店の中には少女がひとりきりでいて、おんぼろの椅子に腰掛けて、何をするでもなく、足をふらふらと揺らしていた。
「た、ただいまー、あれ……?」
オーナーの姿は無かった。
女の子が、顔を上げてJJを見た。
やっぱり、綺麗な子だった。
歳はJJと同じくらい……いや、ふたつみっつばかり年上に見える。
15歳くらいかな、とJJは見当をつけた。
背丈は少しばかり、その子のほうが上だろう。
「あ、あの……」
あからさまにうろたえて、JJは顔を赤くした。
女の子と、しかもこんなに綺麗な子と二人っきりだ。
「オーナー、知らないかな。そろそろ夕飯作らなくちゃ……あ、そ、そうだ、その、き、君も、良かったら食べてく? ぼ、僕、料理だけは得意なんだ。あ、ヤならべつにいいんだ、忘れて……」
「ジェズイット君」
鈴みたいな声で呼ばれて、JJはびくっとした。
「あ、え、え? は、はい……あの、なに?」
「おじさまから、お手紙を預かっています……私、あなたを待ってましたの」
「え? ぼ、僕を? その」
うまく舌が回らなくて、もどかしかった。
女の子の、ほっそりしていて、指が長く、白くて柔らかい綺麗な手に、小さな箱のようなものが乗っていた。
「お父様からです」
「え?」
わけがわからなかったが、とりあえず受け取ったそれは、このジャンクショップに相応しく薄汚れて、そこここに凹みの痕が見える、鉛でできた箱だった。
「……開けていいの?」
「貴方のものですもの。私は、見ることはできません。目を閉じておきましょう」
女の子はそう言って、くるんと椅子を回転させて、JJに背中を向けた。
手のひらで顔を覆っている様子は、なんだか大人びた子なのに、歳相応に子供っぽかった。
(……なんだろう?)
中には乱雑な手紙と、奇妙なガラスケースが入っていた。
くしゃくしゃの紙切れを広げると、見慣れた字がいっぱいに詰っていた。
そう、あの男はいつもそうだったのだ。
字は汚く、注文書なんかに余計なことばっかり書いて、例えばらくがきとか、女の子の名前とか、そんないろいろ。
真面目に手紙なんて書いたことは一度もないにちがいない。
今だってこんなにふざけてばっかりの字面である。
女の子は目を塞いだままである。
JJは――――
◆◇◆◇◆
ファーストレンジャーになっても、セカンドの手伝いで中層の復旧に汗を流す毎日である。
同僚には笑われるが、同時に悼まれもする。
中層区は数年前に起きた崩落事故で、今やもう全てが水の中だった。
濁った水の中は、暗くて良く見えない。
「おーいい。あんまりこっち、遊びに来ちゃだめだぞ、ガキんちょども。ゾンビ出るからゾンビ」
くるくると岩の上を跳ねまわっている子供に手を振った。
ここはファーストバトラーのジェズイットJr=1/512……いや、Jrはもういらないだろう、ローディでも、もうない。
ジェズイット=1/16が生まれてから12の歳まで暮らした街である。
だがもう見る影もなくて、場所も良くわからない。
地下鉄の入口が顔を出しているから、センターモールの辺りだろうか。
昔は賑わっていたものだった。それを知っている。
だがもう全部過ぎたことだ。
母も祖母も祖父の墓も水の中だった。
街全体が大きな墓標になっていた。
せめて時折幽鬼となって人を襲うアンデッドの中に、家族がいないことを願おう。
「ジェズイット隊長、とりあえず駅前の水道管、復旧しました。次、どこやります?」
「バッカ、何で俺が隊長なわけ。今日は非番だよ、非番。ボランティア。地元の手伝いに来ただけだっつの」
「いやあ、自分もそうなんですが、なんだか仕事柄隊長がいないと落ち付かなくて……」
セカンドレンジャーがふたりばかりやってきた。どちらも泥だらけである。
ジェズイットだって似たようなものだった。
ここで働いて中層街が元に戻るわけでもない。きっとこの先まともに人が住める環境にはならないだろう。
もう死んだ街だった。だがそれでも愛すべき街だった。
墓の手入れくらいはしてやるべきだろう。
ただひとより少しばかり、墓石が巨大過ぎるというだけだ。
「……って隊長。それ、ゴースト石じゃないすか。どっからかっぱらってきたんすか」
「ん? 人聞きが悪いなあ、君たち。ブレイクハートの核は貴重な資源なんだぞ。元ジャンクショップのアルバイト店員としては捨て置けないしー」
ジェズイットは笑って手を広げて見せた。
「ともかく、クリオの店行ってくるわ。売っぱらえば、うん、これなら5000ゼニーくらいかな。たらふくメシが食えるぞ。奢ってやるよ」
「そりゃどうも」
「じゃ、また後でな」
ショップモールだけは奇蹟的に残っている。
生き残ったものたちは、そこに集まり、生活している。
行く所なんかどこにもないのだ。
下層区に降りるにしても、上層街に上がるにしても、D値が邪魔をする。
(厄介なもんだねえ)
とんとん、と首筋を叩く。
これはもう癖になってしまっている。
そこには発光する管理タグがくっついている。
綺麗なものだ、縫い痕もすぐに消えた。誰が見たって傷ひとつ見当たりやしない。
「よっ、クリオ! 今日も貧相な尻……いてえ!」
尻に触ろうとした途端、思いっきり手の甲を抓られた。
少年みたいな痩せぎすの女の子は、まだ10歳になるかならないかくらいだろうに、重そうな道具箱を抱えてショップを構えている。
「なにすんのん、このツンツン頭。うちは高いでえ」
「はいはい、子供がそういうこと言わない」
「大人がアホなことせんとって。なにあんた、ロリコンなん?」
「そんな訳が無いだろう。お兄さんはちゃんと、ぽちゃっとしてぷりっとしたボインな尻が好きだ」
「それは「ちゃんと」してるん……?」
「してるとも、真っ当な嗜好だ。うちの親父もそうだった」
「……うちは男の子なんか嫌いや。みんなそんなんやもん、女の子と遊んでるほうがええわ。そんなことせえへんもん」
「バカな! レズはだめだ、お嬢ちゃん。ホラ、男があぶれるし。まあ見てて可愛いからいいけど」
「そんなん知らんっつうの。あんたもええ歳やろ。嫁でももらって隠居しいや」
「失敬な、お兄さんは永遠の少年さ。隠居なんかまだまだ。ところでクリオ」
「ん」
バックパックからゴースト石を取り出すと、クリオが途端に商売人の顔になった。
いざ勝負である。
「……これは、3000やね」
「バカを言っちゃいけない、クリオちゃん。群がるゾンビを掻き分けてやっとこ見付けたブレイクハートの核だぜ? まじりっけなしのホンモノだ。10000つってもおかしくないぜ?」
「アホ言いな、ゴースト石が10000するもんかい。3100」
「あれはでかかった……あやうく中層の藻屑になるとこだったぜ。な、この石、輝きが違うだろ? じゃ、9000でどうだ」
「3500! そんなんいっしょや。あんたはいつもそうやないの」
「今回は特別の特別の特別だって! いやあ、クリオちゃんだから持ってくるんだぜー。8500」
「うー、4000!これ以上はまけられへんで、うちも商売やからな」
「基地に持ってったら、胴上げもののすごいゴースト石なんだけどなあ……じゃ、特別に7000でどうだ!」
「高いわ!4500!」
「親父さんなら言い値で買ってくれたんだけどなー。まだまだ、そんなせせこましいこと言ってちゃ一人前はほど遠いぞ、クリオちゃん。6500。これ以上はもうだめ」
「……5000や。おとんを出すのは、卑怯やで……」
「了承、売った。あーあーあー、俺は女の子に甘いなあ」
「まいどおおきに……ああもう、あんたはいっつもそうなんやから。なんか買うてってや」
「了解了解。もっと頑張りましょう」
ふてくされた顔をしているクリオの頭をぽすぽすと撫でて、この少女も大きくなったもんだと思う――――まだほんの小さな赤ん坊だったのに。これは歳を取った証拠だろうか?
なにせもう10年だ。
あっと言う間に過ぎ去ってしまった。
彼女との約束は、まだ果たされていない。
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