ココホレさん。



 新婚さん仕様なんて言っておきながら、ココンホレ=セカンドエディション(仮)はとても……なんというか、おどろおどろしい内装であった。
 リュウはあまりお化けとか、幽霊とか、そう言ったものが得意ではなかった――――昔から怖がりで、怪談話なんかされようものなら夜は室内に隣接しているトイレにさえひとりで行けず、水没中層区を通っての書類護送任務なんか降りてこようものなら毎回心因性の腹痛に悩まされたりしていたものだ。
 中層は、なんというか、アンデッドの溜まり場であったので。
「ボ、ボッシュう……こ、こわいよう。か、かえろうよう……」
 リュウは情けない話だが完全に怖気づいてしまって、ボッシュの袖をくいくいっと引っ張った。
 ボッシュはいつもみたいに、ハア?っていう顔をして、オマエ何言ってんの、と言った。
「ドラゴンがついてるだろ。ゾンビも幽霊も、一瞬で消し炭だよ」
「う、そ、そう、かな……ね、アジ―ン?」
 リュウは縋るように内なる存在に語り掛けた。
 だが、いつもなら全然へいきだと自信満々でリュウを安心させてくれる、もうひとりのリュウの反応がない。
 まったく、ないのだ。
「……あれ? アジーン?」
 リュウは戸惑って、目を閉じて、もうひとりの自分を探した。
 だがどこにも見当たらない。
 返事もない。
 気配が完全に消えてなくなっているので、眠っているわけでもなさそうだ。
「ボ、ボッシュ! アジーンどっか行っちゃったよ?!」
「ハア? んなことあるわけ……あの過保護なドラゴンがオマエほったらかして出て行くなんて、なあ、チェトレ……」
 そこで、ボッシュもリュウとおんなじような、わけがわからない、と言った表情になった。
「……チェトレ? おいバカ、黒犬、どこ行きやがった?」
「チェトレもいないの?!」
 リュウが慌てて辺りを見回しても、竜の姿はどこにもなかった。
 ふいに、背中のほうから声が聞こえてきた――――
『今回は、ずるっこは禁止よう! このダンジョンはカップル専用だから、二人一組で挑むよう。見当を祈るよう』
 わんわんとたわんだ妖精さんの声が聞こえてきて、リュウはあたふたしてしまった。
「よっ、妖精さん! アジーン、どこやったの?!」
『二人一組よう。商品は先についたもの勝ちよう』
「あ、もしかして……アジーンたちも?」
『ルートはいくつかあるよう。途中で会うかもよう』
「あ、そうなんだ……って、あの、ちょっと待って……」
 アジーンとチェトレも、どこかにこうして放り出されているのだろうか?





◆◇◆◇◆





「リュウ――――ッ!!」
 アジーンは大慌てで、大事なリンク者を探していた。
 いつもと視界が切り替わって、真っ暗な地下洞窟に放り出されたと思ったら、何故かリンクを切り離されてしまった。
 リュウが見当たらない。
 アジーンは、あたふたと岩陰のコケ石をひっくり返して、リュウを探した。
「リュウっ、どこだ?! 返事しろよ!」
 だが見当たるのは、生まれたてのハオチーが無数にうぞうぞと蠢いているだけだ。
 リュウはいなかった。
「姉ちゃん……あのさ、リュウはそんなちっちゃい石の陰にはいないと思うよ」
「何言ってんだ、俺のリュウはちっちゃくて可愛いんだよ!」
「おれたち今、アルターエゴだよ、姉ちゃん……。うーん、どうも本体と比較しちゃうんだよね、どうしても」
 チェトレが何か思案顔で、腕組みなんかして、うーん、と唸っている。
「うちのリンク者、そう言えばどこ行っちゃったんだろ。まあ遊び飽きたら帰ってくると思うけど」
「オマエって、放任主義だよな……」
「だってうちのリンク者、リュウみたいに可愛くないし」
「だよなあ……俺、あんなのとリンクしなくてホントに良かったぜ。オマエ昔から割と貧乏籤引きやすいんだよな。体質だな、きっと」
「そうでもないよ、姉ちゃん」
 チェトレがにっこり笑って、言った。
「おれ、ボッシュのリンク者で良かったなあって思ってるよ」
「うっわ、悪趣味……うん、あれか。バカな子ほど可愛いってやつ? でもオマエも悪いぞ、ちゃんと躾をしないから、あんな噛みリンク者になるんだ。うちのリュウはおとなしいし、顔も中身も可愛いし、俺が助けてやらなきゃなんにもできないから、リンクしてるって実感あるもんなあ」
「まあ、そーいうのと別でさ」
「なに?」
 アジーンは首を傾げた。
 弟は、あのボッシュなんかのどこが気に入ったというのだろう?
「リュウ、ボッシュラブラブだし。ツガイだしー」
「……リュウ、可愛いんだけど、ツガイの趣味は悪いよな」
「役得で姉ちゃんといつも一緒だし。ボッシュはリュウと1000年一緒にいるんだっけ?」
「……カンベンしろよ。オマエ、もうひとり立ちできる歳だろうが」
 最近チェトレは甘えっ子だ。
 まあ姉として悪い気はしないが、あのアジーンを嫌って何につけても突っかかってきた弟が、なんでこんなに急にべたべたと甘えてくるものだか、いまひとつ理由が知れない。
「姉ちゃんと二人っきりの空なんて、ああ、おれは幸せだなあ。ドヴァーがここにいたら、何て言ったろうなあ」
「ドラゴンブレスじゃねえの。あいつ、オマエには容赦なかったからな」
「あはは、ほんとほんと。ドヴァーは姉ちゃん大好きだったもんねえ」
「大好きって……まあ、オマエと違って可愛い弟だったな。賢かったし、良く言うこと聞いたし」
「おれは? 可愛くないの? だめ?」
「だからそこでリュウの真似するな、その顔で、気色悪い……ていうか、オマエ俺のこと嫌いじゃなかったの?」
 アジーンは、なんとなくあまり気は進まなかったが、訊いてみた。
 チェトレはにこにこしている。答えない。
「なあ、今は、どうなんだよ……キライじゃ、ない?」
「……姉ちゃんさあ」
 チェトレが、やれやれ、と肩を竦めて頭を振った。
 その仕草はなんだかボッシュみたいだ。
 アジ―ンがなんだか面白くなくて不機嫌でいると、チェトレはまたべたっとくっついてきて、じいっと顔を覗き込んできた。
 目を開けて、眼窩の奥の炎が見える。
「おれが何回好きだよって言ったか、覚えてる?」
「通算231回だっけ」
「残念、233回。姉ちゃんからは、でも一回も聞いてなかったりするんだけど」
「……そ、そんなこと言わなくたって、当たり前に、決まってるだろ。弟、だし……」
「だし?」
「お、俺が、守ってやらなきゃ、オマエ他の兄弟にすぐ泣かされるし……つっても、もういないけど、それにふたりっきりしか残ってねえし、父さまの遺言だし、ええとその、チェトレ?」
「ん?」
「きょ、距離、ちょっと、近くねえ?」
 いつのまにか、岩の壁にべたっと背中をくっつけられていた。
 チェトレがぎゅうっと甘えるように体重なんか掛けてきて、まあそれに関しては姉弟だし、姉として可愛い弟に懐かれて嫌な気はしないし、だがそれにしたって少しばかり、その、親密過ぎやしないだろうか?
 アジーンとチェトレは地上に二体きり残ったオールド・ディープである。
 リンク者はツガイだし、ツガイらしく交配なんかしたりして、そのとばっちりを受けたりすることはあったが、それはリュウとボッシュの間に成立するものであって、アジ―ンとチェトレがそうあるものではないはずだ。
「て、ていうか……ちょっと、オイコラバカ弟、どこ触ってんの」
 姉弟なのだ。
 竜に人間の倫理観なんて存在しないが、近親交配は遺伝子異常が発生しやすいことは知ってるし、多分人間の倫理観を持つリュウなら、きっとそういうの、良くないよなんて言うと思うのだ。なんとなく。
 チェトレもそこのところは良くわかっている……と思いたいが、ならなぜ弟はアジーンの胸なんか、それもリュウのアルターエゴなんてかたちの時に、触ったりするのだろう。
「む、胸っ、触るなよ! そこは触ったらなんか、ひ、ヒトだと」
「なあに、アジーン?」
「や、やらしいんだ……って、な、名前で呼ぶなっ、姉ちゃんと呼べ、姉ちゃんと」
 リュウにリンクしていた記憶がそうさせるのか、なんだか触られると妙に胸がぎゅうっと締まるような気分になってきた。
(や、やべえ……お、弟に犯される……ッ! た、助けて父さまーっ!!)
 今は亡き父に救いを求めてみたところで、どうしようもない。
 チェトレは、なんだか良くわからないがアジーンの耳を甘く噛んだりなんてしている。
「っば、な、なにして」
「アジーン、顔は可愛いよね」
「か、顔はってなんだ! 俺は可愛くて気立てが良くて優しくて美人な美少女ドラゴンだ」
「自分で言うとこが何とも」
「……何とも、なに?」
「いえいえ、アジーンは可愛いよ、うん。すっごい、ねえ……」
 チェトレが、リンク者を模した、少し低い、掠れた声で、アジーンの耳元で囁いた。
 これは危険な種類のものである。
 リュウがやられると、一発で骨抜きの技だ。
「ほんとに……食べちゃいたいよ」
 ざあっ、とアジーンの背中に怖気がはしった。
「と、共食いされるッ!! 父さまーッ!!」
「ホントに食べやしないってば。アジーンは可愛いねえ」
 ぐるん、とコートを剥がされて、股の間をきゅっと擦られて、アジ―ンはびしっと硬直してしまった。
「や、ややや、やばいぞこらチェトレ、俺にこんなことして、タダで済むと……」
「お仕置きは後でおとなしく受けます」
「だ、だからー! 今、やめろよこれ! ちょっ……変なふうに触るな! リュウ、がっ……」
 アジーンは、置かれた状況に絶望しつつ、ぼそぼそ言った。
 ちょっと泣きが入っている。
「リュウ、がー……いつも、触られてるとこっ、弱いん、だよ、ばか……」
「知ってる知ってる。どうすれば気持ち良くしてあげられるのかもわかるよ。イメージトレーニングは完璧さ。ボッシュのだけど」
「……あいつ、結構スゴいムッツリスケベだよな」
「おれもそう思う」
「オマエも結構ヒトのこと、言えないぞこれ、チェトレ」
「おれもそう思う」
 チェトレはそう気を入れずに頷いて、アジーンの腹をつうっと撫でた。
「ね、アジーン……赤ちゃん、いるってわかる?」
「う……まあ。リンク、切れても、感覚だけは」
「おれたちの子でもあるんだよね。ね?」
「うー……」
 顔を真っ赤にして、手のひらで目を覆って、アジーンはげんなりと言った。
「オマエ、最近リンク者にそっくりだよ……」
「アジ―ンこそ、リュウにそっくりだよ」
「お、俺? 俺、あんなに可愛いか?」
「可愛い、可愛い。ね、姉ちゃん」
「な、なに?」
 チェトレは、またにこおっと笑って、たちの悪いことを言った。
「えっちしよっか」
 アジーンには、それが我慢の限界だった。
 渾身の力を込めて放った膝蹴りが、綺麗にチェトレの顎にヒットした――――純粋に戦って、アジーンが誰にも負ける訳がないのだ。
「やば……かった……」
 目を回して伸びている弟の横で手早く着衣を整え、頭を抱えて、はー、と溜息をつく。
(育て方……絶対間違っちまったよ……。父さま、チェトレ、こんなエロガキになっちまいました……でも俺は悪くないです。多分、リンク者が、悪い……)
 腹に触れる。
 そこには何の兆候も見て取れなかったが、リュウの分体である以上、まあ、感覚は共有している。
(さんかげつはん、だっけ)
 リンク者同士の交配なんて、聞いたことがない。
(何が産まれてくるんだろな……よくわからん)
 胎生のヒトであるリュウは、もしかしたら、卵生の竜の卵なんか身篭っていたら、どうするだろう?
 こんなのおれの子じゃないって泣くだろうか?
 そうなると、誰の子かと言えば、やっぱりこの最近変な弟と自分の子であるわけだ。
(どうしよ、父さま……なんか俺、こーいうの、一生縁が無さそうだなーとか、思ってたんだけどなー)
 はあっとまた溜息をついて、一応弟の介抱なんかをしてやる。
 膝に頭を抱いてやり、金の髪を撫でる。
 割合綺麗なものだ。
 起きて喋ってると生意気というか、反応に困ることばかり言うので疲れるったらないが、こうして眠らせてやると、わりと可愛いものだ。
(あーくそ、変なふうに触りやがって……身体が、妙な反応してるじゃん……)
 心音が早くなっている。血圧上昇、異常だ。
「この、バカチェトレめ……」
「……姉ちゃんの膝枕、柔らかいなあ……」
「……テメ、起きてやがったか」
 ぽいっとチェトレの頭を放って、アジーンはさっさと立ちあがり、行くぞ、と声を掛けた。
「次やったら、もう二度と空を拝めないと思え」
「うわー。アジ―ン姉ちゃん、こわーい」
「返事は?」
「さあ……それよか、いいの? リュウほったらかして。こんな狭いとこでボッシュとふたりきりなんて、なにかすごい特殊なプレイとかされてなきゃいいけど」
「……! あっ、オマエ、それ早く言えよ! ていうか何だよ特殊って」
「姉ちゃんは知らなくて良いよ」
「……一回、オマエのリンク者の記憶、覗いてみたいな」
「姉ちゃんきっと大暴れだよ。おれでもたまに恥ずかしくて暴れたくなるもの」
「……あっそ」
 何とも言えず、頷いて、歩き出す。
「アジ―ン姉ちゃん、手、繋いで」
「……いいけど、もう変なことするなよ」
「嫌なの?」
「あ、あのなあ。俺ら、その、姉弟なんだぞ、バカ」
 アジ―ンは何故だか妙に焦ってしまっていた。
 弟相手に、変なふうに意識してしまって、どうしようもない。
(あー……ヒトガタなんてしてるから、ヒトの病気に掛かったんだな。あの、いつもリュウがなってるやつ……)
 鼓動が早くなって、息苦しく胸が締まる。
 もうやってられるかと投げやりな気分になりながら、アジーンは進んだ。
 リュウを探さなくては。

 

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