良く聞き取れなかったけれど、彼がどれだけ十代のことを大切に想っているのかはとても伝わってきた。相変わらず僕の中の十代像とは、微妙に食い違っていた。 この島へやってきて初めて知ったことがある。十代のことを自分のことのように、いや、それ以上に心配して悲しんでいる同窓生たち。十代に憧れる在校生たち。 遊城十代の周りには、昔は沢山の人間がいたそうだ。 「……友達がいたんだよね、十代」 「あん?」 僕がしみじみとそう呟くと、翔が涙をすっと拭って片眉を上げた。すごく気に食わないと言う顔をしている。 「当たり前だろ? 見えない友達しかいないフリルや万丈目くんや、クイズしか友達がいない神田くん達とは違うんだよ、アニキは。皆の中心で光り輝いているのが似合う人なんだよ。それをなに? 根暗で貧弱な引き篭もりみたいに言うな」 「うん、僕が知ってる十代はいつも一人だったから、この島へ来てあの人の話を聞くとほっとすることがある。十代はみんなに大事にされていたんだね。本当に良かった」 僕が笑うと、翔はぐっと詰まって、それから大きな溜息を吐いた。 「……やめてよね。そんなこと言われたら、独りぼっちのアニキを想像しちゃうじゃないか。ともかく、ボクは行くんだ。あのアニキのお墓だぞ。つまらない普通の墓石じゃ許さないからね。アニキの等身大の彫像と噴水とお賽銭箱とかが置いてあるくらいじゃないと」 「それはそれで、アニキは嫌がりそうだドン……」 開きっぱなしになっていた扉から、剣山がひょいと顔を出し、「夜分ご迷惑を掛けるザウルス」と言った。彼は怖そうな見た目とは裏腹にすごくいい奴で、十代のことになると見境がなくなる翔のストッパーのような存在だった。僕はこれまで何度も翔に問い詰められているところを彼に救われているから、初対面の頃の印象を正反対に改めていた。 「丸藤先輩、もう夜も遅いザウルス。良い子は寝る時間だドン。子供の睡眠のジャマしちゃ悪いザウルス」 「離せ剣山! ボクまだ全然アニキを語り足りてないんだぞ!」 「その話ならオレだっていっぱいあるドン。でもまた明日ザウルス。じゃ、お騒がせしたドン」 剣山が翔を引き摺って連れていく。扉が閉まり、室内は静かになった。しばらく空白の沈黙があって、大徳寺先生の「書き終わりましたにゃあ!」というほっとしたような声が上がった。ようやく年賀状を書き終えたらしい。先生は騒音や人の話を、まるで川のせせらぎや鳥の声みたいにして聞き流してしまえる人なのだ。 「先生、翔……さん達も、十代のお墓参りに来るのかな」 「今夜のうちに逃げちゃった方が、後々ややこしくなくて良いでしょうが。でも見つかると怖いにゃ。……仕方ないでしょうにゃあ。そう無体はしない……と思いますし……」 先生はかなり自信が無さそうに、「話せばきっと分かってくれるはずですにゃ……多分」と言った。 話す? 十代のことを? なんだか気が重くなったが、僕は襲ってきた眠気に抗えず、自分の部屋のベッドに戻ってもう休むことにした。 翌朝一番の船で、僕らはアカデミア本島を出た。そして名前も知らないいくつもの島を通り過ぎて、数日を掛けて海上を旅した。もちろん保護者の大徳寺先生が一緒だ。彼はいまいち頼りにならない事も多いが、僕が生まれた時から知っている数少ない人間の一人だった。 宣言の通りに翔と剣山も、まるで探偵とその荷物持ちの助手のような顔をして僕らに同行した。二人共が値の張りそうな黒いスーツ姿だった。喪服というらしい。剣山は堅苦しいスーツが気に食わないらしく、「息が詰まるドン……」と零していたけれど、翔が許さなかった。彼は少し十代を神聖視し過ぎるきらいがあるようだ。 「アニキのお墓参りだよ? いい加減な格好はアニキが許してもボクが許さないよ。おいそこのフリル似! きみもだよ。そんなぼろぼろのシャツなんか、しかもなんかちょっと臭うよ。ちゃんとお風呂入ってる?」 「か、勘弁してよ」 僕は慌てて翔から離れた。風呂は苦手だ。 数ヶ月前に辿った道のりを遡り、大きな大きな船から僕らを迎えにやってきていた潜水艦に乗り換え、海中へ潜っていく。 そして青い海のなか、あの冷凍ピザのような白い街が、久し振りに僕の目の前に姿を現した。 「――て、ここ、デュエル・カレッジじゃないか!」 街の港に降り立ったところで、黒い潜水艦を背に、翔が叫んだ。 「しかも成金が道楽で建てたって噂のアトランティス校! アニキと関わりのないものランキングのトップ五に入れるよ。こんなところに何の用があるっていうのさ。アニキが進学組だったなんて話は聞いたことがないよ」 「え、あとらんてぃす? ここが?」 僕は驚いて翔に訊き返した。話には聞いていたけど、まさか僕の故郷がそうだとは考えたこともなかった。そう言えば僕は自分が生まれ育った街の名前も知らないのだ。 「確かこないだ、ヨハンの進学先だと聞いたドン……」 剣山が二人分のスーツケースをそう苦にした様子もなく抱えてやってきた。『アニキの弟分』の上下関係が厳しいのか、剣山が翔本人に頭が上がらないのかは僕には分からない。この二人が十代と一体どういう話をしていたというのか、相変わらず僕には見当もつかない。テンションが違い過ぎる。十代はとても繊細で、物静かで穏やかな人なのだ。面倒見の良い剣山が十代の兄貴分だと聞かされた方が余程しっくり来る。 「それよりもおチビさんは大丈夫ザウルス? 確かアニキのカードを盗み出した犯人として、アトランティス校から引渡しの要請を受けていたドン」 剣山がひそひそ声で言う。そこで僕は相変わらず大荷物で桟橋で苦戦している大徳寺先生の元へ駆け寄って行き、袖を掴んで顔を見上げた。 「先生、どうしよう? 僕が十代のデッキを盗んだなんてことになったら、ハネクリボーのカードも没収されちゃうんじゃないかな」 『クリ〜……』 ハネクリボーも僕の頭の上で、困ったような声で鳴いている。大徳寺先生は僕にスーツケースを二つ渡して、片手を空けて僕の頭を撫でた。 「大丈夫にゃ。その件に関しては〜、ええと、多分、解決したと、聞いていますにゃあ。……余計なこと言わなきゃ良かったにゃ」 「え?」 「な、何でもないにゃ! それよりも荷物が重いので、一旦寮に預けに行くのにゃ。ファラオの餌も買わないといけませんし、先生もお腹が空いちゃったのにゃ〜」 大徳寺先生は誤魔化すような空笑いをして、スーツケースを引き摺って街の西の方角へ向かっていく。教員や研究員の寮がある区画だ。足を運んだことは無いけれど、以前近くの商店街の中にあるカード・ショップへ連れて行ってもらったことがある。 「ふーん、寮に部屋があるんだ。ねぇ、きみの保護者の先生だけどさ。もしかしてこの街の出身?」 「うん。多分ね。僕が生まれた時から知ってるよ。いつも病院で十代を看てくれていたんだ」 「……へぇ〜」 翔は目を半分眇め、疑惑の顔で大徳寺先生の背中を見送っている。剣山が通り際に不思議そうな目で翔を見て、「何してるドン」と言った。 「二人共、置いてかれるザウルス」 「分かってるよ、この冷血動物。それよりここは、なんていうか……」 翔はきょろきょろと辺りを見回し、「物々しい街だね」と言った。確かに僕が知っていたころの街とは、かなり様相が異なっていた。前はもっと沢山の潜水艦が停泊していて、港も人々で賑わっていたのに、今は僕らきりだ。それに今のように腕章を付けた学生が鋭い目で見張りをやっていることもなかった。何かのイベントでもあるのだろうか? 訝しく思いながらも、先に行ってしまった大徳寺先生を追い掛けて歩き出した矢先のことだった。腕章を付けた学生(だろう、たぶん)のグループが、すれ違い際に僕の顔を見て「あ」と声を上げたのだ。 彼らは足を止め、僕を見て変なことを言った。 「アンデルセン先輩じゃないですか。お帰りなさい。今日もユウキさんは一緒じゃないんですか? ……具合はどうですか? 皆心配してるんですよ。また元気な顔を見せて下さいって伝えてくださいね」 「ユウキは僕だけど」 「あ、そうでした。すみません、以前の癖が抜けなくって。それにしても、ユウキさんすごい美人ですよねー! 先輩と並ぶと美男美女っていうか! おめでとうございます!」 まるで話が噛み合わない。 一言二言交して学生達が行ってしまった後で、僕は後ろから翔にすごい力で肩を掴まれた。 「……やっぱり、前々から怪しいと思ってたんだけど、お前本当はヨハンなんだろう? その灰色の目はカラー・コンタクトなんだろう? ボクには分かってるんだ。そんな小手先の変装でボクの目を欺こうなんて考えないでよね。一体何を企んでるの?」 「ちょっ、ちがっ……いたたたた!」 まさか僕がヨハンな訳がない。でも翔はまるで僕の話を聞いていなかった。僕の足を踏み、頬を抓る。完全に私刑モードだ。 助けを求められそうな剣山はというと、腕組みをして考え事をしているようだ。「ユウキ……ユウキ、ザウルス?」と首を傾げている。僕の名前なんかどうでもいいから翔を宥めて欲しい。 「ふん、まあいいよ。まずはアニキ第一だ。せいぜい首を洗って待っておくんだね。ていうかちゃんとお風呂に入りなよ。汗臭いよ」 翔は僕からは一瞬で興味を無くしたらしく、ぷいと顔を背けてさっさと歩いて行ってしまう。何度も思うことだが、彼が十代の弟分だなんて絶対に嘘だ。十代は一体どういう方法であの狂暴な男を手懐けたっていうんだろう? 「ううん、なんか引っ掛かるザウルス……アンデルセン先輩と並ぶと、美男美女のユウキさん?」 剣山は眉間に皺を寄せて唸っている。僕もひとつ気になることがある。僕の生まれた街は、デュエル・アカデミアのような学園都市だったそうだ。十代を殺したヨハンは、この学校に在籍していた。学生達の話しぶりからすると、彼はまだこの街の住人らしい。 僕の中の憎悪の塊が、またのっそりと頭をもたげてくる。 ヨハンは十代を殺したこの街で、逃げも隠れもせずに、今も以前と変わらない暮らしを送っているのかもしれない。勉強したり、友達と笑い合ったり、食堂で食事をしたり、僕がここしばらく過ごしていたような楽しい学生生活をだ。 彼に殺された十代はもう息をすることもできないのに? ものを考えながら歩いていると、いつのまにか大徳寺先生はもとより、翔と剣山の背中も見えなくなっていた。 「……あれ?」 寮らしい建物はいくつか並んでいるが、行き交う人間の顔ぶれは教師や研究員という感じじゃない。若々しく、僕とそう歳も変わらないようだ。どう見てもカレッジ生だ。すると僕は学生寮が建ち並ぶ区画へ迷い込んだことになる。 学生寮は街の南だったろうか? それとも北だったろうか? 分からない。 僕は方向音痴なのだ。とにかく立ち止まっていても仕方が無かったから、大徳寺先生のスーツケースを抱えたまま、見知った路へ出ることを期待して歩き出した。故郷で迷子になる人間というものは、どこかしら救いようのないように思えた。 結局それから二時間ばかりさまよう羽目になった。 人魚の像が建っている公園のベンチで一休みして、僕はアカデミアから支給された端末をポケットから引っ張り出した。大徳寺先生に連絡を入れて迎えに来てもらえればいいなと考えたのだが、液晶パネルには圏外とくっきりと表示されている。こいつは海の底では使いものにならないらしい。 時刻は十八時二十分になったところだった。なんにしろ早い所知り合いを見付けなければ、僕はせっかく生まれた街へ帰って来たというのに、今夜一晩を公園で明かす羽目になる。 誰か親切そうな人間を見付けて道案内でもしてもらえれば一番良いのだが、また人違いをされるのも癪だ。何故僕が、最愛の人間を殺した人間に間違われなければならない? これでも僕はアカデミアで皆の目の前でヨハンを見るまで、すごく不安を抱いていたのだ。僕はこう考えていた。 ――僕が十代を殺したんじゃないのか? あの時、僕は僕の顔を見ていた。つまり僕が見たのは鏡かなにかで、僕の中にある狂暴な衝動が、最愛の人を完全に損なってしまったんじゃないかという不安に取り付かれていたのだ。ヨハンと僕はあまりにも似過ぎていた。 何故ヨハンは僕と同じ顔を持っているんだろう? 彼は何故十代を殺したんだろう? 僕と同じ顔の殺人者が実在すると知った今、僕は何一つヨハン・アンデルセンという人間を理解することができない。 頭を振って溜息を吐き、頭の上にとまっているハネクリボーに「お前、先生がどこにいるか分からない?」と尋ねてみた。ハネクリボーは相変わらずくりくりと鳴いていたけれど、ふいにふわっと浮き上がった。どうしたのかと思えば、人待ち顔で滞空している。 「なに? 誰か迎えに来てくれたのかな」 ハネクリボーの視線を追うと、そこで奇妙なものを見付けた。 精霊だ。紫色の体色の、ハネクリボーと同じ位の小さな精霊だ。赤い宝石のような目をしていて、猫にも犬にも似ていない。不思議な動物だ。そいつは僕の足元まで勢い良く駆けてくると、座り込んでじっと僕の顔を見上げ、そしてくるっと後ろを振り返った。主人を待っている犬みたいな感じだった。 「――ああ見つけた。もう大丈夫だ、戻れ。ありがとうルビー」 澄んだ声が聞こえた。すると精霊は勢い良く走って行き、主らしい人間の身体を身軽に上り、肩に乗って毛繕いをはじめた。ルビーという小さな精霊は、とてもリラックスした様子だった。主人のことを誰よりも信頼しているのだろう。 僕は立ち上がった。癖のようなもので、拳をぐっと握り込んでしまう。手のひらに爪が食い込んだせいで、鈍い痛みを感じた。でもそんなものはどうということもない。 十代が感じた痛みに比べれば。 その男は、以前学園で一度見掛けた時とは少し印象が異なっていた。紫色のフリル付きのシャツを着て、黒っぽいジーンズと白いスニーカーを履いていた。今日はサングラスを掛けてはいなかったから、相変わらず僕とそっくりな顔が晒されていた。 ただ眼の色だけが違っていた。人殺しのくせに、美しく理知的なエメラルドグリーンの瞳をしていた。 「やあ、こんにちは。君にきちんと挨拶をするのは初めてになるのかな」 ヨハンが言った。 |