「俺の知る限りだ」
 腕を組み、踵でこつこつと床を叩きながら、ジェズイットは澄ました顔をしている少女に確認した。
「竜はもう全滅したんじゃなかったか? 先の「空」騒ぎで、三匹が『駆除』されたって聞いたぜ。一匹は廃物遺棄坑の更に奥深くに埋められた。二匹目はバイオ公社が死骸を引き上げて調査中。三匹目は、なんだっけ、共食い?されて、くたばった。間違いないか?」
「ええ、大筋。さすがですのね、地下の情報は全てお耳に入っているのかしら」
「オイオイ、カンベンしてくれよ。まだ生き残りがいるのか? あんなの一匹いるだけで、世界はぐちゃぐちゃの大混乱だ」
「まるで竜を見てきたような口ぶりですのね? 私が物心ついた時には、もう全てが終わっていましたわ」
 オルテンシアが、くすくすと声を抑えて笑った。
「笑い事じゃないよ、お嬢さん。ああ見てきたともさ、現オリジンのやつをな。俺がレンジャーなりたてほやほやの頃だ、竜狩りに駆り出されて目の前でしっかり見たとも。……おかげで今や、剣も握れやしない有様だ。怖くってさ」
「あら、オリジンのせいで、そんな? ひどいですわね、今度ちゃんと、謝るように言っておきますわ」
 まるで話にならない。
 ジェズイットは肩を竦めて、だからこーいうわけ、無理だ、と言った。
「竜と戦えなんて言われてもさー。俺、イヤだし。怖いし。あんなのにまた遭うんなら、ライフラインから身投げでもしたほうがいくらもマシ」
「そして、世界は邪悪な竜に支配されるんですのね。オリジン、言ってましたわ。今度の竜は悪い竜だって。空を閉じたオリジンに復讐することしか頭にない、愚かな竜なのですって。私もそう思います。貴方もそうは思わなくて?」
「だーかーらー、あのねえ、お尻の綺麗なお嬢さん……」
「オルテンシア、です。きっと世界は閉ざされた今よりも不幸なものになりますわ。貴方の大事な人たちもきっと、毎日貴方を恨んで暮らすでしょう。貴方さえ戦ってくれたら、こんなことにはならなかった。世界は平和で、調和がそこにあり、完全に統治されているはずだった――――
「……お嬢さん、ところでそれは誰の入れ知恵だい?」
「あら、わかりました? 貴方のデータを拝見したら、メベトおにいさまがこう言えばきっと貴方が来て下さるって言っていたのよ」
 少女らしく無邪気な仕草で首を傾げ、オルテンシアはこう言った。絶対ですわ。
「それに、私にはビジョンが見えます。貴方は戦う。逃げるなんて、ありえませんわ。こんなに綺麗な未来視はひさしぶり……エリュオンにいさま……あら失礼、オリジンが空を開く幻視以来です」
 ここで、少し困ったような顔になって、でも、と少女は声を沈ませた。
「私の未来視は、こんなに完全なビジョンが出た時は、きっと外れるんです……前だって、すごく綺麗に見えましたのよ? 紺色の髪、同じ色のレンジャージャケット……綺麗な意思の銀色。あれはまぎれもなく、あのお方でした。空の下にいるあのお方を見たのに、いつのまにかビジョンの中のにいさまより、あの方大きくなってしまわれているんですもの」
 少し膨れて、不貞腐れたように言って、少女は座っても良いでしょうか、とジェズイットに聞いた。
「ん、ああ……どーぞ。気ィつかねーで、悪いな」
「長居するつもりはなかったんです。貴方もどうやら、お願いを聞いてくださるようなので」
「……って、オイオイ! いつの間に俺が上に行くことに?!」
「もう決めてらっしゃるのでしょう? 私、人の心が読めますの。綺麗な決意の赤が見えますわ」
「……お嬢さん、性格悪いって言われない?」
「心外ですわ。にいさまたち、いつも私のこと、いい子だって誉めてくださいますのよ?」
 澄ました顔でうっすらと微笑んでいる少女に、ジェズイットは悟った。お手上げ、降参である。
 この少女には敵いやしない。
「……ま、しゃーないか。俺もいい大人だし、世界がぐっちゃぐちゃになんのは困るし……な、煙草吸っていい? あ、苦手なほう?」
「どうぞ。メベトおにいさまやデモネドおじさま、いつもそばで吸ってるから、平気です」
 確か、戸棚の奥底のほうに仕舞っておいたものがあるはずだ。
 いつのものだかは忘れてしまったが、ここ一年よりは確実に前のことだろう。
 なにせ、成長期の身体に有害である。
 あのひょろひょろのJJが、今みたいなちびのままで身長が止まってしまうのは、あまりに哀れである。
「いつもはさあ、吸わねえんだぜー。JJ、うるさいだろうしさー」
「あの可愛い男の子ですね」
「そーそー、俺と血が繋がってるってのが冗談みたいに貧弱なボウヤでさ、ていうか眼鏡だしひょろひょろだし、もやしっ子のくせにバトラーになりたいなんつってさ、レンジャーの。夜中にこっそり隠れて、表に出て剣振ってんの。それがまた、フォームがなってなくてさー」
 剣に振り回されてすっ転んだJJを思い出して、ジェズイットはニヤニヤと思い出し笑いをした。
 こさえた怪我の言い訳は、いつもこうだ。仕事中にどこかで切ったんでしょうねきっと。気付きませんでした。
「D値1/512って、母ちゃんに似たのな。あいつローディだって気にしちゃってさ。別に普通よりずっと上だし、俺がすごいだけなのに……いや、あんた1/8だっけ、お嬢さん。悪いね、ハイディの前でこんな話。面白くないだろ?」
「いいえ、もっと聞かせてくださいな」
 オルテンシアは粗末な椅子に行儀良く座って、にこにこしている。
 その顔には、少なくとも話を合わせているだけ、といったふうな色は見えなかった。
「……ほんとに面白い?」
「ええ。私には、血縁者がいませんから……面白いですわ。JJ君は幸せですわね」
「だろー? 俺みたいな格好良い男の中の男の家族ってだけで誇ったって良いものを、あいつ俺のことナンパ野郎とかD値の無駄遣い男とか、頭の中に女のことしかないんだとか、失礼なことばっかなんだぜ。まあ、D値に引き離されはしたが……一応家族想いなんだぜ、俺。店を開いたのだって、従業員としてなら家族、呼べるじゃん。あいつの他は来てくれやしなかったけどさ。それに、たまには中層の親父の墓石磨きに行ってるし」
「お父さまは、ご病気で?」
「竜狩りな、俺の隊の隊長が親父だったんだ。死んだ。俺だけだ、生き残ったの」
「……そうですの。すみません、不躾な質問ですね」
「いや、ぜんぜん、お尻の可愛いお嬢さん。……な、あのさ、お嬢さん。ちょっと気になるんだけど」
「はい?」
「統治者になったら、D値ってもういらねーの?」
「ええ。D値よりも、メンバーであるという証が確かに個人を証明してくれますわ。アブソリュード・ディフェンスって言うんです。私も持ってますのよ」
「へー。な、お嬢さん。ちょっと用事頼んでいい? ちょっとした言付けなんだけど」
「ええ。私にできるなら、何でも」
「あとさ、あんた、未来が見えるんだろ? 何が見える?」
 小さく首を傾げたオルテンシアを、その先を、外に広がる上層区街を、街の中心にいるはずの少年へと視線をやって、ジェズイットは静かに、ぽつりと言った。
「……も、あれに会えねーのかな、俺」
「確率は50パーセントですわ。生き残るのは。貴方も、私も」
 オルテンシアは、まるで大した事ではないというふうに、平静に答えた。
「どちらでも、愛する人々の中で生きて行けるというのは、とても幸せなことですわ。エリュオンにいさまやメベトおにいさま……メンバーのみんなの中に、私は確かにいるんですもの。いつもいっしょよ。それなら生きてたって死んでたって、そんなの全然大事なことなんかじゃ、ありません……」







◆◇◆◇◆







いよお、ひょろひょろ眼鏡っ子よ、元気か?
俺は……たぶんおまえの前にはいないんだろーなー、おまえがコレ読んでるとしたらさ。
俺メンバーになるって言ったっけ? 言ってないっけ?
ま、どうでもいいんだけど、俺ほどのナイスガイともなると、世界が放っておかないんだな。
いやあモテる男は困るねー、辛いねー、どうしてくれようか。
さて、前置きはここまで。




ぶっちゃけ俺は統治者になる。いや、もうなってる。おまえがコレ読んでる時にはな。
すげーだろー、羨ましいか。やーい。
綺麗な尻のお嬢さんに言付けを頼んだ。この手紙な。
ちゃんと読めよ。字が汚いとか突っ込むな。気にしてるんだから。
そもそも字が汚くて雑なのは、その分素早く容量多く書けるってことなんだぞ?
あと、上がる前にちょっと用事があって寄り道をしてるんだが……まあいいや、あとあと。




おまえさあ、俺が実は覗いてましたっつってたらまた怒り狂って不貞寝とかしちゃうかもしれないけどさ、実は知ってたんだよな。
ベッドの下にコッソリエロ本隠してるってことを……イヤッ、JJちゃんったらフケツッ、大人ッ




いや冗談。
おまえがバトラーになりたいって剣振り回してるってこと。
適性ぎりぎりでセカンド止まりだって言われてることもな。
あとおまえ、自分のD値、思いっきり気にしてるだろ。1/512……俺ならそのくらいなら気楽にやれて良いと思うんだけどなあ。
ま、D値は絶対じゃない。俺の口癖だ、覚えたか?
おまえは正直良くやると思う。
実は覗きやってて、ひょろひょろのおまえが、俺とおんなじシャドウウォークやってんの見た時には、マジびっくりした。
びっくりし過ぎてちょっと汁が出た。マジマジ。
それはお縄にならずに痴漢ができる、世界で一番便利な能力だ。しっかり覚えてろよ。
ヒキコモリでへタレで自分に自信がないおまえに俺の優秀なD値を分けてやれればなあと常日頃から思ってたんだが、どうやら統治者ってのは、もうD値がいらないらしいんだな。
そんで、提案だ。俺のD値をおまえにやろう。もう俺いらないしな。
統治者になるのとはまたちょっと違った理由だが、まあとにかく、もういらないんだ1/16。
どうだすげーD値だろ。羨ましいだろ。欲しいだろ?
これ、くれてやるっつってんだから、俺って太っ腹だよな。
俺はD値なんざどうでもいいが、おまえがコンプレックス持つくらい優秀なD値なら、持ってて良かったって思うぞ。
おまえがもらって嬉しいだろうしな。
さて、こっちのデータのリライトは済んだ。このジェズイットを舐めるなよ。
だてにジャンク屋なんてやってねんだよ。
公社にハッキングなんてわけねんだよ。
こんな時のために、おまえには偉大な名前がついてる。
J・Jってすんばらしい名前がな。
おまえペットロボみたいでイヤだっつってたっけ。くそ、お仕置きだこの野郎。
まあそんなわけで、バーコードさえ移植すれば誰にもわからない。
拒絶反応も出ないはずだ。肉親だし、俺とおまえ血液型一緒だし。
なのになんで性格がこうも違うのかわからんが。
おまえマメだし真面目だし、女苦手みたいだし。
綺麗な子が目の前にいると真っ赤になって魂飛ばしてるだろ。
そんなんじゃモテないぞ。顔は似てるんだけどなー、俺の若いころそっくりだぜ。
おまえ次第だけどな。やるかやらないかはおまえが決めればいい。
もう一度言うが、俺にはもう必要ない。
なんで必要ないかとか言わせんな。辛気臭いから。




あっ、母ちゃんに謝っといてくれな。
決してキライになったとかそんなじゃなく、俺の手はすごい尻には勝手に吸い付いちゃうんだ。仕様なんだ。仕方がないことなんだ。
世界で一番、ひとりだけ、愛してるのはあんただけだって、ちゃんと伝えといてくれよ。
店構えたのに、上がって来てくれなかったもんなー。怒ってるんだな、まだ。
あ、おまえだけでも来てくれて、俺は非常に嬉しかったぜ。
ありがとうございます、JJ様。感激し過ぎていろんな汁が出たぜ。マジマジ。
できれば家族三人で暮らしたかったんだけどなー。
あ、バアちゃんはよけといてくれ。すぐ怒ってぶつから怖いし。ジイちゃんの墓は中層から動かせねえしな。




それにしてもひとつ心残りなのは、おまえにナンパの極意を伝授できなかったことだ……シャドウウォークは完璧だったんだけどなー。
あれ、おまえ唯一俺よりいけてたぞ。魔力高いからだな。あとちびではしっこいからだ。




好きな女ができたら、ところかまわず押しまくれ。
僕なんかーとかうじうじやってるなよ。ぶっ飛ばすぞ。
嫁さんにするなら顔が可愛くて優しくて料理がうまくて……あ、おまえ自分でできるよな……メシすげえ美味いし……まあともかく、一番大事なのは尻だ。
大きさも大事だが、まずかたちだ。
尻ハンターの俺は、何年も掛けてこの極意を掴んだのだ。
つまり、尻は大きさだけじゃない。造形の美しさである。
美尻に勝るものはないぞ。
うーん、口で言ってもわからんだろうがなあ。




へタレのおまえにはちょっと気の強い子がいいかな……いや、強過ぎると母ちゃんみたいに鉄拳制裁とかされるので要注意だ。
おまえひょろひょろだから、一撃で顎の骨砕かれるぞ。
だから悪いことは言わん、レンジャーの女の子だけはやめとけ。
とりあえず気が強い美人か、うーん、おまえならほんわかした子もいいかもなあ……まあとにかく、このジェズイットのナンパ王の名を汚さないように、世界で一番イイ女を嫁さんに貰え。D値なんざどうでもいい。




おまえはレンジャーになりたいらしいが、悪いことは言わん。
強そうな奴がいたら全力で逃げろ。
相手もほら、無駄な殺生とかイヤだろうし。思いやりとか大事だぞ、うん。
ただ、守るべきものをほったらかしにして逃げるようなへタレ男にだけはなるな。
それ、最低限。わかったか。あとは逃げてもかまわない、俺が赦す。
邪公ザ・ナイトとか、ほら、おまえ多分瞬殺されるし。弱いし。ひょろひょろだし眼鏡だし。




何になろうが構わんが、おまえの好きにしたら良いけど、統治者にだけはなるな。
おまえには向いてない。
おまえが向いてないんじゃなくて、統治者なんてつまらん仕事を、おまえがわざわざやってやる必要まったくなしって感じだ。
そんなもんは俺だけでいい。
おまえ喧嘩とかキライそうだし、世界を守るとか熱血してるわけでもなさそうだし、とりあえずほっとけ。
もし誘いが来てもついていくな。これだけは絶対だ。守れよ。約束だ。破ったらぶっ飛ばすからな。




いきなりなんだこの馴れ馴れしい手紙とか、おまえは思ってるのかなー。
あ、想像すると泣きそうになってきた。
悪いな、親らしいことはなんにもできやしなかったが……ていうか、おまえの方が俺の面倒見てる親って感じだったけど……あーともかく、最後くらい大目に見てくれや。
一回くらい父さんって呼んでほしかったが、まあ贅沢は言わない。俺にはその資格はないしな。
じゃあな、愛してるぜ。母さんを大事にな。





JJ、ひょろひょろでへタレでチビで眼鏡の我が誇り、ジェズイット・ジュニアへ





偉大なる大ジェズイットより





愛を込めて






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