十代へ 大人というのは、嘘をつく生き物だ。目を逸らしながら、あるいは笑顔で、彼らは僕を騙す。 君だって例外じゃない。僕が十代と交した、『きっと』、『いつか』、『もしも』、『僕が大人になったら』――もう何一つ約束は果たされない。 僕は嘘吐きの大人でも、君を愛している。嘘吐きの大人でも、君は何よりも綺麗だった。僕は世界中のどんな宝石よりもきらきらした君の不思議な瞳が大好きだった。君の口が言うなら、嘘でも何でもすごく本当のことに聞こえた。少なくとも僕にとっては、君の言葉は本当よりも本当のことだった。 ただ僕は君じゃない大人が分からない。あまり好きじゃない。大徳寺先生のことは好きだけど。 だけど僕は、そんな良く分からない大人にならなくちゃいけない。それも今すぐ。 大きな手を、大きな身体を、強い力を、賢い頭を、僕はできる限り素早く手に入れなければならなかった。僕は強く望んだ。すごく強く強く望んだ。早く大人になれますように。僕から十代を奪った奴に負けないくらい強い大人の男になれますように! その為なら僕も嘘吐きになったって構わないと思ったんだ。 僕の願いは叶えられて、僕は素早く大人になった。昔優しくて独りぼっちの君とどうしても話をしたくて、大急ぎで言葉を手に入れた時のようにね。 今の僕を見て、君は僕だって分かってくれるかな。僕はもう君のかぼそい腕でも抱き上げられていた小さな子供じゃないんだ。君の薄っぺらい肩を抱き締めてあげられるくらいに、僕の身体は成長したんだ。十五歳のアカデミア生達の中に、何食わぬ顔をして混じり込んでいられるくらい。 僕は大人になったから、きっともうすぐ君の痛みをヨハンに返してあげられる。 そしたら、僕は―― どうしよう? 僕の中の憎悪と殺意が用事を済ませて空っぽになってしまったら、またひとつ君と僕を繋ぐものが失われてしまうような気がする。君との思い出は楽しいものばかりで、思い出すだけで気持ちが良くなってしまうものが沢山あるはずなのに、ヨハンへの憎しみが一番強く僕のなかに君の姿を焼き付けているというのも変な話だよね。 最後に、これまで僕は随分沢山の手紙を書き溜めた。これは君に宛てた手紙な訳だけど、どうやったら天国の君に届けられるだろう? 僕は随分考えた。それで思い付いたんだけど、この日記帳を燃やしてしまえば煙になって空高くまで届くんじゃあないかな? ノートを焼く時は火事を起こさないように気を付けるよ。 空きのページももうない。だから君への手紙はここまで。 それじゃあね。いつか僕も死んでもう一度巡り合える日まで、しばらくお別れだ。天国でもカードが大好きな優しい君でいて欲しい。君の眠りが安らかなものでありますように。 さよなら十代。僕の優しい、大切なママ。 君をあいしてる。 ◆◇◆ 僕はヨハンにぴたりと視線を合わせ、目を離さないまま、「おいお前」と呼び掛けた。喉から出た声は僕のものとは思えないくらいに強張っていて、かさかさに干乾びていた。 「僕とデュエルしろよ」 ヨハンはまるで気負いのない仕草で髪をかきあげて、「驚いたよ」と言った。 「俺が見てない間にでかくなったもんだなぁ、お前」 彼はまるで話を聞いていない。僕のことを相手にしていないようだ。苛立っている僕に構い付けもせず、ヨハンはすごく静かな声で言った。 「――十代を覚えているか?」 当たり前だ。僕はヨハンを強く睨んだが、彼にはやはり特に気にした様子もない。生まれつき他人の悪意に鈍感な人間なのかもしれないし、もしかしたら僕の悪意はきちんと彼に届いていて、その上でヨハンは問題にもしていないのかもしれない。どっちだって腹が立つことには変わりがない。 「覚えてる。何があっても忘れるもんか。僕の十代。優しくて、かよわくて、僕の一番大切な人だったんだ。十代がお前に何をしたっていうんだ? あの人は何もしてない。ううん、何もできなかったんだ。いつもベッドの上で、身体中包帯だらけで、目を悪くしていたから本も読めなかった。なんでそんな十代が、お前に傷付けられなきゃならなかった?」 ヨハンはしばらく黙ってじっと目を閉じていたが、肩を竦め、気の毒そうな顔で僕を見た。 「悪いな。お前には変なところを見られちゃったと思ってる。少し歩かないか?」 「……僕も殺すの?」 「安心しろ、取って食いやしないさ」 ヨハンはにっと笑った。人殺しのくせにまるで邪気のない顔だった。彼は鳥寄せでもやるみたいに腕を伸ばして、僕の傍で困りきった様子でふわふわ浮いているハネクリボーを呼んだ。 「お前もありがとう。今まで世話を掛けたな」 『クリクリ〜……』 ハネクリボーはヨハンの傍へ行って、すまなさそうに目を伏せ、そして唐突にぱっと消えた。僕が胸から下げているカードへ戻ったのだ。おかしなことに、カードの元の主の十代のことが大好きだったハネクリボーは、十代を損なったヨハンに対して怒りや憎しみと言った感情を抱いてはいないようだった。 どうして? 「……ハネクリボー、なんで怒ってくれないの? お前はほんとは十代の精霊なのに」 「精霊はカードの主をとても大切に思っている。そうしないのは、立ち止まっている暇がないからなんだ。ハネクリボーにはやるべきことがあったんだ。お前の傍で十代のかわりにお前を護るっていう仕事がさ」 「お前も精霊が見えるの? なんでお前はそんなに僕に似ているんだ。お前の顔も、髪の色も、精霊が見えるのも、全部僕と……」 僕は混乱していた。間近で見るとヨハンはいよいよ僕にそっくりだった。そのくせ彼には僕のように、まるで写し鏡のような人間を目の前にして動揺するような様子はなかった。 ヨハンは今更だというふうに、僕の目を見て大真面目な顔で言った。 「当たり前だろ。だって俺はお前の父親だもん」 僕は息を呑んだ。喉から声にならない音が零れた。風を切るような、ひゅっという鋭い音だ。 僕は顔を上げてヨハンを睨んだ。その男は、何の関わりもない他人にしては僕に似過ぎていた。 でも、それでも―― 「嘘だっ!」 「嘘じゃないさ」 ヨハンはすごくあっさりと言った。当たり前のことだけれど、僕には到底信じることができなかった。納得もできなかった。できるわけがない! 「それならなんでお前は十代を殺したんだ!? 十代が言ってた。僕の父さんは今はまだ遠いところにいるけれど、会えなくても僕と十代のことを、世界中の誰より愛してくれてるんだって!」 「色々と事情があったんだ」 「事情があったら大好きな人を殺してもいいの? お前は嘘吐きの大人だ。十代を愛してる人間が、十代を殺すはずなんかないじゃないか」 ヨハンは僕に詰られても、ただ少し悲しそうに頭を振っただけだった。彼はゆっくりと公園を横切り、一度僕を振り返って微笑んだ。 「おいで、ジュニア。あの部屋で話をしよう。良く覚えてるだろ。お前が十代と過ごしたあの黒い部屋だ。俺達の家さ。お前が知りたいことを教えてやるぜ。本当にお前が知りたきゃだけどさ。つまり、お前がこれから普通の人間として生きてくつもりなら知らなくたって良いことなんだ。分かるだろう?」 身体にかすかに震えが走った。僕の心の奥底にある十代へのひとかけらの疑念を見透かしたように、ヨハンは言ったのだ。彼はそれを、本当のことを知っているのだろうか? 「……十代は、人間なの?」 「そう、その話さ」 ヨハンが頷いた。 僕と十代が暮らしたあの黒い部屋は、僕がこの街を後にすると、群れからはぐれて寂しく死んでいく渡り鳥のように、誰の手も入らず、忘れ去られて、ひっそりと施設の片隅に残っていた。扉には鍵が掛かっていた。ヨハンが慣れない手つきで鍵を開けると、相変わらず暗闇一色に塗り潰された部屋が、獲物を呑み込もうと口を開ける巨大な魚のように、愛想のない扉を開いた。 人の出入りがなかったせいか、思ったよりも部屋の中は汚れてはいなかった。ただ主を亡くした部屋はすでに役割を見失っていた。まるで部屋そのものが無機質なお墓のようにも見えた。デュエル・アカデミアの幽霊寮や廃棄特待生寮と同じだ。十代がいつか話して聞かせてくれた、エジプトにあるファラオのピラミッドみたいだ。僕は最近そんなふうに役割を終えて半分寝こけているみたいな建物に足を踏み入れることが多いせいで、墓荒らしみたいなことをしている気分になることが良くある。 でも残念なことに、僕があの頃感じていた静かなまがいものの永遠は、もう部屋のどこにも見付けることはできなかった。十代がいないというだけで、そこはもう僕には全然知らない空間のように思えた。 ヨハンは迷いなく暗闇の中を歩いていき、十代がいつも白い病人着を着て座っていたあのベッドに腰掛け、携帯を開いてどこかへ電話を掛けている。彼も暗闇を見通す眼を持っているのだろうか? 回線が繋がると、ヨハンは電話線の向こうの相手に親しげに話し掛けた。 「やあ、幽霊先生。ジュニアは無事見つかったよ。もう心配はいらない。そっちも……ああ、翔達が一緒なんだな。色々大変だろうけど、よろしく頼むよ。それじゃ」 「……誰と話してたの?」 「お前も良く知ってる大徳寺先生だよ。お前のことを随分心配していた。遺伝子的にお前がまともな方向感覚なんて持っているはずが無いんだから、もうはぐれないように気を付けるんだ」 「なんでお前が大徳寺先生を知っているの?」 「そんな所に突っ立ってないで、中に入ったらどうだ?」 ヨハンが僕を手招きしている。僕は口の端を下に曲げて、入口から一歩部屋へ踏み入り、扉を閉めて背中を預けた。ヨハンは膝の上に肘をつき、両手を顎の下で組んで、僕を興味深そうにじっと見ていた。 「幽霊先生……大徳寺先生は、十代のアカデミア時代の恩師なんだ。あまり頼りにならないけど、何だかんだでいつも十代の面倒を見てくれてた。ラビエルを借りに行くついでに、デュエル・アカデミアへお前を一緒に連れてってやってくれと頼んだのは俺なんだ。お前は俺の不注意のせいで見なくていいものを見てしまった。あのまま十代がいないこの部屋で生活を続けるのはお前にとっても良くない」 「……先生も、お前の共犯だって言うのか?」 「共犯ね。まあそうだ。幽霊先生は十代に頭が上がらないみたいだからな」 「どうして十代の話がそこで……」 僕はその先の言葉を飲み込み、ヨハンが座っているベッドへ、そしてその先にある分厚いガラス越しの真っ黒の海へ目をやった。そして数ヶ月ばかり前にこの部屋を支配していた穏やかな闇の気配を思い出してみた。ただ暗いってだけじゃない。優しい、母親の胎内のような優しい闇だ。 十代は僕が庭の植物の水やりや先生の手伝いや買物を終えて帰ってくると、ベッドの上から僕の方を見て、微かに微笑んでくれたのだ。彼の笑顔はすごく透明で、僕は十代に微笑み掛けられる度に、わけもなく寂しくて切ない気持ちになった。その透明な微笑みが段々彼の身体全部へまで染みとおり、そのまま彼の存在そのものが透き通って消えてしまうんじゃあないかという気分になった。そして、その通りになった。はかない人だった。 僕が物心ついた頃には、まだ彼は『どちらかというと』人に近かった。ある時十代が体調を崩して会えなくなることがあり、数日ばかり過ぎると、いつのまにか彼の背中には一揃いの白い骨の翼が生えていた。 『綺麗だね』と僕は言ったのだったと思う。十代はにこっと笑って、『格好良いだろ?』と言った。僕は頷いて、『僕も大人になれば生える?』と聞いた。『それはどうかな』と十代は答えた。僕はちょっと機嫌を損ねて、『どうして?』と尋ねた。そういうのが、かつての僕の普通だった。 だけど『普通』の人間には、『普通』は翼なんか生えないのだ。 「……十代は何なの?」 僕はヨハンに尋ねた。 「何って言うと?」 「とぼけるな。お前は知ってるんだろう? 十代は皆と違い過ぎる。僕は今まで、外へ出て沢山の人を見てきた。だけど十代みたいな人はどこにもいなかったんだ。一人もいない。翼の生えている人間なんていない。不思議な目も鱗も爪も牙も誰も持っていない。皆が言ってた。そんな人間が本当にいるとしたら――」 「そう、怪物だ」 ヨハンは、僕がひそかに恐れていたことをあっけなく肯定した。 「十代は異形の怪物だ。人知を超えた存在だ。人間じゃない。醜い竜だ。化物だよ」 「――あの人が怪物だから、お前は十代を倒したの?」 「じゃあお前は、十代が怪物だから倒すって考えるのか?」 僕は首を振った。 「考える訳がないよ。僕は十代が悪い怪物で、皆に迷惑を掛けるような困ったやつだとしても、僕だけはあの人の味方だ。傍にいてあげるし、守ってあげる。十代をやっつけようってヒーローみたいな奴らがやってきてもね。十代はかよわいんだ。僕がいなきゃ何もできない」 「俺も同じ考えだよ」 ヨハンが頷いた。彼はひどいことを言うくせに、声にはまるで悪意が感じられず、どこか誇らしげですらあった。 「たとえどんな姿に変化しても、どんなに凶悪な怪獣になっちゃっても、俺の気持ちは何も変わらない。そのくらいで揺るぐような絆じゃ、家族なんて名乗れないさ。でも十代はかよわくなんかない。ここだけはお前と意見が違う。あいつは誰より強い。俺と同じくらいに強い」 「……僕の知らない十代を知っている人はみんなそう言うけど、僕には分からない」 「一度デュエルをしてみるといい。すぐに分かるさ」 ヨハンはまるで十代が生きているみたいに言った。僕はその瞬間、頭の中がかっと熱くなって、思わず大きな声で叫んでいた。 「――お前が殺したくせに! 僕は、約束だってしてたのに、やっとデュエルができるようになったのに、もう十代はどこにもいない。いつかきっと楽しいデュエルをしようって約束をしていたのに、僕は嘘吐きになった。十代も嘘吐きになっちゃった。全部お前のせいなんだ!」 僕は芯の方から沸き起こってきた衝動に任せて、ヨハンに殴りかかっていった。左腕に装着した赤いディスクを展開し、腕をベルトから引き抜いて振り被った。 ヨハンは危なげなく振り下ろされたディスクを手のひらで受け止め、捻るようにして取り上げて、真正面から僕の額を拳で殴り付けた。彼は優美と言ってもいい姿態をしているくせ、力が馬鹿に強かった。おかげで僕は平目みたいに床に這いつくばる羽目になった。 「それは人を殴るもんじゃない。お前はアカデミアで何を教わってきた?」 視界がぐらぐらにぶれていた。軽い脳震盪を起こしたようだ。それでも僕は負けずに怒鳴り返した。 「うるさい、僕と十代に謝れ!」 「謝らない。あれは俺がやらなきゃならないことだったんだ。十代の家族の俺がさ。他の誰にも任せるわけにはいかなかったんだ。十代の面倒を見るのは、どんな時でも俺の役割だったんだ。できるだけ痛くはしなかったつもりだよ」 ヨハンの声は優しかった。僕はそのことに腹が立ってしょうがない。 十代が昔僕にしてくれたように僕の頭に触り、撫でようとするヨハンの手を振り払うと、彼は手をやり場がなさそうにして、困った顔をしていた。 ――僕に優しくするのなら、拒絶されて困った顔をするのなら、十代を愛していたなんて嘘でも言うのなら、どうして十代を殺したんだ! 滲んできた目を上げて、僕がヨハンを再び睨み付けた時だった。 大きなサイレンが施設中に鳴り響いた。同時に天井にくっついているスピーカーを通して、機械的な女性の声による放送が聞こえてきた。 『緊急事態が発生しました。北部研究区画を封鎖します。第一、第二施設内の研究員は、すみやかに退避して下さい』 ヨハンはさっと顔つきを険しくし、扉の前に座り込んでいる僕の肩を掴んで立ち上がらせた。 「お前はここにいろ。またあとでな、ジュニア。危ないからついてくんなよ」 「ちょっ……ちょっと待てよ! 僕は、まだ」 ヨハンは僕の声なんて聞こうともせずに、僕をベッドの方へ押しやり、部屋の外へ出て行ってしまう。彼を追い掛けた僕の鼻先でばたんと扉が閉まった。加えて後ろから何者かにカーディガンの裾を引っ張られて、つんのめって床に膝をついてしまった。 「だ、誰だよ! ……へ?」 つい間の抜けた声を上げてしまったのは、僕の後ろにとんでもない生き物がいたせいだ。虎だった。大きな大人の虎だ。そいつがその気になれば僕の喉に噛み付いて首の骨を折り、一瞬で絶命させることもできるだろう。しかし、良く人に慣れているのか、こちらに襲いかかってくる気配は無いのが救いだった。 虎は唖然としている僕をどこか物言いたげにしばらく見つめていたが、やがてすうっと煙が引くみたいにして姿を消してしまった。 そこで僕はその虎が精霊の一種だったのだということに気が付いた。おそらく主が離れたせいで、僕のもとに留まることが難しくなったのだ。誰に仕える精霊なのかはすぐに知れた。きっとヨハンが使う宝玉獣というやつだろう。 僕は扉を開けた。しかし長くまっすぐ続く廊下には、既にヨハンの姿は無かった。 |